奉告の日(5)
「ちょっと見に行こ。お母さん、待ってて」
ひばりが幼い子供のように駆けだした。駐車場の出口で立ち止まり、こちらに手を振っている。行ってあげて、でないと満足しないから、とお母さんに促され、私は彼女の後を追った。隣に並ぶ。両端に古風な土産物屋や食堂が軒を連ねている坂道を、ふたりで上っていく。
「今日からってこれ、お祭り?」
「本番は三十一日だけどね。今日の時点ではまだ予告編っていうか――ムジカ様に今年もやりますよって意思表明してるだけ。竜燈神社にこうやって火がともるのが合図で、これから一か月はお祭り期間になるわけ」
「その――ムジカ様? で合ってる?」
ひばりの顔がこちらを向いた。一音ずつはっきりと唇を動かして、
「合ってるよ。ム、ジ、カ。で、敬称の様。ひらがな表記のときもたまにあるけど、基本カタカナ三文字。漢字は分かんない。無いんじゃないかな。私は見たことない」
「神様かなにか?」
「神様っていえばもちろん神様だけどね。さっき聴いてもらった歌、覚えてる? 尸童囃。あれが絡んでくるんだよ。ムジカ様と尸童はセットなの。もし詳しいことが知りたかったら、簡単にまとめた民話の本があるから、読んでみて。私が説明するよりは面白いはずだから」
勧めに従うことにして、そうする、と答えた。そういった物語には確かに、関心がないではない。
「近くの本屋で普通に売ってる?」
「図書館のほうが見つけやすいかな? 市立図書館なら郷土資料のコーナーみたいなとこに並んでるはず」
石造りの階段に至った。手摺を握って上りはじめる。眼前にやはり石なのであろう鳥居が見える。夜風に木々がざわめいた。
着信音。ひばりがどきりとしたように私を振り返る。ごめん、先に行ってて、と断って足早に階段を下り、道の隅へと寄った。独りになったことを確かめてから携帯電話を開く。画面の白んだ明かり。表示された名前に吐息する。永峯仁。
「君にしては遅いな、と思って。どうしてる」
私にしてはですか、と復唱した。彼にも自覚はあるのだろう――ふたりの娘の、扱い方の違いに。
「友達と一緒にいます。連絡せずにすみませんでした。今後は改めます」
「いや、いいよ。気にしなくていい。食事はどうする? いまからでも食べるなら用意させるよ」
「もう済ませました。お気遣いありがとうございます」
はは、と短い笑い声。
「そんなに他人行儀にならなくても。親子だろう。法的にはまだでも、実質的には」
「夕方、伶を見ました。帰ってますか」
答えない。私は続けて、
「伶には電話しないんですか」
「必要があればもちろんするよ。でもあの子は大丈夫だ。君が心配することじゃない」
「永峯さんが私の父親だって言うなら、伶は私の妹です。十四歳なんですよ」
「分かってる。君にも十和子にも迷惑はかけさせない。ちゃんと言って聞かせるよ。あの子も難しい時期なんだ」
「迷惑とかそういう話じゃ――私が言いたいのは」
ああ、と応じた彼の声が遠ざかる。他の誰かに声をかけられたようだ。やがてヴォリュームが元に戻って、
「悪い、野暮用だ。切るよ。帰り道、気を付けて」
通話が切れた。電話機をジーンズのポケットに突っ込むようにして仕舞う。私はなにをやっているのだろう。ひばりといるときくらい電源を切るか、せめてマナーモードにしておくのだった。そもそもあのとき、伶の姿など見出すのではなかった。なにも気付かなければ、ずっと楽しくしていられたものを。
苛立ったままに、再び階段を駆け上がった。だからだろう、近づいてくる人影にまるで意識が向かなかった。
不意に、肩へと軽い衝撃が走った。自分の不注意を呪う。すれ違いざまにぶつかったのだ。すみません、と言いながら振り返った。目が合う。
ぞくりとした。薄闇の中に浮かんだ冷たい双眸が、こちらを睨め上げている。
少年――それとも少女だろうか。その一瞬では判然としなかった。未分化の性。陽炎のように立ち消えてしまいそうな希薄さ。長めの髪に縁取られた、拵え物のような顔だった。
相手はすぐに私に背を向け、そのまま石段を下っていった。華奢な背中だった。最後までひとことも言葉は発しなかった。
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