第15話 海蔵寺での邂逅 堀 久太郎と柴田 源左 Scean12

(いや・・・知らなかった・・・堀がここまで九条閥の摂家と繋がりがあったとは)


 奏司は今、耳にした東福寺での回想シーンを思い出して改めて驚くのであった。


(九条家の【矜持】かぁ・・・確か同じ言葉を使ってたね・・・)


 奏司はそうつぶやきながら、この時期の堀の時代から約三百年後の幕末戊辰戦争時代の仙台において起こった事件を思い出す・・・。


(「奥羽鎮撫総督」となり、奥羽諸藩と対話により戦火を避けようと腐心した九条道孝・・・彼は薩長の率いる維新政府の名代となり奥羽諸藩において最大の国力を誇る伊達藩の居城のある仙台に赴いていた・・・そこで彼に付けられていた参謀、長州藩世良修蔵の居丈高な仙台藩に対する態度に業を煮やしてこう言ったという・・・)




                ☆★☆




「余は、奥羽に戦いをするためにこの地に赴いたのではない! 奥羽鎮撫、慰撫のために総督となってこの地にあるのだ。それを、そこもとは、維新政府の権威を声高に恫喝するように言うだけでそれどころか、そこもとは奥羽は皆、敵である時あるごとに吹聴しておる。これでは対話にもならぬ!! そこもとは余の参謀としては不適であるゆえその任を解くつもりじゃ、不満か? 何なら余が直接、木戸に問うてやるが⁉」


(直接面罵され、不穏な雰囲気を漂わす世良を見て堪り兼ねたように同僚の参謀であった薩摩の大山綱良が身を挺してその場を収め、世良が退室したのを見図って道孝にそっと尋ねる・・・)


「道孝様・・・少々 お言葉がきつうございましたな・・・?」


「まあ、確かに・・・だがあの者の態度、腹に据えかねるわ! 権威を笠にして許しを請おうとする弱者に対する態度ではないわ、余の【矜持】! が許さぬ!! 格之助、そなたも薩摩の者なら解るであろうが・・・」




                ☆★☆




(世良は、道孝の【矜持】の逆鱗に触れた数日後、世良自身の態度や姿勢に激高した仙台藩士に惨殺される・・・この事件を契機に奥羽諸藩は反薩長を掲げ奥羽越列藩同盟へと進むに至る・・・。そしてその道孝は奥羽越列藩同盟に対し理解ある対応を取ろうとしたためか、列藩同盟が輪王寺宮を盟主として戴く反薩長を掲げる幻の東北王朝において太政大臣に就くよう仙台藩より要請があったという噂がまことしやかに流れるんだよな・・・。更にこの時期より少し後、激戦区となった越後方面には大和鎮撫総督の任を経て新たに東北遊撃軍将として久我通久こがみちつねが奥羽鎮撫総督の九条道孝を援けるために海路越後に足を踏み入れるはず・・・時代が数百年変わっても・・・またしても九条家とあの久我家かぁ・・・うーん・・・歴史は紡がれるねえ・・・)


 奏司は一人、感に堪えないといった表情でつぶやく・・・。


(あっ! いけない、いけない・・・つい違う時代に思いが・・・)


 奏司は、慌てて思い出したように目の前に佇む堀と源左の姿に注目する。


(うん、兼定とお雪さんのロマンスもとっても気になるけど・・・やはり一番に知りたいのが堀の身体の具合だ! 一条内基さんが口にした竹田法印先生・・・あの五郎左長秀の検死をした人物だ。その法印先生が堀の主治医???・・・この小田原滞陣中の堀の健康状態が実際どうだったのか、謎に包まれている堀の急死の原因がわかるかも⁉ 叶うならば、二人の口から是非にも聞きたいものだが・・・おっ! 続きが始まりそうだ・・・)





  ーーーーーーーーーーーー☆☆☆ーーー★★★ーーーーーーーーーーーー






 (チリィ~ンン~~  チリィチリ~~ンンン~~~)




「昭実様は・・・久殿と御歳はそうかわらないのでしたかな?」


「昭実様は弘治二年(1566年)のお生まれと聞いておりますので私の方が三つほど年配になりますか、まあ、ほぼ同世代でと言っていいでしょう・・・それが何か?」


「昭実様は、お元気そうでございましょうな・・・?」


「ええ。東福寺でお会いした時も、すこぶるお元気そうに見えましたが・・・」


「さようでございますか・・・」


 源左はそう受け答えると目を細めじっと堀の顔を凝視する・・・。


「源左殿・・・いかがされた・・・?」


 堀はその源左の様子をいぶかしそうに尋ねる・・・。


「久殿は・・・今、幾つになられる・・・?」


「三十八になりますが・・・」


「となると・・・昭実様は三十五歳でございますか・・・気力、体力、十分な男盛りの年齢でございますな・・・普通で・・・あれば・・・」


「源左殿・・・」


「先程の内基様のお話しに出た竹田法印殿の一件・・・久殿のお身体を心配しておったように感じられましたが、実際のところ久殿のお身体の具合はどんな状態でござるかな・・・」


「いや、たいした事はない  」


「久殿・・・」


 珍しく自分の言葉の途中で遮るように強く自分の名を呼ぶ源左の強い言葉尻に堀は驚きながらも源左の視線を受け止めていたが・・・やがて、観念したように目を伏せる・・・。


「・・・」


「久殿、家中の者にはばかってお身体の具合の状態を悟られないようにしておられたのは、それがしにも十分理解でき申す・・・」


「源左殿・・・」


「それがしに、どうしても明かすことは難しいとお考えなら・・・無理強いは致しませんが・・・」


 源左は、そこで気を抜くと淡く笑みを浮かべながら堀に問う・・・。


「いやはや・・・これは、私の負けでございますな、ハハハ、さすがは源左殿・・」


 堀は、そよぐ風の方向に顔を向けると、一つ頷くのであった。


「・・・今日、私が・・・源左殿を招いて昔物語をせんと思い至ったのは心の中で自身の具合のほども話したかったのかもしれません・・・」


 堀は、そう言うや立ち上がると自分の居間に入り【油断】と大きく揮毫された掛け軸の前に置いてある葛籠つづらかごを開け、中から紙袋を取り出した。堀はそこで一瞬【油断】の掛け軸を一瞥すると、また源左が端座する縁側に戻り静かに腰を下ろす・・・。


「源左殿、ご覧ください」


 堀は、丁寧に紙袋から薄い肌色の小袋を取り出すと源左の前にそっと置く・・・。


「これは・・・」


 源左の凝視する先には【牛黄】と表に書かれた小袋が置かれている・・・。


「この薬は、【牛黄ごおう】という高貴薬だそうです」


「【牛黄】という高貴薬・・・」


「ええ、法印殿が申されるには牛の胆のうという部分に出来る胆石を素材にして作られた物であると・・・何でも何千頭の中でも一匹しか見つからないという胆石ですからとても貴重な物で高価な薬だそうで・・・その胆石と人参にんじんを調合して私の身体に合う薬を煎じてくれました・・・」


「胆石と人参・・・それで、この薬は・・・この【牛黄】はどんな効き目が・・・? いや、どんな病気のための薬なのだ、久殿⁉」


 少し狼狽しながら尋ねる源左に堀は透き通った笑みを見せるとおもむろに右手を差し出すと親指を立て、ゆっくりと自分の胸を突く・・・。


「し 心の臓⁉  ・・・」


「はい・・・。  法印殿の仰せでは乾燥させて粉になった胆石が弱った心の臓の働きを高めてくれるそうです。つまり、強心効果ということです。更には神経の高まり・・・言い換えると苛立ちを和らげる効用があると・・・そして人参によってその効果を高めることによって心の臓の病の源となる鬱屈うっくつした心を穏やかな心に育てる・・・確か・・・養心安神ようしんあんしんという言葉でございましたかな・・・穏やかな心を養い、精神を安んずる・・・私のために処方していただいた薬が・・・これです・・・」


「!!⁉・・・、い いつから⁉ いつ頃から患っておったのだ、久殿⁉」


「もうかなり経つのですよ、源左殿」


「むぅ・・・」


「最初に異変を・・・そう・・・息苦しさを覚えたのは・・・」


 そこで堀は言葉を止め、源左が感じた透き通ったような笑みを浮かべ源左を見つめると、


「私が、佐和山のお城から折を見て源左殿の隠れ庵に足を運んでいた時期でしょうか・・・」


「あの頃だと⁉」


「はい。あの時期、天正十年(1582年)九月に妙心寺での上様の法要を無事終えた後、私の中で懸案であった事実をただすために山崎の羽柴殿のもとを訪れたのです・・・」


「ふむ・・・その懸案とは?」


生野銀山いくのぎんざんからの金銀の蔵納の件です」


「生野銀山!」


「ええ、私は妙心寺での友閑様や左近様とのお話しの中で羽柴殿が瀬田の大橋の復旧工事の費用を用立てたと聞いた時から腑に落ちない感じがあったのです。何ゆえに羽柴殿がそのような資金をお持ちなのかと・・・」


「ふむ・・・振り返って顧みれば何ゆえに筑前殿はあのように金回りが好かったのか・・・当時は何とのう筑前殿と懇意にしておった堺衆からの援助かと思うたが・・・それが生野銀山と繋がった・・・と?」


「はい、その通りです。あの年は、本能寺の変の混乱の最中でありましたから織田家領内から貢がれる運上金も安土へは滞るのも無理はなかったのですが変以降三月以上経った九月にはそれなりに安土へ献上されるようになっていたのです・・・さりながらその献上された運上金の額がかなり減っている事に私は気づいたのです。その最も大きな要因が生野銀山からの金銀蔵納の量でした・・・」


「ふぅーむ・・・」


「私は安土で蔵納目録帳を調べるうちに生野銀山からの金銀の蔵納が織田家の歳入の中で莫大な比重を担っていたのをその時初めて知ったのです・・・源左殿はご存知かどうかわかりませんが上様は元亀元年(1570年)に今井宗久殿を生野銀山に派遣してから代官所を設置してそれ以降は織田家の直轄地としてきたのですよ」


「ほう・・・元亀元年といえば朝倉、浅井両氏との死闘が始まった年であるな・・・そんな時代にのう・・・」


「ええ、その後天正元年(1573年)生野銀山の北部に位置する養父の地に中瀬金山が発見され、その周辺にある明延あけのべ銀山も含めて金銀の一大採掘地となっておりました。はきとはわかりませんが、その時分の採掘量は当時日の本一と評判だった岩見銀山と肩を並べるくらいであったと・・・更に、岩見では採れない金も採掘されておりましたから織田家にとってとても重要な収入源となっておったのです」


「それほどとは・・・」


「そこで、その生野銀山ですが・・・かの地はどこの国にあるのか源左殿はご存知でしょうか?」


「・・・但馬か・・・丹波か・・・?」


「ええ、その通りです。生野銀山は但馬の国に所在致します・・・そして、当時その但馬を所領としていた方が・・・」


「おっ!! 筑前殿か!!! それで久殿が筑前殿のもとへ!」


「はい。私はこの・・・」


 堀は、片手鏡を慈しむよう取り出すと


「片手鏡を懐に忍ばせ、羽柴殿に生野銀山からの蔵納の件の事実を糾すべく羽柴殿の居城となっていた山崎の宝城に向かうことに・・・。念のため、事前に丹羽様からの添え状も持参しておりました・・・その中身は織田家直轄地である生野銀山にて羽柴殿に不審の儀ありて詰問に参上することに関し、丹羽様も私の行動に了承しておるといった内容でありました・・・私はその時、羽柴殿の回答いかんでは羽柴殿を弾劾する気組だったのです・・・」


「・・・横領は許さず・・・でござるな・・・まるで上様存命時の監察官の如きでありますなぁ・・・して、その筑前殿との対決は・・・どのような顛末に?。 そして、その件がどうして久殿の心の臓の病に結び付くのか・・・聞かせてくださらんか・・・」















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