彷徨者たち(3)

 アーケードを脱して街を少し北上し、ふたりで甘味屋に向かった。中心部からは外れた、どちらかというと人通りの少ない立地の店だった。私はまるきり存在を知らなかったが、ひばりは何度となく訪れているという。

 扉を押し開ける。装いこそ古めかしいものの、店内は落ち着いた色合いですっきりと整頓されていた。外が蒸し暑かったぶん、ひんやりとして心地よい。案内されるままに木製のテーブルに着いた。

「お祭り、当日も一緒に回ってくれない?」

 店員が離れるのを確認するなり、そう申し出た。ひばりがきょとんとした表情でこちらを見返してきたので、

「もう予定があるなら、そっちを優先してくれて――」

「いや、ぜんぜん予定はないよ。暇を持て余してます。彼氏がいるように見えるか」

「わりと。それに現時点でフリーだとしても、作ろうと思えばすぐ作れそうだし」

「惚れ薬で? 黒魔術で? それとも人体錬成で?」

「一般的な方法で。引く手あまただと思うけど」

「残念ながら。でもいま誘われたからいいもんね。当日はふたりってことで」

 ありがとう、と言って私はメニューを取り上げ、

「案内してもらったお礼も兼ねて、なにか奢るよ」

「そんなんいいって。今日は私が一方的に呼びつけただけだしね。ちなみにここのお勧めは白玉餡蜜とフルーツ餡蜜」

 ひとつずつ注文して分け合うことにした。私の優柔不断を見越してのことだろう、ひばりがそう提案してくれたのである。どっちも美味しいから、と主張されれば抗えない。一人前ふたつでは決して同じ感動は味わえまい。ふたりいる特権だ。

「良かったの?」

 張り切って餡蜜を取り分けている私に、ひばりが問う。

「もちろん。甘いものは少しずつ食べたほうがいいもん。ひばりこそ良かったの? 餡蜜じゃなくて、お祭りに行く相手が私で」

「それはもう。私も一緒に行きたかったんだけど、誘わずにいたんだ。今年は家族で行くもんだと思ってたから」

「両親はほら、いちおう新婚だからふたりきりがいいかなって。妹は妹で、私と一緒だと気恥ずかしいみたいで」

 澱みなくそう答えた。答えられた。このあらかじめ用意しておいた言い訳にひばりは、なるほどお、と顔を上下させて、

「そういう話なら了解。ところで千紗、盛るの上手いね。ちょうど半分じゃない? 形もほとんど崩れてないし」

 手を伸ばして片方を渡す。ひばりは満足そうに笑みを浮かべながら、

「ほんとにぴったり。妹さんはたぶん、お年頃なんだねえ」

「十四歳だから」

 流して、自分に割り当てた器に視線を落とす。十四歳。性急で短絡的で、それでいて鬱屈としていた、自身の過去を思った。父を亡くしたのは不運でも、母との暮らしは決して不幸ではなかった――そうと理解してはいながら、自らの境遇を嘆いて塞いでいた時期だった。浅瀬で水と戯れるように、内面に住まう「世界でいちばん可哀相な自分」と戯れていた。褒められた思春期ではなかった。しかし最低限、母を悪しざまに言わないこと、アルコールや暴力を遠ざけることの二点は守り通した――。

 手にしたままの銀の匙が、器と触れ合って軽い音を立てた。はっとして顔をあげる。

「そういえば、ひばりが教えてくれた本、読んだよ。『ムジカ様と歌うたいの娘』」

「ああ。あれ、私が読んだのはいつだったかな。幼稚園? 小学生の低学年? たぶんそのへん」

「どのヴァージョン?」

「絵本だった。切り絵みたいなイラストが入ってた。小っちゃかったからさ、正体を表す前のムジカ様がちょっと怖かったのをよく覚えてる」

「じゃあ私が読んだのとは違うね。黒い被り物で顔を隠してたときの?」

「そうそうそう。いかにも不気味っていうか、怪しげなイラストだったの。あれがトラウマだった子、けっこういたと思うよ。神様が襤褸を着て俗世に紛れてるっていう演出だったんだろうけどね。あるじゃん、昔話とか御伽噺にそういうの」

 確かにある。しかしあの物語では違った。私は少し考え、

「でもさ、その時点でのムジカ様ってお金持ちの旅人の役だったよね? 普通の昔話だと、俗世にやってくる神様は貧しくてみすぼらしいふりをしてるものじゃない?」

 うーん、とひばりが小さく息を洩らす。

「そういうもん?」

「典型的なパターンだと。それから私、初めのうち歌うたいの娘は異界の存在だと思って読んでたの。つまり物語のラストは、故郷に帰ったんだって。そういう設定がもともとはあったんじゃないかな。児童書としてリライトされる過程で端折られちゃったとか」

 ひばりは表情を渋くし、掌を顔の横で振りながら、

「ごめん、そういう話はほんとに分かんない。考えたこと無かった」

「そっか」

「なんとなくでしか読んでなかったからなあ。面白いこと言えないや」

 ああでも、とひばりが人差し指を立てて宙に視線を投げる。

「いま大学生で、文学部の先輩がいるんだけど、その人に訊けば詳しく教えてもらえるかも。その手の話がわりと好きな人だから。ちょうど夏休みで帰省してくる頃だと思うよ。なんなら紹介しようか? 千紗とだったら話が合いそう」

「本当? ちょっと興味ある」

「了解。じゃあ三人でご飯でも。あっちの予定を確かめてまた連絡するね」

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