三人で山道を登っていく。ミズゴケは灯りを揺らしながら歩いている。それほど早くはないが立ち止まることはない。ハシバミも手のひらから漏れる光で前を照らす。この光は普通の光とはどこか違っていて、まるで水のように流れる。それは楽しげに光の滴を飛ばしながら、どことも知れない深い底から湧く。少しだけなら、それほど体力を使わずに済む。それでも、小屋まではもどかしいほど遠く思われた。

 そもそも、どうして人里離れた不便なところにガマズミが済むようになったのかといえば、竜の歯の欠片が取れる谷がすぐそばにあるからだ。世界を創造した、原初の竜の最後の子孫が死に絶えて何百年にもなると言われている。だが、竜の持っていた力は肉体が朽ちてもそこを離れることなく、今でも歯の欠片は珍重されている。大がかりなまじないを使うときには不可欠で、都では高値で取引される。そして、母の使えるまじないは、竜の歯を探す術だった。術と言うよりは、どこに見つけるべきものがあるのかが何となくわかる性質のもので、実際に見つけるのには少しばかり時間がかかったが、ガマズミはもともと一人で過ごすのが好きだというのもあり、その生活を楽しんでいた。

ミズゴケは、大きな岩を乗り越えながら、息を切らさずに尋ねる。

「最後に会ってからしばらく経つが、お前さん、いつまじないが使えるようになったのだね」

 報告が遅くなったことをとがめるような口ぶりだったので、慌ててハシバミは答える。

「ついさっき。オオカミに襲われて、もうだめだって思ったときに」

「そうか」

 それで会話が終わったと思ってしばらくしてから、ミズゴケは呟いた。

「数日前に別の者が力に目覚めたので、儀式の日取りを決めてしまった。一歩、出遅れてしまったな」

 ハシバミはうなずく。成人の儀式は、まじないの使える子どもが五人以上いないと行われない。ということは、里であと四人の子供がまじないの力に目覚めるまで、ハシバミは大人にはなれないわけだ。でも、自分の力が目覚めたのが急だったから、明日からすぐに大人になれと言われても困ってしまっただろうし、かえってこれでよかったのだと思われた。それに、こんな話をしながら歩くミズゴケの、ハシバミたちの気を紛らわしてやろうという気配りがうかがえて、ありがたかった。

 やっとのことで小屋にたどり着くと、母はほとんど息をしていなかった。あっと声を出して駆け寄ると、かすかに胸が上下しているのに気づく。しかし、揺すっても、ためらうように叩いても目を開けない。ハシバミはミズゴケを見上げる。ミズゴケはそっと近づき、首や腕で脈を取り、胸や腹に耳を押し当てて何やら思案している。何かを叱りつけるような声をさせてから、枕元に木の枝を並べる。もう一度叱声。軽い痙攣。何かが抜け出そうとしているように見える。ミズゴケは振り返ってハシバミに命じる。

「効くかどうかわからないが……、ハシバミ、お前さんの光で照らしておやり」

 掌をそっと、母の顔の上にかざす。淡い光が母の顔の上をやさしく流れて行った。それは寝床の脚まで流れていき、部屋全体をそっと浸した。辺りがあたたかい光で満ちると、ガマズミの苦しみに歪んだ顔が少し緩んだ。

「そうだ。そのまましばらく、自分の力を分けてやるようにするといい」

 まじないでガマズミは呼吸が楽になったようだ。身じろぎする。その間、ミズゴケはかまどに近づき、鍋いっぱいに湯を沸かす。沸き立つ中にミズゴケは何やら呟きながら薬の材料を入れる。見知ったきのこや葉だけではなく、この辺りでは取れない樹皮、蜜で煮込んだ豆、それどころかずっと遠い国の貝殻も鍋の底に沈んでいった。

 ミズゴケは、なぜか果実のような香りを漂わせ始めた湯をガマズミに渡す。彼女は朦朧としたまま、どうにか身を起こして盃を受け取る。ガマズミが飲んでいる間、ミズゴケは両手でなにやら簡単な所作をしていた。そしてガマズミは、やっとのことで口を開く。

「あたたかい……」

 かすれてはいたものの、母の声を耳にできたのはうれしかった。ニレはもう嬉しそうに、寝床の周りを跳ねまわっている。ハシバミはそれをそっと制して、低い声でミズゴケに尋ねた。

「母さんは、もう治ったの」

 だが、ミズゴケは重々しく首を横に振った。

「もう五体に毒が回っている。できるだけのことをしたいが、助かるとしたら奇跡だ」

「そんな」

「とてもたちの悪い霊が傷跡から入っている。おそらく、竜と同じくらい古いものだ。追い出そうとしたが、すっかり心臓に根を張ってしまっている」

 小さなため息をついた。その長い生涯の中で、何度も見聞きしてきた悲しい出来事のせいで、それ以上の悲しみを表す動作を忘れてしまっているみたいだった。

「今のうちにしたいことをやらせておやり。それから、お前さんもニレも、できるだけガマズミのそばにいてやることだ。それが、お前さんにできる一番の親孝行だ」

 そして、つかつかとガマズミのところまで歩いていき、何ごとか話し合っていた。長くは生きられないことを伝えているのかもしれない。ミズゴケもガマズミも物事をはっきりさせておくのが好きだったし、どちらかといえば、遠慮のない物言いを好んでいた。でも、ニレにそれを伝えるべきかまではわからなかった。話し合いが終わると、ハシバミは二人のところに近づいて尋ねた。

「母さん、何かしたいことは」

 彼女は悲しげに微笑んだ。

「竜の歯を取りに」

「馬鹿をお言いでないよ」

 ミズゴケが口を挟むと、ガマズミは力なく答える。

「冗談。二人とももう寝なさい。明日はいつのように畑の面倒を見てくれればいい。この家で、どこに何があるかは、もうわかっているでしょ」

 それは暗に、ハシバミもニレも、私がいなくてももう大丈夫なはずだと言っていた。ニレもその言葉の意味を察したのか、笑顔は消えていた。


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