第20話 海蔵寺での邂逅 堀 久太郎と柴田 源左 Scean17

 カタカタ・・・ カタカタ・・・


 風が出てきたのか壁を触れる木枝の音が、かすがながらも妙に鮮明に記憶に残っているのを宗二は憶えている・・・


 秀吉と堀が睨みあう時間はほんの一瞬だったのかもしれないが宗二にとってはひどく長く感じられた・・・


 そのいつまでも続くかというような重苦しい静寂を破ったのは顔を真っ赤にして堀を見下ろしていた秀吉であった・・・


『堀殿、気分が悪うなった。暫し、失礼いたす、御免!』


 秀吉は、そう言い捨て障子を開け、ピシャリと音を立て閉めるやドンドンと足を踏み鳴らし部屋を出てゆく・・・


(ふう・・・)


 堀は秀吉の姿を見送ると静かに一息つくと、何気なしに秀吉が落として行った折れた扇子の切れ端を見つめる。そして両の脇からどっと汗がにじむのを感じ始めていた・・・。


『いやぁ、言われましたなぁ・・・肝が冷えましたぞ、堀様。あの今や日の出の勢いと噂される羽柴様に面と向かってあれほどの痛罵されるとは! いやはや、このとおりでございます』


 堀が宗二の声に視線を移すと、両の手をそっと結ぶ宗二の姿が見え、その結ぶ指先が震えているのが分かった・・・。


『武士とは恐ろしい人達でございますな、羽柴様と堀様の言葉のやり取りがまるで抜き身の刀で斬り合うような錯覚を覚えました・・・』


 宗二は指先をさすりながら両手を何度も開いたり閉じたりした後、


『ふむ、大丈夫そうですね。では、遅くなりましたがお茶を点てさせていただきます。湯がぬるくなったかもしれませぬが、あれほどのお話をなされた堀様におかれては喉もお渇きでございましょう、さすれば丁度よい加減かと・・・』


宗二は、そう言うと茶釜の蓋を取り湯の状態を確かめると改めて蓋を閉め堀に向けて正対すると堀にとって思いがけない言葉を告げる。


『堀様のお言葉は、今の羽柴様にとってこたえられましたでしょうな・・・』


『ん?』


『旨くいってないのですよ・・・羽柴様にとって現状は宜しくなく、むしろ焦っておられるのでございます・・・』


『羽柴様が、現状に満足しておらぬと? 旨くいっておらず焦っておる・・・と?』


『はい、さようでございます』


 宗二は微笑をもって堀に相槌を打つと頭を下げ、揃えられた茶道具の前に姿勢を移す・・・


(現状で最も威望があり、その勢いに能うもの無しの羽柴殿が焦っておるとは・・)


 堀は、茶杓を丁寧に扱い黒緑色の茶碗に茶を入れようとしている宗二の姿を見つめながら憤怒の様子で部屋を出て行った秀吉の姿を思い出している・・・







 その秀吉は、足音も荒々しく縁側を歩いていたが、やがてその足音も弱くなりふと立ち止まる・・・


 サササ・・・サササァァ~~・・・


 境内に生える竹の笹の音が奏でる風が紅潮した秀吉の顔を吹き抜ける・・・


 その風音に誘われて竹林を見ると裏庭と呼べるほど広くはないその庭の中に古びた手水櫃ちょうずびつが何故かポツンと置かれているのが秀吉の目に留まった。


 秀吉はその手水櫃に誘われるように縁側から足を踏み出し裸足のまま地面に足を着こうとするが足元がおぼつかなくなる。そしてたたらを踏むようにして倒れそうになるが寸でのところで手水櫃を抱え込むようにして転がるのを防いだ・・・


 長い間使われていなかったからか、その古びた手水櫃の淵には苔が張り付いている・・・


 小柄な秀吉は伸びあがるようにして、雨水であろうか、櫃内に溜まった水面を覗き込む・・・


(ひどい顔じゃ・・・)


 秀吉は水面に映った自分の顔を見てそうこぼす・・・


(ぬかった・・・ぬかったのう・・・秀吉よ・・・)


 そう自嘲気味にこぼす水面に映る秀吉の顔は先ほどまでの憤怒の表情から一転して蒼ざめた憂悶の表情になっている・・・


(【御教書】とはな・・・三法師様より【御教書】をいただくとは・・・わしも思いもつかなかったわい・・・もし、そのような事に至れば三法師様を御旗に戴く他の織田家家中から見ればそれに反する対応をするわしは無法無道の家臣、織田家の賊と見なされるのは火を見るよりも明らか・・・その事に、さらっと気づいて満天下の場で明らかにしようとするか・・・のう、堀 久太郎殿よ・・・)


 考え込む秀吉の視線を遮るようにヒラヒラと一枚の落ち葉が風に乗って手水櫃の水面に落ちる・・・ささやかな波紋を広げユラユラと漂うその落ち葉を秀吉は黙然と眺めている・・・


(あの清州会議の折、必死の形相で我ら四人の宿老に是非にも三法師様の守役を仰せ付かりたいと願うたのは、こういう事であったか・・・あくまでも織田家、ひいては三法師様に忠義を尽くす・・・なるほど、見事・・・見事ではある・・・が、きれい事だけでは世は治まらぬぞ、久太郎殿・・・)


 手水櫃の水面に映る自らの顔を ユラリ ユラリ と漂う落ち葉が水面に浮かぶ秀吉の瞳をさえぎった時に秀吉は決断する・・・


(遮ろうとするなら・・・)


 秀吉はその落ち葉を取り上げる・・・


(取り除くまでじゃ・・・)


 秀吉はつまんだ落ち葉を一瞬見つめると、何事も無かったように指先から放り捨てる・・・


(じゃがあの男・・・堀 久太郎という男は厄介な存在であるのう・・・あの男が三法師様を守役として奉じたてまつって三七殿(信孝)もしくは茶筅殿(信雄)を担ぎ上げ他の宿老衆達やその他大勢の織田家朋輩衆達にあの【添え状】でみせた【書の力】で反羽柴の勢力を糾合されると事じゃて・・・仮にあえて力づくで押し通すとすればその状況でわしに誰が味方する・・・今や与力衆のような立場に見える丹後細川、大和の筒井、摂津の中川、高山あたりか・・・同じ摂津尼崎の宿老の一人である池田恒興殿はどうか・・・居城のある尼崎という地理的要因で敵にはならぬが積極的に味方になるというよりむしろ中立の立場をとれば良いぐらいか・・・宿老といえば若狭の丹羽殿は・・・丹羽殿は久太郎殿とは公私にわたって子弟関係のような間柄じゃ、三法師様からの【御教書】を奉られば有無も言わずわしと敵対するであろうな

・・・さらにもう一人の宿老、勝家なんぞは鬼の首を取ったようにそれ見たことかとばかりに久太郎殿側に付くのは明らかじゃ! その時の自慢げな顔がやすく思い浮かぶのが腹が立つわい!!! そして伊勢の滝川は・・・もうこれは言うまでもない、直弟子の久太郎殿に【御教書】うんぬん関係なく味方するわ・・・ああ、一益とは・・・あ奴とは会いとうない、どうも苦手じゃ・・・うん⁈)


 秀吉は、ふと何かに気づいたのか手水櫃の端を掴む両手がわなわなと震え出すのを感じた・・・


(丹羽、柴田、滝川・・・それに織田家の華燭に連なる三七殿や茶筅殿が三法師様の守役の堀が奉る【御教書】に賛同してわしを糾弾し、弾劾するような事態に陥れば細川 筒井 中川 高山 池田等があえてわしに味方するとは思えぬ! 冷静に考えてみれば分かるであろうが!!!)


 手水櫃の水面に映る自分の顔を見つめる秀吉は、すぅーっと血の気が引くの意識する・・・


(ぬかった・・・本当にぬかったわ・・・京の公卿衆達や寺社仏閣関係者からや近隣の土豪衆から次の天下人は羽柴筑前守様よともてはやらせられていい気になっておったか・・・まだ、わしはあくまで織田家の一家臣にすぎぬ・・・【御教書】を盾にわしを糾弾し弾劾した後にそれに従わなければ所領の減封どころか織田家から賊と認定され追放の憂き目に遭うやもしれぬ・・・更にじゃ、それにも反抗し山崎の地でこの裁定に不服として反旗をひるがえしたとして、いったい誰がわしに助力を申し出るのか・・・いやっ⁈ むしろ・・・これは・・・詰んでおる・・・)


 秀吉は蒼白となった表情で山崎を中心とした地図を頭の中で描いている・・・


(・・・これは、詰んでおるわ・・・山崎に居座っても背後の摂津衆達が敵になれば包囲され我が居城の姫路までは戻れぬ・・・山崎から丹波の秀勝の許に逃れようとしても丹後の細川と摂津衆達に直に包囲されるであろう・・・それどころか、信長様の実子である秀勝が養父のわしを捕えるやもしれぬ・・・かと言って、山崎を捨て包囲される前に姫路に戻ったとしてもその先はどうなる・・・同盟国である備前の宇喜多家と協力して播州に盤踞する手もあるが・・・この手は無理筋であろうな・・・織田家という強大な後ろ盾の無くなったわしに宇喜多家が協力する筋合いもない・・・地の無い石は詰まされるだけじゃて・・・)


 好きな囲碁に例えて自分の現況の心細さを実感する秀吉である・・・


(何とのう旨くいっておらぬ事には薄々気づいておったが、堀 久太郎が本日もたらした【御教書】による自身への糾弾から弾劾・・・これだけでこんなにも脆くも崩れる立位置であったとは・・・この窮地・・・いかに致す、いかに致すか秀吉よ!)


秀吉は自らを奮い立たすように下肢に力をこめるとよろよろと立ち上がり、淵に苔が生えている手水櫃に溜まっていた水に向かって両手を伸ばすとその溜水を何度も何度も顔に浴びせる・・・


(・・・考えろ・・・考えろ秀吉、これぐらいの窮地、今までも何度も乗り切ってきたではないか! そうじゃ、考えろ! 考えるのじゃ、羽柴筑前守秀吉よ!!!)


 やがて秀吉は水を浴びせる手を止めるや、櫃の淵に両手をついて身体を預けるような姿勢をとる・・・


(・・・ふむ・・・要はあの久太郎殿であるか・・・)


 顎先から雫ををポタポタと落としながら秀吉は熟考する・・・


(内々でわしを訪ねてきた理由をよおく考えるのじゃ・・・まだ、公に糾弾されるとは決まってはおらぬではないか・・・弾劾されると言われて頭に血が上って席を立ったのは失態であった・・・そうじゃ、そうじゃ、わしはあの久殿を欲しておったのではなかったのか・・・頼廉殿との会話で一層明らかになったようにあれほどの人脈を持つ人物をわしと立場を反対するように仕向けるのは愚の骨頂であるぞ・・・で、あればその久太郎殿の琴線きんせんに触れるためにはどうすれば良いか、さすればやはり【守役】・・・三法師様の【守役】という立ち位置であるか・・・信長様、信忠様亡き後は三法師様に忠義を仕るか・・・見事じゃ・・・)


 秀吉は清州城において自らに守役をと必死な形相で頼み込む堀の姿をまた思い浮かべる・・・


(ならば・・・わしは!)


 その時であった、秀吉の後背から悲鳴のような声が掛けられた!


『殿!!!』


 茶室に入った秀吉達のその後の様子を覗おうとした三成が裏庭で裸足のまま手水櫃に手を突いたまま首を垂れる主の姿を見て驚きの声を上げたのである。


 秀吉は背中越しに慌てた感じで駆け寄る三成の気配を認めながらも先程からの思考をやめないでいる・・・


(ならば、わしはいかが致す・・・あの久殿の心を捕るためには・・・三法師様か⁉

 かの者の心をつかまんとするにはやはり三法師様に対する忠義の念か??

 であれば、わしが三法師様がおん為にと動くのをかの者に知らしめればよい!

 そうじゃ・・・あくまでも三法師様おん為・・・三法師様おん為じゃ!!!)


『殿!! いかが致されました、このような場所で⁉』


『佐吉か』


『はっ、三成にございます! 殿、どうなされたのですか、何か大事が出来しゅったいされましたか?』


『いや、大事無い。ちと頭を冷やしておっただけじゃ』


『頭を???』


 自分の答えにいぶかしげな目をする三成に構わず秀吉は尋ねる。


『うむ。それはそうと三成よ、手拭てぬぐいは持たぬか?』


『それがしの物なれば、ございますが』


『よい、それを借せ』


 三成は片膝を立てながら自分の手拭いを両手で秀吉に渡す。


 秀吉はそれを無造作に受け取ると濡れた顔を拭い始めると


『三成、筆と紙を用意致せ』


 秀吉は顔を拭いながら三成に告げる。


『はっ』


 やがて秀吉は使った手拭いを三成に手渡すと更に命じる。


『それと正装の用意も致すのじゃ、よいな』


『正装の用意でございますか、どなたか参られるのでしょうか?』


『フッ! もう参られておるわ。御上使様としてな』


『御上使様が?』


『フフフ・・・そうじゃ、粗相があってはならぬからのう、カッカッカ・・・』


『・・・』


 怪訝そうに自分を見上げる三成に秀吉は再度命じる。


『急げ、三成。待たせておるのでな、わしも直に参る』


『はっ、承りました!』


 三成はまだ何か言いたげであったようだが敬愛する主の命が優先であるとばかりに早足で秀吉の許を離れる。その三成の後姿を見つめながら秀吉はつぶやくのであった


(三法師様がおん為・・・三法師様がおん為・・・であるか・・・)


 堀は自らの言動で秀吉を詰問したことによって秀吉が己が野望を達せんが為のキーワードを悟らせてしまったのだ・・・そしてそのことに気づかされるのがこの山崎での会見以後そう遠くない時期であった・・・そう、堀は知らず知らずに己の言動で秀吉の野望を加速させるパンドラの箱を開けてしまったのだが・・・






               ★ ☆ ★





『ご馳走に、なり申した』


『いえいえ』


 山上 宗二は茶の礼を言う堀に軽く頭を下げると使用した茶碗を自らの前に置き懐から小豆色の服紗を取り出してその場で使われた他の茶器をその服紗で大事そうに包みながら茶器入れに戻し始めた・・・堀はその様子を見るともなく見ていたが、


『さて堀様、先程手前に忌憚なき意見、感想をとの事でしたが・・・やはり、【銀の流れ】 【銭の流れ】についてでございましょうか?』


 宗二は手を動かしながらもそう堀に尋ねる。


『・・・ええ、そうでござる・・・』


『ですが、堀様は羽柴様に銭を融通した人物にはもう目星が付いておられるとお見受け致しましたが・・・?』


『・・・』


『ハハハハ、どうやら図星のようでございますな』


 宗二はそう言いながら最後の茶器を終いおえると改めて堀に対面するように膝をずらす。


『堀様の想像通り、その人物は宗匠様ではないかと私めは睨んでおります・・・あくまでも想像ですが・・・うん? 何故に私が想像の範囲で申したのか不審そうでございますな、堀様? フフフ・・・』


 堀は目の前で笑いをこぼす自分より十歳ほど年長の男を改めて見直す・・・


『まあ、ご不審のほどはごもっともかと。私めと宗匠様の関係をみればかなり親しき間柄であろうと思われるのも無理もありませんから。確かに私は茶道においては宗匠様を尊敬致し師事しておりますが・・・商いの道では違いまする・・・商売敵という言葉が表すように私と宗匠様は商いにおいては純然たる競争相手にございます。その点をお含みおきを・・・そうでなければ堺において会合衆という地位に居続けることは能いませんから・・・』


(そうであったか・・・商売敵しょうばいがたきとな、なるほど・・・)


 堀は新たな人間関係の一面を初めて知る・・・


『合点がいったようでございますな、商いにおいては宗匠様は一切私めにその胸の内を明かすことはございません。無論、反対に私も宗匠様に胸の内を明かすことはありません。ご納得していただければこれから私めが話す内容はあくまでも想像にございます、よろしゅうございますな』


『承りました、宗二殿。であれば、早速ですが何故に宗易殿はあれほどの多大な銭を羽柴様に用立てされたのでござろうか? いかに生野銀山からの銀を羽柴様が融通するとはいえそれは仮の担保でござろう、現に鳥取城や備中高松城における戦において散財された銭は宗易殿の手元には戻っておらぬはずでは? 更にはあれほど莫大な銭を融通するような関係が羽柴様と宗易殿の間にあったとはそれがしは露とも知りませんでしたが・・・』


『堀様、商人が無償で動くことは、まずありえません』


『うむ・・・』


『商人が動くのはそれに利を見出みいだしたからでございます』


『利を・・・見出した・・・』


『さようでございます。ましてや、堀様が申されたように羽柴様が使用された莫大な銭を融通するとなるとそれに見合った利が宗匠様にあったと見るべきでございましょうな・・・』


『ふぅむ・・・』


たなが傾くような危険を冒してまでも宗匠様は羽柴様に銭を融通したというのであれば・・・それに見合う利とは・・・』


 宗二はそこで言いよどむと顎を引き考え込み始める・・・が、やがて思い至ったのか、堀に視線を戻すと


『播磨での商いの権利でございましょう・・・』


『播磨での商いの権利・・・?』


『ええ、おそらくは・・・』


『商権でござるか・・・? いや、その権利を認めるのは上様だけですぞ!』


『確かに。ですが、羽柴様のお口伝で播磨での商権を織田様に願う事はそう難しいことではござらぬかと思います・・・宗匠様は羽柴様に対し多大な援助をするにあたってその見返りとして播磨での商権を頂戴いたすための協力を乞われたのではないでしょうか?』


『逆に尋ねますが、播磨での商権はそこまでする利があるということですな?』


『ありまする・・・』


 重々しく、そう断じた宗二の気配が変わったのを堀は見逃さずに更に尋ねる。


『なるほど、昨年暮れの安土への献上品として運ばれた播磨からの品々は確かに素晴らしい物でござったが・・・』


おっしゃる通り、その献上品の品々の専売権だけでもかなりの利にはなりましょうが、宗匠様はそれらの品々より更に重要視しているものがあったようです』


『ふむ、それは何でござろうか宗二殿?』


『・・・おそらく【塩】で、ございましょう・・・な』


『【塩】⁈ あの食する塩でござるか??』


『さようでございます・・・』


 先程までの穏やかな表情から一変して厳しい表情で堀に答える宗二に堀は戸惑う。


(何故に、塩ぐらいで宗二殿はここまで表情が険しくなってしまうのか・・・)


 その宗二は、真剣な面持ちで自分の推理を検証しているのか目の前の堀の存在を忘れたかのように熟考する・・・


『なるほど、そうでございましたか。それで、宗匠様は天王寺屋殿(津田宗及)の動向に目を光らせておったのですか・・・なるほど、なるほど・・・これで合点がいきました・・・』


 堀は独り言をつぶやく宗二の思考の邪魔にならないように行儀よく黙ったままその考えがまとまるのを待っている・・・。


 やがて、その堀に気づいた宗二は慌てて陳謝する。


『これは申し訳ございませんでした、堀様。 うっかり自分の世界に入ってしまったようで、失礼致しました』


 深々と頭を下げ謝罪する宗二に堀は改めて尋ねる。


『宗二殿の考えはまとまったのござろうか、その【塩】の件がどのように宗易殿の利につながるのか、また、気になったのが宗及殿の名も聞こえ何やら宗易殿との間に緊張感があるように聞こえましたが、差し支えなければそのあたりも含めて宗二殿の考えを聞かせてはもらえまいか?』


『あくまでも私めの想像の範囲のお話しでよければ、お話しさせていただきますがよろしゅうございますか、堀様』


『構いませぬ』


『では、その前にですが堀様は塩はどのようにして手に入れることができるかご存じでございましょうか?』


『ふむ・・・海水からか・・・もしくは岩塩と呼ばれる岩ですかな』


『その通りでございます。播磨という国は海水から水分を蒸発させ塩を取り出すための場所、これを塩田と呼びますがこの塩田に適した海岸線を多く持っており良質な塩を多数産出する地なのでございます。何ゆえにこのような事を話すのかと思われましょうが、堀様、改めてお考えくださいませ。人は生きてゆく為には水と塩がなければ生きてゆくことは叶いません・・・』


『あっ!!』


 宗二は、堀の様子に満足したように頷くと


『お気づきになられたようで・・・さようでございますよ堀様。【塩】は人が生きてゆく為には無くてはならぬ物でございます。商人にとって唐や南蛮からの舶来品や鉄砲など派手な利益をあげる物ではありませんが人の生活の上で必需品である【塩】並びにそれに必ず付随する塩物、堀様が先程申された安土への献上品の中にあった干鯛や蛸など、これら塩、塩物の専売権を持つ者は人々の生活の喉元を押さえているようなものです・・・』


『・・・塩 塩物の専売権が宗易殿の求める利であるか・・・その権利、商いの権利を播磨で求めるために羽柴様に援助を・・・なるほど・・・』


『ええ、そして蛇足ながら申し上げますとその塩、塩物の専売権をお持ちで畿内に暮らす人々達の生活を言葉は悪うございますが牛耳っておられる方々がおられです。堀様もよく存じ上げる方々でございますな、フフフ・・・』


『今井宗久殿・・・、津田宗及殿・・・でござるな・・・』


『はい。宗久殿は私めが言うに及ばず堀様もご存じのように織田様から摂津五箇庄の村の塩、塩物の代官職を仰せつけられておいでですし、天王寺屋殿は阿波の国、撫養むやの地に塩田をもっております・・・ここで堀様には知ってもらいたいのですがいかに塩、塩物の商権や塩田を持っておってもそれだけでは商いとしては成り立たないということでございます・・・』


『ん? それはどういうことでござろうか?』


 宗二の話に引き込まれるように尋ねる堀に、楽し気な表情で宗二は答える。


『その塩、塩物を・・・それら想像を絶する大量の塩、塩物を保管する納屋がなくては多大な注文量を受けて捌くことはできないということです。畿内に住まう上は廟堂にお住いの高貴な方々、また堀様をはじめ武家の方々や、更には下々の民たちの食卓に届けるためには生半可な数の納屋の数では補えません・・・ですが、このお二方はそれだけの納屋を所有されておるということでございます・・・織田様が、あの信長公が宗久殿と天王寺屋殿のお二方をあれほど重用されたのは何も鉄砲や貴重な茶器を多数所持しているが為だけではないことを堀様には存じ上げてもらいたく思います』


『・・・初めて知りました・・・これこそ目から鱗が落ちる ということですな』


『フフフ・・・それは重畳にございましたな』


 宗二はそこで言葉を止めると、困惑気味な表情を浮かべ堀にこぼす・・・

                   

『ですが、そのお二方に我が宗匠様は挑まれようとされておるのでしょうな、あれほど私があのお二方にはかなわぬからお止めなされと忠告したのですが・・・堀様のお話しを伺ってから播磨での商権について思いついたわけです。堺衆において、会合衆の中でも別格な財力を持つお二方に挑み、肩を並べるために羽柴様に途方もない援助をし播磨での商権を得ようとする・・・まあ、宗匠様の元々の御家業が塩物の納屋衆であったということも少なからず影響があったのでしょうが・・・』


 口をつぐんだ宗二を堀は暫し見つめていたが、改めて尋ねる。


『宗二殿、よろしいかな』


『あ どうぞ』


『播磨での商権を狙って宗易殿が羽柴様を援助したのは理解しましたが、素人目のそれがしにはあの膨大な銭の量を宗易殿お一人で賄えれたとは思えぬのですが・・・宗久殿や宗及そうぎゅう殿の大店おおだなのお二人ならばあるいは・・・かとおもいますがその点はいかがお考えになられる?』


『私めも、その点が気になっておったのですが・・・おそらく備前衆の協力があったかもしれませぬな』


『備前衆‼』


『はい。小西隆佐殿は堀様はご存じでございますかな?』


『高山右近殿と一緒に安土へ来られた時に、挨拶は致しましたが』


『ふむふむ、同じキリシタンでございますからな』


『ええ・・・』


『隆佐殿は以前から堺に居をかまえられておりまして、会合衆には名を連ねてはおられませんが他の会合衆も面々からも一目をおかれるほどの実力者でございます。ここ数年、羽柴様や宗匠様とご昵懇じっこんになられておいでで、その隆佐殿のご子息が備前の豪商である阿部殿の手代の誰かの養子に入られまして備前岡山において名うての商人になられたと・・・その関係で隆佐殿を通して備前衆も宗匠様の出資に一枚かんでおられるやもと思い至った次第にございます・・・』


『なるほど・・・して、その小西殿のご子息のお名は弥九郎殿と申されるのでは?』


『ほっ! ご存知でございましたか!! 名を小西弥九郎行長殿と申されております』


『しかと話しはしておりませんが、あの高松城から姫路への帰路の途中その弥九郎殿と思われる若者が船の用意をされておりまして、その時羽柴様が何度も弥九郎殿、弥九郎殿と感謝の言葉をかけていたのを憶えておりました・・・』


『そのような事が・・・弥九郎殿がそこまで羽柴様にお近づきになられておられたとは・・・』


 宗二は、そこで一瞬考え込むが直ぐに ハッと目を上げ堀に自分が今気づいた事を述べる・・・


『堀様・・・宗匠様は播磨だけでなく備前も狙っておるやもしれませぬ・・・』


『備前も?・・・それは備前での商権ということでござるな?』


『はい。備前衆に協力を頼むにあたって何らかの利権を約束されたかもしれません。いや、ほぼ間違いなく【塩】【塩物】の商権を取引の条件にされたのでしょう。これは・・・いや・・・途方もないことを思いついたものです・・・本気ですか? 宗匠様・・・』


 話しの途中で驚愕する事態が予想できたのか、宗二は目の前に居る堀の存在にかまわず独白してしまった・・・。


『・・・こ これは失礼を!』


『いえ。それよりも、宗二殿がそれほど驚くような事態とは? そちらの方が気になりますが・・・?』


『これは・・・あくまでも私の憶測でございますが、宗匠様は備前どころか備中,備後、更には安芸までも羽柴様が攻略予定地の全ての地の商権を狙うがために援助を惜しまなかったのかもしれません・・・播磨、備前、備中、備後、安芸、そして周防という瀬戸内に面するこれら山陽の諸国は全て塩田に適した遠浅の浜を持ち、太古からの良質な塩の生産国でございます。はきとした数字で表わされたことはございませんが瀬戸内海を挟み、対岸の阿波、讃岐、伊予の塩の生産量を合わせばこの日の本の塩のほとんどはこの地で生産されていると言っても過言ではないとの評判でしてな、もし、そのような山陽道諸国の商権を手に入れる事態になれば今井殿、津田殿の財力と肩を並べる、いや、むしろ凌駕するやもしれません・・・堀様は、どう思われますか・・・?』


『上様が御健在であられれば、そこまで旨く全ての国においての商権をお認めになるかはともかく、羽柴様からの口添えがあれば何らかの裁定が宗易殿に褒美として下されるの確実かと・・・』


『ふぅーむ・・・少し、話が飛躍しすぎましたかな、フフフ・・・』


『いえ、宗易殿が何ゆえにあれほどの銭の援助の羽柴様にされた理由がはっきりとした次第にござる。商権・・・特に【塩】の重要さは身に沁みました、ハハハ・・・』


 堀は改めて、姿勢を正すと宗二に慇懃に頭を下げる。


『宗二殿、貴重なお話しありがとうございました・・・生野銀山を巡る【銀の流れ】【銭の流れ】ここ一年ほどずっと疑問を抱いておりましたが、今はすっかりと霧が晴れたような気分です』


『いやっ! どうかお顔を上げてくださいませ、堀様!! 私めが話した内容はあくまでも私自身の想像や憶測から申し上げたことでございます。決して鵜吞みにされないように、よろしゅうございますか?』


『はて(・・?) それはいかがでござろうか・・・宗二殿の一言一句、全て金言として記憶させていただく所存ですが・・・』


『いやいや、その儀は、平にご容赦を・・・あくまでも私見にてでございます・・』


『フフフ・・・ハハハ・・・、承りました宗二殿!』


『お人が、悪うございますな、堀様は! フッフフフ・・・』


 二人は顔を見合わせ、暫し哄笑していたが、やがて堀が思い出したように気になっていたことを宗二に尋ねる。


『ところで、宗二殿。先程、羽柴様が旨くいっておられぬせいで焦っておられると申されていましたが、これは如何なることでござろうか・・・?』


『ああ、その事でございますか・・・』


 宗二は、そう言うとじっと堀の顔を見つめる・・・


 堀は、その宗二の様子に不安を覚え、慌てて言葉を足すのであった。


『いや、差し支えなければと、思ったまで。何か不都合があれば無理にとは申しませぬ、悪しからず・・・』


『・・・特別、不都合がある訳ではございませんが・・・これから手前がお話し申し上げる前に一言、お断わりを申してもよろしゅうございますか?』


『かまいませぬ・・・』


 宗二は堀を見つめる視線に力をいれる・・・そして


『不躾で失礼を重々承知で申し上げまする・・・私めこと、堺会合衆の末席に連なる山上宗二は、今の今、堀様に、堀様の存在に【利】を見出みいだしておりまする!!!』


『うん⁉ うむ⁉ 』


 宗二の思いがけない言葉に驚く堀の表情を見て、宗二は穏やかな微笑を浮かべると真摯しんしな口調で言葉を継ぐ・・・


『驚かれておいでのようですが、ご安心くださいませ。かと言って堀様に私めの商いの件で何かしてもらおうとは、この山上宗二は決して思いませぬ故に・・・』


 宗二の言葉を頭の中で反芻はんすうしながらその意味を探ろうとしているのか堀は小首をかしげて考え込んでいる・・・


 宗二はその堀の姿をつぶさに眺めながら感想抱く・・・


(なるほど・・・故信長公が寵用ちょうようされるだけの人物である・・・)


 宗二は、本日ここまでに至った秀吉との対決の情景などの出来事を振り返り、堀の人物像が目の前で明らかになり評価が一変してしまったことに対し、ほど良い快さを感じ始めている・・・


(この方の目元の涼しさや、時折ふと見せる凛々しさは本人は気づいてはいないのであろうが、万人から信を置かれる理由となっておるのであろう・・・フフフ、かく言う自分も今日、堀様の魅力の虜になってしまったのだが・・・いや、心地よい・・)


 堀は宗二がそんな感想を抱いてるとは露も知らず、ややあってから応じる。


『宗二殿、それがしのどの部分に【利】を見出されたか分かりませぬが、宗二殿の申された意をくんでやはりお話しを伺いたいと存じる・・・少し怖い気もしますがな、フフフ・・・』


『重ねて申し上げまするが、堀様に何かしてもらおうとは決して望みませぬ・・・いえ、・・・言葉を翻すようで申し訳ございませぬが、ただ今後は、私めの茶席にお呼びしてもよろしゅうございましょうか・・・?』


『ハハハ・・・前言を舌も乾かぬうちに翻されましたな宗二殿。フフフ・・・無論でござる、それがしの方からも改めて宜しくお願い申し上げる』


『これは、嬉しいお言葉を頂きました! 感謝、致します‼』


『何か、大仰な感じもしますが、では宗二殿、お聞かせ願えますかな?』


『承りました。それでは、早速ですが何ゆえに羽柴様が自身の周りの状況に満足を覚えず旨くいっておらぬと焦りを感じておられるのかと・・・その理由となる事の発端は、阿弥陀寺の清玉上人様との確執にございました・・・』


『清玉上人様との確執⁉』


『はい、さようでございます』


『・・・詳しくお聞かせ願えますか・・・?』


 事態の重さを感じた堀が、緊張感を漂わせ宗二に尋ね、それに応じようと宗二が口を開きかけたその時、部屋の外の縁側を調子よく踏み鳴らす音が近づいてくるのが二人の耳に入る・・・そして、


『御免、失礼致す!』


 声と同時に障子を開けた秀吉が笑みを浮かべながら堀を見つめる・・・


『お待たせ致しましたな、堀殿!』


((あっ⁉))


 宗二と堀はその秀吉の出で立ちに、同時に目を見張る・・・


 二人の視線の先には正装の装束を身に着け、髷も涼やかに結われ鬢のほつれも綺麗整えられた秀吉の姿があった・・・




 











 



 



 


 













 









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