貝の火生花店

安良巻祐介

 

 近所の花屋に、狐が勤めている。

 と言っても、店員なんかに化けているというわけではない。

 驚くなかれ――「花」として勤めているのである。

 それを教えてくれたのは、同じく近所にある「八雲」という雑貨店の店主で、いつか立ち寄った時、たまたまその狐本人と話しているところに出くわして、こっそりと、口外無用の約束で、秘密の共有者となった次第である。

 尖り耳のその狐は、一族の中ではまだ若輩らしく、武者修行のような形で都会に出て来たのだが、それまでに試みた会社事務、保険勧誘員、コンビニエンスストアのレジ打ちなどが悉く失敗し、失意のままにさ迷うているところを、ここの商店街で相談に乗ったものだという。

 さて、その奇妙な仕事であるが、花は花でも、売り物というわけでなく――そんなことをしたら、ただの詐欺になってしまう――あくまで、文字通り店先に花を添える、見世花ということらしい。

 毎日、色とりどりの竜宮五色とか、まぼろしの優曇華の花塊とか、牛ほどもある南国の食肉植物とか、幽霊花の異名を持つショウチュウビとか、そういうとんでもない花々に化けては、訪れるお客を楽しませている。

 普通の花屋ならば到底やらないようなことだが、「貝の火」という不思議な屋号を掲げたその花屋の店主は、祭り電飾屋から転職した珍しい経歴持ちの女性なのもあって、物珍しい、突飛な事が好きらしい。

 店内の一角に腰かけを作って、「今日の花言葉」に因んだフラワー・ティーを出す、ふと思い立って店全体を巨大な花時計に改造しようとする、夏場の目玉として、「食べる花氷」を作って大失敗するなど、そもそも常よりさまざまな試みに興じており、狐の子を雇っての見世花も、その一環に過ぎないとのことだった。

 そんなこんなで、狐氏の奮闘の秘密を知る一人として、たまに稲荷寿しや厚揚げなどを持って激励に行ったりしつつ過ごしていたある日のこと、盲腸で入院した同僚への見舞いにする花を買おうと、いつもと同じように店を訪れたところ、なんだか店先がひどく寂しい感じがする。そう思って見ると、見世花が全くないことに気づいた。

 不思議に思って店主に尋ねたら、くだんの狐がちょうど留守にしているという。

「身内の急な用事――一大事だってさ、出かけて行ったんだ。なあにって聞いても教えてくれないし、お駄賃渡そうとしたら、要らないって言うし」

 今日は中古の映画で見たキノコのお化けに化けられるかどうか、試してもらいたかったのに…と残念そうに続ける店主をまあまあと慰めてから、見繕って貰ったガーベラの包みを持って外に出ると、何やら道向こうで、人々がざわざわと騒いでいる。

 皆、何かを指さして、あれこれと興奮してしゃべっている様子なので、どうしたどうしたと思って、彼らの指す方に目を向ければ――何の不思議であろう、ちょうど、向こうに見える裏山のてっぺんが、ぼんやりと霞むような桃色に染まっているではないか。

「桜だ」「桜だ」「桜だあ」

 通行人たちが声を上げている。

 なるほど、よくよく見ると、それは、どうやら――満面に咲き誇った、桜の花の色なのである。

 山の頭頂部だけでなく、その上の青空へも、美しいその色を滲ませるように、これでもかとばかり、咲き湧いている――今は、春も夏も過ぎて、もはや秋も暮れだというのに。

 けれど、ぽかんと口を開けた顔に、晴れた空からぽつり、ぽつり、と落ちた雨粒が当たり始めた時、気が付いた。

 ああ、そうか。

「狐の嫁入りだ」

 山を見ていた人々の中からも、そう呟く声がした。

 鞄や手提げをかざして、山の方を名残惜しそうに眺めながら散ってゆく通行人たちを尻目に、花屋の軒先まで退却する。

 ちょうど中から出て来ていた店主と顔を合わせ、思わず互いに笑い合った。

「なかなか粋な趣向じゃない」

 並んで山の方を見ながら、店主が言う。

「全く、目出度事ならなおさら、ご祝儀の一つでも持たせてあげたのに」

 しとしとと糸の様な秋雨の降る中、ほろ酔いの頬に似てほんのり桃色に染まった山のてっぺんは、今まさに宴もたけなわに見えた。

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貝の火生花店 安良巻祐介 @aramaki88

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