彷徨者たち(4)

 やがて緑茶が来た。サービスだという。しかし猫舌だといってひばりはなかなか手を付けようとしなかった。氷の浮かんだ冷水を空にしてお代わりを頼み、ちょっとお手洗い、と断って席を離れていった。一足先に餡蜜を食べきってしまっていた私は、緑茶を少しずつ口に運びながら待った。思ったほど熱くはなかった。戻ってきたらそう教えよう――忘れなければ。

 不意にポケットの内側で振動が起きた。身を固くした。携帯電話だ。またしても永峯氏かと思って開いてみれば、なんのことはない宣伝のメールだった。電源を落とし、元の場所に仕舞う。頭部の向きを変えて窓に視線をやった。

 硝子越しに、申し訳程度に遊具の配置された公園と、その奥に黒々と茂った木々が見える。ベンチに少年と思しい五、六人が座り込んでいた。全員が俯いている。携帯ゲームにでも興じているのかもしれない。

 ひばりが戻ってきた。私がなにか言う前に湯飲みに触れ、まだ熱いと即断して手を引っ込めた。なかなか重度の猫舌らしい。

「冷たいほうが好き。烏龍茶でも頼みなおそうかな」

「そうする? だったらそのお茶は私が引き受けるよ」

「助かる。口付けてないから」

 手をあげて店員を呼んだ。冷たい烏龍茶ひとつ、と注文し、同時に空いた器を下げてもらおうとして、手を滑らせた。なすすべもなく匙が床に落ちる。

「すみません」

「大丈夫です。お済みでしたらこのままお下げします」

 匙を拾いあげて店員が去る。私は吐息し、

「最近よく物を落とす気がする。手許すら覚束ないってどうなのかな」

「覚束ないってことは無いでしょ。ギター弾けるんじゃん」

「弾けるってほどは弾けないよ。触ったことがあるだけ」

「私なんか、端から触る気にすらならなかったから。幼稚園の頃、お母さんにピアノ習わないかって言われたことあんだけど、絶対無理って断ったんだ。ああやって手を細かくリズミカルに動かすってのが私には出来ない。そもそも人間の両手、あんなにきちんと連動する?」

 私はテーブルの上で両掌の指先を合わせて、

「普通に連動しない」

 ひばりはなぜか私の手に視線を注いでいたが、やがて、

「千紗って左手のがちょっと大きいんだ。右利きだよね?」

「ああ――指を広げるからかな。ギターの弦は利き手と反対で押さえるから」

 烏龍茶が運ばれてきた。ひばりがそれを飲み干し、同時に餡蜜も食べ終えて、そろそろ行こうか、と私に声をかけてきた。料金を支払って店から出る。屋外は日が翳り、幾分か過ごしやすい気温になっていた。ひばりが私に向かい、

「どうする? 服屋でも見に行く? そろそろ秋物も入ってきてるはず」

「いいよ、なにか見たいものがあれば」

「ちょっと気になってるのがね――無くはないんだよ。ただ似合うかなあって迷ってる。厳密に言うと買うのはほぼ決定なんだけど、色がね。どれも捨てがたい」

 私は改めて彼女を眺め、

「普段は明るい色が多いよね」

「自分で選ぶと自然とそうなるんだよ。今度はもうちょい大人っぽいのが欲しいな、と思っててもさ、いざ現物を見るとどうしてもね。そのへん含めて千紗の助言が欲しい」

 私は淡いラベンダーのリネンニットに暗色のパンツという格好だった。華やかな色使いや可愛らしい小物を好むひばりとはまるで方向性が違う。私もまた自分で選ぶと自然とそうなるのだ。せめて人前に出られる程度で、といった調子の、礼儀作法じみた思考が先立つ。ファッションが嫌いなわけではないが、積極的に楽しもうと思ったことは少ない。

「千紗もなんか買うなら、付き合うよ。駅ビルのほうまで行く?」

「そうだね。見てみて、なにかいいものがあれば」

 公園の前を通りかかったとき、私ははたとして立ち止まった。なにかが聞こえた気がしたのだ。視線を巡らす。少年のグループは相変わらず黙ってベンチに座り込んだままだ。ゲーム機の発する音声というわけでもないらしい。私はひばりを振り返り、

「どこかで音楽流してるのかな? 女性ヴォーカルの、アカペラみたいな」

 ひばりは小動物のように首をひょいと伸ばして周囲を伺い、

「言われてみれば聞こえるかもしれん。あそこかな。神社――なに神社だったかな、あれ」

 公園と一続きになっているように見えて気付かずにいた。あの木々は鎮守の森だ。そう大規模というわけではなさそうだが、神社があるのだ。誰かいるのか。

「ちょっと行ってみよっか。小銭持ってる?」

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