特殊航空整備士
みつきは海軍工廠女子挺身隊として、飛行機製造に携わることになるのだが、その理由は簡単だ。
ポーチに入っていた紙に書いてあったからだ。文字が旧字体且つ達筆なために、その紙に書いてある事が何なのか全くわからなかったのだが、幸い櫻井が説明してくれた。
夢として認識したい世界ではあるものの、覚める気配もなくこのままでは野垂れ死ぬかもしれない。
そんなことは無論御免なので、適応できる範囲で適応しようと思った。
一時間半程経過して、電車は駅に到着した。木で出来た駅の看板に目をやると、『西大和駅』と書いてあり、ここは神奈川県なのだとわかった。
到着してから、線路を左手にしばらく並行に歩くと、すぐ目の前にはカマボコ型の建物が並んでいるのが見えた。
「私は向こうなので、ここで失礼します。白河さんは、このまま右手へ進んで下さい。そうすればもう工廠ですから」
そう言って、櫻井はみつきに会釈をして去って行った。言われた通りに右へ曲がると、大きな機械音が聞こえてくる。
既にここは高座海軍工廠の敷地のようで、工場施設入口で見張りのような男が立っていた。みつきの姿を見ると顎で、入れの合図をした。
高座海軍工廠は、五つの組み立て工場「機械」「鋼工」「仕上げ」「溶接」「縫工場」の他、工員養成所、倉庫、試験用滑走路、工員住宅、寄宿舎、官舎、会議室、病院などをもつ巨大工場で、一万人以上がここで働いているのだという。
中に入り、名前と所属部、今後の居住地の確認をした。確認中に、ふとカレンダーを見ると「二六〇四年 八月」と書いてあり、未来の年号に腰を抜かしそうになった。
よく見たら皇紀の事だった。
(びっくりした。でも、本当にこんな時代まで遡っちゃったなんて……)
やっていけるか不安になる暇もなく、工廠長がやってきた。挺身隊として参加する割にはみつき一人だけというのもなんだか先行きが不穏なものに感じられたが、もう今更気にしても仕方がない。
みつきの所属は、「機械」で、主に飛行機のエンジン部品の製造の担当であった。
ここでは「雷電」という局地戦闘機と、「彗星」という艦上爆撃機が作られているらしく、工廠長がひと通りみつきに製造過程を見せてまわった。
仕事自体は分担制で、女性たちが真顔でひたすら機械的に同じ作業を繰り返している。
それは決して丁寧な作業とも言えず、故障を招きかねないものであった。
「あ――」
出荷目前であろう航空機の前で、思わず声が出た。
「なんだ」
工廠長が振り向く。みつきは指をさした。
「あれはもう完成ですか?」
「ああ。あれであとはカバーを付けて出荷する」
「あの、エンジン部分のシリンダーとヘッドが少しずれてるように見えます。あれは直さないと……」
「なんだって?」
「中にはたくさんのバルブがありますよね? 少しでもずれが生じるとバルブがピストン叩きしてエンジンがすぐに使い物にならなくなってしまうので」
「……随分詳しいな。何故知っている?」
素人かつ初見では絶対わからないことを指摘するみつきを、工廠長は訝しげに見た。
「おい、作業を中止せよ!」
そう叫んで、みつきをエンジン前に連れてきた。
「なにかあるなら説明しろ」
工廠長自身も技術者であるが、みつきは工廠長にも気づかなかったエンジンのミスを指摘した。
「私にやらせてもらっていいですか?」
みつきはバーナーを借りて、器用にシリンダーのボトル孔とスタッドボルトを焼き付けていく。
知識をつけた人間でなければできないはずの作業を器用に行うみつきの手元に目を奪われ、工廠長は言葉を発する事が出来なくなっていた。
しばらくして、
「これで大丈夫だと思います」
と言って、みつきは作業を終えた。
「ここはしっかりさせないと、高熱や振動で緩みやすくなります。何度も壊すより、今しっかりやっておいた方がいいと思います」
部品が大事だという事は、現代で特殊航空整備士をしていて嫌という程身に染みて感じている。
「お前、前職はなんだ」
「航空整備士です」
みつきは言った。こんな大袈裟な名前が果たしてここで通用するかわからないが、技術は通用しているはずだと思っての事だった。
「工廠長」
若い男性が小走りに駆け寄ってきた。
「先程厚木基地から連絡がありました。彗星の水冷エンジンに手間取り現在飛べる機が一機もなく、ここの彗星の出荷を願いたいとのことです」
「なんだって?」
工廠長は苦い顔をした。
「うちでも彗星は未完成でまだ出せるものはない。悪いが厚木でなんとかしてくれと伝えてくれ」
工廠長がそう言った時、ハッと思い出したようにみつきに目をやった。
「航空整備士――と言っていたな」
「今から厚木基地に行けるか?」
***
工廠長直々に指名され、みつきは厚木基地へと軍用トラックで向かった。
厚木基地とは、三〇二海軍航空隊(以下三〇二空)へ昭和十九年四月、各航空隊から空戦のエースたちを集め、小園安名司令のもと厚木基地に最新の精鋭機を擁し本土防衛部隊として編成された部隊である。
みつきは、彗星と呼ばれた艦上爆撃機のある厚木基地地下工場へ連れて来させられた。
見せられたエンジンは、水冷エンジンと呼ばれるもので、現代の車のエンジンと仕組みは大差ない。
みつきが確認すると、生産性が悪いのか部品自体が粗悪なもので、研磨も行き届いていなければ溶接も甘く誤差もあり、板金はボコボコで、これでは動かないと思った。
エンジンの内部というものは綿密に計算された加工が施されているはずなのだが、恐らくそれは反映されていないだろう。
これでは、簡単に液体が漏れてしまう。まずはこの乱雑な部品をなんとかする必要があった。
彗星という機体は、見る事も整備する事も初めてだったが、水冷エンジンの扱いには慣れていたからきっと出来ると思った。
「研磨機みたいなもの、ありますか? ちょっと一緒に手伝ってください」
研磨機を渡してもらい、数人の工廠の人間と共に数時間かけて平均的な厚さになるように磨き上げ、手作業も含めて誤差と思われる部分を直し、誤差を縮める。時々部品を交換したり、できるだけの事を施した。
「疲れたぁ……」
滴る汗を拭い、ぬるい空気を大きく吸って「多分、できた」と汗を腕で拭った。時計は既に夜の九時を差していて、外から蛙と蟋蟀の大合唱が聞こえてきていた。
「できる限りの事はしました。確認して下さい」
整備の男性が、コクピットに乗りエンジンを回すと、スムーズに水冷機特有のエンジン音が辺りに響いた。途中で止まる事なくエンジンがかかり続けていて「凄い、これはいける!」
と、整備の男性が声を上げた。
「やった!」
みつきも、思わず声をあげた。
「凄いな、君」
コクピットから降りてきた整備科の男性が言った。
「こういうのは、 部品にも問題があったりする事が多いと私は思います」
みつきは彗星に目をやりながら言った。
整備科主任が、への字の口を満足そうに上げながらやってきた。
「おい。白河、と言ったな。三〇二空の整備科にまわす、行けるか」
「え?」
「彗星のエンジン整備をしてもらいたい」
こうして、何故かあっさりと整備要員として実戦部隊に配属を課されたのだった。
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