第21話 海蔵寺での邂逅 堀 久太郎と柴田 源左 Scean 18
自分の姿に、
『堀殿、どうか上座に移ってはくださらぬか? でなければ、拙者が座す場所に困ってしまいますぞ・・・』
『いやっ! それは、あまりにも・・・』
『ささ、早う! これでは、部屋にも入れませぬからな・・・』
秀吉の強引ともいえる言上に堀は戸惑い、思いもかけず傍らに座る宗二に目を配ると宗二も同じように困惑していたようだが堀の目配りに黙って頭を下げる・・・。
堀は宗二の態度に促されるように答える。
『羽柴様が、そう申されるのであれば・・・』
堀はそう言うと掛け軸を背にして主の座に着くのであった・・・
秀吉は座を移す堀を見届けると
『かたじけのうござる。堀殿』
と、言い室内に入るやそれまで堀が座っていた場所に居を構えると宗二に労いの言葉を述べる。
『宗二殿、急な我が留守中、堀殿へのもてなし、ご苦労にござった』
『いえいえ、改めて羽柴様からそのような労いの言葉を頂けるとは、恐縮にございます・・・いや、むしろ堀様と有意義なお話しができる場を設けていただきました事に私めのほうこそ羽柴様に感謝の言葉を申し上げなければいけないぐらいでございます、ありがとうございました・・・』
『ほう・・・有意義な話をのう・・・それは良うござった・・・』
品良く頭を下げ謝辞を述べる宗二を見つめる秀吉は何か宗二の言葉に感ずるものがあったのか・・・やや間があって改めて堀に視線を戻すやいなや ❛ガヴァ❜ っと顔を伏せる!
『改めて堀殿に申し上げる。先ほど勝手に中座致した非礼、誠に申し上げござらぬ!この通りでござる』
大仰に頭を深く下げる秀吉に堀は
『羽柴様、顔を上げてくだされ。それがしは、何とも思ってはおりませぬゆえに』
丁寧に辞を低くする言葉を口にするが、秀吉は委細構わずそのままの姿勢で堀に対し言葉を継ぐ・・・
『更にはでござる。あれほど堀殿が前もってそれがしが不愉快になるやもしれぬと忠告をされたにもかかわらず堀殿の忠言に対し愚かにも自分の勝手都合で堀殿に対し怒りをぶつけたこと・・・誠にもって、あきれ果てた所業!! 自身の愚かさに愛想を突き申した・・・重ねて・・・重ねて、お詫び申すしだいにござる・・・』
『羽柴様・・・』
『退室して、外に出、頭を冷やしながらそれがしは堀殿の言葉を顧みたのです・・・堀殿が何故にこの地にわざわざ足を運びそれがしを詰問に来るに至ったかを・・・並々ならぬ胸思を持って、ご上使格、【監察官】としての立場でこの地に臨まれた意味を・・・上様が不慮にお隠れなさった後の織田家の行く末を案じ、
(なんとも・・・まぁ・・・)
宗二は堀の前で平伏する秀吉を見て感心するのであった・・・
(すがすがしいばかりの、変わり身でございますな・・・あざといばかりの態度、これほどぬけぬけと演じれるのはさすが羽柴様・・・で、堀様はどのように応じられますや・・・?)
『・・・羽柴様、どうかお顔を上げてくだされませ、そのままの姿勢ではそれがしも話しずろうござる、フッ・・・』
(うん⁉)
堀が密かにこぼした苦笑の表情を宗二は見逃さなかった・・・。
(この時、この場でのその苦笑・・・はて、どんな意味がありますのですか堀様?)
秀吉は、そんな堀の気配を感じ取ったのか ムクッ と顔を上げる。
その眼前には穏やかな表情を浮かべ自分を見つめる堀の顔があった
(うむ・・・この男わしのこの所作の
秀吉は覚悟を決めたように胸を反らし、懐から書状を取り出すと堀の前の畳に差し出す・・・
『堀殿、これは先ほど貴殿とお約束した安土への蔵納の指示書にござる。中身はこれでよいか確認くだされ』
秀吉が、ずいっと書状を押し出すと堀は
『僭越ながら、拝見仕る』
はらりと中身を取り出し、読み始める堀の顔が徐々に驚きの表情になって行く様を秀吉は一人ほくそ笑む・・・
(クックック・・・驚いておるわ、あの久太郎が、フフフ・・・)
秀吉がそんなふうに一人悦に入っているとは思わず堀はちらりと秀吉の顔を一瞥すると再び書状の中身を精読し始める・・・
やがて堀は丁寧に指示書を元通り折りたたむと秀吉にその書状を返す。
『羽柴様、安土への蔵納の件、確かに確認致しました。それがしも安堵致しました。ですが、この指示書の中身には明智が変以降の生野銀山から産出された銀の量及びその銀がいつどこに向けて運び出されたか分かる帳簿も至急山崎まで提出しろと書かれておりましたが・・・その件を問い質しに参ったそれがしが言うのもおかしな話しですが、本当に宜しかったのでござろうか羽柴様?』
『無論にござる。何度も申し上げるがこれも織田家、延いては三法師様に対する忠義の念だけのためにわざわざ当地に参られた堀殿の赤心に対するそれがしの誠意にござる。その帳簿類一式こちらに届けられましたら堀殿に全て包み隠さずお見せする所存更にはその検閲時に不審、不明な点が見受けられそれがしがその点に対し十分な申し開きができない場合、生野銀山の管理者として責をとりそのお役を返上致したいと愚考する次第にござる・・・そしてここが肝でござるが、また更にそれがしの手落ちで生野銀山からの銀をそれがしの私用に使われておったと判明された場合、その流用された銀並びに、銭に関しては我が所領からの税にて何年かかっても全て弁済する所存にござる・・・いかがでござろうか、堀殿・・・?』
秀吉は、そう言い終えるとまた改めて慇懃に頭を低く堀の前に下げる・・・
(この方は・・・)
堀は自分の前にて深く頭を下げ平伏する秀吉の姿を見つめ嘆息する・・・
(この方は、いつもそうであった・・・自分自身が窮地に陥れば陥るほど相手に全て対応を放り投げる・・・そう、好きにしてくれ・・・と)
堀は白髪が目につくようになった秀吉の後頭部を見つめながら思いをこぼす・・・
(上様ご存命の時もそうであったが、ある意味で開き直る豪胆さを持ち合わせの御仁であったな・・・)
『羽柴様、もうお顔を上げてくだされ。そこまで申されてしまったら私は何も言えぬではございませんか』
秀吉は堀の言葉の温度差を感じ取ったのか、平伏したままムクッっと顔を上げると下から見上げるように堀の表情を覗く・・・
堀は子亀が首を縮めながら顔をひょこっと出すような仕草をする秀吉の姿におもわず苦笑してしまうのだ
『フフフ・・・羽柴様、あなた様は変わられませんな、フフフ・・・』
『そ そうかのう・・・』
秀吉は上半身を起こすと何かばつが悪そうに
秀吉の表情はまるで企てたいたずらが露見されたような何とも言えぬ困った表情である・・・
『ええ、そうでございますよ。その昔、美濃の国の茜部村まで足を運ばれ当時食うや食わずの一日の食にも困っておった当時まだ十二か十三になるかならぬかの私と直政に持参した糧食を与えながら自分に仕えてはくれぬかと頼まれた仕草そのままでございました・・・』
『うん? そ そうであったかのう・・・』
『はい・・・フフフ・・・』
『いや、参ったのう・・・』
(ほう・・・そんな昔から! 二人の間にそのような過去が・・・)
宗二は、堀と秀吉がつくる二人だけがわかる空間を感じながらも新たな発見に好奇心がむくむくと湧き上がるのを抑えられなくなっている・・・
(堀様がそのようなお年の頃から、羽柴様と面識があったとは・・・うん? 堀様が織田様に仕官する前のお話しという事か・・・?)
『羽柴様、お心の内、並びにご覚悟のほど確かにこの堀久太郎承りました。羽柴様がそこまでのご存念であればそれがしも何も申す言葉もございませぬ。いずれにしても生野銀山より使者が証拠の品々を持ち帰ってそれを拝見してから後にご協議致すということで宜しいでしょうか?』
『堀殿が、それで良いとの思し召しであればそれがしの方も無論異存はござらぬ』
『では、この話題はこれにて・・・』
『う うむ・・・ ふう・・・』
秀吉は、そう言うと大きく息をつく・・・
(久太郎殿は・・・我が企てにどこまで気づいておるのや・・・この表情では、はきとは分かりかねるのう・・・)
堀は穏やかな微笑を浮かべながら秀吉を見つめている。
『ふう・・・』
秀吉は更にもう一度大きなため息をつくと
『堀殿が承諾されて、わしは安堵いたしたようじゃ。うん! 口が渇いたのう、宗二殿、すまぬが
『白湯でよろしゅうございますか?』
『かまわぬ』
秀吉は宗二から白湯の入った茶碗を受け取るとあっという間に飲み干すや更にもう一杯おかわりを所望しそれも美味そうに喉を鳴らしながら飲み干す。
『馳走になった、宗二殿』
『いえ・・・』
秀吉は袖で無造作に口元を拭うと改めて堀に正対する。
『さて堀殿、少し外に出ぬか? 眺めの良い場所があるのじゃが・・・』
堀は改まった秀吉の誘いに応える前に、宗二に視線を巡らす。
宗二は、どうぞお気遣いなくというように頭を下げる。
堀は宗二の承諾を確認すると秀吉の誘いに応じる。
『では、お供させていただきます』
堀は先に立ち上がった秀吉に追随するよう立ち上がると
『宗二殿、お話しの続きは後ほど・・・』
宗二に断りを告げる。
宗二も応じるように立ち上がり丁寧に答える。
『はい、楽しみにしております。行ってらっしゃいませ』
宗二は二人を茶室から見送ると、茶席の道具を片付けようと膝をつき何んとなしにそれまで堀が座っていた場所をみると扇子の先端の欠片が置いてあることに気づく。
(これは、羽柴様の・・・いつの間に堀様は目につかぬように・・・はて、これはいかが致しましょうや・・・)
宗二はその欠片を手に取り考え込むのであった・・・
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人二人がやっとすれ違いができるかという山腹の細道を堀は前かがみになりながら歩いている・・・
先を行く秀吉の小柄な背中を認めつつ足を止めずに堀は辺りの景色を眺める・・
進行方向の右側に見える本堂より出てから続く竹林が初秋の風にそよぎながら急な斜面を登る火照った堀の身体を優しく冷やしてくれるように感じられる・・・
やがて視界が開けてくると道幅がやや広くなり足元には石とは呼べないほどの小さな岩が山道を埋め尽くすようになる・・・
足元が悪くなったせいか秀吉の背中が喘いでいるように見える・・・
気づけば、山道の両側は竹林から広葉樹に変わり、ちらほらと気の早いカエデが紅みを帯び始めているのが堀の視界に入った・・・
二人は無言で足元を注意しながらしばらく登り続け、秀吉の背中が傍でわかるぐらいに喘ぎだした頃、二人の前方右手の切り立った場所に櫓が見えるようになった。
『も もう すぐそこじゃ、久太郎殿! ハッ ハッ ・・・』
息も絶え絶えになりながらも目的地が近くなったことを堀に知らせる秀吉である。
その小さな物見櫓の全貌を見上げれる場所に二人がさしかかったところ、歩哨についていた徒士の一人が秀吉と堀の姿をみとめ慌てて櫓の梯子を上る姿が映る・・・
ハア ハア と荒い息をさせながら何とか目的地に到着した秀吉は
『こ ここが ハア ハア 久太郎殿を案内したかった場所に ハア ハア ござる』
『ご苦労様にございました、羽柴様』
『うん し しかし 久太郎殿 ハア ハア そ そなたはあまりしんどくはないようじゃな?』
『いえいえ、かなりきつうございました! 汗、びっしょりでござる』
『そ そうか・・・』
正装の身なりの秀吉の姿に驚く歩哨の徒士から秀吉は水筒を受け取るやゴクゴクと水を飲むと
『久太郎殿も、どうじゃ』
そう言って堀に水筒を手渡す。
『頂戴いたします』
堀は受け取った水筒の水で喉を潤すとその水筒の持ち主であった徒士に手渡す。
『馳走になった』
『いえ! お粗末にございました!』
その時、息を整えていた秀吉が誰かを見つけたのか声をあげる。
『なんじゃい、正之助! そちはこんな所におったのか!?』
堀はやぐらを見上げる秀吉の視線を追うとそこには顔をくしゃくしゃにして笑顔を見せる若武者の姿があった。
見張り台の上から正之助と呼ばれた若武者から手を差し伸べられ櫓に上がった秀吉に続いて堀も見張り台に立つと、
『変わりはないか、正之助?』
若武者は秀吉の問いに黙って首肯するだけである・・・
『うむ、ならばよし。おおそうじゃ、久太郎殿にも紹介しておこう。この者は播州の産で
『黒田殿の?』
『うむ、そうじゃ。腕白小僧や
『ほう・・・』
堀はこの二十歳になるかならないかの武骨な風貌を持つ若者を興味深そうに見つめる・・・
『こりゃ! 正之助、黙っておらんとしっかり堀殿に挨拶をせんか!!!』
『・・・糟屋 武則にござる・・・』
(ふむ!?)
堀はその風貌からは想像しかねる女性のような柔らかな武則の声音に違和感を感じる・・・
『な 何じゃ。それだけか、正之助? そちゃ、あれほど久太郎殿に会いたがっておったであろうが!!』
武則は黙ったままニコニコと笑顔を浮かべて堀を見つめている・・・
『たくっ 困った奴じゃ・・・。すまぬのう久太郎殿、こ奴は口が重とうてのう・・・一日中口も開かぬこともしょっちゅうな男でな・・・』
『ハハハ、いえ、お気遣いなく羽柴様』
そこで堀は改めて挨拶の言葉を述べる。
『糟屋武則殿と申されたか、堀にござる』
武則は堀の言葉に深々と頭を下げる・・・
そのまま、いつまで経っても頭を上げない武則にしびれを切らした秀吉が命じる。
『正之助、ここはもう良い。わしは久太郎殿と二人きりで少し話しをする。わしが呼ぶまで誰も上に来させぬように、しかと命じたぞ!』
武則は顔を上げると承ったとばかりに黙って首肯する。
『うむ、では
秀吉はそう告げると堀を見張り台の奥へ
『・・・堀様・・・』
武則が堀を呼び止めるのであった
『なんじゃ、正之・・・』
堀は
『何でござるか、糟屋殿?』
『・・・お願いしたきことがございます・・・』
『ふむ、何でござろうか?』
『・・・厚かましいお願いにございますが、
そう言って、また深々と頭を下げる武則に堀は優しく声をかける・・・
『お顔を上げられよ、武則殿。いったいどのような願いであるのか、それを聞かねば答えようがありませんぞ・・・』
『・・・
武則は
『朱の旄を・・・』
堀は確かめるようにつぶやく・・・
『朱の旄をのう・・・』
堀の言葉を受けるように秀吉が口をはさむ。
『朱の旄といえば・・・たしか信長様のおめがねにかなった武辺者にだけ使用を許された旄であったのう、久太郎殿?』
『ええ・・・』
『わしでは、願うても届かぬ名誉の印、織田家家中においても信長様の直々のお声掛けがないかぎり貸与されないといった名誉の品じゃな・・・』
『そ そうでございます殿! 数ある織田家家中においてその誉を受けた方々は我らの中では【飛将】と尊称され憧れの対象な方々なのでございます!!!』
『ほう・・・そのようにまでか・・・。で、その朱の旄を久太郎殿は持っておられると・・・?』
『はっ、恐縮にございますが・・・』
『な 何と!! 知らなんだわ!? いやいや、久太郎殿であればさもありなんか・・・』
『いえ、名立たるご家中の皆様をさしおいて心苦しゅうございますが、上様のお計らいで末席に名を連ねさせていただいております・・・』
『そ そんなことはございませぬぞ堀様!! 旄を信長様より許された三十余人の中でも堀様は次席ではありませんか!!末席などとは、とんでもございません!!!』
(⁉ いやいや、正之助おぬしは!・・・ そんなに喋れるのか!!?)
秀吉は一心に堀に願う饒舌になった武則の姿を初めて見て驚いている・・・
『どうじゃのう、久太郎殿。こ奴がこんなにも切望する姿をわしも初めて見るのだがなんとか願いを聞き届けてはくれぬか? わしも是非、その朱の旄をその
『お安い御用にござる。本日は持参しておりませぬゆえ、また機会を設けていただければその時にでも・・・それでようござるか糟屋殿?』
『あ ありがたき幸せにて・・・言葉も・・・』
そこまで言うと武則は堀の承諾の言葉に身を打ち震わせる・・・
頭を下げながら深い感謝の意を身体全体で表す武則に秀吉が声をかける。
『良かったのう、正乃助よ。久太郎殿に感謝致せ!!』
『・・・はっ、仰せのとおりにござる・・・』
『ところでじゃ、正之助よ』
そこで秀吉は、ニヤリと笑うと不意に武則の腹をやや強めに小突く!
『グッ・・・』
不意を突かれ、武則は堪らず呻く。
『そちゃ、ちゃ~んと喋れるではないか、のう? これからは、わしにも久太郎殿の前で見せたように時には自分の思いの端を伝えよ、よいな』
『・・・仰せのままに・・・』
『ほんに、困った奴じゃおぬしは、カッカッカ!!!』
羞恥心のためか顔を赤らめて答える武則に秀吉は豪快に笑う。
その顔には家臣を慈しむ当主としての表情が浮かんでいる・・・。
そんな微笑ましい主従の様子を見ていた堀が武則に尋ねる。
『ところで糟屋殿、一つお聞きしてよろしいか?』
『はっ・・・』
『何故に私の旄を見たいとおもわれたのかな? 私よりも遥かに実力のある方々が他にもおられるであろうに・・・?』
『・・・見たのです・・・』
『見た?・・・とは?』
『・・・堀様の・・・堀様の馬上での槍さばきを・・・それがしは、あの明智との合戦において偶然にも見てしまったのです・・・』
『ふむ・・・続けられよ』
『そ それがしはあの時殿より命じられ戦況確認の報告のため斥候として戦場を駆けておりました・・・。雨の中、薄暗くなった空の下、見通しの悪くなった戦場で敵味方の上げる怒号や絶叫の中、その中で・・・その中で、一つ・・・場違いのような穏やかな叱咤激励のお声が耳に入り申した・・・』
そこで武則はゴクリと唾を飲みほすと、堀に真剣な眼差しを向け再度語り始める
『その・・・そのお声の持ち主が堀様でございました・・・明智方の主将である
「
『堀様の姿を見て、後ろめたい思いで退却する高山、中川両家の将兵達は堀様のお言葉に救われたかのようにその場で
(うらやましいのう・・・)
秀吉は熱を帯びた目で堀を見つめる武則の姿を眺めながらそう感じるのであった。
(わしでは・・・そう、わしのこの
秀吉は胸中に湧く嫉妬心に蓋をして、自らを励ますよう朗らかな声で武則に告げる
『そんな武神のような久太郎殿の姿を見て、正之助は久太郎殿が持つ朱の旄を見たいと思い至ったわけじゃ』
『はっ・・・そ それがしも いささか槍さばきには自負がありましたが、戦場での堀様の槍さばきを見て雲梯の差があると実感させられました・・・そのような堀様が戴く朱の・・・朱の旄を ぜ 是非にもお日様の下で間近に拝見できればと願う次第にございます・・・更に申せば、少しでも堀様にあやかりたいと・・・』
『と、いうことじゃが久太郎殿、いかがかな?』
『少し面はゆい気がしますが、糟屋殿がそう申されるのであれば・・・』
『うんうん、正之助これで本望じゃろ?』
『ありがたき、幸せにござる・・・』
『けっこう。では、行くがよい、わしは久太郎殿と話があるでの』
『・・・』
『ん?・・・』
『・・・』
『聞こえぬのか、もう行くがよいと申しておる!』
『・・・』
『正之助、うぬは!!!』
秀吉の命にもかかわらず、その場を動こうとしない武則に対し眉間にしわを寄せて秀吉が叱責する。
『糟屋殿、まだ私に何か申されたい事があるのでござるか?』
そこで堀が二人の間に入って優しく武則に尋ねる。
『・・・今 今ひとつ お尋ねしたい儀があります・・・』
『しょ 正之助!! 控えろ!! 堀殿の好意に甘えて図々しいにも程がある!!!』
『羽柴様、まあ良いではありませぬか。して、何でござろうか?』
『・・・く 蔵入地の 蔵入地の代官業務についての心得を・・・教えていただきたく・・・』
『はあ!?』
『ほお!?』
思いもかけぬ武則の言葉に驚く秀吉と堀である。
秀吉は唖然とした表情で、堀は何となく微笑ましい者を見るような表情を浮かべている・・・
それにしてもまさか、二人の前で身を縮ませ恥ずかしそうに声を絞り出すこの無口で朴訥な風貌を
『おみゃあが、そんな事を考えておったとは・・・』
『良いではありませんか、羽柴様』
『いやあ・・・そうは言うが久太郎殿、そなたよりこ奴と付き合いの古いわしは驚いたぞい・・・まさかのう、この正之助が・・・』
『フフフ・・・糟屋殿が蔵入地の代官業務に興味を持たれた、これはとても良いことだとこの久太郎も思います。そう言うそれがしも代官業務は大好きでござってな、何故好きかと申すと、その地所から生み出される品々を数値にて目にし先年に比べて蔵納された品々が増えれば喜ばしく感じ、逆に減れば残念に思うが何故に減ったのかを調べその原因を突き詰め翌年はこうしようという【喜望】が見出されることにあるのです・・・むろん旨くゆく事ばかりでなく、気分が滅入ることも多々あるのですが、何と言っても新たに諸々の品々を生み出す・・・それを
『はっ・・・堀様のお言葉・・・そ それがしの心の
『フフフ、そう言ってもらえると私もうれしく思います。では、
『あ ありがとうございます! か かたじけのうございます!!』
堀に何度も頭を下げ感謝する武則の姿を、秀吉は複雑な心境で見ている・・・
(わしでなく、初対面の久太郎殿には心を開くか・・・)
談笑する堀と武則の姿を見つめる自分の視線が知らず知らず険しくなっていくことに秀吉は気づかない・・・
(やはり、この男が欲しいのう・・・)
『では、殿これにて失礼致します』
『うむ、良かったのう久太郎殿がそちの願いを受け入れてくれて』
秀吉は胸中に抱く暗い影をお首にも出さずに、家臣を思いやる主として振る舞う。
『殿には、お時間を取らせてしまい申し訳ございません』
『よいよい、そちの喜びは、
『はっ、では御免!』
秀吉と堀それぞれに頭を下げ、見張り台から降りる武則の姿を見送った秀吉と堀はどちらともなく互いを見、苦笑をこぼす・・・
『いやぁ~、すまんかったのう久太郎殿。面倒な願いを我が家臣がしてしまって』
『いえ、そんなことはござらぬ。それどころかあの糟屋殿のような若いご家中を抱えてらっしゃる羽柴様がうらやましゅう感じます』
『うん? そうかのう』
『ええ、ここに来るまで少し立ち話しをした石田殿や大谷殿。とても新進気鋭な若者にそれがしは見受けられましたが』
『佐吉や紀之介が? やっ、あ奴らも久太郎殿に無理を言ったのではないか?』
『フフフ、いろいろ尋ねられ申した』
『まったく、しょうがない奴らじゃ・・・』
『彼らのような、向上心を抱き前向きに生きようとする前途有望な若武者を多数配している羽柴様を、私はとてもうらやましく思います・・・』
『う うむ・・・そうであるか・・・』
『はい、にわかに領石が増え家臣を召し抱えるのに苦労をしている私にはうらやましい限りにございます・・・』
『そうであったのう・・・わしも長浜の領地を初めて信長様より拝命した時がそうであった・・・家臣を召し抱えるのに難儀した思い出がよみがえるわい・・・』
『・・・』
『じゃが、何と言っても驚かされたのがあの正之助があれほど饒舌になるとは、思いも及ばんかったわ、あ奴とはかれこれ五年ほどの付き合いになるが初めて見る姿であったからのう・・・更に驚かせられたのがあの寡黙な武骨者が蔵入地の代官業務を望んでおったとは!! 見るからに才気煥発感のある佐吉や紀之介ならさもあろうと思うが・・・まさかのう・・・』
『・・・人の 心の奥底は 解らぬものにございますな・・・』
『人の 心の奥底か・・・』
因みに秀吉、堀に強烈な印象を植え付けた正之助こと糟屋武則という男だが、あの黒田官兵衛が嫡男である黒田長政の槍の師範にと乞うたその腕前を遺憾なく発揮し、二人が話しをしているこの時期からさほど遠くない半年ほど先の未来に生じた合戦、賤ケ岳の戦いにおいて秀吉が天下にぶち上げた “賤ケ岳の七本槍” の一人になるとはさすがの秀吉や堀でさえも思いも及ばないのであった・・・
『・・・確かに、あ奴は派手さは無いが戦場での勇気やその見識、状況判断、そしてあの槍の腕前・・・ましてや、あ奴が望む文官としても役立つようになれば、ひょっとしたら我が羽柴家にとって掛け替えのない一番信のおける人物になるやもしれぬな
・・・あの官兵衛が小姓頭に薦めた理由も頷けるのう・・・』
『黒田殿におかれては、何か糟屋殿に対し何か感ずるものがあったやもしれませぬな・・・』
『ふむ・・・』
この時の秀吉の言葉は幸か不幸か、はるか後年的中することになる・・・
糟屋武則は、その後も秀吉の家臣として付き従い、彼にとって念願であった近江にある秀吉の蔵入地の代官に初めて命じられそれ以降、秀吉の蔵入地のある大和の国、播磨の国の代官と、次々と命じられ、更には文禄の役においては朝鮮へ渡海しその占領地の代官にまでも任命されるにいたる・・・
そして、忘れずに付け加えれば武則が堀に約束を取り付けたこの山崎での時期から十八年後のほぼ同じ季節、美濃の国 関ケ原において行われた後世天下分け目の合戦と称せられた関ケ原の合戦で武則は西軍の先鋒となった宇喜多秀家の軍勢に陣借りをし、賤ケ岳の七本槍と称された人物の中で唯一最初から最後まで徹頭徹尾西軍に属して、東軍に所属したかつての七本槍の朋輩であった福島正則、加藤嘉明、平野長泰、脇坂安治らを相手取りその自慢の槍さばきを見せつけるのだが・・・・
『うん? おおそうじゃ そうじゃ!! こりゃ、正之助のせいでとんだ道草を食うてしまったわい、ささ、久太郎殿、こちらに参られよ!!』
暫しの間考え込んでいた秀吉であったが、ここに来た本来の目的を思い出し早足になって堀を誘う。
『ささ、こちらじゃ。わしが是非にも久太郎殿にお見せしたかった景色とはこの眺めじゃ・・・』
堀は秀吉が誘う見張り台の端に立つ・・・
(これは・・・)
堀は眼下に映る見事な風景に目をみはる・・・
『フッフッフ・・・どうじゃな、久太郎殿?』
『・・・いやっ、見事にございますな 絶景にて、表す言葉もござらぬ・・・いやっ誠にとても美しい眺めです、感服致しました・・・』
『うん、そうじゃろ そうであろうよ カッカッカ!!』
堀の表情と感想にいたく満足げな秀吉である。
『わしもな、ここの眺めがひどく気に入ってな、頭をすっきりさせたい時など一人でここに来るのじゃよ・・・』
切り立った場所に設けられたこの小さな櫓の見張り台から足元を覗くとかえで、ぬるで、などの落葉樹が山腹をなめるような風によってサワサワとそよいでいるのがわかる・・・更に視線を遠くに向ければ淀川の
堀はその絶景に見惚れ、秀吉の存在も失念したかのようにほつれた鬢を風になびかせながらその身をその時間に委ねているようであった・・・
二人は、ただ黙然と眼下の風景をしばらく眺めていたが、やがて秀吉が、一つ二つ空咳をし、覚悟を決めたかのように頷くとおもむろに口を開いた・・・
『今日は、本当によく来ていただいたのう、久太郎殿』
『いえ・・・』
『少し我を忘れて、増上慢になっておったわしを貴殿は窘めてくださった・・・誠にありがたく存ずる・・・』
堀に目礼をする秀吉に堀は
『礼など・・・それがしの方こそ羽柴様に対し不遜な物言いをしてしまい申し訳ございませんでした・・・』
秀吉は頭を下げようとする堀を右手で制し、語り始める・・・
『さて、この場所に堀殿をお連れした理由だが、もちろんこの眺めを自慢したかったのも事実じゃがわしの胸中を貴殿にだけ、三法師様の守役の貴殿にだけは知っておってもらいたいと考えてな・・・改めて申すがこれから話しをする内容は家中の誰にも打ち明けてはおらぬ。無論、他の宿老衆達はもとより、他の織田家家中の者達にも漏らしてはおらぬ・・・その点をふまえて聞いてもらいたいのだが、宜しいかな?』
『・・・心得もうした・・・』
ただならぬ雰囲気を秀吉に感じた堀は心を引きしめる。
『先ほど、貴殿との話の中で貴殿が口にした【御教書】・・・三法師様のお名のもとに発せられる【御教書】・・・この言葉を聞いた時にわしは危惧に襲われたのじゃよ
、そなたはどこまで気づいておるか分らぬが・・・』
『【御教書】・・・に、ござるか・・・』
『幼君であられる三法師様が身に覚えのない【御教書】を私利私欲のため誰かが発令したならどうなるか? どんな経緯であろうと三法師様のお名のもとに出された【御教書】は織田家家中においては絶対じゃ、その命にはわしであろうと、柴田殿、丹羽殿、池田殿はもちろん他の諸将達も受けざるをえない・・・例えば、織田家より追放、また逆賊として討つ・・・このような命であっても抗うことはできぬという事にわしは貴殿の言葉に気づかされたのじゃよ・・・』
『・・・お言葉にござるが、それがしは私利私欲のために【御教書】を三法師様にお願い致すなどとは決して考えてはおりませぬ。【御教書】を発令するにあたっては宿老衆方のご同意を求めるはもちろん、主筋である織田一族の方々の意見も基にし
更には他の織田家家中に広く賛同を求めてから三法師様のお名のもとに【御教書】を頂けるよう言上するつもりでございました。それがし一人の考えだけで【御教書】を発令するなどと、とんでもない!! ましてや、私以外の誰かが私利私欲のために【御教書】を三法師様のお名のもとで発令させようもならば、それがし三法師様の守役として命をかけてその企てを阻止致す所存にござる!』
『カッカッカ!!! そうじゃろ そうであろうなぁ 堀久太郎という人物はそういう男だ、ハッハッハ!!!』
『羽柴様、それがしを
気色ばむ堀に
『いや、すまぬ。そんなつもりで
秀吉は慇懃に堀に頭を下げる・・・
堀は、秀吉の姿をみつめながら、ふと、ため息をつくや
『お顔を、上げてくだされ羽柴様・・・』
『じゃが・・・』
堀の応じかけにもかかわらず、秀吉は頭を下げながらつぶやく・・・』
『じゃがのう、堀殿。そなたは命をかけて企てを阻止すると申したが・・・』
そこで秀吉は顔を上げると、眼光鋭く堀を睨む・・・
『残念ながら三法師様はそなたの傍にはおらぬ・・・いかに守役をそなたが仰せつかっておっても三法師様は岐阜におられるのだぞ・・・そなたの知らぬうちに岐阜様が、三法師様を懐に抱えながら【御教書】である、我が命に従えとそなたに命じたなら貴殿はどう致す所存であるかのう・・・?』
『ま まさか信孝様が、そのようなことを・・・』
『わしもそのような事が起きるとは思いたくはない・・・が、万が一そのような事がおきてしまうかもしれない状況になっていることが、一番の大問題であるとわしは考えるのだが・・・いかがかな?』
『・・・仰せのとおりかと・・・』
『あの清州会議において取り決めした約束事である三法師様は安土へ動座されることという条項を岐阜様は反故にしておる。これはあきらかに約定違反であり、誠に
『・・・』
『貴殿が申された【御教書】・・・この言葉を聞き、痛感した・・・わしは大いに危惧する。岐阜様が主筋である自らの血脈に頼りに我らが臣下に諮らず、己の利になるための【御教書】を三法様を戴き発令されることを・・・な・・・』
『・・・』
『そこで、わしは決意に至った・・・』
『⁉』
秀吉はギロリとした目で堀を睨みつけると
『岐阜様の手より、我が主君三法師様を解放せしめんことを・・・実力行使も辞さぬ覚悟じゃ・・・』
『そ それは、兵を挙げるということでござるか⁉』
『・・・左様じゃ・・』
堀は秀吉の言葉を聞くや血の気が、すーっと引くのを感じた・・・
木々のそよぐ音や、山鳥のさえずりでさえ全く堀の耳には入らなくなっている・・・
その場の空間だけが時が止まったように感じられるだ・・・
堀は、天を仰ぐや目を閉じる・・・そして大きく息を吸い込み震えるようにして小さく息を吐く・・・
(この方は・・・いや、この男はやはり織田家に成り代わり己が手に天下を抱くつもりであったわ・・・)
堀は丹田に気を込め覚悟を決めると、秀吉の顔を注視する・・・
『羽柴様、再度お尋ね申す。羽柴様は、信孝様に兵を挙げると申されるのでございますな・・・?』
『・・・いかにも・・・』
『それは、ご短慮かとそれがしは考えます。いかに清州会議での約束事である三法師様の安土への御動座のためとはいえ、三法師様がお在す岐阜へ、ましてや亡き上様の遺子である信孝様が城主である岐阜城へと兵を向けるという意味をよくよくお考えになってくだされませ!』
『重々・・・承知の上での決断じゃ・・・』
『いいえ、分かっておられませぬな! 羽柴様が行おうとする事は主家に対し弓をひく行動にござるぞ!!織田家の一家臣がやる行動では決してありえませぬ!!ましてや、岐阜城は、上様、中将様と綿々と紡がれた織田家にとって聖域の地ではござらぬか! そのような岐阜城に向けて、信孝様に向けて兵を挙げるとは言語道断! 他の織田家諸将達から叛臣と羽柴様は
そこで堀は言葉を止め、改めて険しい表情で秀吉を見つめ、
『それでも、羽柴様は兵を挙げると・・・?』
『・・・わしの考えは・・・変わらぬ・・・』
『どうあってもと・・・仰せにござるか?』
『うむ、どうあってもじゃ・・・』
『であれば、是非もなし!! 三宝師様が【守役】のそれがしを、主家に対し叛意を抱く人物をこのまま黙って見過ごすと思われるのであればそれは、見通しが
二人は、暫しのあいだ睨みあう・・・
やがて
殺気の気配を醸し出し始めた堀の様子に秀吉は動じた風もなくさも当然のように堀に尋ねるのであった・・・
『わしを、斬るか?・・・それも良かろう。貴殿の手に掛からば丸腰同然のわしを斬るなど赤子の手をひねるより易いであろうにな、ん⁉、いやわしが太刀を持っておったとしても結果は明らかか? カッカッカ!!!!』
『・・・』
気勢を削がれた堀は胡乱眼差しでな秀吉を睨む・・・
『わしが、あえて貴殿と二人きりでこの場にて誰にも打ち明けておらぬ我が胸中の思いを吐露したには、それなりの理由と覚悟を持ってのことじゃ、よろしいかのう久太郎殿? 我が存念を聞いてから後にわしを斬るなり生かすなり、好きにすればよい』
そう言うや、秀吉はクルリと堀に背を向けて歩き出す・・・そして柵に手をつけるや背中越しに堀に語り掛け始めた・・・
『見解の相違があったようじゃから、申すが、わしは一言も岐阜様を討つなどと申してはおらぬ・・・確かに兵を岐阜に向けて挙げるとは申したがあくまでも軍勢の力を背景にして三法師様を岐阜様の手よりお迎えに上がるのが主目的であるのだ・・・』
『・・・それがしには詭弁に見受けられますが・・・いずれにしても岐阜表へ兵を率いるのは事実にござろう、拙者は承諾しかねますぞ、羽柴殿!!』
『詭弁・・・確かに詭弁かもしれぬ・・・では、更に申すが、何もわしは直ぐに兵を挙げるとも言っておらぬ。堀殿、貴殿に我が胸中を明かした今、わしはこれまで以上に岐阜様へ向かって三法師君を安土へお返しなされるよう説得するつもりじゃ・・・辞を低く、いっそう辞を低くし書状を
(羽柴様、あなたは・・・)
堀は背中を見せる秀吉に対し、先程までの剣呑とした気持ちから徐々に変わりつつあるのを気づかないでいる・・・
『そこでじゃ、貴殿にお願いしたいことがある・・・いや、是非とも協力してもらいたいのだが・・・』
『協力を・・・何で、ござろうか・・・』
秀吉は、堀の言葉を受けてまたクルリと向きを変え堀の顔を正視すると
『今一度、これまで以上にそなたの口から岐阜様を説得してはくれぬか⁉ わしが胸中の覚悟のほどを頭の片隅に入れて、これまで以上に強く岐阜様に三法師様を安土へお返しされるよう働きかけてはくれぬか、これ、この通りじゃ・・・』
目の前にて、深々と頭を下げ助力を願う秀吉に対し堀は今日何度かめの言葉を口にする・・・
『羽柴様、どうかお顔を上げてくだされませ。承知仕りました、全力で信孝様を説得致すつもりでござる』
『おお! そうか 請けてくれるか!! これは、これは嬉しいのう!!! 岐阜様が聞き入れてくれて三法師様が安土へお帰りなさり、久太郎殿が傍らで守役として安土で政務を執られれば、これ以上の喜びはないのじゃ! 何も好き好んで主家筋に対し兵を挙げるつもりは、わしにはない!!! これは重畳、重畳じゃて、カッカッカ!!! 』
(このままの状態が続くかぎり、この方は兵を挙げるつもりなのだ・・・ここは、何としても信孝様を説得して三法師様を安土へ御動座していただき織田家中内で戦を避けさせなければならぬ・・・決して・・・決して、三法師様を戦火の渦中に置いてはならぬ! 心して、かからねば・・・)
堀は、無邪気に喜ぶ秀吉の様子を眺めながら心に期すのであった。
『ところがであるが・・・わしとそなたが協力関係になったとたんに冷や水を浴びせるようで心苦しいがのう、敢えて申しておかねばならぬ・・・』
秀吉は表情を変え、沈痛な
『我らが、こうまでして岐阜様を説得しようとしたにも拘らずあくまでも岐阜様が三法師様を安土へ返さぬという仕儀になったならば・・・わしは兵を挙げるぞ。遅くとも年内には行動を起こす所存じゃ・・・久太郎殿におかれてもしっかとわしの言葉を胸に刻んでもらいたい、よいな・・・?』
『何故に年内にでござるか? どうしてそのように急がれますや、理由を知りとうござる』
秀吉は、堀の問いに頭を指でかきながらさも迷惑そうな表情を浮かべて答える。
『そもそも清州会議で決めた約定事を守らぬ事案が生じたなら、それを織田家家中に知らしめ、それを犯そうとする者がいたなら躊躇なく叱責し咎める役目は織田家筆頭家老である柴田殿の役ぞ・・・それどころか、修理殿は三法師様が一件においてはどうも岐阜様のなさり様を黙認しておられる様に見受けられる・・・そなたは、どう思う? 何か、修理殿の思惑を存じまいか・・・?』
(それは・・・あなた様の今までのなさり様に柴田様は気に入らぬのです・・・)
と、は言えずに堀は黙ったままでいると
『このまま年を越すとあの方はな、雪を理由にこちらに来ることができぬと理由づけて諸問題を明年の春まで、雪解け致すまで先送りにしようとするは明らかじゃ。それはわしには到底受け入れられるものではない。まあ・・・つまるところ、修理殿はわしがやり方や、そもそもわしの存在自体が気に食わぬのであろうからのう・・・』
(・・・その通りだと・・・)
堀は現織田家において二大勢力の頭目共の仲の悪さを目の当たりにし困惑の表情を浮かべる・・・
『じゃからと言って、そんな私怨で清州会議での約定を留守にするとは言語道断!筆頭家老としての職務怠慢と言わざるをえん!!』
『・・・』
『されば、このまま修理殿が三法師様が件で年内に何も行動を起こさぬとあれば天下の下織田家各諸将に修理殿の非を明らかにし、例え諸将の同意を得られずとも単独で岐阜表まで三法師様をお迎えに参る所存じゃ・・・そのわしの行動を阻む者があれば何人たりとも許しはせぬ、実力を持って排除するまでじゃ!!』
(これは、まずい・・・この男は、三法師様をお迎えするという大義名分の下、自分の意に添わぬ諸将を排斥するつもりである・・・その結果、この羽柴筑前守という男の権勢が織田家において並ぶ者がおらぬ状態になり、やがてその力が主家である織田家を凌ぐようになれば・・・)
堀は
『誠に不本意であるが、久太郎殿・・・わしがもしも岐阜表へ兵を挙げた場合、やはりわしが行いが理不尽である、そして承諾できぬとの考えなればその時は・・・そこもとは、東上する我が軍勢を佐和山の地において迎え撃てばよろしかろう・・・誠に不本意であるが・・・』
『羽柴様・・・』
『信ずる道が互いに違えば致し方ない・・・であれば、武士らしく戦場でお互いの主張をぶつけ合うまでじゃな、«進むも、退くも、滝川»、と称された一益殿直伝の貴殿が戦場での用兵が妙、その時は楽しみにしておる!! むろんわしの方もこれまでに培った経験から備わった用兵の妙を全力を持って披露致そうぞ!! カッカッカ!!!』
明らかに、無理やり快活さを装う秀吉の姿に堀は決然と宣言する。
『そのような状況、羽柴様が兵を挙げるような状況にさせなければ良いのです!!私は全身全霊を持って信孝様を説得致し、三法師様を安土へ御動座されるべく行動致す所存にござる!』
自らを励ますかのような、堀の決意表明に秀吉も眉を上げ応じる。
『うむ、そうじゃ・・・そうじゃのう、わしもあらん限り知恵を振り絞って三法師様が安土への御動座が叶うよう動くことに致すわい!』
(信孝様をいかに説得するかが、一番の問題だが・・・時期が差し迫ってくるのは明らかじゃ、あまり悠長な事はしておれぬ・・・ならば信孝様を説得できる人物に我が意を
堀が頭の中で、今後の事を忙しく考えている
『久太郎殿・・・、今ひとつそなたに話したいことがあってな・・・』
思考を邪魔された堀が、少し強めの言葉で秀吉に尋ねる。
『何をでございますか、それがしに・・・?』
『う うむ・・・これから我らが敵味方に別れるやもしれぬと言った先から、こんな事を申すのも誠に変な話なのだが・・・』
堀は秀吉の仕草が先ほどまでの自信に満ちた態度とは違う様子に、何事かと心中にて用心する・・・
『はて・・・どのような、お話しなのでござろうか羽柴様?』
『うむ・・・その話しというか・・・お願いというか・・・』
上目遣いで自分の顔を覗き込む秀吉に堀は促すように答える。
『フフフ、羽柴様それでは要領が得ませぬ、いったいどのようなお話しにございますか・・・?』
『う うむ・・・その 話したいという中身なんじゃが・・・』
そこまで言うと秀吉は、堀の視線を覗ったかと思うや、あらぬ方向を見て目を閉じたり、いかにも挙動不審の体をなし始めていた・・・
(この御仁にしては、珍しい・・・即断即決、明朗闊達な方であるのに・・・)
目の前で、言いよどみ、何故か口に出すことを秀吉が躊躇しているように堀の目には映っている・・・
しばらく堀は、秀吉の話しを待っていたが、やがて秀吉は決意したように心細そうな視線で堀に乞うのであった
『・・・久太郎殿、今この場でしか申せぬかもしれぬのであえてお願い申し上げる』
『はっ、いかがな事にありましょうか?』
『・・・わしの・・・我が姓を 羽柴の姓を頂いてはくれぬか・・・?』
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