野良イケメン

水無月 麓

出会い

 これはきっと、運命に違いない。


 傘に叩きつける雨。大通りの車の音。風の音。街灯の弱々しい光。その明かりにぼんやりと照らされる、何者かの姿。

 道端で丸まっていたそれは、ゆっくりと頭を上げる。闇に溶ける黒い髪から、雨の雫が滴る。硝子玉のように澄んだ瞳が私を捉える。女には困らないであろう、美青年というのにふさわしい容貌が、薄暗がりの中で私を見ている。雨粒までもがキラキラ輝くようで、まるでドラマのワンシーンだ。

 冷静に考えたならば、なぜここにいるのかとか、家はどこなのかとか、そういうことをまず尋ねるべきだろう。それか、関わらないほうがいいとここを離れる。

 しかし、私が思ったことはたったひとつだった。なぜ、自分の推しが現実世界にいるのだろう、と。



 忙しい日々の暮らしの中、心の支えは画面の向こうの推しだけであった。

 推しとの出会いは数年前のことである。私の推し、駿人は、某恋愛シュミレーションゲームのキャラクターだ。友人にオススメされなんとなく始めただけだったのだが、簡単に言えば一目惚れ。ありきたりでつまらない出会いと思うかもしれない。でも、私にとっては、それこそ運命の出会いだった。

 仕事終わりで疲れている時には、駿人が名前を呼んで褒めてくれる。好物のオムライスをあげれば素直に喜んでくれるし、私の孤独な誕生日を唯一祝ってくれるし、何より顔が良い。性格良し、顔良し。まさに理想の彼氏である。

 そんな彼が現実世界に居たらどんなにいいだろう。きっと画面の向こうでの姿と同じ綺麗な瞳で、サラサラの黒髪で、背が高くて、この世のものとは思えないほど可愛いはずだ。

 例えば、こんなふうに。


「どうぞ……」

 雨の路上とは打って変わって、明るく電灯が照らす、室内。私の部屋である。一人で暮らすには十分な、狭いアパートだ。ドアの隙間から見える寝室には、推しのグッズがところ狭しと並べられている。いくら貢いだのかは聞いてはいけない。

 そして、その地味な我が家で一際異彩を放っているのが、食卓につく立体的な推し。

 ……そう、やってしまった。あまりにも駿人に似ていたものだから、うっかりあのイケメンを拾ってきてしまった。

 彼に見えないよう、机の下で頭を抱える。あのような状況とはいえ、見ず知らずの男を家に上げるのは常識的にまずい。この間見たドラマにこんなシーンがあったから感覚が麻痺していたのだろうか。少なくとも、疲れていたことが原因のひとつとみて間違いない。無意識に駿人の好物であるオムライスを振る舞うとは相当疲れているんだろう。いちオタクとしては百点かもしれないが、人間としてはかなりまずい。

 しかし、三次元駿人は私の心境などわからないようだ。

「いただきます」

「はっ、はい!」

 瞬間的に我に返り、机から這い出る。机上には、私が調子に乗って作ったオムライス。推しのためにと練習しただけあって形は悪くない。三次元の駿人は珍しそうにそれを見つめ、スプーンで掬って口に運んでいく。こちとらモテないオタクであり、彼氏どころか、誰かに料理を振る舞うということがまずなかった。果たして、私の料理は彼の口に合うのだろうか。

 そうして私が見ていると。彼はパッと表情を明るくして、呟いた。

「…おいしい」

 かっ、かわいい!!!かわいい!!この世のものとは思えないほどかわいい!!そしてなんと言っても嬉しい!!

 私はなるべく面に出さないように喜びを噛みしめる。これでは料理を練習した甲斐があったというものだ。まさか、推し本人…ではないが、こんなにそっくりの彼に美味しいと言ってもらえるなんて夢のようである。

 もし、駿人が私の彼氏になってくれたら、こういう日々が待っているのだろうか。仕事から帰ると人間の駿人がいて、私の料理を喜んで食べてくれる。誰かと暮らすのは面倒だと、だからゲームのほうがいいのだと思っていたのに。今はどうしても彼が、人間の彼がいい。

 一体、彼にはどんな事情があるのだろう。彼はどんな理由であそこにいたのだろう。ゲームと違って、生きていれば色々ある。あんな理想のストーリーが展開される訳ではないことは明白だ。

 だったら、そのストーリーを見てみようじゃないか。私は覚悟を決め、口を開いた。

「あの、どうしてあんなところにいたんですか」

 ふと、彼の手が止まる。視線が一瞬だけぶつかって、すぐに机上に移される。遠く聞こえる雨音が空間を支配する。

 一言だけ、言葉が落ちた。

「逃げてきたんです」


 彼にはもともと親がいなかったのだという。孤児院で数年間過ごし、最初に里子に出されたのが十二才頃のこと。その時はいい家に当たったようで、幸せな日々を過ごしたらしい。しかし、高校生になる時に里親が病気で急死。一人で暮らすにはまだ早く、なんとか高校だけでも出なければ働き口も少ない。彼は新たな里親を探し、高校卒業まで世話になることにした。

 しかし、それがよくなかったのである。いわゆる、DVのひどい家庭だったのだ。それからはもう、聞くに耐えないようなことばかりが日常的に起こったそうだ。

 数年後、高校を卒業し、就職した彼は、まさに今日その悪夢から逃げてきたのだという。


 私は終始黙って聞いていた。画面の中で展開される明るいストーリーとは似ても似つかない、重すぎる現実だった。

 彼は、駿人ではない。どんなに似ていても、その人ではない。しかし、彼のことを忘れるなど、到底できそうにない。そういう決して明るくないストーリーだからこそ、彼は人間なのだ。

 これもまた、運命なのだと思った。

「私は奈津子って言います」

 下を向いていた彼が、顔を上げる。

「私と一緒に暮らしませんか」

 不甲斐ない私でも、彼を助けてあげることができるだろうか。


 その日からはもう、楽しくて楽しくて仕方がなかった。

 家に帰れば彼がいる。私は、彼が昔を思い出す暇もないように、いつも面白い話をして、面白い番組を見て、できる限り美味しい料理を作った。彼のおかげで仕事の効率も上がり、同僚からは、何かいいことがあったのかと尋ねられた。それでも彼のことは言わなかった。なるべく情報を広げないようにしたほうがいいのでは、という考えからだが、彼を独占したい心もあったのかもしれない。


 そして今日も私は家に帰り着く。いつもより仕事が多く疲れたが、彼の顔を見れば全て吹き飛んでしまう。おかえり、と言ってくれる人がいるのはこんなにも嬉しいことだったのか。あのゲームにもこういう機能があればよかったのにと思う。今の私が開発に関わったら間違いなくつける。

 そんなことを思いながら廊下を抜けてくると、彼が突然言った。

「ねえ、おれと一緒に居て楽しい?」

 前のことを思い出したのかと心配したが、そうではないらしい。少し安心し、もちろん、と頷く。すると、彼は私の前に立ってこう続けた。

「じゃあお礼が欲しいな」

 彼の手が私の頬に触れる。唇が緩くカーブを描く。駿人によく似た顔が近づいてくる。

 これは、まさか。私はぎゅっと目を瞑る。


 ああ、神様。私がこんなに幸せでいいんでしょうか!



      ###########



 とある夜。萌は、すっかり暗くなった住宅街を、自宅に向かって歩いていた。

 近頃、残業ばかりだ。だからと言って、自分の会社がブラック企業であるとは言い難いし、ホワイト企業であるとも言い難い。こんなに忙しくなったのはつい最近のことなのである。

 原因は確か、隣の部署の誰かが行方不明になったからだと聞いた。もともと彼女の成績は悪くなく、その上最近は特に調子が良かったらしい。そして、大きなプロジェクトを始めた途端に無断欠勤である。行ってみてもアパートには誰もいないし、実家にもいない。思い悩んでいる様子もなく、同僚たちも心当たりがない。

 とにかく、その埋め合わせで会社がてんやわんやなのだ。最近起こっている、女性の連続失踪事件に巻き込まれたのではないかという者もいる。それ自体連続殺人だと言われているので、もしかしたら彼女は既に犯人の手にかけられてしまったのかもしれない。確か名前は、なんとか奈津子さんと言っただろうか。

 すると、その時。暗闇で何かが動いた。ちょうど事件について考えていたものだから、思わず身構える。希望的観測で猫かとも思ったが、目を凝らすと、それは人間であるようだ。急病などだったら警察に連絡しなければいけないので、恐る恐る近づく。

 目の前で、その何者かが、緩慢な動作で顔を上げた。月光の下で顔が顕になる。瞬間、萌は息を呑んだ。

 艶のある黒髪と、微かな光を映す大きな瞳。迷いなく眉目秀麗と言える。二次元から飛び出してきたら、こんなふうになるんだろう。そういえば、友人が前にやっていたゲームのキャラクターに似ているかもしれない。

 時間が止まったような空間で、人形のように形のいい唇が、緩く弧を描いた。



 運命の出会いにも色々ある。

 例えば、推しとの出会い。

 例えば、一緒に暮らしたいと思える人との出会い。

 例えば、とんでもないイケメンとの出会い。

 例えば、連続殺人犯との出会い。

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