第三〇二海軍航空隊
みつきは、航空機格納庫に彗星と共にやってきた。
格納庫は控えめに電気が照らされていて、何機もの彗星が奥に格納されているのがうっすら見えた。これらの彗星は、昼だけでなく夜間戦闘にも使用されているというが、どれもエンジンが剥き出しになっており、修理に手間取っているのが伺えた。
この時間は、彗星夜戦隊という部隊が彗星の搭乗訓練、戦闘待機をしているらしく、噂をききつけた彗星の搭乗員達がぞろぞろとやってきた。
彗星夜戦隊だけでなく、他の部隊の搭乗員も興味本位で覗きに来ているようで、格納庫内はあっと言う間に人だかりができてしまった。
「本当に直したんだ?」
「明日から勤務?」
「何で直せたの?」
搭乗員の熱烈な質問が殺到して何を答えようか考えていると、ふと人だかりの向こうに見たことのある顔が見えて、磁石で引きつけられたかのように目がその姿を追った。
すると、こちらの視線に気づいたのかぴたりと目が合って、まるで時間が止まったかのように暫く見つめ合っていた。
「櫻井さん……?」
みつきが思わず呟くと、視線が一気に櫻井に集中し、辺りはしんと静まり返った。
「知り合い?」
誰かのそんな言葉が櫻井に投げかけられ、櫻井は戸惑った様子を見せながら
「ああ、ちょっとね」
と、人集りを避けながらみつきの前まで来た。
「彗星を直した女性がいるときいていたけど、白河さんの事だったとはね」
櫻井の口ぶりから、どうやら隊内では有名になっているようだ。
「櫻井さんも、彗星の方なんですか?」
「俺は彗星じゃないけど、当麻が彗星の搭乗員なんだ」
櫻井は隣にいる当麻と呼んだ男を親指で指差すと、当麻が軽く会釈をした。
「彗星夜戦隊偵察員、
「白河みつきです」
当麻は櫻井とは対照的に、飛行服を身に纏う士官としてはやや可愛らしい顔立ちをしている。
「うちの整備ですら手を焼いているのに、未だに信じられない」
当麻は少し目尻の垂れた目を丸く見開いて言った。
「私、航空整備士なんです」
「へえ、凄いね。女性では聞いたことがない」
櫻井が腕を組みながら感心したように言った。この時代は女性ができる仕事は限られており、こんな油まみれ且つ男らしい整備の仕事を好んで職業にする女性など、どこを探し回っても見つからないだろう。
「明日から、他の彗星も修理する予定ですから」
「本当に? 久々に訓練ができるのか。ここずっと、彗星は一機二機しか動かせなくて、遂に今日は全滅だったから」
当麻が苦笑した。
彗星が足りないせいで、三〇二空では隊員の訓練不足が続いている事が問題になっている。
航空機が足りないのは彗星に限った事ではないのだが、特に彗星は整備員もエンジンに手を焼いていて故障が相次いでいた。
とは言っても、明日このままこの世界で目が覚めたら――の話だが。
***
翌日、結局目覚めたのは昭和時代であった。木造の古い天井が見えて思わず眉を顰めてしまった。
(やっぱり夢じゃなかったか……)
大きくため息をついて、仕方なく起き上がる。
(帰る方法を探さなきゃ……)
とはいえ、手がかりは今のところあるはずもなく、再びため息をつきながら洗面所で髪を梳かした。
***
航空隊に出勤すると、みつきは早速第十二分隊・彗星夜戦整備科に案内された。この科では、零夜戦隊という零戦の夜戦仕様の戦闘機整備科も兼用しているらしく、零戦の整備も行われていた。
整備科にも「飛行班」「整備班」に別れており、飛行班は飛行前後に点検・整備を行い、オイルやプラグ、パッキン等の消耗部品を交換するが、整備班は一定の飛行時間に応じた定期的な点検・整備を行う。
みつきはその中でも「飛行班」に割り当てられた。どうやら即戦力を期待されているようである。
通常、このようなオーバーホール対象の航空機等は海軍工廠に「還納」されていたが、厚木基地の場合設備が整っている為、このような修理作業も厚木基地で行うそうだ。
みつきは早速エンジンが剥き出しになった彗星を点検した。
このエンジンは熱田エンジンと呼ばれるもので、現代では当たり前のように使われている水冷式のエンジンだ。
燃料が直接噴射式で、気筒内のガソリン濃度が上がりすぎて点火しなくなったり、振動での水漏れが多く故障が多いのが難点だった。
やはり目立ったのは、粗悪な部品による水漏れだった。ただの修理では文字通り付け焼き刃。昨日と同じように根本からやり直さないと、すぐに壊れてしまうだろう。
「すみません、手伝っていただけませんか」
みつきは数名の整備員に声をかけた。昨夜の一件で、工廠にいる製造員が部品を均一に作り直してくれている。こちらでもいくつか部品を作り直す必要があった。
みつきは彗星専属の整備員に、今後一連の工程を説明した。
「何故お前に指図されなきゃいけないんだ?」
仕切るみつきを気に入らないのか、腕を組んで聞いていた整備員の田万川少尉が呟いた。
「でも、協力していただかないと」
「俺を何だと思っている? 俺は兵学校を出ているし、機械工学のイロハを学んできたんだぞ? お前に言われる筋合いなどないのだが」
確かに、田万川の言う事は真っ当な事だった。ただし、ここではの話。みつき自身も実際に機械工学を学んでいるし、航空整備士として民間機は勿論、特殊航空整備士として歴史的航空機を復元してきた。とはいえ、ここでそれを証明することはできないし説得力などまるでない。
「彗星を直しただかなんだか知らんが、どうせ偶々だろ。どこの馬の骨ともわからん奴の話は聞かん。俺は俺のやり方でやる」
そう言って田万川が立ち去ろうとした時、
「でもさ、ここに来たって事は腕があったから派遣されたんだろ?」
後ろを振り向くと、飛行服姿の櫻井が挑発的な態度でにやにやしていた。櫻井の隣には当麻が怪訝な顔をして立っている。
「何の用だ、予備学のクセして偉そうに」
田万川は舌打ちをした。
櫻井と当麻は、学徒出陣で入隊した予備学生出身の士官で、生粋のエリート軍人養成学校である海軍兵学校出身者は予備士官を見下していた。
それが原因で喧嘩が暴力沙汰にまで発展する事も少なくなかった。
「兵学校なのに昨日は彗星一機も動かなかったんだって?」
「黙れ櫻井! 貴様は零戦だろう、帰れ!」
櫻井の挑発的な態度に田万川は苛立った声で言った。当麻は眉を顰めていたが、櫻井は動じる様子もなくただにやにやとしている。
「糞が。櫻井、その甘い根性叩き直してやる」
「できるなら、どうぞ」
櫻井が言葉を買い、空気が一瞬にして重くなった。拳を握りしめ、田万川が櫻井に近づいていく。
それを当麻が慌てて間に入った。
「おいおい、こんな所でやめろ!」
「田万川、戦うのは搭乗員である俺達だ。不調が多いのは事実だし、訓練が出来ないのは今後絶対不利になる。気持ちはわかるが今は動かせるようにする事だけを考えて欲しい」
さすがに担当する機体の搭乗員の言う事には頭が上がらないのか、田万川は黙って当麻を睨みながらも拳をゆっくりと解いた。
「ごめん、見苦しい所を見せて」
当麻が申し訳なさそうにみつきに言う。みつきは慌てて首を横に振った。田万川は、尚も不機嫌な様子であったが、とりあえずはみつきに協力しようという気にはなったようだ。
「櫻井も逆撫でする発言はやめろ」
「本当の事を言っただけだろ?」
櫻井は初めて不機嫌な顔をした。
***
彗星の修理作業は、厚木航空基地内の地下工場で、二週間かけて行われた。
幸い、修理した彗星には大きな問題は起こっていないようで、地上整備員による日々のメンテナンスで今のところ三機、問題なく飛べるようになっている。
あとは粗悪な燃料のためにエンジンが劣化しないように日々注意深くメンテナンスし、可動率を上げる。
さすがに現時点で三機正常に動いているとなると整備員の目も変わるもので、特に田万川は小言はみつきに言うものの、文句や批判は言わなくなった。
「問題ありません。全てよしです」
地上で整備をしていたみつきは、当麻の彗星が整備完了した事を報告した。
「いつもありがとうございます」
丁寧に答えたのは当麻のペアである、
彗星は複座の爆撃機であるので、偵察員である当麻のほかに、操縦員が別にいた。
彼は操縦経験が豊富なやり手だが、みつきよりも歳下だ。歳下といえど、あどけない顔つきには厳しさも見られ、立派な軍人として鍛えられてきた証拠だ。
「もし万が一何かあったら言ってください、修理に飛んでいきますから」
見よう見まねの下手くそな敬礼をして頷くと、水杜の厳しい顔に笑顔が溢れた。
「わかりました」
彗星の修理はまだまだ続く。みつきは地下工場に行く前に、少し風に当たった。
「暑いなぁ。昭和時代といえど、暑いもんは暑いわね」
服を引っ張りバタバタさせて胸元に風を入れた。熱気のこもった風を送る扇風機のみの地下工場内は蒸し暑く、あまり行きたい場所では無い。
地上は開放感あふれていて、涼しく感じた。
それにしても、本当に戦争しているのかわからないほど何もない毎日だ。
戦争といえば毎日空襲があるイメージだが、まだ一度も遭遇していない。こんなに平和な日々もあるのだと夏のもくもくとした真っ白な入道雲を見ながら思った。
「あーあ。帰らなきゃなぁ」
みつきはぽつりと呟いた。
口では散々言ってるものの、結局一度も実現したことはなかった。現代の夢すらみることもなく、寧ろこの時代が現実のように感じるほどだ。
「まあ、帰ったって忙しいだけだし、友達はいないし、恋人はいないし、両親とも疎遠だし……」
口に出してみて、少し虚しくなった。
現代にいようが昭和にいようが、所詮あまり変わりはなかった。違いがあるとすれば、豊かさくらいか。
諦めてふと遠くを見れば、飛行服を着た青年達が零式艦上戦闘機の前にいるのが見えた。
それを何となく見ていると、その中で一際目を引く背中がある事に気がついた。
なぜか目で勝手に追ってしまう、目を引き付ける背中。
その時、なんだか胸がドキドキしていた。まるで、小学生や中学生の時に男の子を目で追ったりしていた時みたいに。
瞬きを忘れて目を細めながらその姿を目で追っていると
「何を見ているの?」
と、突然声をかけられてぎくりとした。
振り向くと、当麻が不思議そうにこちらを見ている。
みつきが見ていた向こうを当麻もちらりと見、「あ、櫻井だ」と眩しそうに目を細めた。
その苗字に、どきりと胸が反応した。みつきも再びそちらに目をやったが、遠くて櫻井の姿は見えなかった。
「当麻さんて、目がいいんですね」
「そりゃあ、飛行機乗りだからね」
当麻は一瞬驚いた様子を見せてから子犬のような笑顔をした。
「当麻さんと櫻井さんは仲がいいんですか?」
「ああ、俺たちは大学時代からの同期。だからお互いを良く知ってるんだ。下宿先も同じだし」
「でも、二人は部隊は違うんですよね」
「うん、櫻井は零夜戦隊。志願したのが俺は爆撃機の偵察で、櫻井が戦闘機操縦――ほら。ちょうどこれから離陸する」
当麻は、遠くでゆっくりと滑走路を進んでいく零戦を指差した。みつきもそれを見失わないように必死に目で追った。
「櫻井は予備学生を首席で卒業しててね。小園安名司令がわざわざ三〇二空へ櫻井を引き抜いたんだ」
小園安名司令とは、ここ三〇二空のトップのことだ。
「櫻井さんて、そんなに凄いんですか?」
「うん。あいつ、凄い上手いよ」
離陸して空に小さくなった零戦を眩しそうに見上げながら、当麻はそれだけ言った。
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