彷徨者たち(1)
アーケードの入り口、頭上の看板は提灯で縁取られている。奥に視線を転じれば、アーチ状の天井から巨大な吹き流しが無数にも垂れ下がっているのが目に入る。近づいて見上げると、その色とりどりの流れを織り成すひとつひとつが、細かな絵模様、紙製の花や人形に飾られた、きわめて複雑な造形物なのだと分かる。
「賑やかになってきたっしょ」
携帯電話のカメラ越しに景色を仰ぎながら、ひばりが問う。真似て写真を撮ろうとポケットを探りながら、私は彼女を振り返り、
「凄いね、お祭り期間はずっとこうなの?」
「もっと派手になるよ。それこそ街中、飾りも大小問わず。一年分のエネルギーをぜんぶ集中させる勢い」
好みのカットを見出せたのか、ひばりが立ち止まってシャッターを切る。私もようやく自分の携帯を取り出して構えた。周囲は絶えず騒がしい。同様に撮影に興じている人、同伴者と語らいながら行き過ぎる人、はしゃいでいる子供の群れ。
「飾り付け、いつから始まってたの?」
「それが不思議なことにさ、主要な通りの主要な飾りは一夜にして出現するんだよ。だいたい今頃の時期ってのは決まってるんだけど、何日かは分かんないの。最高機密扱い。一説によると飾り付け専門の委員会があるという」
私は改めて頭上を見渡し、
「一晩で――本当にそうだとしたら、どのくらい人手がいるのかな」
「さあ。街の規模にぜんぜん見合わない、凝りに凝りまくった飾りだからね。委員会に妖術師が所属してるんだと私は睨んでる」
ひばりが冗談めかして笑う。朝、愛犬メイの散歩に出た際にこの事態に気付き、慌てて私に連絡をくれたという。
「ほら、メイってまあまあでかいじゃん。力が強いんだよ。いつもはちゃんと言うこと聞いてくれるんだけどさ、今日だけは我儘で。きっと私にこれを見せたかったんだね」
私たちはアーケード内の散策を再開した。普段は通らないルートなのに、今朝ばかりはメイが頑としてこちらへ来たがった、とひばりが説明する。
「入口まで連れてきて、私がびっくりしたのを見たら、もう満足したらしいのね。よし帰ろうって感じでUターン。お祭りそれ自体には関心が無いのかな、まあ犬だしね」
メイは白と灰の、目が隠れてしまうほどの長毛に覆われたオールド・イングリッシュ・シープドッグである。体は大きいが、温和で賢い。仙人じみた風貌と相まって、世の中のことを静かに見通しているような雰囲気が、確かにある。
「メイって五月生まれだからメイなの?」
「いや、七月。名前付けたのはお母さん。クイーンの人に似てるからって」
納得して頷いた。言われてみればブライアン・メイにそっくりである。思わず口に出して、
「似てる」
「やっぱそうなんだ。その人ってヴォーカル?」
「ギター。ヴォーカルのフレディ・マーキュリーは私たちが小さい頃に死んじゃったよ、確か四十五歳だったかな」
「嘘、お母さんより若かったんじゃん。病気? メイの人は元気なの」
「フレディは病気だね。残りのメンバーは存命中。ブライアン・メイとドラムのロジャー・テイラーは活動してるよ。最近だとフリーとかバッド・カンパニーのポール・ロジャースと組んで」
「そういうの知らなかった。曲だけはお母さんが車の中で流してるのをずっと一緒に聴いてたけど、本当に曲だけ」
あれがいちばん好きだな、と言って〈ショウ・マスト・ゴー・オン〉のサビを小声で歌いはじめる。ひばりは私を見、
「あの曲、自分がもうすぐ死んじゃうって知ってて歌ったのかな」
「そうだって言われてる」
彼女は腕組みし、短い沈黙を挟んだあと、
「私は熱心な音楽ファンじゃないし、海外のミュージシャンと人生が交わることってたぶん無いと思う。それでも、自分が物心ついてからずっと聴いてきた人が、仮に歌を吹き込んだときとはぜんぜん違うお爺ちゃんになってたんだとしても、地球のどこかで生きてはいるんだって、そう勝手に信じてたのに、本当はとっくの昔に死んじゃってたって――なんだかちょっと淋しい。通じるかな、言ってること」
「たぶん通じてるよ。フレディの話、知らないほうがよかった?」
ひばりはかぶりを振って、
「淋しいっていうのは――死んじゃってて淋しいのはもちろんなんだけど、自分が知らずにいたことが淋しいっていうか、こうやって漫然と生きてるせいでいろんなことを見逃して、あとで振り返って淋しがるほかない自分が淋しいっていうか。感動に怠惰なんだね」
「ひばりが怠惰だなんて思わないよ。私がスルーしてることをたくさん拾ってる。現にこうやって、わざわざ私にお祭りのことを教えてくれてるわけでしょう」
彼女は破顔して、
「こんなのは市民だったら誰でも知ってることだから。なんなら千紗のお父さんとか妹さんのほうが詳しいと思うよ。ふたりはずっとこっち住みなんだよね?」
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