第7話
目覚ましの音で目が覚めた。
「バイトに行かないと……」
起き上がったところで今日は休みだという事を思い出す。
二度寝しようにも元々目覚めはいい方だ。
起きてしまったのだからまあいいかと部屋着に着替える。
昨日はなんだかいい夢を見たような気がした。
良くは覚えていないけど、良く知った女の子がずっと笑いかけてくれていて幸せだった。
部屋を開けるとリビングの方から良いミルクの匂いと、フライパンで何かを炒めている音が聞こえる。
誰かが朝ごはんを作っているようだ。
リビングに顔をだすと、エプロン姿の女性が目玉焼きを焼いていた。。
初めは母かと思った。
でも母にしては背が高すぎるし、そもそも若すぎる。
それが千野だと気付くのに少し時間がかかった。
「おにいちゃん、おはよ」
エプロン姿の千野は、僕の方に振り向くとはにかむような笑顔を向けてくる。
顔を見合わせ、昨日の事が脳裏に浮かぶ。
あれって結構恥ずかしかったよな。
顔が熱くなるのを感じた。
どうやら向こうも同じだったらしく、照れた表情をする。慌てたようにフライパンの方に身体を向けた。
「朝ごはん? 手伝おうか」
「ううん。たまにはわたしがするよ。お兄ちゃんは座ってて」
申し出はやんわりと断られる。
せっかくなので言葉に甘える事にした。
テーブルには先に作られていたサラダと、温かいスープが並べられている。
スープは匂いと、流しにいろいろ置かれている食器などから、牛乳から作った手作りだと推測できる。
やるな、妹よ。
ただ流しの方は悲惨な状況になっている。
食べ終わったらあっちの手伝いだけは後でした方が良さそうだ。
他に食パンもテーブルの上にあったので、二枚トースターに入れてスイッチを入れた。これ位は手伝ってもいいだろう。
「おまたせ」
パンが焼き上がるころ、目玉焼きとソーセージ。それに切ったリンゴをお皿に乗せて千野がテーブルの横にやってくる。
お皿を置いてエプロンを脱ぐと、僕の正面の椅子に座った。
正面から顔を見合わせると妙に照れくさい。
「おにいちゃん。今日アルバイトは何時から?」
「新装開店中でね。だから今日も休み」
「お兄ちゃんが働いているのってカフェかどこかだっけ?」
「学校近くのね。そうだ、リニューアルしたら遊びにきなよ。サービスするからさ」
そう言って笑顔を向けると、「絶対に行く」と同じように笑顔が返ってくる。
千野の雰囲気がいつもとずいぶんと違う。
なんだか明るくて温かい感じだ。
彼女の方から口を開くなんて一緒に暮らしだしてから初めての事ではないだろうか。
今までのわだかまりがとれ、すごく距離が近くなったと思った。
それは嬉しくはある。
だけど――
「じゃあ、今日はお……兄ちゃんずっと家にいるの?」
まだすぐには慣れないのだろう。
若干照れが入っておずおずと言った感じで千野がそう聞いてきた。
「まあ、たまにはそうしようかな」
「そうなんだ」
うれしそうにはにかんだ。
僕にとって千野は妹だ。
智乃ではない、千野として。
でも千野にとってはどうやら僕は「おにいちゃん」とは違う感情があるのだと今さら気がついた。
それは年上の男性に対するあこがれか。
初めての父親以外の身近な親しい異性に対する憧憬か。
あるいは――。
それ以上は考えないようにする。
彼女は「いもうと」で、今年中学生になったばかり。
僕は「おにいちゃん」で、もう成人なのだ。
「えーとね、もしよければでいいんだけど」
「今更遠慮なんていらないよ。なんだい?」
「えとね。今日お部屋の片づけ、手伝ってもらっていいかな?」
恥ずかしそうに申し出てきた妹に、僕は了解の旨を伝えた。
「もちろんだよ」
「本当?」
「でも僕が手伝うからには今日中に終わらせるからね。今日は働いてもらうよ」
「う、頑張ります」
「その代わり終わったら昨日のケーキ屋さんでケーキ奢ってあげるよ。いっぱい働くから太らないよ」
その申し出に千野の顔がぱあっと明るくなる。
なんだ、やっぱり甘いものが好きじゃないか。
少し豪勢な朝食を終え、後片付けをする。
最初は千野は自分一人で片付けるつもりだったようだが、あまりにも量の洗い物に僕の手助けを受け入れた。
しかし食事量と洗い物の数が合わないは、どういうことなんだろう。
「あの、おにいちゃん?」
二人並んで洗い物をしていたら、横で千野が小さな声で呼びかけてきた。
声が小さいのはあいかわらずだけど、元々顔の高さはそれほど変わりないので並んでいるとほとんど耳元で声が聞こえる。
聞き逃すわけがなかった。
「なんだい」
「ご飯、おいしかった?」
「うん、とてもね」
正直に感想並び連ねて言うと、隣で千野が「えへへ」と小さく笑い声を上げる。照れたような笑い声。
きちんと表情を見せてくれるのが嬉しい。
智乃が亡くなってからずっと渇望していた風景だった。
今度は明るくて良くしゃべる母。大らかな義父。素直でかわいらしい新しい妹と四人。
ようやく、いや違う。
新しい家族が今から始まるんだ。
智乃がいたころはただ自然に家族ですごしていた。
その関係は緩やかに変化しても、家族であることを疑うことはなかった。
今の家族は、互いに家族であることを望み、互いを尊重して家族になっていく。
「家族」といえども、それぞれの人生や家庭以外の生活がある。
それは当然だった。
でも僕が過去にこだわりすぎて、今までその事に気がつかなかったんだ。
ただ過去のやり直しを渇望していた。
それを千野の敏感な心は察していたのだ。
中学生の女の子に教えられるまで気がつかないなんて、なんて僕はおろかなのか。
「朝食のお礼に晩御飯は僕が作るよ。何か希望はあるかい?」
「ええーとね。カレーがいいな」
ほとんど間髪いれずにそう返事してきた。
カレーの話をしたのはいつだったかな? 最近ようだし、ずいぶん前のような気もする。
「そうかい。じゃあ我が家の味を堪能してもらうとするか」
「わたし、お手伝いするね」
「そう言ってくれると思っていた。よろしく頼むよ」
最後の洗い物を終えると、僕は妹に笑いかける。
千野はまっすぐに僕の顔をみると同じように笑顔を浮かべた。
その純粋な視線に、僕は少したじろぐ。
白坂さんと休日遊ぶ約束をしていたことをきゅうに思い出した。
連絡をするなら今日がきっとベストだし、今より仲が発展するためにはこの休日の僕の行動次第だろう。
でも今日はそんな気にならなかった。
白坂さんのことを考えようとすると、昨日の真新しい服に身を包んだ千野の姿がみょうにちらつく。
それは考えてはいけないことだ。
千野は父親以外の異性と初めて同じ屋根の家にすごしはじめてまだ一月ほどだ。
多感な時期で、一時的な感情の高まりはあるだろう。
でもやがて家族として落ち着くに違いない。
そのためには、年長でおにいちゃんである僕がそう接する必要があるのだ。
「千野、コーヒー飲むかい?」
ごまかすために提案すると、千野は乗ってきた。
「うん、欲しい」
「じゃあコーヒーメーカーで作るよ。砂糖とミルクを用意してもらっていいかい」
「わたしも……ブラックでいいよ」
「無理はしないでおいしくいただいた方が、コーヒーも喜ぶと思うよ」
千野は一瞬のどをならし、降参したように笑った。
年相応の、子供の仕草に思わず笑いそうになる。
水と豆をセットしてスイッチを入れた。
独特の見るが回る音が響きわたる。
カップを戸棚からだして、テーブルに置く。
外から鳥のさえずり声が聞こえた。
やがてコーヒーメーカーから流れる芳醇な香りと、春の香りが交った気持ちのいい匂いがする。
窓から差し込む光にあたり、洗ったばかりの食器がきらきらと光っている。
砂糖とミルクを用意した千野が、コーヒーが出来ていく様を真剣な表情でみつめている。
それを見て、僕はなんだか幸せな気分になった。
完
チノ 在原旅人 @snafkin
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