奉告の日(4)
ひばりも知っていた〈アンダー・プレッシャー〉を、ふたりで歌い終えてマイクを置いたとき、テーブルの上でヴァイブレーションが起きた。
「お母さんだ」
時刻は七時半。ドリンクバーのコップに半分ほど残っていたコーラを一息に飲み干し、彼女は携帯電話に手を伸ばした。私は私で、フライドポテトの余りを摘まみはじめた。
「――そう、電車が動かなくて。千紗も一緒。迎え、お願い」
注文していた飲食物を急ぎ胃袋に収めると、料金を支払って店から出た。帰りがけに貰えた割引券はひばりに渡しておく。ひとりで使ってしまっても構わないと伝えたが、首を縦に振らなかった。そういう妙な律義さが彼女にはある。期限を切らしてしまっては勿体ないので、また近いうちに来ようと言われた。あとで予定を確かめておくと約束する。
揃って駅前のロータリーに移動して待った。やがて現れたクリーム色の軽自動車が、私たちの前に停まる。ひばりに続いて車に乗り込んだ。
「千紗さん? いつもうちの子がお世話に」
お母さんはひばりとよく似ていた。苗字ではなく名前で呼ばれたことに少しほっとしながら、はい、よろしくお願いします、と頭を下げた。カーステレオからは小音量のクイーン。
「ふたりとも、大変だったでしょう。遅くなっちゃって悪かったね」
「ううん、遊んでた。カラオケ楽しかったあ。いつもの飴ある? ちょうだい、二個。やっぱ袋ごと」
車が発進する。運転自体はとても静かなのだが、遊園地の子供向けジェットコースターのように車体が揺れるのが、初めのうちは気になった。以前に母の乗っていた古い車もこうだったと思い出す。いや、あれはもっと酷かった。このところ、硬すぎも柔らかすぎもしないシートにゆったりと背を預けることに慣れきってしまったのだ。
車道は順調に流れている。しばらく走ったあと、ひばりのお母さんが私たちのいる後部座席に向かい、
「もう少しかな。千紗さんはどこで降ろしたらいい?」
私が答える前に、ひばりが身を乗り出すようにして、
「ね、ちょっと龍燈神社のほう回ってくれない? 今日からじゃん。千紗に見せたいんだよね」
「ああ、ムジカ様ね。千紗さん、どう? 付き合ってくれる?」
はい、と応じたものの、なにを見せてもらえるのか察しが付かなかった。ムジ……氏神様? そんなふうに聞こえた。ならば確かに神社だ。龍燈神社――引っ越してきてから一度も参拝したことはない。どこにあるのかもよく知らなかったが、朝霞親子の様子からいって、そう時間がかかる話ではないのだろう。
車が進路を変えた。ひばりが私の耳元に唇を近づけて、秘密めかした口調で、
「いいよって言うまで、目、つぶってて」
「ん。つぶった」
そのまま目を閉じつづけた。ひばりが黙っているので、軽自動車の小刻みな振動と、流れっぱなしのクイーンに意識を集中させていた。視力が失われているだけなのに時間感覚も曖昧になるから不思議である。ずいぶんと長い距離を走っているような気がする。
やがて車が停まった。着いたのだろうか。ひばりが声を弾ませて、
「いい感じ――開けたらすぐ左向いて」
言われたとおりにした。日はすでに落ちていたが、あたりはぼんやりと明るい。思わず驚きの声をあげた。夜の濃密な黒を背景にして、無数のあかりが犇めいているのを、私は目の当たりにしていた。
「なかなかのもんでしょ。降りてみようよ、ほら」
ドアが押し開けられる。ひばりが車から出て手招いた。いったん四方を見渡した。広大な草地、あるいは畑の一部を転用したと思しい、アスファルトの駐車場に私たちはいた。
再び、少し遠くに見える光源を見上げる。大きさはさまざまだが、色はおおむね三色だ。赤と黄、それらをより明るませたような白。イルミネーションのような人工のあかりではない。淡い火の色に近い。
小高い丘の天辺で、炎に彩られるようにして街全体を見下ろしている神社。
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