第9話

 元山は禁足の命を破って、村上凛の自宅に事情聴取する旨周囲の署員に伝えた後、警察署を脱け出した。

 実は密かに目付け役を任されていた遠藤が、昼食の弁当を買いに行き戻った時には元山の姿はなく、遠藤は驚きで口が塞がらず二人分の弁当の入ったコンビニ袋を手から滑り落とした。

 元山が村上家のインターホンを鳴らして名乗ると、待ち望んでいたかのような村上凛が笑顔で応対した。

「刑事さん、あの件でしょう?」

「いや、小園花に神木信二の殺害の疑いはない」

「結局は物証が必要ってことね、ちっ」

 警察に憤懣を吐き捨てて、舌打ちした。

 誣告罪の成立には十分だ、と村上凛の露悪的な態度を訴えたくなった。

 しかし今回の目的からは逸れているため、見逃すことにした。

「あなたは確か、神木信二とカブトムシの『7‐a』から『12‐b』の担当だったね」

「えっ、刑事さん。私と神木君の受け持ち番号まで知ってるの?」

「新宮智から『7‐a』から『12‐b』だと聞きましてな」

「あー、あの女たらしね」

「あなたか神木信二のどちらかでも、『12‐a』と『12‐b』の現物を見たことはありますか?」

「あるわよ。見たことなくて、どうやって研究するのよ」

「成虫の状態で、見たことありますか?」

「えっ。言われてみれば、成虫では見たことないわ。でもそれがどうしたっていうの?」

「豊田教授が、捏造を働いている可能性は考えられませんか?」

「なんで豊田先生が。捏造をするのよ」

「それは色々な理由が考えられますが、それよりも今は12の番号が振られたカブトムシの存在の実否が問題です」

「はあ、そんなのいるに決まってるわ」

「このカブトムシの謎が神木君が殺された理由に繋がる気がするのです」

「えっ。刑事さん、それほんとう?」

「自分の勘ですが。もしも12番の研究結果が捏造であったなら、あなたと神木信二が12番のカブトムシの成虫姿を見ていない理由は、豊田教授が見せなかったということになるのです。しかし神木信二が何らかの形で豊田教授の捏造を知り、捏造の証拠として『12‐a』のカブトムシを盗んだのならば、捏造が露顕されるのを恐れる豊田教授には殺害の動機が十分すぎるほど備わる、という推測だらけの論理ですが」

 柄にもなく熱弁を奮ってしまい、元山は照れた。

 村上凛は電撃でも受けたのように、驚愕に打たれた顔で元山を凝視した。


 元山が突飛な推理を考え付いた日の夜、大谷朋美の住居に侵入したとして、別件で豊田

弥太郎が逮捕された。

 後々に神木信二殺害の容疑で勾引された豊田の取調べに、尋問の役を買って出た元山は 署の取調室で悄然と陰鬱な面持ちの豊田と対座した。

「八月〇日、神木信二を殺したのはあんただな?」

 冷徹な目で容疑者の顔を見据える。

 豊田は頷いた。

「殺害手口は包丁での刺殺で間違いないな?」

「包丁で刺したのを認めます」

「被害者を殺害したのは何故だ。研究用のカブトムシを奪い返すだけが目的なら、殺す必要はないだろう?」

「秘密を守ってくれる確信がなかったものですから、手にかけてしまいました」

 豊田は息を詰まらせてしゃくり上げ、反省と後悔の涙を溢した。

 その場の不信感で教え子を自らの手で殺めた罪悪感に、豊田は圧し潰されるような心境だろう。

「少し話を変えるが、研究結果を捏造しようとしていたのは事実か?」

 豊田が弾かれたように顔を上げる。

「誰から、聞いたんですか?」

 元山は性悪な笑みを口の端に浮かべる。

「俺の推測だが、図星か?」

 かけられた鎌に易々と引っ掛かったのが屈辱で、豊田は顔を一段と深く俯かせた。

 豊田の無言を肯定と受け取って、元山は推理を持ち出す。

「あくまで俺の推理だから、間違った部分があれば話の後に指摘してくれ。

 まずおまえは大学時代に生物学部の顧問教授だった井川正次郎氏に、研究上の意見で対立した、いや反発したと表現した方が適正だな。当時井川正次郎氏の研究で、カブトムシの角の形成遺伝子は十一種と提唱した。しかしあんたは理論では十二種存在すると主張した。時が経ってあんたが教授になり、大学時代の主張を確証させるために、井川正次郎氏と同じ研究を行った。だが研究の途中である蛹の期間で12番の形成遺伝子を証明するはずのカブトムシの角に変化が現れなかった、焦ったあんたは12番のカブトムシのみを自分の手元で管理し生徒から隠した。12番のカブトムシの角に作為的な変化を施すためだろうな。おおよそ角を削ったんだろう。そうした捏造を行う以前か最中に、あなたの悪事に気付いた神木信二が12番のカブトムシを盗み出した。その日のうちに盗んだ人物が誰なのか思い至ったあんたは、神木信二を殺害した」

「大筋は間違いありません。しかし……」

 元山の推理に欠陥がないことを認めたが、減刑や情状酌量を求めて、苦渋の顔で豊田は言葉を続けた。

「最後に電話をかけてきた奴は誰なんだ。あれは脅しだ」

 それは聞き飽きたとばかりに元山は眉を顰める。

「大谷朋美の自宅に侵入する前にあんたに掛かってきた電話か。あれは大学から休暇確認の電話ではないか。調べはついてるぞ」

「違う! そんな事務的な内容ではなかった! 「お前のした殺人は知ってるぞ。少しでも罪を軽くしたいのなら、大谷朋美が持ち返ったファイルを取り返すんだな」って、こんな内容どう聞いても脅しだ!」

「うむ。確かにあのファイルの中には、神木君が井川正次郎氏の熱烈なファンであることを示す文章の書かれたものがあった。あんたが神木君を殺害する動機の一つになり得るな」

 諦めが悪く懲りずに何者からの脅迫電話があった、と訴える豊田に、元山は相手を黙らせるのに十分な威圧の過ぎる睨みを飛ばした。

 容疑者の証言に聞く耳を持たない、証言価値が偏向的な警察官という生き物に、豊田は自分に退路のないことを思い知らされ絶望した。

 元山の閃きと別件での逮捕という偶然が重なり合い、表面上は豊田の犯行として解決したのである。

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