夏の流星群
逢内晶(あいうちあき)
第1話
お盆の時期に実家に帰省したのは何年ぶりだろうか。
大学3年生までは夏休みにやることもなかったので戻っていた気はする。しかし、学部4年や大学院生になると研究の忙しさにかこつけて実家に戻るのは正月のみになっていた。それは社会人になっても変わらなかった。
故郷が嫌いなわけではないが、田舎の狭い社会での生活が自分の肌に合わなかったのだ。
最寄駅に降り立つと、蝉の鳴き声に包まれて他の一切の音が聞こえなくなる。寂れた無人駅はずっと時を止めているように、自分の記憶と寸分も違わない佇まいだった。
実家に戻ると今回の帰省の目的である家の掃除に取りかかった。高校卒業を機に私が上京してから私の部屋は物置と化していた。それらを整理して別の部屋に移動させ、必要な私物は新居に郵送できるようまとめなければいけない。
両親が私のためにとあてがってくれた2階の南向きの部屋は、この時期になると蒸し風呂のような暑さになる。クーラーの電源を入れると、埃に弱い私はたまらずくしゃみをした。昨年末に帰省してからは使用していなかったらしく、フィルターに埃が溜まっていたようだ。1階に戻って鼻と口にマスク、首にタオルを装備し、まずはクーラーのフィルター掃除から始めた。
窓を全開にしたが焼け石に水で、額からは汗が玉となって頬を流れていく。
フィルターの掃除終える頃にはとうに南中時刻を回っていた。現在この家に住んでいる両親と妹は仕事に出かけているため、昨晩の残りで一人分の食事を作る。ふとTVをつけると、ペルセウス座流星群の特集が組まれていた。
ペルセウス座流星群
12月上旬から中旬まで観測される双子座流星群、12月下旬から1月中旬まで観測されるしぶんぎ座流星群と並んで「三大流星群」と呼ばれている。出現期間が7月中旬から8月中旬とお盆や子供の夏休みかぶっており、極大日には1時間に40個ほどの流星を観測できるため、流星群の中でもメディアに取り上げられる機会が多いように思う。
極大日はちょうど明日の未明。今年は天気も良いので絶好の観測日和だろう。
流星群に関する知識がスラスラ出てくるのは、高校で天文部に所属していたためだ。
何もない田舎だが、何もないからこそ星空だけはきれいに見える。毎年この時期になると学校の屋上でペルセウス座流星群を観測していたことを思い出す。部活動と言っても非常に緩く、古い天体望遠鏡を使って定期的に流星群や天体の観測する、同好会のようなものだった。
星が嫌いな人なんていない。
これは、我が天文部の初代部長の言葉だ。
部長は幼い頃から星が好きだったらしく、部長が2年、私が1年のときに天文部を作った。私はいつも振り回されてばかりだったが、この言葉だけは納得できる。高校入学前の私のように星に興味のない人間はいくらでもいるが、星を嫌いだという人間に出会ったことは確かに一度もない。
部長は2代目部長を私に押しつけた後に高校を卒業し、遠く離れた大学へと進学していった。連絡をとろうと思えばいつでもとれたが、結局自分から連絡をとったことはなかった。
気づけば大学を卒業し、社会人になっていた。
社会人となって初めての夏、高校を卒業してから初めて部長から連絡が来た。
内容は披露宴のお誘いだった。
どうしても外せない仕事があることにして、披露宴には参加しなかった。
SNSにアップされた幸せそうな写真に対して祝福のコメントをつけることが、当時は精一杯だった。
部長は良くも悪くも周りの人間を巻き込むのが得意だった。
流星群の観測もいつもは校庭で行っていたのに、私が2年の夏、すなわち部長が3年のときには急遽屋上で行うことになった。
屋上に普段生徒は入れないが、部長が方々に頼み込んで何とか許可が降りたらしい。いつもは最低限の部活動として流星の時刻と方角を記録しているが、その日は部長と二人でただずっと空を見上げていた。
また、部長は何かと勝負するのも好きだった。
その日も「流れ星が出ている間に願い事を3回言えた方が勝ち」という小学生のような勝負を一方的に宣言された。こんなものに真面目に付き合う道理はないが、1年以上部長と一緒にいた私は、馬鹿げた勝負でも部長に負けるのは癪だと思う程度には毒されていたため、勝負を受けることにした。
勝負は私の勝ちだった。
もともと部長は目が良い方ではなく、一方の私は視力だけは良く毎回2.0で視力検査をパスしていた。視力が良ければ自分の目で見つけられる流星も多くなるので当然有利となる。
これまでの流星群観測でも、明らかに私の方が流星を多く見つけられることは明白だったのに、なぜこんな勝負内容にしたのか、呆れながらも少しかわいく思えた。
帰り際に何を願ったのかを聞かれて「部長の大学受験合格」と答えた。部長にも同様の質問をぶつけてみたが、頑として答えてくれなかった。しかし、このときの私の回答は嘘だった。先輩の大学受験合格を願っていたことは事実だが、私の本当の願いは別のところにあった。
テレビのニュースが流星群から大物政治家と有名タレントの結婚報道に移った。私もちょうど昼食を食べ終えたため、食器を下げ、部屋の後片付けを再開した。
夜に両親と妹が帰宅し、久しぶりに一家4人での夕食となった。話題はどうしても私のことになってしまう。当然予想はしていたし嬉しいことでもあったが、それ以上に気恥ずかしさがあった。
食後に部屋に戻った私は赤色ライトのアプリをダウンロードして外に出た。
夜になってもまだまだ蒸し暑かったが、夏の虫の鳴き声とわずかな風で涼を感じることができた。
私は高校に向かって歩き始めた。街灯がまばらにしかない夜道でも、3年間歩き続けた通学路は体が覚えていた。Tシャツが肌に少し張り付く程度に汗をかいたが、10分ほどで難なく到着することができた。校舎は暗く誰もいないようだったが校門は開いていた。
「ペルセウス座流星群の母天体は?」
凜としてよく通る声が耳に響く。
不意に高校時代に引き戻されたようだった。こんなことを質問してくる人間は1人しかいない。
「スイフト・タットル彗星です。約130年周期で公転しています。」
言いながら声の方に目を懲らすと懐かしい人影が浮かび上がった。
勝負事が好きな部長は突然天文に関するクイズを出してくることがあった。最初のうちは全く答えられなかったが、悔しくて勉強した結果、部長が卒業する頃にはたいていの問題に答えられるようになっていた。
「さあ、行こう。」
部長は学校の屋上を指さした。
数年ぶりに部活動の後輩に会ったなら驚くなり近況報告するのが普通だ。しかし、そんなお約束ごとはすっ飛ばして目的地まで一直線に進んでいくところは非常に部長らしい。部長はいつもそうだった。
先ほどダウンロードしたアプリで赤色ライトを点け、玄関で来客用スリッパに履き替えた。無言で屋上までの階段を登っていく。
屋上に出ると校庭よりも少し強い風が頬を撫でた。屋上にはすでにレジャーシートが広げられている。
ペルセウス座は星座に不慣れな人でも比較的簡単に見つけられる。この時期なら北東の空に明るく輝くカシオペア座を目印にすればいい。
早速ペルセウス座の方向に頭を向けてレジャーシートの上に寝転がる。大人となった今では何とも思わないが、高校生の時分には、こうして部長と肌が触れあうくらいの距離で寝転がることに緊張していた。本人には絶対に言えないけれど。
10分ほど無言で星空を見続けていると、最初の流星が観測できた。流星のあった方向を思わず指すと、どうやら部長には見えなかったようだった。
そこからしばらく無言で星空を見続けると、部長が口を開いた。
「3年生のときの勝負って覚えてる?」
「流星に合わせて先に願い事を3回言えた方が勝ちというやつですよね?」
「勝負が終わった後の回答って嘘でしょ。」
「はい。」
躊躇なく答える。
「そう言えば、部長は結局何をお願いしたのか教えてくれませんでしたよね?こうやって久しぶりに会ったのも何かの縁ですし、そろそろ教えてくれても良いんじゃないですか?」
「分かってるくせに。」
そうだ。あのとき私たちはお互いが何を願っているのか分かっていた。
ただ、答え合わせができなかった。
必要なのは些細なきっかけ。
部長はそれを流星に託したけれど、結局お互いの思いを確認することはできなかった。
あの頃の私たちはまだまだ青い子供だった。
答え合わせの機会はいくらでもあると思っていた。
流星群に終わりがあることは知っていたのに、二人で星空を見る関係がいつまでも続くと錯覚していた。
ノスタルジックと寂寥感が胸に込み上げてくる。
けれども悲しいわけではない。
単純に楽しい思い出というわけではないが、決して嫌な体験ではない。
「でもさ、高校時代の思い出にしては上出来なんじゃない。思いを確かめ合うことはできなかったけれど、お互い幸せになれたんだし。」
一呼吸置いて部長は私の方に向き直って言った。
部長も私と同じ気持ちだったようで少し安心する。
「結婚、おめでとう。」
そう、私はもうすぐ結婚する。
私は故郷が嫌いなわけではないが、ご近所にプライバシーが筒抜けである点はどうにも受け入れられない。
今年のお盆は結婚相手を交えて実家で過ごす予定にしていた。本来ならば一緒に帰ってくる予定だったが、仕事の都合でどうしても予定が合わずまず私だけ帰省したのだ。
「さてと、今日は家族に無理言って出て来たし、そろそろ戻るかな。」
部長は私の結婚をお祝いするのが目的だったのか、そそくさと立ち上がって帰る準備を始めた。まだ流星群と呼べるほどの流星は見ていないのに。
「別に家族が出来たからって流星群を見ることはできます。何なら来年もまたここで一緒に見ませんか?お互いの家族と一緒に。」
少しぶっきらぼうな言い回しになったのは、部長が星よりも家族を優先しようとしていたからだった。昔は完全に自分本位だったのにすっかり丸くなってしまったものだ。少しショックではあったが、それだけ大人になったというべきか。
部長は「その手があったか」という表情を浮かべている。周りを巻き込むくせにどこか抜けているところも部長らしい。
「あ、確かに。じゃあ、来年も必ず帰ってくるように。」
私は頷き二人でブルーシートを片付け、玄関降りてそのまま別れた。その間に簡単な雑談はしたけれど、結婚相手や近況の話は全くしなかった。高校の天文部活動と同じく、まるで明日もまた学校で会うかのようだった。
部長と別れて家路をたどっていると、何だかそれがおかしくて笑いが込み上げてきた。
ふと空を見上げると、大きな流星が東の空に消えていった。
夏の流星群 逢内晶(あいうちあき) @aiuchi0618
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