第2話 鬱々たる都入り

 さて、アトはあらぬ疑いのために牢に放り込まれ、都を前に立ち往生するはめになり、早三日となるが、一向にに出られる気配がない。


 父に手紙を送るも、返事がないのでどうも届いていない気がする。見張りの兵士に嫌がらせでもされているのだろうか? と言うか、目の前で手紙を破かれたこともある。

 いくらなんでも、一通くらいは届いているだろうと思っていたのだが……。

 アトは思案した。


 自力で脱出するしかないか?

 しかし、問題は出た後。

 父がいる宿へ向かえば、廷尉ていい(※1)に追い回され親子そろって捕まる。

 そうなれば、父の文にあった“割のいい仕事”も当然おじゃんだ。


 ――――……うーん。

 仕方ない……月映げつえい兄さんを頼るかなぁ。


 月映兄さん……郷里では世話になった。

 彼はアトに、読み書きやそろばんの弾き方を教えてくれた、年若い恩師であった。

 なのに、都の妓楼に移ってから、正月の挨拶でしか文を出せなくなってしまったが ……。

 薄情だとは思うけど、都に文を出すのは銭が掛かる。兄さんもその事は十分承知で、何も言わないけれど……。


 都にまで来たんだから一度は挨拶に行こうとは思っていたけども、こんな厄介ごと抱えて転がり込むのは流石に図々しい。


 ……でもぉ――――。


 アトが頭を抱えて苦悶していると、のっし のっしといつもの見張りの兵士がやって来た。小太りで薄ら禿で糸のように目が細い男で、ここに来ると始終うるさい。

 彼がまず挨拶がわりに痰を吐き入れる。

 ところが、アトはこれをサッと避けて一度も当たった試しがない。


「このっ!」


 これが癪に障るのか、太い腕を檻の隙間から入れて、必死にアトを捕まえようとするも避けられる。すると今度は


「っ! 無礼伐ちにしてやる!!」


 と下手っぴな剣を突き立ててくるが、勿論これも避けられる。もうそうなると


「この薄汚い溝鼠! 死に損ない! 手紙など生意気な! 貴様の父とて呆れてお前のようなクズとうの昔に見放しておるのだ!! 諦めて死ね! 死ねば皆万々歳だ! ろくでなしっ!!」


 と、有らん限りの罵詈雑言を浴びせかけるしかない。アトは面倒だから、ひたすら黙って剣を避けながら、見張りにしゃべらせるだけしゃべらせる。そして見張りが勝手に疲れて


「き……今日は、この……へんに……してやる!」


 と捨てぜりふを吐いて引っ込んでいくのだ。


「元気だなぁ。坊主。」


 感心するやら呆れるやらで見ていた、牢仲間のはんさんが声をかけた。

 彼は申告洩れの荷があったとかで、投獄されたと言っていた。


「なぁに。アイツ下手っぴだ。そこいらの曲芸の方がきっと剣の扱いはうまいぞ?」


「うははははっ! ちげぇねぇ!」


 アハハハハハハハハハ!!

 アトと樊はひとしきり笑うと、樊がポツリと呟いた。


「最近どうもなぁ……。」


「?」


 アトは樊を見た。


「いやぁな。 前は豚の一頭数え洩れくらいじゃ、捕まえられやしなかったんだが……坊主も言ってたろう? 詐欺未遂だって。」


「違うよ! 世話になってる大店の旦那に預り証の代わりで、借用書にして貰っただけだ。旦那に聞けば分かるさ!」


 樊は眉を顰めた。


「預かるって、銀錠二つって聞いたぞ? そんな大金どうしたって言うんだよ?」


 アトは肩をすくめた。


「知らないよぉ! 送りつけられてきただけだし。旦那も出所がはっきりしない金は、使うと後で大変なことになるって言うから……。」


「ふーん? まぁ、何にしか都が……何て言うか……役人どもだな。ピリピリしてやがる。こりゃきっとお上が揉めてるに違いない。ついてないねぇ。」


「そうなの?」


「あぁ。俺の親父が言っていた。今の皇帝様が即位したときも大層揉めてな、都の門が閉じてしまった事があるんだとさ。そん時も役人がえらい神経質になっとったと言うてたわ。」

 アトと樊は土壁の天井を仰いだ。


「お上ねぇ……。」


 アトは呟いた。


「何を揉めることがあるんだろう? 毎日贅沢して暮らしてるのに不足なんてないじゃないか。」


 すると樊はケッと唾を吐き捨て言った。


「知るもんか。誰が皇帝様になろうが知ったこっちゃないが、戦は御免だぁ。税金だけ搾り取られて商売ができねぇ。その上命までとあっちゃたまったもんじゃないよぉ。」


「そいつは面白くない。」


「全くだ。面白くないついでだ。ここを出たらいっちょ観劇としゃれこまねぇか?」


「いいねぇ。ここらじゃどんな演目が……」


 ジャリッ、ジャリッ、ジャリッ、ジャリッ、ジャリッ、ジャリッ…


 アトは耳をそばだてた。

 この重量感がありながらもきびきび歩く足音、明らかに見張りのハゲじゃない。

 やがて足音の主はアト達がいる牢の前で止まった。

 見ると深緑の盤領袍ばんりょうほうを着た熊の様な大男が立っていた。


「アトはお前か? 何で男の牢に入ってる?」


 大男は少し疲れたように訊ねた。

 アトは目を見開いた。知らない男がなぜか自分の名前を知っている。父の知り合いか?


「旅券を検めた役人が確認しなかったんだ。」


 大男はじっとアトを見つめ言った。


「……なるほど。黙ってりゃ少年に見えるなぁ。」


「え!?」


 ここで樊が声を上げた。


「坊主! 女だったンか!?」


 アトは面目無さそうに少し笑った。


「おじさんゴメン。牢の中だから障りがあると思って。」


「そりゃ構わねぇが言や良かったろうに。」


「役人が人の話を聞くなんてないさ。」


 ううんっ!


 大男が咳ばらいをした。


「あぁ。すまねぇ旦那。」


 樊は肩をすぼめた。


「積もる話もあるだろうが、アト! とりあえずここから出てもらうぞ。」


 そう言うと、お供についてきていた兵士が鍵を開けた。

 アトはぽかんとしてしまった。

 権力と言うのか、言っただけでそのまま叶ってしまうと言うのが驚きだ。アトが呆けていると大男がせっついた。


「何してる、早く来い!」


「あ!  ハイ。」


 アトは慌てて大男の後をついて牢を出た。外に出ると朝の太陽が目を突いた。アトは片腕で光を遮りながら大男について行ったが、アトの足はすくんだ。


 高い。どう見ても、安物には見えない。


 大男の物であろう馬車が、そこにあったのだが、そこいらの荷馬車のように、ぼろ布のほろなどかかっていなかった。細かい唐草模様に、宝相華をあしらった丁寧な彫刻で飾られ、飴細工のように、テカテカと赤茶色の光沢を放っている。こんなもの都の大商人か上級貴族でないと乗り回せない。

 牢での振るまいといいそれなりの身分であろう事は容易に想像できたが、思ってたよりも身分が高いのかもしれない。


 それに、日の当たる場所で大男をよく見ると、着ている服は光沢があって烏沙帽うしゃぼうを被っている。これは上級官吏の装束で、図体からしてこの大男、上級武官。年齢も若いように見えることからしても、名門の出ではなかろうか?


 お貴族が何の用だろう?


 アトは不思議に思いながら馬車に乗り込んだ。すると――、


「全く。猛騎様のお手を煩わせおって……。何をしておるのだ!」


 白髪の混じった鎖骨までの黒ひげに、アトと同じく丈の短い円領を着た、初老の男が腕組みして待ち構えていた。


 父だ!


「何とは私の台詞ですよ!  一体どういう事ですか!?」


 アトはラウに詰め寄ったが、猛騎が間に入った。


「まぁまぁ。ラウ殿も抑えて、コイツがあったんで、俺は大して何も手を出さずに済んだことだし。」


 大男は懐からアトの借用書を出した。


「あ!」


「郭殿には感謝しろよ? わざわざお前の様子を伺う文を、万松の千戸(※2)にお送り下さったお陰で出られたんだから。」


 

 そう言ってアトに借用書を返した。


「ありがとうございます。」


「ところで、お前何で男の格好などしている?」


 猛騎はアトに訊ねた。


「それは……。」


 アトが答える前に、ラウが詫びをいれた。


「申し訳ございません。猛騎様。失念しておりました。」


「失念ってぇと?」


「はい。我々の部族に代々伝わる伝統でございまして、部族長の血族の女子は嫁に入るまで、男のように暮らす風習がございます。故に、女子の服は普段から着ていないのです。常の事でございますゆえ、失念しておりました。」


「なるほどなぁ。」


 大男はアトを見た。


「まぁ、大事なのはここからだ。おーい! !」


 その途端。

 アトの背中の毛が総毛立った。


 来る!


 ズバッ


 ドスッ


 背後に剣、天蓋から矢

 アトは背後の剣を左に、躱し矢を避けながら馬車の外に飛び出て、剣を背後から突き刺してきた男の顎に頭突きを入れ、よろめいたところで剣を奪い、馬車の上に一足飛びに飛び乗ると


「動いたら刺す!」


 と叫び天蓋てんがいに潜む狙撃主に剣を突き立てた。

 すると、馬車から大男と父が取り澄ました顔で出てきて、父が


「いかがでしょう?」


 と伺うと、大男は難しい顔で


「何とか及第……。腕っぷしは文句なしだ。」


 と答えた。


 ってどういう事だ!


 アトは妙に腹が立った。そして、どうやら試されていた事だけは理解した。


「……父上!何ですかこれは!?」


「アト……! 声が――。」


 父がアトを嗜めようとしたが、それを遮って大男が大声で言った。


「イヤイヤ! 恐れ入った!! ちょっと興味が湧いてな? すまん! やり過ぎた! 許してくれ!!」


「……はぁ。」


 アトはその声に少し驚いて気の抜けた返事をした。

 そして、大男はいきなり


 ハーハハハハハハハハッ! アハハハハハハ!!


 と大笑いをし


「こいつぁ面白かった!!! さぁ! 褒美をとらすぞ!! 美味いもんたんと食わしてやる!! さぁさぁ! 降りてこい! 酒も用意してやる!」


 と、まるで衆目をわざと集めるように、大きな身振りまでして声を張り上げた。

 お陰で、何がなんだかよく分かっていない群衆から、アトは拍手喝采を浴び、なんだか気恥ずかしくなってたまらず馬車から下りた。すると大男は


「さぁ! 行くぞぉ!」


「ちょっ……!」


 アトの腕をグイグイ引っ張り、再び馬車に乗せると、今度は御者に出すよう指示を出し、ようやく馬車は走り出した。

 アトはふと、(大男と父の差金だとしても)自分がボロボロにした馬車に、(多分)上級武官を乗せてとがはないかとふと不安に思ったが……。


「さて、まだ名乗ってもいなかったな。俺は姓は黄、名を豪逸、あざなは猛騎と言う。宮廷内で警備をしている武官だ。宜しくな。」


 大男こと黄豪逸猛騎は気安く自己紹介した。

 アトは目を丸くした。

 宮廷に出仕するなどやっぱり上級武官である。なのに対等であるかのように接してくる。


 ……何なんだこの男。人を試しておいて。


 アトは戸惑い固まった。その様子を見て猛騎は少し笑って言った。


「そんなかしこまらなくていいんだよ。俺ぁ元々妓女ぎじょ(※3)のガキで孤児だったんだから。」


「え……! でも――。」

 孤児からの成り上がりは聞いたことはあるが、いくらなんでも年が若すぎる。猛騎の年はいくら年重に見積もっても四十はゆかぬ。してや、この太平の世での出世は一足飛びにはできない。


 若く見えて実はそうとうの年なのだろうか?アトは猛騎をじっと見つめた。

 黒々とした髪といい、皺の少ない肌といいどう見ても三十前後にしか見えないが……。

 この様子見て、猛騎は察したようでこう説明した。


「あー……。母親が死んでから、親父を名乗るお大尽様だいじんさまがお出ましになってな。気がついたら宮廷でこき使われるようになってたのさ。」


「へぇ。」


「これっ!」


「痛っ!」


 ラウがアトの頭をひっ掴んでぐいっと頭を下げさせた。


「申し訳ありません。不躾に。なにぶん田舎者ゆえどうぞご容赦くだされ。」


 ″田舎者″と父にまで言われるとは…。


 アトは少々傷心した。


「なに畏まるなと言ったのは俺だ。気にするな。だが……気性が真っ直ぐだなアトは……。」


 猛騎はなんだか申し訳ないような、哀れむような気の進まなさそう顔でアトを見たが、ラウは


「猛騎様がお気負いなさることはございません。良き修行となり糧となりましょう。」


 と神妙に言った。


「なるほど。獅子は我が子を千尋の谷に落とすと言うことか。」


 獅子は我が子を……と言ったところでアトは何かを察した。


 千尋の谷に落とす?


 アトの顔はひきつった。


 一体なに用で帝都まで呼び出されたのだろう?


「獅子などと……買いかぶりでございます。」


 ラウは謙遜した。


「イヤイヤ、女にしとくにゃもったいないほどだ。さて……アトよ。」


 猛騎はアトの方に向いてニヤリと笑った。


「詳しい話は俺の邸についてからだが、給金は弾むから期待していいぞ?」


「……ありがとうございます。」


 アトは引きつった顔で笑う努力をした。

 馬車が邸に着くまでの間、アトが口を利くことはなかった。



 ――――――――――――――――――――――――――――――


 ※1:都の警備をする役人。


 ※2:隊長・副隊長格を除く千人規模の兵を統率する部隊長にたる役職。


 ※3:遊女。

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