第11話 海蔵寺での邂逅 堀 久太郎と柴田 源左 Scean8
(チリィ~ン、チリチリィ~ンンン~~~)
『一益殿、貴殿が真田殿と懇意だったとは・・・』
友閑が気になったというふうで一益に問う。
『ああ・・・懇意というのか・・・』
一益は、感情を露わにし松姫からの手紙を読んでいる慈徳院の姿を見ながら友閑の問いに答えようとするが、そこで言葉を止め、のろのろと縁側まで行くと片膝を立て座り込む。
『真田殿とは、それがしが関東下向の折、わしの与力になってからの付き合いで見知り合ってまだ日も浅うござるが・・・言葉に尽くせぬほど濃厚な時間を共にした間柄になり申した・・・』
『うむ、上州から信濃を経て美濃に戻られるまでの事であるな』
『さよう・・・二人とも存じておろうか? それがしが神流川の戦いで一敗地にまみれた後、合力してくれた上州衆と別れ碓氷峠を越えて信州に入り諏訪までの道中、最もそれがしに尽くしてくれたのが真田安房守でござってな・・・真田殿は上様の凶報を聞いてから動揺する上州衆や北信濃衆達にしきりに声を掛け孤軍となった我ら織田軍に対し手を出さぬよう陰日なたなく心遣いをしていただいた・・・上州から北信濃にかけて所領を持ち北信濃勢の中で一番の勢力を誇る真田殿の言葉の影響力は大きく敗残兵であった我等はどれほど助けられたか・・・そしてあろうことか信濃国内においてもそれがし達の身の安全を守るためにそれがしの与力になったときの証である人質であった自分の
『なんと・・・そのような経緯がのう・・・初耳じゃわい・・・』
『まあ、それがしにとって真田殿は命の恩人と言っても良い・・・そしてそれから今に至るも書状のやり取りは続けておったのだ・・・その真田殿が近況を寄越すついでに松姫様からの手紙を預かったのでわしの手から、かずえに・・・とな・・・』
『ふうーむ・・・そういう事であったか・・・。なれど一益殿、そのような状況でよくぞ真田殿は貴殿のためにそこまで働こうとしたものじゃな?』
『はい、私もそう思いました』
真田昌幸のとった行動を不思議に思う友閑と堀である。
『さあ・・・何故であろう・・・昌幸殿はわしより二まわりほど年若でな、わしの息子程の年齢だったのだよ。戦の仕方や戦う以前の情報を集めることの重要性など、考え方がよく似ておったせいか、わしも珍しく年若の知人を持った気分にはなって話がはずんだものであった・・・さすが、あの故信玄殿がわしが両目になる者と評した人物であったな・・・』
『ほう・・・信玄殿がのう・・・』
『そのような評価を信玄殿が・・・。私も是非一度お目にかかりたいものです』
一益は昌幸の人物像を想像している二人から目を移すと、静かに手紙を読む義娘の様子を覗う・・・食い入るように手紙を見つめる彼女の瞼からは薄っすらと涙が零れ落ちているのが一益の視線にとまった・・・。
『くっ うぐっ・・・こんなに・・・』
かずえこと慈徳院は嗚咽を抑えるよう小声で言葉を絞り出そうとしている・・・。
(かずえ・・・)
一益は切なげな様子の義娘を黙って見守っている・・・。
『ぐっ うぐっ・・・こんなに・・・・こんなにも 悲しくて、嬉しい手紙がありますか・・・』
『中将様は・・・信忠様はお亡くなられる前に松姫様に手紙を送られた由にございます・・・』
『「・・・!?」』
その言葉に黙ったまま目をみはる友閑と堀・・・一益は落ち着いた表情で義娘を促す。
『して、その手紙には何と・・・?』
『うっ うっ・・・(生家である武田家や実の兄である盛信殿を滅ぼしたそれがしを許していただけるなら、一度上方に上って来られぬか、是非お会いしたい)・・・と』
『「 はっ それは !! 」』
慈徳院の口から持たされた衝撃の事実に一益、友閑と堀の三人は同時に視線を合わせる!!
三人の眉間には苦衷を表すような皺が浮かぶ・・・。
何故に三人が揃って同じ表情を浮かべたのか・・・それには元織田右大臣家内の公然の秘密に関わる問題に触れていたからである。
織田家嫡男である中将信忠と武田信玄の五女である松姫は永禄十年(1567年)に婚約を結んでいた。もちろん松姫は信忠の正室としての婚約関係であったのだ。しかしながら元亀三年(1572年)に武田信玄の西上作戦が勃発すると敵対することが明らかになった織田、武田家両家は手切れとなり自然に二人の関係も自然に消滅してしまった・・・。
ところが・・・である。信忠は松姫との婚約解消された後もずっと正式な正室を迎えようとはしなかったのである。実父である信長自身もあえてこの点には触れないようにしていた節があり、新たな正室を迎えるにあたって恰好な時期である信忠元服の時や信忠への織田家家督相続の時にも信忠の正室不在という問題には何も述べていないのだ・・・。
微妙な表情をしながら黙り込む三人に気づかぬまま慈徳院は続ける・・・。
『松姫様の手紙にはこう書かれておりました。甲州崩れの後、甲斐の国を出奔した松姫様は武田家遺臣の幼子三人を連れて当初武州八王子の金照庵に身を寄せ現在は心源院に居を移し、八王子城主北条氏照殿の庇護を受けておられるご様子にございます・・・そして そして・・・くっ うぐっ・・・信忠様からの使者から手紙を受け取り上方へ上ろうと決心され庇護していただいた氏照殿の許可を得て、さぁ、これから上方へと・・・ところが・・・ところが・・・上方より凶報が・・・。本当に 何故にこのような巡り合わせを・・・・うっ ぐふっ うっ、うっ・・・』
慈徳院はそこで感極まった様子で嗚咽を上げ始めながらも手紙に包まれていた白色の紙縒りに結ばれている一房の髪を取り出し、畳の上にそっと置く・・・。
慈徳院は袖で涙を拭うと自分を見つめる三人に肩を震わせながら告げる・・・。
『この
慈徳院はそこまで話すとさめざめと号泣するのであった・・・。
(かずえ、そなたはそこまで・・・)
一益は、全身で悲しみをあらわす義娘に声が掛けられないでいる・・・。
『慈徳院様・・・』
そんな一益に代わって心底慈しむような声音で友閑が声を掛ける・・・。
『(しんしょうに)様とは、どんな字を
『の 信忠様の信に・・・松姫様の・・・松 そして尼でございます・・・』
『信忠様の信に、松姫様の松に、尼でございますか・・・それで
『信忠様を 待つ尼・・・』
慈徳院は友閑が指摘した言葉の意味を噛みしめながら、ぽつりとつぶやく・・・。
(チィリィ~ン~、チリチィリィ~ンンン~~)
『ところで左近様、中将様はいかにして松姫様の行方を知っておられたのでしょうか?』
その場の雰囲気を変えるような口調で堀は一益に尋ねる。
『うん?・・・ああ、そのことならばわしが中将様にお知らせ申し上げておった』
『えっ⁉』
義父の言葉に顔を上げた慈徳院に一益は優しく頷くと堀に答える。
『あの甲州征伐の折、甲斐国内の鎮撫の最中であったが中将様とお約束をしておってな・・・』
『お約束・・・で、ございますか』
『うむ、行方の知れぬ松姫様の安否を確かめる事をわしに中将様が何度も念を押すように頼まれてな・・・配下の者に松姫様の甲府からの足取を探らせておいたのだ』
『中将が松姫様の安否を・・・』
『うむ、高遠城から新府城、そこから幼子三人を連れて出たまでの足取はつかめたのだがその後の逃避行の足跡がとんと分からずじまいであったのだが・・・今年の五月関東御取次役として関東の諸領主を当時本拠としていた上州厩橋城に招いて能の興行を行った時のことであった・・・当時まだ敵対していなかった北条家からも使いの訪れておりその場の打ち上げの宴席の場で北条家の使いの者達に内々に松姫様の行方を問うてみたところ北条氏照殿の使いの者が密かに我が主なら知っておられるやもしれませぬと告げてきたのじゃ・・・わしは取り急ぎ書状をしたためて氏照殿にこう申し送った・・・中将信忠様【御正室】松姫様の安否の確認をお願いしたいと・・・な。そして数日後に氏照殿より返書が戻り松姫様は氏照殿領内で庇護されておることがわかったのじゃ・・・。わしは中将様とのお約束のこともあり万全を期するため松姫様ご本人であるかどうかを確認する手立てを考えていたところ助力を申し出てくれたのが真田殿であったのだ・・・昌幸殿は自身が松姫様のお顔を存じており、また配下の者も松姫様を見知っておる者もおったので武州八王子まで旧主の姫様のもとへご機嫌伺いに使いの者を出すことに相成った・・・結果、ご本人であることが分かりその旨、中将様にもご報告しておったのだ・・・』
『そのような子細があったのですか・・・』
堀はそうつぶやくと暫し考え込む・・・。
『上様は、この事はご存じでおられたのであろうか?』
友閑が堀の代わりに一益に問う。
『もちろんの事。それがしは直ぐに松姫様が事を詳細に信長様のもとにご報告申し上げた・・・だが 返事は来なかった・・・あれから本能寺の変があったからのう』
『・・・』
『さりながら、それがしは信長様の存念を事前に伺っておったのですよ友閑殿』
『ほう・・・』
『今年に入り武田征伐の打ち合わせのため、それがしは安土の信長様のもとに伺候した時でござった。武田家に対する基本方針として勝頼殿を始めとして一族は全て誅殺・・・そこでそれがしは松姫様はいかが致しますかとお尋ね申し上げたところ信長様は少し苦渋を見せて、こう申されました・・・』
「松姫の事はわしが命じても、中将は・・・あ奴はわしの言う事など聞かぬであろう・・・それにだ・・・そちの義娘であるかずえの悲しむ顔を見とうはないわ・・・
で、あるからして我が【親族】であるそちに命じる。松姫が一件、生きて捕らえたならば一益の裁量に任せる、良しなにせい・・・」
『・・・と』
『それは、誠にございますや義父様! 亡き上様がそのようなお言葉を?』
『誠じゃ・・・そなたに嘘をついても何の益があろうか・・・』
『そう そうでございますか・・・上様が・・・』
『かずえ、思い出してもみろ。信忠様と松姫様が婚約を結ばれた後、信忠様を囲んで信長様と信忠様の乳母であるそなたと二人で松姫様に出される手紙の書き方や贈り物の選定の仕方を楽しそうに話しておったことを・・・あのような穏やかなうれしそうな表情の信長様の在りし日の姿はわしは、 わしは・・・決して忘れぬ・・・』
『そうでございました・・・まだ年少の面影があった中将様に上様とわたくしで・・・』
過ぎた遠い日を思い出そうとする慈徳院・・・一益は目を伏せながら虚空を見つめ往時を偲ぶ義娘を見ている・・・が、やがて
『そもそもあの武田家をわずかな日数で滅ぼし得たのは何故でござろうな、友閑殿?』
不意に問われた友閑ではあったが、落ち着いて答える。
『小山田、穴山、木曾といった武田家にとって最も近い近親者達が調略等によって勝頼殿から離反したことが短期間で武田家が瓦解した理由であろうかと考えるが』
『いかにも、その通りでござる。友閑殿が申されたように勝頼殿を見限って離反した者が多く、武田家領内の信濃、甲斐に我が軍勢が侵入した時にあまりにも抵抗が無く脆すぎでござった。友閑殿の申された事が大きな理由であったことに間違いない。して、久太郎よ。そちはいかに考える?』
『・・・私も友閑様が申された小山田、穴山、木曾といった武田家にとって頼むべく近親衆達の離反が一番の理由だと考えます。ただ敢えて付け加えればその三人以外の国人衆達に衝撃を与え彼等が勝頼殿を見限った理由となったのはやはり高遠城の戦いの結果だったのではないでしょうか・・・高遠城の激戦の結果を勝頼殿は新府城において受け取ったとのこと。その報告が何と一日で高遠城が陥落したという事実。その報告を受け勝頼殿一同が絶句し一言も無かったと聞き及んでおります。その衝撃的な報告によって結果本軍自体が解散状態になり勝頼殿の迷走も始まり武田家崩壊に繋がったのではないかと愚考致しますが・・・』
『高遠城の戦いの結果であるか・・・うむ、久太郎よい答えじゃ。あの戦いが武田を短期間で滅ぼした理由の一つの例であった・・・それがしが振り返るに武田家があのようにあっけなく滅びたのは友閑殿、久太郎が申した家臣団の離反が大きな理由だということに全く異存はない・・・だが、一番の理由は信忠様のお気持ちの焦り・・・で、あったと考えておる・・・』
『中将様のお気持ちの焦りで・・・あるか?』
『ええ、そうです友閑殿』
『左近様、それは如何なることでありましょうか?』
堀が小首を傾げ尋ねると、一益はちらりと慈徳院を一瞥しゆっくりとした口調で答える。
『信忠様はな、松姫様の姿を探そうと気が急いておったのだ・・・そのお気持ちが顕著に表れたのが・・・高遠城攻略戦であった・・・』
『な なんと⁉』
『松姫様を、お探しに⁉』
驚きの声を上げる友閑と慈徳院、その二人に続くよう堀がさらに一益に尋ねる。
『左近様、高遠城の戦において中将様御自ら城兵が待ち構える塀によじ登り味方の兵を叱咤し突入を図ったと聞き及んでおりますが、それが松姫様お探しと関係しておられたのでしょうか?』
『そのことよ、久太郎』
一益はじろりとその三白眼で堀を睨むと、ポンっと膝を打ち
『高遠城城主仁科盛信殿は松姫様と同じ母を持つ実の兄であってな、勝頼殿が武田家の跡を継いだ時から松姫様は躑躅ヶ崎館より出て高遠城で暮らしておったのよ』
『そ その件を中将様は⁉』
『存じておられたよ、わしが事前にお知らせしておったからな。信濃路に入る準備のため自軍を集結させた美濃岩村城において武田攻めの最終打ち合わせを信忠様と検討している時であった・・・一番の激戦が予想される高遠城に対する説明時に松姫様がおられるやもしれぬと・・・。信忠様はわしの言葉にピクリとまつ毛を上げただけで何も言わず軍議を続けられた・・・わしはそのお姿を見て松姫様の事は信忠様にとってもはや些事なことであったかと、ふと思ったのだが・・・。その後信州伊那路に入りゆるりと十日ほどかけて南信濃を蹂躙し高遠城を包囲したのが月が替わった三月一日であった。その間、信忠様は普段と変わらぬ素振りでゆったりとされていたようにわしの目には映っていたが、実はそれが間違いだったと気づかされたのはそれからであった・・・。その日、信忠様は高遠城に対して地元の僧を使いとして降伏勧告を伝えさせたのだが城方はこれを拒絶。使者であった僧の耳と鼻を削ぐという暴挙で返事を寄越したのであった・・・その回答を受けた信忠様はこう、仰せられた・・
「是非も無し・・・明日、総攻めに致す」
その時の信忠様の表情は・・・修羅の如き表情であった・・・豹変した信忠様の態度に危機感を持ったわしは寝所へ戻ろうとする信忠様の憤怒を癒そうとその後を追い、やっとの思いで信忠様と話すことができた・・・そこで
「信忠様、お怒りもっともなれど明日の総攻めは急がず、焦らず、じっくりと攻める事に致しましょう。これは、軍監としての意見具申でございます」
「・・・」
「お父上様である信長様よりも、この一益、信忠様が功を早って焦らぬようしかと監察しておれと厳命されておりまする。ご納得できぬやもしれませぬがどうか、ご堪忍のほどを・・・」
「一益・・・」
「はっ・・・」
「わしは・・・私は・・怒っておったか・・・?」
「とても険しい表情にそれがしには見受けられましたが・・・」
「そうか、そう見えたか・・・ククク・・ハハハ・・・」
「信忠様・・・」
「私は・・・私はだめだなぁ・・・お父上様のご期待に副うことはできぬようだ」
「信忠様・・・」
わしは、顔を上げた信忠様の何ともいえぬ寂しげな悲しそうな苦笑を浮かべた表情を見て言葉が出なかった・・・。
「お父上様やそなたにさんざん念を押され急いて事を進めるなと言われ泰然自若を装うておったが・・・我慢もここが限界のようだ、すまぬな一益。ここへ来るまで、そう、高遠城をこの目でみるまでは何とか急く気持ちや昂る心を何とか抑えてきたのだが・・・もう、抑えられぬ。それでそのたぎる荒ぶった心根が漏れて出れしまった表情がそなたには怒りの表情に見えたやもしれぬのう・・・一益!!!」
「はっ!」
信忠様は腰掛けていた床几から、スクッっと立ち上がるとこう申された。
「あの城には、松が・・・松姫がおるやもしれぬのだぞ!!!」
「あっ!!!・・・」
「城内では、討ち手の総大将がわたしと知れ渡っておるであろう・・・もし松姫が居ったとすれば私との過去の関係からいわれない嫌疑の目で見られ、自責の念で・・・今! そうだ、今においても自害しようとしてるかもしれぬ!!! そのような事を想像しておったら居ても立っても居られぬわ!!!」
「信忠様・・・」
「今宵は、静かにしておる安心せよ。であるから、もう一人にしてくれ・・・そちにあまり情けない姿を見せとうないのでな・・・すまぬな一益・・・」
「・・・」
わしに背中を向けそう仰せになった信忠様に、わしは黙ったまま首を垂れそのまま寝所を後にしたのじゃ・・・。
(チィリィ~ン~~~、チィリィチリィ~ン~~)
一益の口から武田攻めでの中将信忠の様子を初めて聞かされた慈徳院、友閑、堀の三人は皆、押し黙る・・・。
『今思えば信長様は信忠様の心中を見越しておられたのであろうな・・・』
『上様が見越しておられた・・・とは?』
一益の言葉に堀が問い直す。
『先程話したが、信濃入りの準備に美濃岩村城でわしや信忠様の軍勢は集結しておったのだが、実はな信濃入り前日に信長様より早馬の使者がわしの許へ参ったのじゃ。その使者がもたらした信長様の書状には、くれぐれも若い信忠をよく補佐せよと書かれておった・・・あの信長様が念を押すように慌ててわしに手紙を寄こしたのはやはり・・・やはり信忠様の態度が豹変することを予想しておったのであろうな・・・』
『そのような事実があったとはのう・・・』
友閑も驚きながらも、なぜか腑に落ちるような表情で感想を漏らすのであった。
『その翌日三月二日からは、信忠様は人が変わられた・・・早朝から高遠城攻めが始まると城勢の気迫に押されて攻めあぐむ味方に業を煮やされ、「ぬるいわ!!!」と言うや自ら陣頭に立ち堀際に近寄るや塀の上に登り味方を𠮟咤激励をされ、ついにはその日の内に高遠城を落としてしまった・・・城内に松姫様の姿が無く事前に城から脱出していたと情報を得るや信忠様は、その翌日三月三日には諏訪まで攻め込み武田家が深く庇護していた諏訪大社の上社を焼き討ちされてしまった・・・それからも進撃を速め、ついには甲斐甲府に三月七日に到着・・・高遠 諏訪 甲府・・・まるで松姫様が歩んだ逃路を追うように・・・な』
『中将様のお心の焦りが武田家の滅亡を早め・・・そしてその因果か、
『本当に・・・なんと 悲しいお話しでございましょう・・・』
一益の話にしみじみとつぶやく友閑に慈徳院もそう相槌を打つ。
『左近様、松姫様はどなたかにか嫁がれたという噂は聞きませんでしたが・・・?』
堀の問いに一益は答える。
『真田殿の話によると松姫様はその後いろいろ縁談の話があったようだが全て断られていたようだ・・・』
『そうですか・・・』
『中将様もあまり御正室への縁談には乗り気では無かったからのう・・・やはりお二人の間には余人が推し量れぬ何かがあったのであろうな・・・』
『そうでございますね・・・ええ、そうでございますよ。松姫様からのお手紙は悲しい事ばかりでなく家同士の婚約者であったはずの中将様を 亡くなられた後も慕われてこのように御髪も添えて私にわざわざ書状と一緒に送っていただいたんですもの、こんなに嬉しくて心を打つお話しは聞き及んだことはございません!』
友閑の言葉に慈徳院が落ち込んでいた気持ちを少し持ち直すような口調で賛同の意をあげる。
『ところで、かずえ。松姫様よりそなた宛に手紙が届けられたのには驚いたのだが、そちは今までも松姫様と文のやり取りをしておったのか?』
一益は元気がやや戻った義娘を優しい目で見ながら尋ねる。
『いえ、義父様。御当家と武田家の関係が宜しくなくなってからは書状のやり取りはしておりませんでした。されど両家の関係が良好な時分には中将様の手紙に乳母である私も添え状をしたためて一緒に送ったものです。その時分には松姫様はご丁寧にも私宛にも返書を送ってくださいました・・・松姫様は・・・』
『うん?・・・いかがした?』
そこで口ごもる慈徳院に一益は優しく話しかける・・・。
『・・・松姫様はそのような私のことを・・・今でも憶えておられたのでございますね・・・とても とっても嬉しいことにございます・・・』
慈徳院そう言いながら手にした松姫からの手紙を愛おしそうに見つめ直した。
その様子をじっと友閑は見ていたがやがて、こぼすように語り始める。
『中将様の・・・信忠様の松姫様に対するお気持ちがそこまでのものであったとはな・・・それがしは気づかなんだ・・・。それがしは信忠様に不快な思いを何度もさせたやもしれぬ・・・知らなかったとは言え、申し訳ない事をしてしまったわい・・それならそうとわしに言ってくれればよかったのじゃが、信忠様はニコニコと笑って「其の儀は、お断りじゃ友閑」と仰せられるだけだったからのう・・・悪いことをしたもんじゃ・・・上様も上様じゃ、信忠様の気持ちを知っておったのであればわしや村井殿、夕庵殿があのように内裏との板挟みに悩むことは無かったではないか・・・
今思うと、上様は全部ご存知の上で我等の好きにさせておったのではないか・・・?
ああああ・・・少し腹が立ってきたわい』
少し機嫌が悪くなってきた友閑に一益は敢えて尋ねる。
『友閑殿、それは当時織田右大臣家内において公然の禁句となっていた織田家御嫡男信忠様の御正室問題についてでござるな?』
『いかにも! あの当時・・・そう天正二年から三年にかけて朝廷より上様に官位を授けようとしきりに働きかけがありそれと同時に信忠様の爵位、任官への打診であった。またその案件とは別に我等三人に対して内々ながらしきりに未だ空席となっておった信忠様の御正室に朝廷内の有力公卿衆からの縁談の申し込みであった・・・当初は我等は、その件については上様、並びに信忠様の御意向があります故にと申してのらりくらりとかわしておったのじゃが、天正三年のある時期を境に信忠様御正室への問い合わせの圧力が強うなったのじゃ。武家伝奏の任にあった勧修寺晴豊卿までも非公式ながら内裏の意向として問い合わせがあったのだ』
『ほう・・・そんなことが・・・天正三年のある時期からとな・・・』
一益はポリポリと顎鬚を掻きながら往時を思い出そうとする。
『うむ。流石に勧修寺殿までにも問われると我等の一存だけでは対応しかねるということで改めて上様にご相談申し上げたところ上様は、少し困った表情を見せたあと苦笑しながらこう申された』
「信忠に話をしてみよ、新たな正室を迎える気持ちはあるかとな。信忠が諾とすればわしには異存はない」
『そのように上様の許諾を受けた我等はそれからは、一緒の時もあれば別々に信忠様の許へ何度か足を運んだのだ。まあ、わしよりも村井殿の方が岐阜へ向かった回数は多かったであろうがのう・・・今、思えば・・・信忠様の心情も知らず我等は・・申し訳ない事をしたものじゃ・・・』
友閑は最後の方は声音を落として話し終えるのであった。
一益は友閑の話が終わってもまだ往時の事を思い出そうとしている。
『天正三年・・・天正三年といえば・・・長篠の戦があった後、確か越前一向宗攻めがあった年・・・そして暮れには信長様が権大納言、右近衛大将に任じられた年であったか・・・やはりその事が原因で信忠様御正室問題に朝廷が介入することになったのであろうかのう・・・』
一益は夢中に考え込むあまり、掻いていた鬚を今は抜き始めようとしているのに気づいていない・・・。
慈徳院は義父のそんな仕草に少し眉をひそめていたがあえて指摘せず何故か黙ったまま友閑と一益の話を聞いていた堀に視線を向けると不意に思い出したように堀に問う。
『そういえば・・・天正三年だったと思いますが久太郎殿、そなたは婚儀があったのではありませんか?』
『はっ・・・確か・・・そうであったかと・・・』
急に慈徳院に話を振られた堀はやや狼狽気味に答える。
『久太郎の婚儀だと・・・?』
一益は思考を止め義娘の言葉に反応する。
堀は一益に睨まれると居心地が悪そうな表情を浮かべ始めた・・・。
と、その時
『カッカッカ・・・よく思い出してくれました慈徳院様。そうです、天正三年にそう、そこに控える堀久太郎秀政が朝廷に仕える
『はっ・・・』
『上様! 信長様の肝入りだと!! 久太郎の婚儀が⁉。 それは初耳だぞ!!!』
『・・・左近様には申し上げておりませんでした、どうかお許しを・・・』
一瞬にして頭を低く下げた堀に一益は
『久太郎よ、顔を上げよ! そちを攻めておるのではない。ただ、上様 信長様の肝入りでそちの婚儀が行われていた事実に驚いただけじゃ。これは、どういった理由であるのか友閑殿?』
『一益殿が驚かれるのも無理はござらぬ。家中においてもこの久太郎の婚儀を上様肝入りで行われた事実を知っておるのは数人にすぎませぬ故に。先ほど触れた天正三年のある時期から朝廷、有力公卿衆から信忠様御正室問題について急にかしましくなったのは・・・実は久太郎の婚儀が重大な影響を内裏周辺に影響を与えたからなのでござるよ。では、何ゆえに朝廷及び、有力公卿衆達が久太郎の婚儀に色めきだったのか・・・亡き上様があれほど熱心にこの久太郎と、とある箏を奏でる楽人の娘の婚儀を推し進めたのか・・・今は久太郎の奥方におさまったその娘御は実は高貴な血を汲む人物の隠し子でござった・・・源氏の長者という血脈を・・・』
『げ 源氏の長者だと⁉ 今の源氏の長者は・・・まさか、あの
『いかにも。村上源氏の血を汲む清華七家が内の久我家の御血脈にあられる・・・』
『な なんと・・・。久太郎・・・おぬしの嫁御は・・・』
(【源氏の長者】だって!!!???・・・)
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