エピローグ:時空のおっさん、異世界と外交する

「なるほど、こりゃ確かに魔界だ。すごく魔界だ」


 大いなる闇に覆われし世界に降り立って、イフネは感心したようにそう呟いた。

 イフネの仕事は普段なら異世界に迷い込んだ人間を元の世界に連れ戻ることだが、今回のこの世界の訪問はそうではない。

 とはいえ、プライベートでこんなおどろおどろしい魔界に来るわけもない。

 つまるところ、彼が今日この世界にやってきたのは、先日の仕事の後始末のためであった。


「で、これがあのお姫様のお城ってわけか。なるほど大したもんだ……」


 そういいながら、イフネはいかめしい門番たちの横を素通りして城の中へと入っていく。誰の目にも彼の姿が見えていないかのように、イフネという異物を気にすることなく世界が動き続けている。

 悠然と歩き回りなにかを探すイフネ。

 だが、不意に後ろから声をかけられた。


「そこでなにをしている、猿のすえの魔法使いよ」


 振り返ると、まさにイフネが探していた人物であるこの城の主にして魔界最強の獣魔神姫カウヴァリスがそこに立っていた。


「え? こいつはなんだ?」

「何者だ! 貴様いつの間に!」

「あらら、認識されちゃった見つかったか。さすが獣魔神姫さまだ」


 そして彼女の言葉と同時に、まるで目を覚ましたかのように、周囲の兵士たちもイフネに気が付いて武器を構えて取り囲む。

 イフネは降参とばかりに両手を上げて無害をアピールするが、その顔にはまだ余裕の笑みが残っていた。


「まあちょうどよかった。今日はあんたに会いに来たんですよ、獣魔神姫カウヴァリスさま。先日は大変失礼なことをしでかしてしまったので、その謝罪に」


 一応は下手したてに出ながら、イフネはカウヴァリスに対してそう弁明する。

 カウヴァリス本人はともかく、取り囲む部下たちの眼は相当険しく、ヘタなことを口にすれば即座に無数の剣や槍がイフネを貫くことになりそうである。

 もっとも、イフネ自身はカウヴァリス以外の存在など気にもしていないようであったが。


「謝罪だと? どの口がそうほざくか、……と言いたいところだが、貴様には借りもあるのでな。いいだろう、今日のところは話を聞こうではないか。ついてこい」


 カウヴァリスのその言葉に部下たちの間でもざわめきが起こる。

 あのカウヴァリス様が借りを? しかもこんな猿の話を聞くだって?

 イフネはそんな反応に慣れているのか、退屈そうにその様子を眺めていたが、カウヴァリスが一喝するとまたたく間に緊張が走り言葉が止んだ。


「貴様らはさっさと各自持ち場に戻れ! 私は今からこの猿とは重要な話がある。邪魔をしてくれるなよ」


 それだけ宣言して、カウヴァリスは踵を返しツカツカとその廊下を歩いていく。

 集まっていた部下の兵士たちがまるで海が割れるかのように散っていき、カウヴァリスの前に道ができる。

 そして部下たちから睨まれることも物ともせず、イフネはその後ろを余裕綽々といった様子でついていくのであった。




「で、貴様は謝罪をしたいというが、いったいどういうつもりだ? そもそも、勝ったのは貴様だったではないか」


 場内の一番奥。

 カウヴァリスの私室に案内されたイフネは、部屋の隅に置かれた椅子に無造作に腰掛けていた。


「まあ、あの時はそうですね。でもそれはあくまで俺の個人的な勝利局地的なお話であって、大勢を揺るがすわけではない。今日来たのは外交的な話世界の命運の話をするためなんですよ、獣魔神姫さま」


 イフネは身振り手振りを交えながらそう述べる。

 その態度はいつもどおりの人を喰ったようなものであったが、口調はそれでも一定の敬意が込められていた。


「外交だと?」

「そう、外交ですよ、外交。俺なんかが外交官地球人類の代表ヅラをするものアレですが、なにぶん他にいないもので」


 そうぼやくイフネの姿は、確かに人類の命運を背負わせるにはあまりにも責任感というものがなかったが、それでも、交渉に負けないという不敵さにも似た自信がにじみ出ているようであった。


「我々の世界としてもこれ以上厄介事は持ち込まれたくないですからね。ま、この辺を落とし所にしておこうかと」

「なるほど、そういうことか。貴様の主張はよくわかった。よかろう、ただし条件がある」

「条件?」

「うむ。貴様、私を妻にしろ」

「は?」


 カウヴァリスの突然の言葉にさすがのイフネも呆気にとられて言葉をなくす。

 しばしの沈黙の後、イフネは力を振り絞ってようやく再び口を開く。


「いやいやいや、どうしてそうなるんですか!」


 そしてようやく言葉を取り戻すと、今度は溢れんばかりに逆流する。

 だがそれにも、カウヴァリスは平然と自分の事情の説明を続けるだけである。


「我々の一族の契約では、もし赴いた先の者が願いを申し出た時、それに相応しい対価を与えるというものがあってな。貴様はそれをあの決闘で勝ち取ったのだ。そうなった以上、命か我が身を捧げるしかあるまい。だが今私が死ねば、次のこの世界の主は恐らく貴様の世界に報復戦争を仕掛けることになろう。それは貴様にとってもよくない結果だろう?」

「まあ、そりゃそうですが。確かに、戦闘系クール異世界ヒロインにこの流れはよくあることとはいえ、なんで俺がこんなことフラグ管理をしないといけないんだ……」

「不満か? 私を妻にすれば、この世界の全てが手に入るのだぞ。何を迷うことがある。それに、私としても貴様のような強い男なら構わんところだ」

「あ、うわ、それ、俺が一番いらないやつ滅茶苦茶パスです。玉座に座ってふんぞり返っていてもな~んにも楽しくないし。そもそも、そんなことで満足するなら最初からこんな仕事やってませんサラリーマンでもやってますって。まあ、こうなっては仕方がないですね、あなたの命の方を貰っておきましょう」


 全てを諦めたように、イフネは大きくため息をつくと、ゆっくりと


「なに、本気か? 世界はどうするつもりだ? どうなっても知らんぞ、考え直せ」

「まあ、そこはなんとかしますよ。それじゃあ、早速死んでもらいますか……、それっ、ハイッ!」


 イフネの言葉とともに、カウヴァリスの身体がまるで霧になったかのように溶けて薄れ始めていく。

 実体がなくなっているのがわかる。

 なんとかして抵抗を試みようとするが、同時に意識もどこか遠くを見ているかのように霞んでいってしまう。

 そして、カウヴァリスの全てが雲散霧消した。



 だがそれらも一瞬の出来事だったかのように、それこそ霧が晴れたかのように、カウヴァリスの意識は再び鮮明になる。


「なにが、起こった?」


 それでも、自分がその瞬間『死んで』いたことはカウヴァリスにも理解できた。

 問題はその間になにがあったかだ。

 周囲を見回すとすぐに変化に気がついた。

 一つは、あのイフネという異世界人がいないこと。

 そしてもう一つは、彼の座っていた椅子の上に置かれた、一枚のカードだった。

 カウヴァリスはすぐさまそれを手に取って見ると、そこにはこう書かれていた。


『あなたの命を一度頂いたので、契約と束縛は無効化リセットされました。また、攻めてこられても困るので、自分の世界への移動ルートについては封印処置を取らせていただきます。今回の一件については忘れていただければ幸いです。イフネ・ミチヤより』


 カードより浮き上がった情報を見て、カウヴァリスは慌てて移動の水晶にアクセスを試みる。

 すると確かにイフネが残していったとおり、前回移動した『猿の裔の世界』に厳重なロックが掛かっていた。

 もちろん、カウヴァリスの強大な魔力持ってすれば、この封印も解除することはそう難しくはないだろう。

 だがおそらく、この封印自体が何かしらの罠なのだ。

 これを解除した途端に、本当の仕掛けが発動するのが彼女にも感じ取れた。

 それがいったいどういうものなのかはわからない。

 だが、この封印の裏にはなにかが存在している。それは確かなのだ。

 今の段階でそこまでのリスクを犯してもう一度あの世界に行く理由などあるまい。


「とはいえ、妻にしろという話は形式としきたりというだけでもなかったのだがな」


 残されたカードを机の小箱に仕舞い込み、カウヴァリスは意識的に、その誰もいなくなった自室を出ていった。

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異世界のプロ対異界の獣魔王姫 シャル青井 @aotetsu

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