第10話

 暑熱も弱まり、秋の気配が兆しはじめた時節。

 神木信二の死から一か月が経過し、マンションの以前神木信二が住んでいた部屋は、警察や彼の知人の手により大方の片づけが済まされていた。

 その部屋からマンションから遠くない集団墓地に神木信二の墓が建てられ、村上凛はこの日墓参りに訪れていた。

 神木信二の墓前に着くと、すでに墓前には一房、白菊の花束が供えられていた。

 花束を纏める帯には律義に名札が貼られていて、嬉々とした丸みを帯びた字で小園花の名が書かれている。

 先を越されたか、と村上凛は悔しさに下唇を噛んだ。

「これは寄寓ですな」

 敵愾心で墓前の花束を睨みつけていた彼女の背後に、初老の男性が不意に声をかけた。

 びくりと振り返ると、彼女がどこかで見たことのある顔が友好的に微笑んでいた。

「誰?」

「おや、わしが誰なのかわからないようだね。いつも受付にいるんじゃが」

「もしかして、井川さん?」

「そうじゃ。名前を思い出してくれて嬉しいの」

 井川正則はほんとに嬉しそうに頷いた。

「井川さんも誰かのお墓参り?」

「わしも神木君じゃよ。彼には申し訳ないことをしてしまったからの」

「申し訳ないこと?」

「しまった、口が滑ったの」

 自身の発言に驚いたように目を見開きつつも、その目は笑っている。

「そういえば、神木君が亡くなって、もう一か月が経ったんじゃな」

「はい。でも私には彼の笑顔が昨日のことのように思い出せます」

 彼と過ごした日々は風化しない、と井川の発言に気分を害した口調だ。

「殺人事件の時効は十五年と聞いたことがあるの」

 井川は意味深長な脈絡のない話題を切り出す。

「なんで。時効なんか今関係ないですよね?」  

「わしだけが、あの事件の真相を知っている」

 聞き出されれるのを待っているような言い方をして、村上凛を見つめた。

 村上凛は息を呑む。

「神木君を殺したのは名誉欲に狂った豊田教授だったんでしょ?」

「殺害犯は豊田教授であることに間違いはない。しかし神木君が殺される予定はなかったんじゃよ」

「殺される予定、どういうこと予定って?」

 急き込んだ村上凛の質問に、井川は相槌を打って受け止めた。

 村上凛の質問する口が止まると、急に威喝するような目つきになる。

「ここから先のことを知り、わしとのみ秘密を共有できることを約束してくれるかの?」

「や、約束します」

「よろしい。では真相を打ち明けよう」

 緊張の眼差しを向けてくる村上凛に、井川は目つきを和らげ、滔々と真相を語った。

「豊田教授の研究の捏造はわしと神木君にとって、師に対する反逆としか感じられなかった。研究の発表を阻止するために、わしは捏造の証拠を入手し説得する方法が最善だと考えた。そこで豊田教授の捏造を神木君に教え、説得の役を頼んだ。彼はわしの考えに快く賛同して、説得役をなってくれたよ。そこから計画を開始し、手始めにわしが豊田の教授室に非常時用に事務室に保管されていた鍵で入り、『12‐a』のカブトムシを盗み出した。それを待ち合わせ場所で神木君に渡した。あとは豊田教授が神木君に辿り着き、説得されるのを待つばかりとなったのだが、そこでまさか豊田教授が神木君を殺害するとは思っても見なかった。警察の捜査が始まり、元山刑事が豊田教授から預かった書類を大学の中庭に忘れて取りに戻って来たので一緒に探したんじゃ。その時に元山刑事が大谷朋美が持ち帰ったのではないかと言ったのでな、翌日の朝に休暇確認の電話を装って、豊田教授を大谷朋美の家に侵入させるよう仕向けたのだ。少しの証拠でも隠したい豊田教授は、わしが仕向けた通り大谷朋美の家に侵入し、そこで逮捕された。ここまで話したのが事件の顛末だよ」

 井川は話し終えて、穏やかな笑みを浮かべた。

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カブトムシと殺人事件 青キング(Aoking) @112428

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