すごろく

しましま

二人のゴール

 エアコンの効いた部屋で、俺はサイコロを振った。そして出目の数だけ自分の駒を進める。


『三マス戻る』


 一歩進んで二歩下がるの要領で、一向に俺の駒は前に進もうとしなかった。

 そもそも三年生の夏というこの大事な時期に、何故俺はこうしてすごろくをやっているのか。正直言ってただの時間の無駄だ。でも、目の前でニコニコと笑顔を見せる彼女が居たから、これもまた良い暇つぶしのように感じた。



「おかえり!」


 学校から帰ってくると、元気の良い声が俺を出迎えた。幼馴染の咲奈だ。さっきまで俺と同じ教室で同じ時間まで勉強して、同じ時間に学校を出たはずなのに、咲奈は何故か俺よりも先に俺の家に帰っていた。しかも私服なのだ。いつの間にってレベルじゃない。

 もう恐怖も呆れに変わったが、落ちる肩は相変わらずだった。


「……なんでお前が居るんだよ……?」


「えへへ」


 何も答えず幼い笑顔を見せる咲奈だが、もう俺と同じ高校三年生。この時期には進学だの就職だのとみんな奮闘してるのにこいつは……。


「咲奈、お前昨日は何してたっけ?」


 荷物も下ろさずに、俺はジト目で咲奈を見ながら聞いた。別に本当に何をしてたか聞きたい訳ではないのだ。ただ、なんとなく彼女にも俺の気持ちを察して欲しかった。それだけだ。

 しかしまあ、こんなちゃらんぽらんな咲奈が俺の気持ちに気付くはずなんてなく、彼女はいつもと同じ笑顔を見せて質問に答えた。


「えっとねえ、りょー君ちで映画見てた!」


「……じゃあその前の日は?」


「りょー君ちでゲームしてた!」


「…………その前は?」


「うん、りょー君ちでーー」


「もういい……」


 そうなのだ。俺の記憶では今週は毎日咲奈がうちに来ている。むしろ咲奈がうちに居ない日の方が年間通して少ない気がするくらいだ。

 幼馴染だからと言ってうちに入り浸る咲奈も咲奈だが、うちに来る事を拒めない俺も俺だ。彼女の笑顔を見るとどうしても何も言えなくなる。


 今日もまた、俺の負けだ。


「咲奈、先に部屋行って待っててくれ。お茶かなんか持ってく」


「もう、いいのにー」


 そう言いながらも、咲奈は嬉しそうに駆け足で階段を上っていった。途中でドタッと聞こえた事はこの際気にしないでおこう。彼女がドジなのは昔からだ。


 靴を脱いで家に上がると、階段の横を通り過ぎて居間に入る。毎日同じ事ばかりしていると、お茶を注ぐなんて簡単な事も上達するものだ。

 お盆に冷たい緑茶と棚の中にあった和菓子を少し乗せて、俺は咲奈の待つ自分の部屋に向かった。


 ガチャっとノブをまわしてドアを開けると、エアコンで冷えた空気が気持ち良かった。だが、部屋の中でこれでもかと言うぐらいくつろいでいる咲奈の姿に、その気持ち良さは消えていった。

 俺のベッドで寝転ぶ彼女に半ば呆れながら、俺は足でドアを閉める。


「お前なあ、少しは慎みってのを知れ。女子だろ」


 俺は小さなテーブルにお盆を置くと、ぶつぶつ説教じみた事を言いながら、部屋着に着替えた。もう彼女の前で下着になっても何も感じない。まるで小動物みたいなものだ。俺が気を遣う必要は微塵もない。……なのにお茶とお菓子を持って来るあたり、俺はやっぱり俺なんだろう。やっぱり咲奈には勝てない。


「そんで、今日は何しに来たんだ?」


 着替え終わると、寝転がっていた咲奈に聞いた。すると彼女は枕を抱きしめたままピースサインを作って、元気よく答えた。


「今日はね、なんと! すごろくを作ってきましたっ!」


「…………は?」


「人生すごろくだよ!」


 えっへん、どうだ、と言わんばかりの得意げな表情を浮かべて俺の言葉を待つ彼女に対し、俺はただただぽかんと立ち尽くすだけだった。


 すごろく…………すごろくだよな? サイコロ使ってやるあのすごろく。やるのか? 二人で? 咲奈の作ったすごろくを?


 これが世に言うプチパニックというやつなのだろうか?


 このアホが作ったすごろくをやると言う、罰ゲームとしか言いようのない事態に、俺は頭の処理が追いつかなかった。

 俺が突っ立ってる間にも、咲奈はずんずん準備を進めている。ベッドの上に盤を広げて、手作りの駒と百均で売ってるようなサイコロを出して、ものの一分で準備は完了した。

 

 そして俺が言葉を発する事がないまま、現在に至る。


「おい、おかしくないか?」


「そうかなー?」


 もう始めて七ターンくらい経っているのに、一向に前進していなかった。

 一マス、二マス、一マス、三マス戻る、二マス、一マス、三マス戻る…………七ターンで一マスとは、俺の運は相当悪いのだろうか。それか咲奈がサイコロに細工をしているのか…………なんてこいつに限ってそんな高度な事は無理か。人のベッドの上にもかかわらず煎餅をボリボリ食べるような奴だ。細工をするなんて繊細な作業、彼女に出来ようものならある意味今までの行動に恐怖すら感じる。


 なんてどうでもいい事を考えてるうちに、また咲奈だけ駒を進めていった。


「りょー君、ちゃんとイベントマスに止まらないとダメだよぉ」


「生憎俺はまったく進んでないからな。止まりたきゃお前が止まれ」


 べつに怒ってたり苛ついたりしている訳じゃない。こんな言い方をしたのは、若干の恐怖が背中をひた走っていたからだ。何が怖いのか、その元凶をじっと見つめて俺は言った。


「なあ、イベントマスに書いてあるカードって何だ? 碌でもないの出てきたら流石に怒るぞ?」


「大丈夫大丈夫! きっとどんな困難が待ち受けていても、私たちなら乗り越えられるよ!」


「……お前なあ……」

 

 ため息を吐きたい気持ちをぐっと堪えて、八ターン目、俺は適当にサイコロを振った。どうせまたと思っていたが出目は六。どんなにくだらないゲームでも、良い結果が出れば嬉しいものだ。


「ーー四、五、六っと。おお、イベントマスだぞ咲奈」


「ふふん、ついに辿りついてしまったね。これからりょー君にはカードを引いてもらうよ!」


 そう言って彼女が取り出したのは、トランプのようなカードの山だった。何かしらの指令が書かれていて、俺がそれをクリアすれば良い、とそんなところだろう。


 俺は息をのんで咲奈の手から一枚だけカードを引いた。


「…………『ず』?」


 ちょっと予想の斜め上を行っていた。引いたカードに書かれていたのは、たったひとつの文字だった。


「咲奈、これは?」


「えへへ、たくさん集めたら良いことがあるよ!」


「なんだそりゃ」


 どこかの漫画かよなんて思いながら、カードを横に置く。特に指令なんてものもなく、俺たちはまた交互にサイコロを振っていった。

 その後もイベントマスに止まってはカードを引いて、時にはまともな指令をクリアして、だらだらくだらない話をしながら俺たちはゴールにたどり着いたのだった。


 ゴールマスに書かれていた最後の指令は、今まで二人が集めた文字カードを並び替えるという極々単純な共同作業。

 まったく最初から最後まで訳がわからない。本当に無駄で、バカで、アホで、くだらなくて、楽しくて、面白くて…………だけど、そんな風に無駄だと思っていたあの日々があったからこそ、俺たちはちゃんと二人のゴールに立つ事が出来たのだ。


『ずっといっしょ』


 楽しげに鼻歌を歌いながら台所に立つ咲奈の背中を眺めながら、俺はふとそんな昔の事を思いだした。

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すごろく しましま @hawk_tana

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