第17話 海蔵寺での邂逅 堀 久太郎と柴田 源左 Scean14

『大谷殿、おもてをあげられよ』


 堀は真摯に頭を下げる吉継に穏やかに言葉をかける。


『私は、池田様の軍勢が動く事を事前に知っておったのですよ』


『えっ⁉』


 驚いた表情で顔を上げた吉継に堀は続ける。


『宝寺において最後の軍議が行われた後、それぞれが自軍の元に戻る途中、先を行く池田様が私のもとに戻られてこう申されたのだ・・・』




               ☆★☆




「久太郎よ、わしは戦が始まれば川沿いの道無き道を抜け敵方の備えの薄い左翼を突き、そのまま明智が本陣のある勝龍寺城まで攻め入るつもりじゃ・・・我が軍勢の後方に位置するおぬしが動揺せぬよう伝えておこうと思ってな・・・」


「・・・【中入れ】にございますな? しかと、心得申しました」


「うむ、迷惑を掛けるが宜しく頼む。明智方との主戦場である街道筋の後詰はおぬしに任せる、“進むも、退くも滝川” と称された一益殿直伝の戦場でのそちの差配、期待しておるぞ!」


「はっ!」


此度こたびのこの戦、わしが殿の仇を獲らずに誰が獲るというのだ!!」


「・・・」


「物心がついた時からわしは殿の乳兄弟として常に殿のおそばにはべっておったのだ・・・わしの耳には殿のお声がずっと残っておる・・・クッ!!」


 恒興は慕情に耐え切れなくなりクッっと空を見上げる・・・


「幼少の頃であった・・・わしが役目であった毒見と称して殿の口に召される食べ物をわしが殿より先に食べた時、怒った殿がわしを折檻しながら『勝三郎!!また、わぬしは、俺の食べ物を先に食いおったのだな!! 許さん!! 許さんぞ、勝三郎!!!』・・・幼かった殿がわしを折檻しながら怒った声・・・『𠮷乃を娶ったぞ、勝三郎!!』 吉乃様を娶ることを大殿の信秀様から許しを得た時のあの照れながらも嬉しそうにわしの名を呼ぶ声・・・『勘十郎の件、母君に伝えに行く・・・供をせい、勝三郎・・・』 殿の弟君であった勘十郎信行様を殿が誅殺なさった後、お二人の生母である土田御前様のもとに向かわれる時に辛そうな悲しい声でわしの名を呼ぶ声・・・『勝三郎!!!・・・ 勝三郎!!・・・ 勝三郎・・・』 怒った声

嬉しそうな声 悲しい声 ・・・殿のお声が・・・クッ・・・あの殿のお声が・・ククッ・・・今でも聞こえるわ、クッ・・・ウグッ クッ・・・」


 恒興は天に顔を向け暫しの間、嗚咽を上げる・・・降り出した雨が恒興の頬を涙と共に濡らすが身じろぎもせず天を向く・・・やがて、恒興は無造作に顔を手でぬぐうと


「殿が亡くなったという事・・・未だに信じられぬ・・・。まだ・・・まだ気持ちが整理できておらぬ・・・。だが、現に今、目の前で明智が軍勢が我らと戦う姿勢を見せるという事は・・・殿を・・・弑したのであろう・・・な」


「・・・」


「久太郎、わしはこれから修羅の道に入る。明智が首を獲るわしの邪魔をする者は全て敵じゃ、わしより先に陣張りしておる味方の高山や中川であってもわしの邪魔をすれば容赦せぬ・・・重ね重ね迷惑を掛けるやもしれぬが、すまぬな、久太郎・・・では、参る!」


「ご武運を!」


「うむ」




                ☆★☆





『そ そのような、お話しがあったとは・・・存じませんでした・・・』


『事前に池田様より知らされておった私は狼狽もせずただ部隊を前に進めただけでござる。ですので大谷殿が感心されるような事では無かったのですよ。そして、勝手知ったる兵でなく加勢の兵を指揮する事に対する不安は無かったのかとの問いでござるが、不安が無かったと申せば嘘になりますな・・・されどその時分の私はそこまで深刻に不安を覚えてなかったと・・・』


『どうしてで、ございましょうか?』


『経験・・・ですかな』


『経験で、ございますか?』


 好学の徒のように、瞳をキラキラさせながら自分に質問する吉継の真摯な表情を好ましく思った堀は丁寧に答える。


『大谷殿は、存じられてないと思うが私は上様に命じられて小身ながらも加勢の兵を数千を率いる合戦を幾度も経験しておりましてな、紀伊雑賀討伐の戦い、荒木村重殿謀反の有岡城での戦い、伊賀の乱での戦いと大きな合戦ではいつも加勢の兵ばかり指揮しておったのですよ。その経験が・・・大きかったと私は思います』


『そうで、ございましたか・・・』


『ですが、さすがに疲労困憊の兵を預けられたのには正直、困ったと思いましたがなハッハッハッ・・・』


『・・・』


『その時分の心境という事でしたが、私は当時は戦線の維持に努める事だけ心掛けておりました。お味方の軍勢が崩れそうになりそうなら直ぐに加勢に行けるよう戦場をよく見ておりました。そして配下の将士達には自分が叫ぶ、進め 留まれ 退け その声に応じて動けと 声が聞こえぬなら我が馬上の姿を見ろと・・・それだけを守れと命じただけです』


『進め 留まれ 退け ・・・で、ございますか』


『ええ、それだけです。俄か編成された部隊の士卒に巧緻な動きを求めるのは無理というものです。更に申せば士卒にしても急に自分達の将となった人物をどこまで信用してよいか、判断する材料がない。乱戦となればその不安を少しでも払拭するには将は常に士卒の目に映る場所に居て彼等を孤軍にさせてないと自らの立ち居振舞いで存在を示さなければならない・・・それが私の心持 心境でござった・・・』


『なるほど・・・そういったご心境であの時に臨まれておったのですね・・・』


 頷きながらいたく感心するふうの吉継に堀は自嘲気味に笑いながら続ける。


『フフフ、さりながら大谷殿、こう申す私の言葉は全てある方より戦場で教えていただいた言葉の受け売りなのですよ』


『はっ? そうなのでございますか?』


『ええ』


『どなた様からのお言葉だったのでしょうか?』


『左近様です』


『左近様といえば・・・ああ、滝川一益様! 進むも 退くも滝川・・・そうでしたか、あの滝川様からの・・・』


『私が戦場での心構えを教えてもらったのは左近様です。私の本格的な初陣となった越前での一向宗との戦いから始まり、一部隊の将として初めて出陣した紀州雑賀攻め、初めて鉄砲隊の指揮を任された有岡城の戦い、そして一方面軍の指揮官として初めて臨んだ伊賀の乱での戦い・・・これらの戦ではいつも左近様も同じ戦場に立たれておりました・・・今、想えば亡き上様の御配慮だったように思われます・・・一兵卒としての戦場での心構え、そして将としての心構えのいろはを左近様はふらりと現れては私に御教授してくれてくださいました・・・ああ、これは失礼致した。余談が過ぎましたな、ハハハ・・・』


『い いえ、左様なことは・・・』


 吉継は言葉の端々に一益に対する敬意を漏らす堀を羨ましそうに見つめながら答える。


『されど大谷殿、貴殿もお近くには古今稀な名将の筑前守殿がおられるではないか、戦場での心構えなどは筑前殿からいろいろ御教授されておられるのではないか?』


『はい、殿からはそれはもう』


『それは、重畳ちょうじょう。して、大谷殿が私に聞きたかった事に対しての答えはこれで宜しかったか?』


『はい、ありがとうございまする。堀様のお言葉、お話しの内容、今後それがしの戦場での心構えとしての金言として頂戴仕ります!!』


『それほどの話しではないと思うが・・・フフフ・・・では、参ろうか』


『はい、では御案内させていただきます。よっし、堀様とのお話し、佐吉の奴に自慢せずにいられようか、フフフ・・・』


『うん?』


『いえ、何でもございません。さあ、こちらへ!!』





            ~~~~☆ ☆ ☆~~~~





 人ごみに沸く黒門を抜け、吉継に先導され堀一行は見事な山門に驚きながらも黙々と秀吉の待つ寺の境内へ向け黙々と歩く・・・にわかに斜面がきつくなったと堀が感じた頃、目の前にいかにも急ごしらえといった物見櫓が山道の両端を跨ぐように建っているのが視界に入る・・・


(ほう・・・これは、美しい・・・)


 堀は、ふと櫓の柱の足元に生える苔の群れを見つけ、感嘆する・・・


(薫は大原三千院の苔がお気に入りであったな・・・)


 堀は、弱視で目の不自由な自分の妻が一生懸命顔を苔に近づけその様子を見ようとしている姿を思い出す・・・薫は境内一面に生える苔を愛おしそうに優しく撫でながら嬉しそうにしていたことを・・・


(また、連れて行きたいものだ・・・)


 その時、すうっと、堀の横顔を冷たく心地よい風が触れていく・・・


(うむ、心地よい・・・)


 山腹を登り、少し火照った体を癒してくれる風に暫し身を任せる・・・


 堀は山道の両端を囲むように風にそよぐカエデの葉に視線を移すと


(あと、一月ほどもすれば紅葉が見事になるのだろうか・・・)


 振り返り、眼下に映る街道に目を留める堀は、この二月後に同じこの道を北陸から訪れた柴田勝家与力である前田利家や金森長近、不破勝光らがこの道を登り美しい紅葉の景色となった同じ場所の風景を眺めるなど想像すらもしていない・・・


『あっ! 佐吉!!』


 先を行って自分達を待っていた吉継の声が上がる。


『狡いぞ、紀之介! 抜け駆けしおって!!!』


(佐吉? 先ほども大谷殿の口から聞こえた名であったか・・・)


 堀は、声を上げた吉継の方へ視線を向けると、身なりのよい若者が腰に両手を添えて前屈みになりながら早足で近づいてくる姿が見えた。


『いやぁ~、すまぬな佐吉。殿のお役目ご苦労であった』


『何が、すまぬじゃ! 俺に殿の用事を全て放り投げおってからに!! よくもぬけぬけと!! 俺がどれだけ堀様と話がしたかったか、おぬしはよおく知っておったろうが!!!』


『ハハハ、すまぬ すまぬ。急な来客で殿に御用を言いつけられそうになったからのう、つい抜け出してしまった、ハハハ』


『き 貴様という奴は!』


『すまぬ すまぬ、その件については後程しっかり謝罪するゆえ勘弁してくれ』


『ゆ 許さんぞ! 紀之・・・あっ⁉』


『うんそうじゃ、堀様をご案内してきた。挨拶が先であろう・・・フフフ・・』


 佐吉と呼ばれた若者は自分達を見上げるように山道の斜面に佇む堀達の存在に気付くと、慌てて様子を正し堀の下に駆け寄り、堀の視線を見下ろすことなく下から見上げる位置に立つと慇懃に頭を下げる。


『お見苦しい姿をお見せして申し上げございませぬ。それがし羽柴筑前守が家臣、石田三成と申します。此度こたび堀様のご案内を主である筑前守より言い仕っておりまする。お供の方々には休息所への案内と、お連れになった馬達にも十分なかいばと水を与えるよう命じられておりまする。ご不明な点があれば何なりとそれがしにご申しつけてくださいませ』


 堀は、自らの立ち位置にまで咄嗟に気を配る三成の行き届いた姿勢と口上に感心しながら三成の口上に答える。


『ご丁寧なお申し出、かたじけない。石田殿と、申されたな?』


『はっ?』


『貴殿は確か、あの備中高松城に私が赴いた時に私の参陣の報告を羽柴殿に申し継ぎをしていただいたのではないか?』


『はっ、その通りでございます! あの折の事、また堀様が私の事を憶えていただいた事とても嬉しく思いまする』


 両頬を紅潮させ応じる三成の姿に微笑ましく思った堀は更に三成に尋ねる。


『石田殿もまた、大谷殿と同じく羽柴殿の・・御取次衆でござるか?』


 少し、御取次衆という言葉に引っ掛かりながらも堀は穏やかに尋ねる。


『はっ、非才ながらも殿から御取次衆の御役目を仰せ付かっておりまする』


『そうでござったか・・・余計なお世話かもしれぬが、励まれよ石田殿』


『ありがたき、お言葉にございまする。堀様からの励ましのお言葉、決して忘れませぬ!!!』


『いやいや、そこまでの言葉ではないと存ずるが・・・』


『いえ、大切にさせていただきます。あっ! 堀様、我が主もそうですが、先着されたお客人様も堀様をお待ちしております。早速でございますが、取り急ぎ案内させていただいても宜しいでしょうか?』


 慌てて、急ぎこちらに参った理由を思い出した三成が堀にお伺いをたてる。


『うん? 先着されたお客人様とな? いったいどなたが私を・・・』


『はっ、本願寺の下間頼廉しもつま らいれん殿にございます』


『頼廉殿が⁉』







           ~~~~★ ★ ★~~~~






(頼廉‼ 下間頼廉だって!!?)


 奏司は三成と堀との会話で飛び出した人物の名に驚愕する・・・


(なんで、この時期に頼廉が山崎宝寺城に来てるんだ??? 頼廉といえば大坂石山本願寺の事実上の宰相だった人物じゃないか・・・法主である顕如を頂いてあの時勢の波に乗る信長率いる織田家を向こうに回して十年という長い歳月戦った・・・その石山本願寺の政略、軍事と実質指揮していた大物だぞ・・・その頼廉がなぜこの時期に??? そして堀を待っていただって!!? いやいや、待て待て・・・頼廉が堀と旧知だった⁉ 本当か??? 驚いたなぁ・・・本当に・・・。まあ、とにかくだ続きを早く 早く!!)





           ~~~~☆ ☆ ☆~~~~  





『よう、来られた、久太郎殿! 待っておったぞ!!』


『はっ、羽柴様もお元気そうに見受けられ何よりでござる』


『カッカッカッ!!! わしは昔から元気だけが自慢でのう、ハッハッハ!!!』


 そう言うや堀と秀吉はお互いの視線を絡ませ合う・・・


(この御仁・・・また大きゅうなったか・・・?)


 堀は、つい一週間程前にも会っているにもかかわらず小柄な秀吉の発する威圧感が更に強くなったことに戸惑うのであった・・・そしてその気持ちを打ち払うよう冷静に切り出す。


『本堂横の真新しい三重塔、見事でございますな。三月前の合戦の折には見受けられなかったと存じますが?』


『フフフ、見事であろう? あれはこの山崎での明智との戦の勝利記念としてここの境内に建てさせたものじゃ、カッカッカ!!!』


『そうでございましたか』


 堀は秀吉の言葉に真に感じ入ったという風体で応じると、やがて秀吉に対し目配せで少し会釈をし、秀吉の横に座る僧形の男に視線を移す・・・


 秀吉は堀の仕草の意味を受け取るや傍らに座る僧に声を掛ける。


『さて、わしは後でゆっくりと久太郎殿と話しをするとして、横に居る御坊がいまか、いまかとわしを急かすよう見られておるのでな、カッカッカ!!』


『御冗談が過ぎますな、羽柴様。拙僧こそ羽柴様、久太郎殿の会談に突然の乱入者にございますから、決して急かしてはございませぬ、フフフ・・・いずれにしても羽柴様のご配慮、かたじけなく存ずる』


 その僧は、穏やかな微笑みたたえるや堀に向かって語りかける・・・


『久太郎殿、一別以来でございますな、お健やかそうで何よりじゃ・・・』


『頼廉殿もお変わりなく、いや、むしろ一層元気にお見受け致しますが・・・』


『ホッホッホ・・・そう久太郎殿には見えますか? これはよほど紀州の水や食事が合うのやもしれませぬな、フフフ・・・』


『紀州といえば、鷺森さぎのもり別院でのお暮しは不自由はありませぬか?』


『お気遣い、ありがとうございます。大坂より退去してから早、二年と半年も過ごせば宗主様(顕如)もいたく別院での暮らしがお気に召した御様子でしてな、遠出が出来ないこと以外は何不自由せず暮らしておりますゆえご安心くだされ』


『そうですか、また何かあれば直ぐにお申しください。もっとも、私が御協力できることであればですが・・・』


『ありがたい、仰せですな・・・感謝いたします。 されど紀州鷺森での暮らしはあの大坂での十年戦争の事を想えば天国のような穏やかさでありますゆえ御心配なきよう・・・ですが、ひょっとしたら久太郎殿のご厚情に甘えるやもしれませぬ。その時にはご配慮をお願い致すやもしれませぬ』


『心得申した・・・』


『いずれにしても、宗主様、拙僧も含めてもうあのような血生臭い戦はこりごりだと・・・純粋に仏の道を究め、御仏みほとけことわりを説くだけの生活を普通に過ごしたいと・・・思うております』


 頼廉はそう言いながら秀吉の方へ視線を向ける・・・


 秀吉はその視線を受け、何やら苦笑いを浮かべるのだが・・・


『それはそうと久太郎殿、拙僧は貴殿にお礼を申し上げなくてはとずっと思っておりました』


 何やら秀吉の表情に満足したのか頼廉はまた堀に語り掛ける。


『お礼・・・でございますか?』


『ええ、今から三月ほど前の明智が騒乱がために拙僧が偶寺である善行寺の寺領に対する御禁制の書状を発して頂いた事です』


『善行寺・・・確か、岐阜 おもての 件でござったか?』


『さよう、美濃にある善行寺は拙僧にとって大切な岐阜表の偶寺の一つであり、かの騒乱のみぎり寺領が荒らされて困っておったところ、拙僧の急な願いを聞き届け、久太郎殿自身が忙しい最中にもかかわらず速やかに御禁制を発してくれた・・・おかげで被害も最小限に食い止められて本当に助かりましたぞ。この通りじゃ・・・』


 頼廉は形の良い頭を堀に向かって深々と下げるのであった・・・。


『頼廉殿、お顔を上げられてください』


 堀は、頼廉が顔を上げるのを認めると


『善行寺の御禁制発状の件、私だけの功ではございませぬ! 非力なそれがしだけでは収拾がつかぬと思い、そちらにおわす羽柴様、また丹羽様の御連署を頂いて始めて効力をもたらした物でござる。それ故、頼廉殿が本当に感謝の言葉を申し上げる方はまずは、羽柴様と存じますが』


『うん⁉』


 不意に堀と頼廉に見つめられた秀吉は、キョトンとした表情をする。


『羽柴様の奥ゆかしさよ。功を誇らぬ御謙遜も宜しいが、それならそうと拙僧にお話しして頂ければすぐにでもお礼を申し上げたものの・・・』


『いや、いやいやお待ちくだされ頼廉殿。岐阜の善行寺と申したか久太郎殿?』


『はっ』


『・・・お恥ずかしい話しだが、その善行寺の御禁制の署名・・・今の今まで失念しておったわ・・・何せ当地での戦の後、戦後処理に追われて御禁制発状の署名を何通致したか憶えておらぬ。恐らくは、丹羽殿もまたそうではないかと思うがのう。たまたまわしや丹羽殿が善行寺の御禁制に連署したのは我らに久太郎殿が働きかけた結果がもたらしたと・・・わしは思うが?』


『例えそうであったとしても御助力頂いたのは事実でございますから、やはり改めてお礼を申し上げます』


 頼廉が改めて頭を下げると


『面てを上げられよ、頼廉殿。先も申したが善行寺御禁制の発状の件、わしは忘れておったのだ、実際に実務をしたのは堀殿よ。あまりそこまで丁寧に頭を下げられるとこそばゆくなるのでな』


『ですが・・・』


『ハッハッハ! よいよい。わしの事より久太郎殿にまた何かお礼を致せば宜しかろうて、カッカッカ!!!』


『羽柴様がそこまで申されるならば、何か久太郎殿にお礼を・・・』


 頼廉はそこで暫し考える風情であったが、


『久太郎殿にお礼と言えば、そうであった! 久太郎殿』


『はっ』


『宗主様がそなたに戒名を贈りたいと仰せでな』


『宗主殿が、それがしに戒名を・・・⁉』


『ほぉ~・・・顕如殿が久太郎殿にのう・・・』


 頼廉の思いがけない言葉に驚く堀と感嘆の声を上げる秀吉である。


 ニコニコと笑みを浮かべる頼廉に堀は心の動揺を隠すように平静な口調で尋ねる。


『頼廉殿お聞きしたいのですが、何故、それがしに宗主殿が戒名をと仰せなのでしょうか?』


『お礼であらせられますぞ、久太郎殿』


『お礼・・・で、ございますか?』


『ホッホッホ・・・腑に落ちぬと、言った表情ですな』


『いかにも。それがしが宗主殿にお礼を贈られるような事をした記憶がありませぬ故に・・・』


 頼廉は困惑する堀の様子をじっと見つめていたがやがて


『・・・なるほど・・・そういうところが、そなたの美徳であるか・・・』


 頼廉は姿勢を正すと更に続ける・・・


『久太郎殿は気づいておられぬようだが、貴殿は途方も無い仕事をやり遂げたのすぞ。信長公より命じられてそなたは、我ら本願寺との和平交渉を請け負われ幾度か大坂へ足を向けられましたな・・・十年に及ぶ戦争によって織田家に対する怨讐渦巻く大坂の地へ・・・。いかに帝からの講和の勅命を受けたとはいえ、そう簡単に織田家に対する怨讐が消えることはありえませんからな・・・。本願寺派宗主として織田家に対し冷え切った感情しか持たなかった顕如様の御心を溶かしたのがそなたからの書状であったのですぞ・・・』


『・・・』


『・・・』


 口を結び、真剣な表情で耳を傾ける秀吉と堀に頼廉は手にした扇子で数回扇ぐと


『九条流摂家の総帥、先の内大臣、関白様であった九条稙通くじょう たねみち様の猶子であった顕如様は講和を勧める猶父である稙通様の書状に添えられた【添え状】を読まれたあと我等にこうお尋ねになられた・・・』


「この【添え状】を書いて寄越した堀 久太郎 秀政 とは、いかなる人物や?」


『それが、始まりにございます。その後、紆余曲折がありながらも本願寺と織田家の間で講和が結ばれいよいよ大坂から退去となってからも講和になったとたん書状も送らぬよう冷淡な態度を取る織田家の中で堀殿、久太郎殿だけが本拠地を明け渡した我らに温かい気遣いをしてくれました・・・そして幾何回かの書状の遣り取りを経て久太郎殿とお会いなされた顕如様は殊の外そなたのことをお気に召されたようで次に会われる機会を心待ちされる御様子だったのですよ・・・宗主様にとって困難な時期から、さらなる苦難な時期も変わらずに自分達のことに心配りをしてもらった久太郎殿の厚情に感謝の意を贈りたいと思われるのも無理はありますまい・・・それで、この宗主様御自らという特別な生前戒名の授受という意向を我等にはかられたのだと拙僧は愚考致しております・・・いかがかな、久太郎殿・・・?』


『・・・頼廉殿、宗主殿からの仰せ・・・御自らの生前戒名の授受とは・・・あまりにも法外な賜り物にございます。この場ですぐお受けするとはとても申せませぬ、暫しお時間をくだされ、必ずや御返答仕ります・・・』


『構いませぬ。拙僧も正式に久太郎殿宛てに正式に案内も取らずいきなり先走って口上した次第ですから。ですがなるべく宗主様の謝意を酌んでいただければと・・・』


『承りました』


 頼廉は堀の言葉に満足したかのように頷くや、上座に座る秀吉に体を向け


『羽柴様、主家である織田家に対してお聞き苦しい表現の言葉を述べたこと、平にご容赦を。また、拙僧の長の一人喋りを許していただき誠にありがとうございまする』


『なんの、こちらこそとても興味深いお話しが聞けて感謝しておるぐらいじゃ』


『本日は、突然の訪問にもかかわらずご丁寧に歓談いただき重ね重ねお礼を申し上げます。羽柴様も、この後堀殿とお話しがあられるようですから、拙僧はこれにて辞させていただくことに』


『うむ。本日この地に立ち寄られた頼廉殿の申し出の件、山城の領主であるわしには全く異存はない。さりながら他の宿老の方々にも事前に図っておかぬといかぬでな、暫し時間を下され。おそらくは、良い返事が致せるであろうに』


『はっ、ありがたきお言葉にございます。お手数をおかけしますが宜しくお願い申し上げまする』


『承知した。それと・・・』


 そこで言いよどむ秀吉・・・


『・・・宗主殿、いや、顕如宗主様と呼ぶべきか? わしからもくれぐれ宜しくお願い申し上げるとお伝えくださらぬか頼廉殿!』


『・・・承りました。必ずやお伝えいたします』


 頼廉は秀吉に答えるときれいな所作で立ち上がり、そして自分を見上げる堀に


『久太郎殿、そなたもお忙しい身なれどまた鷺森まで足を運ばれませ。宗主様もお喜びになられるであろうからな・・・』


 と、声を掛ける。


 堀もその言葉に応じるようにスクッと立ち上がるや


『事前にご連絡の上、お伺い致します』


 頼廉に会釈を返す・・・。


『よきかな、よきかな、ホッホッホ・・・おお、そうそう、そなたの従兄弟殿の事もそなたの耳に入れたい事がありましたぞ!』


『六右衛門が、何か・・・?』


 頼廉は堀の問いにコクンと頷くと、振り返り秀吉に許しを請う。


『羽柴様、申し訳ございませぬが堀殿を少しお借りしてもよろしいでしょうか?』


『うん? 別に構わぬが・・・』


『かたじけなく存じます。堀殿の従兄弟殿の件で、内々に伝えたい事がござってな・・・この場では、少々・・・』


『おお、そうであるか。わしの方には異存はござらぬ、久太郎殿さえ良ければ・・』


『では、私めが頼廉殿をお見送りさせていただきましょう。お話しは、その途中で』


『かたじけない・・・。羽柴様、それでは拙僧はこれにてご無礼仕ります・・・』


 座したまま、秀吉は鷹揚に頼廉に応ずる・・・。


『見送りは、久太郎殿にお任せ致すので頼廉殿、わしはこの場でお別れ申す』





 上座に座る自分に目礼をして部屋から出ようとする二人の後姿を秀吉は見つめていたが二人の姿が視野に消えると独り言をこぼす・・・。


(堀久太郎・・・秀政・・・)


『ふうぅーーーー』


 秀吉はため息を一つ、つく・・・


 小首を傾げ、左手の人差し指、中指で眉間を押さえながら先程の会話の情景を思い出すのであった・・・やがて、そのままの姿勢で憂いを含めた低い口調で呼びかける


『佐吉は、ある』


『はっ。三成は、おんお傍に!』


 秀吉の召しに、佐吉と呼ばれた石田三成が、そそと傍らに近づく・・・。


『今の話し、聞いておったか・・・』


『一部始終・・・』


『・・・で、いかが思った・・・』


 三成は少し考える風情で下を向いたままであったが、考えがまとまったのか秀吉に答える・・・。


『堀様と本願寺との関係が、あれほど親密だったとはつゆにも思わぬ事にございました・・・驚きでございます・・・』


『ふむ・・・で、あるなぁ・・・。他には何か感ずるものはないか?』


『・・・申し訳ございませぬ。会話の内容に圧倒され、今、思い出されるのは其の儀ばかりでございます・・・』


『・・・』


『殿・・・』


『・・・』


『殿っ!』


『・・・、是非にも・・・欲しいのう・・・』


『はっ⁉』


 秀吉は三成の呼びかけにも上の空といった様子であったが、コホンっと咳払いをすると


『三成、宗二そうじ殿は戻られたか?』


山上やまのうえ殿なれば、先程お戻りになられたよしにございます』


『それは重畳。ならば、別室にて茶の準備をしてもらうようお願いしてまいれ。堀殿をもてなすのじゃ、その旨伝えるのだぞよいな』


『はっ、承知致しました!』


 きびきびと動く三成の姿を見ながら秀吉は先程からの考え事を思い出す・・・。


(三成も気づかなかったか・・・まあ、無理もないかのう・・・。久太郎と本願寺の関係、顕如が久太郎に生前戒名を贈るというのも驚いたが今日一番の驚きは頼廉の口から出た、本願寺との交渉の場であの九条閥の摂家の総帥、九条稙通様の書状に久太郎が【添え状】をしたためておったという事実じゃ!!!・・・何故・・・何故にじゃ・・・? 九条家と久太郎・・・いかなる関係であろうかのう・・・)






           ~~~★ ★ ★~~~





(あの本願寺顕如から、戒名を贈られる⁉ はぁ・・・久太郎さん、いったいあなたは何者だ????)








 




























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