父と娘(3)

「プレゼントの件だが、頭をひねって少しでも喜んでもらえる方法を考えた。財布は十和子とお揃い、というのはどうだろう」

 え、と発して窓から運転席へと視線を移した。母とお揃い、というその提案は確かに魅力的で、一瞬、心を掴まれた。即断しそうになるのを堪え、私は慎重に、

「嬉しいです。ただ、あまり高価なものだと学校に持っていけません」

 途端に彼は破顔し、

「君たちはつくづく親子だな。十和子もそう言った。あまり高価なものだと普段使い出来ません、と。気持ちのやり場が無いから受け取るだけ受け取ってくれと言って押し付けたよ。だから君にも同じようにする。学校用のものは――ファッションビルにでも寄るから、そこで選んでくれ」

「それだとけっきょく、二個買っていただくことになりませんか」

「なるな。だから? 十和子にもそうした。君たちは君たちで好きに使い分ける。俺は俺でプレゼントの機会が増えて嬉しい。いいこと尽くめだ」

「――そういうものですか?」

「俺の中ではね。自分の感情だけを主張して、そんな安物は相応しくないから使うなと命じるのは簡単だ。だけど君たちには君たちの感覚があって、都合があって、理想がある。それを無理やり変形させようとは思わないよ。ただ同時に、俺には俺の提供しうるものがある、というのも事実なんだ。実際に選択するかは君たちに任せるにしても、こういう選択肢があるんだと知っておいてほしい。そうだな、君は音楽が好きだったね」

「はい」

「音楽に関して、おそらく俺は君より見聞が狭いだろう。なにせヒットチャートのことくらいしか想像できない。その中から頑張って選んだものを、このカーステレオで流したとしよう。君に満足してもらえるか? たぶんだが、難しいと思う。呆れられるかもしれない。君と俺とではそのくらい、見ている世界が違うわけだ。そしてきっと、君の世界のほうが豊饒だ。俺は君を羨ましく思い、同時に焦がれる。ドアが開いて、中を覗かせてもらえる機会が訪れはしないかと」

 永峯氏はいったん言葉を切り、短く間を置いたあとで、

「俺が新しい世界にあるものを好きになるかは、もちろん別問題だ。ただその豊かさに触れてみたい。触れた上で判断したい。常にそう思って生きてきた。出来れば、君にもそうあってほしい。これは――人生の先達として君に言いたいことだ」

「仰りたいことは、なんとなく。狭い世界でだけ思考している面が、私にはかなりあると思います。ドアを開く機会を与えてもらえるなら、中を覗いてみたい。でも分不相応じゃないかとも感じるんです。身の丈に合わないことをしても居心地は悪いし、傍目には滑稽でしょうから」

「それは覗いてから判断すればいいことだ。見合うくらいに自分を磨きたいと思えば、努力すればいい。自分には縁のない世界だと思えば、ドアを閉じて立ち去ればいい。それでもなにかしらは持ち帰れるはずだ。判断の基準となるものをね」

「例えばですけど、あれもこれも勉強だから買って買って、もっといいものがあるでしょ、世界最高のものじゃなきゃ駄目、なんて私たちが騒ぎ出す可能性もあるわけですよね」

 はは、と彼は声に出して笑った。

「そういう女は数えきれないほど見た。ブランドなんかぜんぜん興味ない、清貧がいちばん、という女もそれなりに見た。一見正反対のようだが、根は同質なんだとあるとき気付いた。つまりは世界に対する決定的な思考停止だ。それで長いこと他人に興味が失せていたんだよ。再婚するつもりなんか無かった――十和子と出会うまでは」

 十和子は、と続けて発する永峯氏の横顔を、つい盗み見ようとした。ちょうど雲が切れ、陽光が彼の表情を翳らせた。しかしその唇が名前の一音一音を愛おしげに紡ぎ出すさまだけは、かろうじて見て取れた。

「君たちには資質がある。見込んだからこそ俺は十和子を選んだんだし、君のことも正式に養子に迎えたいと考えている。俺に開けられるドアは片っ端から開けてやるつもりだよ。金を積むだけで開くなら、いくらでも積んでやる。それ以上に有益な使い方は無いと思っているからね」

 私は氏の顔を見つめたまま沈黙した。それは初めて知った彼の人生観であり、教育論であり、私たち母娘への心情の吐露だった。なにかを誤解していたのかもしれない、自分はこの人ともっと丁寧に話し合ってみるべきかもしれない――そうした感情がうっすらと去来し、やがて胸中を満たした。相手はずっと言葉を必要としていたのに、私のほうがそれを拒み続けてきたのだ。今日とて最初のうちは、なにがドライヴかと気乗りせずにいた。しかしそう提案されなければ、たったこれだけの時間でさえ、永峯氏とふたりきりで過ごすことは無かった。

「――母とも、いつもこういう話を?」

「いつもじゃない。たまにだ。くだらない話もするし、議論もするし、喧嘩もするし、仲直りもする。愛していると言う。つまりは夫婦でいる。君の目には、得体のしれない男が一瞬でお母さんを掻っ攫ったように見えているかもしれないが、長い長い時間がかかったんだよ。互いに少しずつ歩み寄って、やっとのことで夫婦になったんだ。だから君とも同じようにして、親子になりたい。出来るなら」

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