第14話 海蔵寺での邂逅 堀 久太郎と柴田 源左 Scean11

(チリィ~ンン~~ チリチリィ~ンンン~~~)




 容易ならぬ言葉を耳にした源左は数奇な運命で自分の主となった目の前で淡く微笑を湛《たた》えて自分を見つめる男の顔を改めて注視する・・・。


(・・・ふむ・・・泰然としておるわ・・・わしも性根を据えて聞くとするか)


 源左はポリポリとびんをかきながら目を細めて堀の瞳を見つめる。


「穏やかならぬ言葉でござるな、久殿・・・関白殿下が小田原攻めの最中に御不慮を遂げられる・・・とは?」


「源左殿、そう驚く事もございますまい。戦の場では何が起きるや分からぬものですから・・・フフフ・・・」


「なるほど・・・確かに戦場では何が起きるかは分からぬもの・・・して、何故に東福寺という場所でそのお話しがなされたのであろうか・・・?」


「ああ、そうですね。何故東福寺にて・・・という問いですが、東福寺は昭実様が属する九条流、その九条家の菩提寺なんです」


「ほう・・・」


「私が昭実様よりお声掛けされたのはその東福寺建立の祖となった九条道家様の命日が二月であったのでその法要のついでに呼ばれたのです」


「ふむ、と言うことは九条流一族が集まられていたと・・・?」


「ええ、現九条家当主九条兼孝様もちろんのこと、九条閥の精神的支柱である大御所で兼孝様義父の九条稙通くじょうたねみち様、本能寺の変の時の関白であった一条家当主、一条内基様、二条家当主である二条昭実様、そして鷹司家当主である鷹司信房様といった御歴々の方々が集われておりました」


「ふーむ・・・九条 一条 二条 そして鷹司・・・五摂家の内、近衛家当主を除く全ての摂家の当主が一堂に会した・・・これはこれは何とも言えぬほど高位高官の豪華な顔ぶれでござるな、内裏以外でこの御歴々が集うことも稀ではないのではと思える次第でござるのう・・・うん?」


「いかがされました、源左殿?」


「いやさ・・・はて? 鷹司家というのは・・・たしか近衛流? 近衛閥のお家柄であったと先程聞き及んだと・・・何故に九条閥の集いに・・・?」


「ああ、ご存知ではありませんでしたか。鷹司信房様は二条晴良様のご子息であられましてな、あれは確か・・・天正七年(1579年)の事であったと思われますが当時断絶していた鷹司家を上様の勧めでその名跡を継がさせて再興させたのでございます。余談になりますが鷹司家の名跡を継がせる折に今の信房様の信といういみなは上様より賜ったものです・・・まあこの件には後日談がありまして、フフフ、信房様というお名前に源左殿、聞き覚えはございませんか?」


「信房様・・・あっ! 造酒丞みきのじょう殿!! 織田信房殿と同じ名じゃ!!!」


「そうです。あの造酒丞様、織田信房様と全く同じ名前でございます。この件を造酒丞様の子息である長殿(菅谷長頼)に尋ねたところ苦笑しながら私の父の名が摂家の当主の名になってしまわれたとボヤいておりました、フフフ・・・」


「上様におかれては、何か存念があったのであろうか?」


「長殿が申すには、信房様は何となくその様子が私の父に似ている・・・と、上様が仰られたそうですが・・・」


「ほう・・・」


「上様は、あの通り情の濃いお方でしたから【稲生の戦い】で自分の窮地を身をもってかばってくれた造酒丞様をいつまでも覚えておられておったのでは・・と・・・」


「・・・」


 堀はそこで黙り込む源左を暫し見つめていたが、やがて再び口を開く・・・。


「もともと東福寺とは私も縁がありまして、天正九年(1581年)の九月には台風によって大破した境内を補修する工事の奉行も務めておったのです」


「ほお・・・」


「九条兼孝様より直接私に補修工事の請願がありまして、私は上様に許可を得て直ちに着工しました。ご存じかと思いますが兼孝様は二条晴良様のご嫡男でございましたが男子に恵まれなかった宗家である九条家に養子として迎え入れられたのです」


「と・・・いう事は、晴良様の御子息様の三人が九条家、二条家、鷹司家の現当主!

摂家の過半数を占めておられているのか・・・改めて語られると凄いものじゃな、晴良様の権勢の凄まじさよな」


「はい。晴良様はその年信房様が上様の後押しを受け鷹司家の名跡を継いだ天正七年(1579年)にお亡くなりなられましたが長年にわたる宿敵であった近衛閥の鷹司家に自らの血筋を送り込むことによって近衛家の力を削ぐ事ができ大変満足されていたと兼孝様、昭実様の御兄弟から伺いました・・・」


「まこと、摂家間の憎悪というべきか・・・武人の我等には思いもつかぬほど怨嗟の歴史が綿々と紡がれてきたという事であったか・・・。それにしても今更ながら上様のなさりようの凄まじさよな、久殿。 織田家と朝廷との関係の一大分岐点となった天正三年(1575年)に義昭公追放の件から隙間風が漂っていた晴良様との関係を晴良様の宿敵である近衛前久様の帰洛の上奏をきっかけにして朝廷内に権勢を持つ最大の実力者である二条家と縁戚関係を結び織田家、二条家の結びつきを強くしながらも二条家の政敵である近衛様を、言葉は失礼ながらもああも旨くご利用されていたわけだからのう・・・」


「さようでございます。私自身も上様の思惑通り【源氏の長者】の家系である久我家と縁ができ、私の婚儀にも参席されたことによって二条晴良様、昭実様と天正三年(1575年)以降は殊の外、よしみを通じていただけました。そのおかげで晴良様の他の御子息であられる九条兼孝様、鷹司信房様とも懇意になり今に至っております・・・」


「久我家といえば、久殿の婚儀があった天正三年(1575年)においては晴通殿、通堅殿が相次いでお亡くなりになっていたと伺ったが・・・?」


「現在、久我家は晴通殿の嫡孫であられる敦通あつみち殿が当主であられます。私の婚儀のあった天正三年(1575年)の当時晴通殿、通堅殿が相次いで亡くなられ敦通殿も実父である通堅殿が朝廷より追放された件もあり家督の相続もままならぬ状況だったのです。その久我家の窮状を救ったのが上様でした。私の婚儀のあった七月に上様は村井様に命じられ久我家の本領安堵の御朱印を改めて出されたのです。私が思うには恐らく晴通殿の遺言書の中にも御嫡孫の敦通殿の件、久我家の将来についても切々と訴えられておられたのではないかと想像しております・・」


「ふぅむ・・・上様はそれほど久我家・・・いや、晴通殿との友誼を大事にしておられたのか・・・。うん? 久殿、【源氏の長者】は現在はその久我家当主敦通殿であられるのか?」


「いえ。晴通殿の後を継いだ通堅殿が亡くなられた後、空位になっております」


「ほお、そうであったか・・・」


「【源氏の長者】といえば、筑前殿・・・いや、この場合は関白殿下と申した方が宜しいですかな。今年の二月関東下向の折、聚楽第にて政務をとられていた殿下に挨拶に参上したところ、こんな事を申されておりました」


「何と?」


『徳川殿が、近衛(前久)殿を通じて正式に源姓に改姓を望んでおるようじゃ・・・それで改姓後、いずれ【源氏の長者】にもご執心だと聞く・・・久太郎よ、【源氏の長者】だけは、いかぬ! 久我家と関係が深いそなたならこの意味がわかるな?』


「むむ⁉  徳川殿が・・・そしてその件を殿下が危惧しておる・・・と?」


「ええ・・・私も驚きもうした。徳川殿の源姓への改姓については噂で聞いておりましたが【源氏の長者】の地位まで所望とは・・・それと、もっと冷や汗を覚えたのが久我家と関係が深いそなたと申された殿下の目でした・・・」


「うーん・・・殿下は久殿と久我家の関係をどこまで知っておられるのか?」


「私の奥が、久我家の縁者というのは知っておられるとは思いますが・・・それ以上は・・・何とも・・・」


「・・・久殿と九条流の摂家との親密な関係については・・・どうであろうか?」


「その件なればご存じであられる。なぜならば、かの【関白相論】の問題が起きた時に当時者である二条昭実様をはじめとする九条閥の摂家に対しての協力を殿下から内々に頼まれましたから・・・」


「そうでござったか・・・」


「いずれにしても、傍らに寝ているすて君を見る優しい瞳から、あの狂気を映した視線の変化には驚きもうした・・・」


「・・・棄君も、おそばにおられたのか?」


「はい。殿下にしてみれば遅く儲けられた跡継ぎである棄君を後継者とするためにその弊害となる案件は全て取り除こうとの思いなのでしょう・・・」


「【源氏の長者】に関わる者、すべて・・・後の豊臣家に仇をなす・・・ですか。確かに源の長者なれば征夷大将軍の地位まで望めれる地位・・・殿下が危惧するのも無理もない。ましてや、やっと後継者の棄君を得られたのですからな」


「その生後まだ数か月に満たない棄君の存在が朝廷内に大きな波紋を及ぼしている事に気づかさせられたのが、東福寺での集いだったのですよ、源左殿」


「ほう・・・」


「あの【関白相論】のみぎり、近衛前久様の猶子になることによって一代限りの関白職に就く約束であったのが、棄君の生誕によって殿下は後継者もまた関白の職を継がせようとの考えに変わられたそうです・・・が、これは朝廷内、いや、特に関白職は摂家でしか就く事ができないという矜持を持つ五摂家においては約束が違う、言語道断だ世襲制など受け入れれるはずもないという非難が轟轟と上がったとのこと・・・そのような背景の裏で私は尋ねられたのです・・・」


「・・・」


「この小田原攻めの戦の最中に殿下が亡くなられたら、この日の本はどうなるのであろうか? まだ年端もゆかぬ赤子を奉じて豊臣政権を維持して行こうと久太郎殿は思われるのか・・・と・・・」


「それで久殿は・・・何と・・・答えを・・・?」


「私は、こう答えました。万が一、この小田原攻めの最中に殿下の御不慮があったとしても棄君を奉じて豊臣政権を維持しようとする世の流れなら私もその流れに追随するのみでござる・・・と」


「うむ・・・」


「仮に、殿下が御不在になられても前田殿、徳川殿、そして信雄様もいらっしゃる。その方々が棄君を奉じて天下の仕置きをなされれば多少問題があろうと諸大名は従うでありましょう・・・と」


「ふむ・・・なるほど。良き、答えであるな・・・」


「フフフ・・・源左殿がそう思っていただければ何より重畳でござる」


「堂上衆の頂に立つ摂家の方々にはその答えが一番良い答えかと存ずる。下手な勘繰りをされるような言葉は慎んだほうが無難であろうでな、フフフ・・・」


「私の差し障りのない答えに不満だったのか、一番の歳若の信房様が私に真にそう思いかと気色ばまれまして」


「ほう・・・」


「それを窘められたのが稙通たねみち様でございました」


「大御所様のお言葉ですか」


「はい。そこで稙通様のお言葉に初めて感心させられた・・・いや、気づかせてもらったのです・・・脈々と続く自身が属する家名に対する誇り、矜持というものを」


「そのお言葉、気になりますな・・・して、どのような?」


「稙通様は、こう申されました・・・」



             ☆ ☆ ☆



『よさぬか、信房! そのようないきなりな直接の申し方では久太郎殿とてそう答えるより仕方無いではないか!!』


『はっ、申し訳ございませぬ・・・』


『すまぬのう、久太郎殿。信房はそのいみなのとおり、また自分を鷹司家当主に就かせてもらった恩義もあり織田殿のことが今でも大好きなのじゃよ、もう信者と言ってもおかしくない、のう、信房?』


『はっ・・・』


『その大好きな織田殿の世を上手く掠め取った、おっ、これは口が過ぎたかホッホッホ、豊臣関白殿下が今度は我らが摂家の聖域である関白の位をも我が物のようにしようとしておる。いかに一代限りという約束で関白に就いたといえども、その件についてもこの日の本史上では稀の例外であったのが、更には自分の子供にまで関白職を継がせようとしておる・・・こういった状況をあの、阿呆あほうの近衛前久、信尹のぶただ親子はどう見ておるのか・・・信尹が強引にこの昭実より関白の位を奪うように今の殿下にそそのかされ、挙句の果てに父親の前久が殿下を猶子にして関白に就かせる口実を作った張本人達は、どう思っておるのだ!!!』


義父上ちちうえ様・・・少し、お言葉が過ぎるように 思われます』


『おっ⁉ これは、少し過ぎたか。兼孝、よう諫めてくれた。 ホッホッホ、すまぬのう久太郎殿、見苦しいところを見せてしまって』


『いえ・・・』


『どうも歳をとると口が過ぎるようじゃ・・・じゃがのう久太郎殿』


『はっ・・・』


『信房が憤るのも無理はないのじゃ、この信房と近衛のせがれの信尹は同じ年永禄八年(1565年)生まれの同い歳、更に信という諱を織田殿から頂いたことも同じなのじゃ。そこで信尹に張り合う要素が多い信房が織田殿の天下を掠め取った殿下に擦り寄る昨今の信尹や、現、豊臣政権に甘んじているように見える旧、織田殿の家臣達の姿に一抹の残念さを感じてしまうのは致し方ないように思える・・・いかがかな、久太郎殿・・・?』


『・・・』


『稙通様、そのように申されては、答えに久太郎殿が困っておられます』


『何じゃ、昭実。そちも兄同様、わしを諫めるか?』


『はい。久太郎殿の今の立場をお考えになれば稙通様の問いに答えるのは酷かと私は思います。それと今の殿下が関白にお就きになった原因は私にもかなりありますので昨今の殿下の様子をまじえて久太郎殿を問い質すのは筋違いかと考えます』


『ほう、言うのう・・・』


『そもそも殿下の関白就任のきっかけを作ってしまったのは結果的に当時関白職に就いていた私が今の殿下が後ろ盾になって関白職を私から奪おうとした信尹殿を大阪城において論破した事が原因でございます。今の殿下の目の前でいかに信尹殿の申し分に理が無いことを衆前にて明らかにしたため殿下も信尹殿も挙げた矛を下すほか仕方が無い状況にしてしまった・・・それが原因で殿下は近衛前久様の猶子となるという離れ業で関白職に就く資格を持つに至った・・・ですから昨今の殿下のなされ様に御不満なればどうか私におっしゃられるようお願い申し上げます』


『・・・あの【関白相論】 のよう・・・。昭実、そちが殿下と信尹を向こうにまわして、そもそも近衛家とは何ぞやから始まる大論陣で二人を論破した出来事だったのう・・・わしもその様子を聞いて胸の溜飲が下がったものだったわい・・・だが、結果的に今の状況を呼び込むことになってしまったか・・・ままならぬものじゃ・・』


『はい・・・』


『まあ、よいわ。 久太郎殿!』


『はっ』


『わしが、これから申すことに対し答えは出さずともよい。そなたの胸の内にて憶えてくれればよいからのう・・・』


『はい・・・』


『我が九条家は、征夷大将軍を二人、この日の本の歴史上に輩出させておる・・・近衛ごとき自らの血筋の女御を時の将軍に輿入れさせその子供を将軍にさせようとする姑息な手立てでなく、あくまでも九条家、公家という立ち位置で将軍を二人輩出させた稀有な家なのじゃ・・・久太郎殿、そなたは知っておったか・・・?』


『い いえ・・・存じませんでした・・・浅学せんがくの身ですので、誠に申しわけございませぬ・・・』


『ふむ・・・知らぬのも無理はない。今の世から三百五十年ほど昔の事になるが時の鎌倉幕府の四代、五代将軍は九条家の人間で、それぞれ四代将軍九条頼経、五代将軍九条頼嗣と九条の姓のまま堂々と将軍位に就いておったのだ・・・その頼経様、頼嗣様の実父、祖父であられたのがこの東福寺を建立した道家様、九条家三代当主九条道家様であられる・・・』


『・・・』


『何ゆえに、そんな話しを・・・と、言った顔じゃのう、久太郎殿?』


『い いえ・・・』


『ホッホッホ・・・、まあ、暫し聞いておられよ。当時道家様は鎌倉幕府のいしずえの神輿となった源氏三代を己が家の野望のため上手く葬った北条得宗家、言い換えると鎌倉幕府執権家と丁々発止ちょうちょうはっしの暗闘、日の本のルまつりごとの権力をめぐる争いをしておったのじゃよ・・・九条家文書によると道家様は日の本史上初の武家政権である鎌倉幕府を日の本の歴史においてあってはならない【異物】と考えておられたようでな、三代将軍源実朝殿が亡くなられた後、時の執権であった北条義時殿より御三男であった頼経様を四代将軍へとの要請をここが好機とばかり自らの血脈を幕府の神輿である将軍位に就け北条得宗家の権勢を削ごうと決心されたのじゃ・・・。因みに執権義時殿が頼経様を将軍へと白羽の矢を立てたのは理由があってな、頼経様の御両親であられる道家様、倫子様は頼朝公の実の妹君の坊門姫の御嫡孫であったのだよ。義時殿にしてみれば京より源氏の血筋をひく公家の将軍なれば傀儡将軍として扱い易いという狙いがあったのであろうな・・・道家様はその義時殿の狙いを逆手にとって【異物】である武家政権の象徴である将軍位を九条家に取り込み、最終的にはその武家政権の下で実権を握ろうとする北条得宗家の野望を砕き、鎌倉幕府を有形無形のていにし元の朝廷主導の世に戻そうとされたのだ・・・が、しかし結果はそなたも知っての通り武家の世は続いておる・・・』


『・・・』


『さて、長々と話しをしたが、わしがそなた、久太郎殿に申したかったのは・・・』


『・・・?』


『我が九条家は、いや、九条流の摂家は歴史上の【異物】を排除するためには時の流れや、時の権力者達にも抗い立ち向かう家系であることをそなたに知ってもらいたかったのだよ・・・これは九条家、九条流摂家の矜持である!。 そして今の世の【異物】とは・・・』


『稙通様! それ以上申されるのは!!!』


『いやっ! これは、口が過ぎたか⁉ これだから年寄りは困るのう、ホッホッホ・・・』


『お戯れを・・・この久太郎、心の臓に悪うございます。根っからの小心者にて、これ以上はご勘弁のほど・・・今のお話しは聞かなかった事に致します・・・』


『ホッホッホ・・・その作り姿、さすがは世情で名高い如才のない名人久太郎殿と、言ったところかのう。じゃが、心配せずともよい。今の【異物】の話し、そなたが気にしておる御仁ごじんに話しても一向にかまわぬぞ。詰問されても年寄りの戯言であったと惚けるつもりじゃからのう、クックック・・・』


『・・・』


『うむ・・・戯れはここまでにして、久太郎殿。最後にこれだけは申しておく』


『はっ』


『・・・【異物】・・・これを理由はどうあれ、これを排除しようとする者には九条家並びに九条流摂家全てが協力させていただくことを・・・お約束させていただく。これで宜しいかな、内基うちもと殿?』


『はい、宜しいかと存じます。一条家当主であるこの内基、しかと同意でございます』


『内基様?』


『そう気にするでない、久太郎殿。この場の話はそなたの胸の片隅に秘めておけばよい。おお、そうであった、そなたに言付けを頼まれておった』


『言付け・・・で、ございますか?』


『竹田法印殿が、そなたの事を心配しておった。昨年そなたが領国越前に戻ってから今年になっても法印殿の許に参っておらぬのであろう? 仔細は聞かぬが、法印殿の許に伺うのが家中に憚れるのなら我が一条家の別宅を使うとよい。法印殿の今の宅は我が別宅の近くであるからな』


『お心遣い、感謝致します・・・』


『そなたのこれまでの心労・・・察してあまりない。あの本能寺の変以降、当時関白であったまろの目から見てもそなたは、よう、頑張った。己が欲のためばかりに右往左往する織田殿の家中にあってそなただけは終始一貫して亡き右大臣殿、中将殿の残り香を慈しむようお守り続けてきたのじゃ・・・そなたも胸中にあるものを知らずに心無い非難や中傷がどれだけそなたを苦しめてきたかは、まろはよおく知っておるぞ・・・』


『内基様・・・』


『法印殿とは・・・久太郎殿、どこか具合が悪いのですか?』


『いえ、たいした事はないのですよ、昭実様』


『しかと、大事ないのであるな?』


『大丈夫でございます、稙通様』


『そなた、身体を自愛せよ、よいか⁉』


『はっ、ありがたきお言葉。肝に銘じまする』


『・・・(久太郎・・・そなたは・・・)・・・』




『ホッホッホ・・・さきの関白の四人が揃ってこうもそなたの事を心配しておるのじゃ久太郎殿。くれぐれも自愛されよ、そして法印殿の許へ必ず参るのじゃぞ、よいな。まろからも法印殿には伝えておくゆえに・・・のう?』


『はっ、内基様の重ね重ねの御厚情・・・感謝の言葉もございません・・・』


『よいよい。そなたには、義兄であった兼定の後始末の件で世話になったからのう・・・誰も面倒でやりたがらぬ事をそなたは少しも嫌な顔一つ見せずに成し遂げてくれた。まろが久しい間、心に負った後悔の念を少しでも晴らしてくれたのじゃ、せめてもの礼じゃ』


『内基様・・・それは・・・お雪殿の・・・件でございますか?』


『いかにも。まろが土佐一条家に良かれと思って兼定を隠居に追い込んだ時に自害させてしまった不憫な女御・・・お雪・・・そういう名であったな・・・噂ではかの娘ほど可憐で美しい女性はお目にかかった事がないということであったが・・・』


『その件なれば、私は何もしておりませぬ。ただ、長宗我部元親様に御領内の宿毛村に一条兼定様の所縁ゆかりのある女性をその村で弔ってはいけませんかとお頼み申し上げただけでございます』


『元親殿に橋渡しをしてもらっただけでも、まろにとっては重畳ちょうじょうであった。土佐において、一条家と長宗我部家の関係を顧みればまろからはとても頼める間柄ではなかったからのう・・・在地の者から、これでお雪もうかばれる事でありましょうと礼も頂いた。本当にそなたには感謝しておる、この通りじゃ・・・』


『お、お顔をどうか、お上げくださいませ内基様!! ど どうか!!!』


『フフフ・・・久太郎殿、とうとうさきの関白様に頭を下げさせてしまわれましたな! さすが、何事もそつなくこなす【名人】久太郎殿であられる、フッフッフ

、ハッハッハ・・・』


『昭実様・・・お戯れが過ぎまする・・・』


『いや、これは失礼致しました。さて、冗談はここまでにして、久太郎殿・・・』


『先ほどの、稙通様、内基様のお話しの件、無理に今この場で答えられぬとも良いのです。久太郎殿が今後、ひとたび決断され行動を起こした時は何も申さずとも良い。私は、そなたに協力することをお約束する。これは、私とそなたの縁を取り持った亡き父、晴良とそなたが敬愛して止まない織田様とが願った【源氏の長者】の庇護者となった久太郎殿との関係をないがしろにするつもりはさらさら無いからです! 今、関白殿下に棄君という後継者が生まれそなたの胸の内に秘する感情もあろう・・・いずれにしても、お身体を自愛くだされ、このいつわざる気持ちは、官位や立場を超えた友垣としての言葉です、宜しいですか久太郎殿・・・?』






               ★ ★ ★






(えっ⁉ ちょっと待った!!!  兼定???  お雪さん???って・・・)


(まさか・・・まさか!⁉ 司馬先生、このエピソードから【燃えよ剣】に???)



















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