第6話
いろいろと街を見回った僕らは、少し遅めの昼食をカフェで取っていた。
さすがに服まで買ってあげたのはやり過ぎかな? て考えなくもなかったけど、新しい服と鞄で歩き回る妹の姿が嬉しそうだったので、まあいいかなという気持ちになった。
僕は千野にもっと楽しく生きてほしいんだ。
この一月近く一緒に生活して思ったんだけど彼女は楽しそうに笑うこともある。
だけど普段はなんだか鬱々としていて遠慮がちだ。
これをきっかけに少しでも明るくなって欲しいと思ったんだ。
彼女には智乃の分まで幸せになって欲しい。
昼からはどこを案内しようかと考えながらサンドイッチをほおばる。
三個目に手を出そうとして、妹がまったく食べていないことに気がついた。
「あれ? 千野食べないのかい?」
話しかけると千野は僕を一瞬見ると、そのままうつむいた。
「もしかしたら歩かせすぎたかな? もう二時だもんね」
しかも街まで歩いてきたんだ。なんだか嬉しくていろいろ連れまわしちゃったけど、千野の体力とかまったく考えなかった。
この間反省したばかりだってのに、相変わらずの自分の鈍い性格が嫌になる。
「ごめんね。じゃあ少し休んだら帰ろうか? 買ったばかりの本も読みたいだろうし」
「あ、いえ。そんなつもりじゃあ。ごめんなさい」
千野は大袈裟な仕草で手を横に振った。
僕に遠慮しているのかなって思ったけど、どうも違う気がする。
なんか視線が落ちつかなくて、そわそわしている気がした。
「千野」
「は、はい」
「どうしたの? 何か言いたいことがあるんだったら遠慮なく言ってくれていいよ」
笑顔を向けると、彼女は顔を上げた。
相変わらず視線が定まらないんだけど、やがて見据えるように僕の方をまっすぐに顔を向けた。
それでもしばらくは口をもごもごとしてなかなか口を開かなかった。
心なしか顔が熱っぽい気がするし、やはり疲れがあるのかもしれない。
根気よく彼女から話しかけるのを待っていたらようやく口を開いた。
「お兄ちゃん……やさしいなあって……」
そしてそう口にしたんだ。
妹から「優しい兄」だと思われるのに悪い気はしない。
でも彼女の口調はそういった意味で言っているようでないように思えた。
「いつもいろいろ気にかけて貰って……今日なんか服に鞄まで」
「そんなに重たく考えないで。それは、中学校の入学祝いだから」
それを気にしているのなら逆に悪い事をした気になる。
僕達家族だからって、そういう笑顔を向けたけど、千野は納得していないようだった。
「だって」
「だって!」
珍しく千野が強い語気で言葉を重ねてきた。僕らは兄妹じゃないかとい続く言葉が千野の声でかき消される。はっとした顔の妹に、笑顔で続きを促せた。
「どうしてこれだけしてくれるんですか? わたしなんか暗くて、あんまりしゃべるのが得意でなくて、友達も少ないし何もできなくて……」
「僕達兄妹じゃないか。当然だろう」
今度は口に出して言ったんだ。
だけど千野はそれでは納得が言っていないという感じだ。どうしたんだろう、千野は何に怒っているんだろうか?
「……ですか?」
どことなく震えたような声で千野は言葉を続ける。
しゃべっている間に感情が高まってきたのか、表情がいつもより険しい。
なんだか声が震えているように感じる。
「わたし亡くなった妹さんの代わりなんですか? だからこんなに優しくしてくれるんですか?」
「そういうわけじゃあ……」
「じゃあ……じゃあどういうわけなんですか!」
顔をあげ、はっきりと僕の正面をみて彼女は言った。
千野がここまではっきりと、口調を荒げてしゃべるのは初めてのことだ。
「お兄ちゃんが優しくて、それが嬉しくて。でもそれはわたしじゃなくて、亡くなった妹さんの為にしているってわかって」
僕は答えられない。妹の、智乃と千野を重ねて見ているのだろうか。
いや違う。
智乃は僕にとって大切な妹だ。
妹だった。
だけど千野も僕にとって大切な妹だ。
どっちも大切な妹だけど千野は智乃ではない。それは分かっている。
しかしそれを口に出してどう説明すればよいのかわからなかった。
言葉というものの、形のないものの無力さを実感する。
「わたし妹さんじゃないんです。妹さんと同じにはなれないんです!」」
「千野は、亡くなった智乃とは、違うよ。ただ……」
なんとか言葉を振り絞ったけど、その次が出てこなかった。
新しい妹が出来て嬉しかった。
その妹がとても素直な子で、かわいい子で嬉しかった。
でもなかなか打ち解けてくれないで、仲良くなろうと努力しているつもりでいた。
だけど、だけど心のどこかでは彼女の言う通り、智乃を死なせてしまったことに対する後ろめたさが、千野への接し方に繋がっていると自分でも気づいているのだ。
千野は、敏感な十代の感性はその事に気がついていたのだろう。
僕は千野にいろいと気を配ってあげているつもりでいた。
だけど本当に気をつかわれていたのは僕の方だったのか。
彼女の言葉が突きささる。気がついたら僕の頬を涙がつたっていた。
「お、お兄ちゃん!」
妹が明らかに驚いた様子の声を上げた。
「ごめんなさい! わたし、そんなつもりじゃなくて」
僕の様子に驚いた為か。
それとも自分が大きな、あまり普段から口にしない事をした為か、千野は明らかに動揺している。
「ただ、その私が一緒じゃなくて、私の所為で、お兄ちゃんは全然悪くなくて!」
自分でも何を言っているのかよくわかっていないようだった。
「ごめんなさい!」
そう言うと立ち上がり、僕から逃げるように走り去った。
「千野!」
しばらく呆然としていた僕は、我に返ると彼女を追いかけた。
千野は往来する人をかき分けて突っ走っていく。
完全に混乱しているようだった。
彼女の名前を呼んだが止まる気配がない。
休日の為か、今日はいつもより多くの人で溢れかえっていた。
それが邪魔で中々おいつけない。
やがて歩道を抜け、道路の方向に向かう。
その時、僕の視界の端に荷物を積み込んだ配達車が見えた。
それは千野の方に向かっているようだった。
僕の背中をゾクリとしたものがはしる。
妙に視界がクリアになり、智乃の顔。
そして僕が見なかったはずの、智乃がはねられる瞬間が頭に浮かびあがる。
「チノ!!」
叫ぶと同時に僕は彼女に向かって走りだした。
自分でも信じられない速度で飛びだす。
しかし不思議と彼女の背中が遠く感じ、いつまでたっても追いつかない。
なんで? なんでもっと速く走れないんだ!
車は千野を狙い済ますかのように、彼女の方に向かっている。
車道を離れ、彼女をひき殺すためだけに存在しているかのように。
間に合わない!
僕の脳裏に再びチノの顔が浮かび上がった。
顔を真っ赤にしながら嬉しそうに笑う千野の顔が。
「千野!!」
僕は再び叫んだ。
気がつくと千野の背中がすぐ前にあった。
僕は背後から彼女を抱きしめる。
道路に飛び出す寸前で彼女に追いついたんだ。
僕らのすぐ前をクラクションを鳴らしながら配達車が走り去っていった。
間に合った。
安堵感と恐怖感と、様々な感情が入り混じり僕はわけがわからなくなった。
「良かった。本当に……無事で、よかった」
「あの、えーと……お兄ちゃん」
千野の声がすぐ間近で聞こえる。だけど彼女がどんな顔をしているのか僕には伺いしれなかった。
「千野は、君は智乃とは違う。智乃は大切な妹だったけど、君は違う。でも、大切な妹には違わないんだ」
ようやく一番伝えたい事が口にできた。
安堵したのか涙があふれ出してきた。
彼女の顔がまるで見えない。おそらくざわついているであろう周囲の人たちの声がまるで耳に入らない。
ただ抱きしめた千野の体温だけが、今の僕のこの世の全てだった。
「は、はじめまして」
顔を真っ赤にして一生懸命に挨拶をする千野に僕はほほ笑む。
「はじめまして、千野ちゃん。僕はトモユキ。会えるのを楽しみにしていたよ」
「は、はい」
僕は彼女の肩に手をつける。緊張を隠しきれない様子が手を通してわかった。
「母さん達はまだ籍を入れていないけど、今日から僕達は家族だ。僕には至らない所が一杯あるけど、ずっと一緒に、君の支えになれるように頑張るからね。よろしく」
「よろしく……お願いします」
そう言って彼女は初めて笑顔を見せた。
曇りきった空に、ふと光が差し込んだような、そんな気がした。
この笑顔をずっと守らなければいけない。僕はそう思ったんだ。
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