第8話

 翌日、井川正則の示唆的な提言通り、井川正則の父親、井川正次郎の素性を捜査本部の許可と協力を得て調べた。

 六年前に病気で亡くなっており、老後はとくに目立った経歴もないが、それ以前となると瞠目すべき事実が明らかになった。

 井川正次郎は被害者やその関係者の通っていた大学の創立者の一人で、さらに何の因果か生物学部の前身となった学部の教授を二十年近く務めてもいた。

 これらの過去に事件との繋がりを嗅ぎ取った元山は、井川正次郎と親交の厚かった知人をローラー作戦で訪ね歩いた。

 すると次々と事件と関連しうる話が浮き彫りになった。

その中でも豊田の同学年の生物学部の生徒であった男性の話により、豊田現教授が井川正次郎氏の教え子であり、豊田の在学中に当時教授であった井川正則氏が、カブトムシの角の遺伝子に関する研究を進めていたこと、その研究が発表目前で立ち消えしたこと、などの事実が浮上し、豊田教授へさらなる事情聴取が必要になった。

 翌日、元山が数名の部下を連れて、豊田教授を訪ねると不在であった。

「豊田弥太郎教授から休暇の連絡は受けてませんね」

 受付の井川正則が、豊田の居場所を知りたい元山達一行に簡潔に答えた。

「それじゃ、無断欠勤ということですか?」

「そうなりますな、他の教授先生に豊田先生を見ていないか訊いてみますか?」

「見つかり次第私に連絡をください、駆け戻って参りますので。我々は豊田の自宅に向かいます」

 一旦大学を離れて、警察車両で十五分ほど走って豊田の一軒家に着くなり、逃走経路を絶つ目的で部下二人を一軒家周辺の道路に行くよう指示して、元山は呼び出し鈴のボタンに指を触れた。

 宅内からインターホンの音が聞こえると、はーいという豊田の夫人らしき妙齢の女性の声が返ってくる。

ドアが開けられ、ラフなTシャツ姿の女性が玄関先に出てくる。

「どなた?」

 顔が合うなり、厳しい面持ちで元山が警察手帳を掲げる。

「豊田弥太郎さんは?」

「えっ、主人なら仕事に行きましたけど。警察が主人の何の用なんです?」

 迷惑極まりないという顔つきで尋ね返す。

 本当かな、と元山の脳内に疑念が湧く。

「あなたは、豊田弥太郎さんの奥さんですか?」

「ええ」

「本当に、ご主人は仕事に行かれたのですか?」

「そうですよ。いつもの時間に家を出ていきましたから」

 元山は豊田夫人の怪訝そうな顔を真っすぐ見据える。嘘を吐いてるようには見えないが。

「すみませんが、家の中を調べさせていただいてもよろしいですか?」

 横暴な手段だったが、重要参考人の身内は信用できない。

「主人はいませんよ」

「すぐ、終わりますので」

 豊田夫人を膂力で脇に退かして、沓脱に踏み入った。

 強行手段たがやむをえまいと自分に言い聞かせて、豊田弥太郎。警察だ、逃げられんぞ、と大音声を張ったが、声は無音空間に溶けていった。

「主人はいないって言ってるでしょ!」

 と元山の強行に大激怒した豊田夫人の金切り声に追い返される形で、元山とその部下たちは豊田の一軒家から撤退を余儀なくされた。


 一般市民の家宅に捜査の名目で押し入ったとして、元山以下二名の警官は懲戒処分とまではいかないまでも、お偉方にみっちり油を絞られた。

 一応の罰として捜査活動の禁足を命じられ、署内勤務と書類上の捜査に嵌め込められた。

 元山に課せられた仕事は、親切な協力者から提供された井川正次郎の研究資料の一部で、カブトムシの角の遺伝子研究の資料をつぶさに閲読していた。

「ふむ、角の形成に影響を及ぼす遺伝子が十一種類あるのは読んでわかった」

 ひとりごちて、資料から胡乱げな顔を離す。

「かといって、こんな研究が世の為になるのか?」

「今は貢献度にケチをつけてる場合じゃないでしょ」

 自主的に資料の捜査に就いた遠藤が、偏屈おじさんを見る目で元山に言った。

 自分を諫める遠藤に、元山はムッとして反駁する。

「うるさいな。デスクワークなんて俺の性に合わないんだよ」

「資料に目を通すのもれっきとした捜査です。あと、これ見てください」

 遠藤は研究過程に書かれた一人の生徒の日誌の一日の他の生徒の熱心さを認める小さい欄で、そこに気になる文章があった。

 欄には読みにくい金釘文字で、


 角の形成に関わる遺伝子が十一種であることを突き止めたまではよかった。その後に研究結果に不足を感じたのか、豊田君が教授の下に何か訊きにいっていた。それに対して教授は猛反発していた。


 その文章に、流麗なペン字で井川正次郎元教授が返事を書いていた。

 

見ていたのか。君が代わりにあの分からず屋に、理論は結果に勝てないことを教えてあげてくれ。


「理論は結果に勝てない、か。当時の井川教授と豊田の間に何があったのかね」

「気になりますか、元山さん?」

 ああ、と煮え切らない態度で返事をした。

「その日誌の提供者に、僕が訊いてみます」

 遠藤は携帯を上着の内から取り出して、電話で日誌の提供者と一つ二つ言葉を交わした後、日誌の文章の内容について質問した。

 何回か相槌を打って先方に話に耳を傾け、最後にありがとうございます、と礼を言って電話を切った。

「面白い事実がわかりましたよ」

「なんだ?」

「豊田はカブトムシの角を形成する遺伝子は理論上は十二種だと、しきりに主張していたそうですよ」

「十二種……まさか」

 元山の脳裏に『12‐a』の符牒が浮かび上がり、新たな着想が閃いた。

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