第56話 帰り道
今日は、通常通り授業がある。
朝からみっちり授業を受けたあと、放課後になる。科学部での活動を終え、俺と齋藤と進藤はそろって校庭を突っ切って、校門まで向かう。
正門の前には、いつものようにある人の姿があった。
「やっと来た」
当然、江南さんだ。最近、待ち伏せは毎日でなくなっている。特に、俺が部活に参加する日は、さっさと帰ってしまうことが多い。
だから、ちょっと珍しいなと思った。
齋藤と進藤は、いつものように俺を置いてさっさと行ってしまう。
俺と江南さんだけがその場に残される。
もう、俺には抵抗する気なんてなかった。当たり前のことになりつつある。一緒に帰ると言っても、せいぜいT字路までの道のりだけだ。断る理由はない。
それでも、俺は言う。
「なんでいるの……?」
江南さんは悪びれずに答える。
「細かいことはいいでしょ。早く帰ろ」
小さくうなずいて、江南さんの後についていく。
何日か前に、江南さんにテストの結果を聞いた。俺との約束通り、全教科赤点を回避したらしい。それどころか。俺が熱心に教えた数学は50点を上回っていたと聞く。さぞかし、先生たちは驚いたことだろう。そう思うと、なんだか笑えてくる。
江南さんは、鞄を後ろ手に持ち、茶色の髪をゆらしている。正門から出て左側、坂を下る方向に進んでいく。橙色の太陽が地平線に差し掛かろうとしているのが見える。
「科学部、だっけ? こんな遅い時間まで何やってるの? 実験?」
前を歩いていた彼女は、急に俺のほうを振り向いた。俺は首を横に振る。
「そんなこと一度もしたことないよ」
「でも、第一実験室で活動しているんでしょ?」
「まあ……。確かに、第一実験室を使ってはいる」
しかし、科学部が科学するわけがない。こういう部活の大概は、ゲームで遊んでいるだけなのだ。PCを持ち込んでギャルゲーをやっている猛者さえもいる。
こんなこと、あんまり大きな声じゃ言えないけど。
「ふぅん。今度、科学部のぞいてみようかな」
「それはやめて!」
あわてて大声を出した俺を見て、クスクスと笑う。
「必死だなぁ。顔真っ赤になってて気持ち悪いよ」
「うるさいなぁ!」
もう、こんなやりとりも、日常茶飯事だ。
未だに、一緒に帰ろうとする正確な理由はわからない。それでも、こうやって並んで歩くことを当たり前のように考えている自分がいる。
江南さんは不思議な人だ。
冷たい表情と、今のような明るい表情を併せ持つ。
何歩も先に行ってしまった江南さんから声をかけられる。
「なにやってんの? 早く行こ」
うなずいて、坂道を駆けていく。
が、足が痛くて、すぐに止まってしまう。右足をおさえて、その場にうずくまる。
「ごめん。まだ治ってなかったんだっけ」
そう言って、江南さんが俺のもとまで戻ってくる。俺は手で制する。
「いや、ちょっと痛くなっただけだから。大丈夫」
俺は、すぐに立ち上がる。本当に、大したことはない。走ろうとしたが、下り坂だったので変な形で足を置いてしまった。
「ふふ」
なぜか江南さんは笑う。俺は、どうしたの? と訊いてみた。
「なんでもない」
なんなんだ、絶対何かあったと思うんだけど。気になって、自分の姿を見下ろすと股間のチャックが少しだけ開いていることに気が付いた。帰り際に一回トイレに立ち寄ったから、そのときにしっかり閉められてなかったんだろう。
「くそ……」
俺は、すぐにチャックをあげる。すぐに教えてくれればいいのに、なんて性格が悪いんだ。
「ねえ」
隣まで追いついた俺に、江南さんが訊いてくる。
「あんたに怪我を負わせた人たちってどうなったの?」
「ああ」
俺は、あのあとのことを思い出す。
* * *
結局、例の不良たちは、俺に対しての報復をやめたようだ。山崎に一度会い、状況を確認してもらった。そのときに、言われた。
(もう、金輪際、お前みたいな雑魚と関わらないとのたまっていた)
俺は、そうか、と返事をしながら、胸をなでおろした。
なんとかうまくいったようだ。やはり、あいつが気にしていたのは体面だ。俺に勝てたのだから、俺を気にする必要はもうなくなった。
(ずいぶんと派手にやられたみたいだな)
山崎は、俺の姿を見て、そう言った。俺はうなずく。
(俺は、もう過去の自分じゃない。自分のプライドのために、目的を間違えたりしないさ)
(なるほど)
一応、紗香にはしばらく一人で帰らないように伝えておいた。幸い、駅が同じの友達がいるみたいだったので、最近は一緒に帰っているらしい。
(おまえはおまえで頑張ってるってのはわかった。もう俺の手間をかけさせるな)
俺は、素直に謝った。
(悪かった。今回のことは助かった)
山崎は、ふん、と笑う。
(偉そうに俺に言ったんだ。そのまま貫きとおせ)
(わかってる)
それから、俺はもう一度言った。
(俺は、もう二度と大切な人を見失ったりしない)
* * *
「問題ない。すでに解決済みだ」
「ふぅん。ならいいけど」
暴力を受けるのも、奮うのも、もうこれっきりだ。俺は、ちゃんと正しい場所に戻ってきた。この居心地のいい場所を守るために、誓いを守りつづける。
そのとき、俺の脳裏に江南さんの言葉がよみがえった。
(それだけじゃなくて。これから生きていくうえで、新しく大切になるものもあるのかなって)
なんとなく、思う。
俺の大切なものも、増えていくことがあるんだろうか。
なんで急にそんなことを考えたのかわからない。ただ、大切な人を見失わないという言葉の重みを改めて感じていた。
「……」
江南さんが俺を見ている。
無言だった。その瞳から感情を読み取ることができない。なに? と返すと、江南さんはまた笑った。
「チャック閉めたんだね」
「……」
「よかったね。気づいて」
俺は大きく息を吐く。江南さんはどうしてこんなに俺を子供扱いしてくるんだろうか。
無視して、俺は歩き出す。
「あ、怒ってる?」
「怒っていない」
「怒ってるでしょ」
「怒ってないって」
そう言いあいながら、ゆっくり前へと進んでいく。俺と江南さんは、並んで歩いていく。
<第一章 完>
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あとがき(近況ノート)↓
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