第8話 海蔵寺での邂逅 堀 久太郎と柴田 源左 Scean5

(堀は検官 監察官だったか・・・)


 奏司は堀の口から出たその【監察官】という言葉の意味を改めて考える・・・。


(後の史実を知っている現代の自分にだからこそ言えるのだけど・・・秀吉は堀から話を聞いた時はかなり背筋が凍えただろうな・・・。秀吉は堀から信長の意向を聞いた時にはもう備中高松城の城主、清水宗治の切腹を条件に毛利家と和平の交渉をしていたのは事実・・・堀から信長自らの上意書を見せつけられ慌てて自分が独断で行っていた毛利家との交渉を中断し信長の着陣を待つと返事をしたようだが・・・少し無理がある・・・堀がさっき自身の口で話していたがこの時の秀吉が堀によって被らされた『貸し』はただ堀が信長に秀吉の行状を書状で報告しなかったためだけだとは思えない・・・他に何か 秀吉が堀に対しかなりの負債を抱え込んだような気がしてならないのだが・・・堀が語った言葉、二人の間にこの貸しの一件が後にこれほど大きな影響を与えるとは・・・この言葉の真の意味は・・・うーん・・少しうがった考えかな・・・?)


 奏司は新たな疑問に対して直接尋ねれないもどかしさを感じるのだ・・・。


(いやぁ・・・二人の会話に突っ込みどころ満載で整理がつかない・・・あの松井友閑が秀種と一緒に西光寺を訪れていたとは・・・友閑さんは堺の代官を秀吉によって罷免されたあとどうしてたんだろうか?・・・それに滝川一益が慈徳院の父??妙心寺の56代座主、九天某の父親???・・・はあ・・・最後に・・・於市の方様までご登場だとは・・・これは、出来過ぎな展開でしょ・・うっ‼ 会話が始まる・・)








「於市の方様は、亡き上様の百日法要の件で九天宗瑞殿、慈徳院兄妹様にご相談があったようで、妙心寺内にある暘国庵ようこくあんに滞在されており、私が友閑様と伺った日の前日にちょうど上様の月命日の供養もされた後でございましたな」


「上様の百日法要の件で・・・」


 上様の百日法要の件という堀の言葉に少し顔を曇らせた源左に堀はかまわず続ける。


「ええ、滝川殿 いや これはしたり、上様存命時の言葉でしたな ハハハ、やはりこちらの方がしっくりくる。 滝川殿なく左近様と呼びましょう、その当時左近様が岐阜城に在られる三法師様の許にご機嫌伺いに何度か訪ねた折に同じく岐阜城にいらっしゃった於市の方様から兄である上様の供養はどうなっておられるのかとお尋ねになられたそうで、相談を受けた左近様は、ならばそれがしの愚息が住職をしている妙心寺で法要をあげるのはいかがとお答えしたところ於市の方様は渡りに舟とばかりに快諾されたそうです」


「そんな仔細が・・・」


「左近様は、この年の前年天正九年にご子息であられる九天殿を開祖として暘国庵を創建されており、またこの年、天正十年に中将様の菩提寺として大雲院を建立している最中でありましたから、亡き上様並びに中将様の法要をするにはうってつけの場所だったのですよ」


「うーむ・・・何とも用意周到というか・・・さすが、滝川殿と 言ったところか」


「他の重臣の皆様方には誹謗と受け取られても仕方ありませんが、この時期に上様、中将様の法要の件を具体的にされようと動いていたのは左近様・・・ただ一人だったかと・・・」


「ふむ・・・」


「まあ、私も法要の件では何もしておりませんでしたから他の方を誹謗する理由はございませんでしたが・・・」


「久殿、そう自身を卑下するものではないと、それがしは思うが・・・当時の久殿の忙しさは織田家随一だったと聞き及んでおりますぞ。上様亡き後、広大な織田家の家宰を執り行っていたのは紛れもなく堀 久太郎殿ではなかったのですか?」


「いや・・・」


「他の重臣方はそれぞれの領地経営に忙しく、亡き上様が残された直轄地の仕置きや上様直属の奉公衆達の面倒、更に様々なまつりごとなど誰も差配はされておらなんだ・・・そんな面倒な仕事を一手に引き受けていたのが久殿ではなかったのか?それがしは、そう思いますが・・・」


「いえいえ、私一人でというのはおこがましい、竹殿(長谷川秀一)や善七殿(矢部家定)も協力してくれましたので・・・」


「ふーむ・・・長谷川殿と矢部殿ですか・・・そのお二人とも上様、中将様の法要の件は失念されてたのであろうか・・・?」


「さあ、どうでしょうか・・・直接その件で相談を受けた記憶はないですが・・・ただ二人共その後行われた妙心寺での百日法要の準備には積極的に協力してくれたのですよ、特に矢部殿は元亀の時代の頃から妙心寺の担当政務官でしたから妙心寺側との交渉はお手の物だったかもしれませんね」


「ほう・・・そうでござったか・・・」


「矢部殿は元亀の時代に妙心寺寺領の安堵の件でかなり寺側に恩を与えたはずです。その矢部殿に対し妙心寺側も悪い顔はできないでしょうに、また法要の時代の妙心寺当代は左近様のご子息であられた九天殿でしたから、寺院内にあるそれぞれの塔頭たっちゅうの意志統一にもそんなに時間が掛からなかったかと。また私にしても妙心寺は所縁がありまして、天正元年(1573年)の十一月に行われた妙心寺でのお茶会にも上様の近侍として矢部殿と一緒に出席した事もあり、その縁もあって上様の百日法要まであまり時間が無い中、自分なりに手伝いができたかと自負しております・・・まあ・・・フフフ・・・」


「うん、いかがされた久殿・・・?」


 話のさ中、思い出し笑いなのか急に吹き出した堀に源左は尋ねる。


「いつでしたか、法要準備の件で私と矢部殿、長谷川殿が三人で妙心寺に伺った時の事ですが、左近様からきつく叱責されまして」


「ほう・・・」


『信長様、信忠様ご両人の法要を失念していた罰じゃ、キリキリと仕事をせい!!』


「そんな風に叱咤された我ら三人は、まるで小姓時代に戻ったようだな、と、苦笑いをしてましたな、フフフ・・・」


「・・・」


「叱られたあと、その日の終わりに我らの慰労だと、左近様が自らお茶を点てていただいた事がつい最近のように思えます・・・」


「そのような事があったとは・・・」


「ハハハ、昔物語もいいものですな・・・」


 源左は楽しそうに笑いながら思い出を語る堀の姿を見つめていたが、何故か心の中に何かざわめくモノを感じ始めていた・・・


(目の錯覚か・・・久殿の姿がはかなげに映る・・・)


「ああ・・・そうでしたな、お茶といえば・・・その時期に実際に上様の百日法要を努めようと動かれていた方がいらっしゃいましたな・・・」


 源左の懸念に気づかず堀は微笑を浮かべながら語る・・・。


「お茶といえば・・・で、ござるか? やはり・・・」


「ええ、その方は利休殿・・・当時は、千宗易殿でございましたか・・・」








        ーーーー  ☆☆☆  ---ー






(利休・・・ここで堀の口からその名が登場しましたか・・・)


 奏司は、何とも言えない感情が彼の心の中に広がるのを感じている・・・。


(利休・・・利休ねえ・・・どうしようもなくラスボス感を漂わせる名前だ・・・)


 その奇妙な感情の高ぶりを無理に抑えるのでなく奏司は自らの思考回路のスイッチを心の中で押してみる・・・。


(利休さんの事は少し置いといて、少し整理をしてみようか・・・堀の話によると信長、信忠親子の妙心寺での百日法要は滝川一益、九天宗瑞、慈徳院の滝川親子、於市の方が中心になりそれに堀、長谷川、矢部等の信長側近衆が協力していた・・・言われてみれば妙心寺と彼等の繋がりを改めて振り返るとまさに無難で無理はない、むしろ普通で道理なのか・・・うん⁈ まてよ・・・秀吉はこの時期どうしてたんだ、後世史実ではあのド派手な大徳寺での信長の百日法要は彼にとって自らの威勢を示す一大デモンストレーションだったはず・・・秀吉ほどの男が何もこの時期に動いていないとは思えないが・・・。ふーむ・・・妙心寺での法要は確か、天正10年9月12日、そして秀吉主催の大徳寺での法要は同年10月15日だったかな? うーん、ひと月ほど間隔が空いてる・・・何か理由があったんだろうか?)


 奏司は頭の中で堀の語りで得た事実を整理しながら往時の状況を想像する、そこで重要な疑問に気づいてしまう・・・。


(だがなぜ? どうしてなんだ・・・その時期の8月まで一益と親しく協力関係だった堀達がそれから数か月後には一益の敵側となり、長谷川、矢部は伊勢方面で蒲生氏郷と一緒になって戦場で一益と相見える事に・・・堀は、於市の方様が嫁いだ柴田勝家と賤ヶ岳方面で直接対峙する・・・この間にいったい何が・・・)






         ----  ★★★  ----






「なるほど、利休殿も動かれておられたか・・・」


「私もその時に友閑様よりお聞きするまで知らなかったのですが」


 堀は相槌を打つ源左の手元にある空の湯飲みを見ると


「源左殿、そろそろ白湯にも飽きたのでは?」


「うん? いや まあそうでござるな」


「お茶の話になったせいか、私も小腹が空いてきましたからお茶と茶団子などいかがでしょうか?」


「茶団子!! いいですな、ご馳走になりますか」


 茶団子と聞き、うれしそうな顔をする源左に堀も表情を綻ばせ


「実は今朝、宇治のお茶と茶団子が届けられてましてな、ちょうど良かった、団子が固くなる前に頂くことに致しましょう」


 そう源左に説明すると近習に持ってくるように命じる。


「それで久殿、なかなか興を惹かれる方々が集った妙心寺ではいったいどんな話がなされたのでござろうな」


「気になりますか?」


「それは、もちろん。於市の方様や慈徳院様、友閑殿、更には滝川殿までその場に居合わせたとあれば興味がでないわけがあろうはずもない。まして、それがしはその時期は世捨て人になっており上様、中将様の法要の件は初めて聞く事ばかりですからのう・・・」


「源左殿がそこまで乞われるのであれば、その時の情景を語らさせて頂きますか。」


「かたじけない」


 堀は興味津々の表情をする源左から視線を外し、往時を思い出すよう宙を見つめると、ややあってから語り始める・・・。


「そう、あの日は天正十年八月初旬の頃・・・急なにわか雨にせかされるよう妙心寺南門をくぐった辺りだったでしょうか・・・」








『して久太郎よ、朝廷に仕える当家(織田家)の奉公衆や雑仕女達の俸禄の件は片付いたのか?』


 松井友閑は、堀に尋ねながらせわしそうに手ぬぐいで濡れた身体をぬぐっている。


『はっ、とうざの三月分みつきぶんは用意できましたので何とか』


 堀もまた門の下で雨による水滴を丁寧に拭いているのであった。


『その財源はどこから用立てたのじゃ?』


『とりあえず、丹羽様から佐和山城の受け渡し時に頂いた心づけがございましたのでそれと京に向かう道中にて私の一存で草津、大津の代官殿に合力していただいた分で賄い申したが、宜しかったでしょうか?』


『良くも悪くもないわ、その件で文句を言ってくる者があれば今後わしに申せ、わしがきっちりと言って聞かせてやるうえに』


『はっ、承りました』


『それにしても、祟れられるのお、惟任日向の一件で当家はいきなり金欠じゃて。あ奴が安土から金銀財宝を全て持ち出しそれをいたる所に巻き散らかしおったおかげでこっちは予算も組めんわい。更に言わしてもらえばその時朝廷、宮中の公卿達にかなり大盤振る舞いしたというに、その金はどこにいったのだ!』


『その事でありますが、上様在りし頃から朝廷には潤沢な予算を充てていたはずでございます。今回のように急に当家の奉公人達の俸禄を朝廷で面倒をみる事ができないほど宮中はひっ迫しておるのでしょうか?』


『そんな事はあるまいて、朝廷の人間達は昔から一度手に入れた物はなかなか手放さぬ人種ぞ、惟任日向からいただいた金銀財宝は隠し持っておるに違いないわ。一事が万事、上様がお隠れなさってからあの業突く張りの殿上人達は自分たちの利益しか考えておらぬ、上様がおられればこんな事はなかったのだ』


 堀は腕白小僧のようにまくし立てる松井友閑を見て、内心でクスリと笑いがこみ上げるのを感じている。


(こんな悪態をつく友閑様だが、れっきとした殿上人、正四位下 宮内卿法印殿であられるからな、フフフ・・・)


『ん? いかがいたした久太郎』


 堀の気配に不穏なものを感じたのか友閑は堀を問い詰める。


『いえ、せめて村井様がご健在であったらと・・・』


 慌てて話題を変えた堀を、友閑はいぶかしそうに見つめていたがやがて、


『うむ・・・まこと 村井貞勝殿がおればこのような事は起こるまいて・・・』


 そうつぶやく。


『村井様は、本当に素晴らしい京都所司代職であられましたから・・・』


『いかにも・・・』


 友閑は亡き僚友を偲んでいるのか、急に口を閉ざす・・・。


 堀もそんな友閑を気配り、じっと弱くなってきた雨脚を眺める・・・。


 やがて空を見上げる堀の視界に一羽の若燕が、スゥーっと入り込み、堀達が雨宿りをしている門の軒下に止まったのであった。


 その燕は濡れた羽を一生懸命にくちばしで繕い始める、堀が、呆とその光景を見ていると不意に友閑が口を開いた。


『実はな久太郎、公卿達がここにきて急に金と禄について騒ぎ始めたのには訳があるのだ』


『それは、いかなる訳でございますか?』


 友閑は、声をやや落として堀に答える。


『筑前が、検地を始めた・・・ここ山城でな・・・先月の事じゃ』


『羽柴殿が検地を⁉』


『うむ・・・わしもうっかりしておったのだがここ今上陛下のおわす京の都のある山城国はあの清州会議にて筑前の領地となった、それは当然知っておるな?』


『はい、それはもちろん』


『であれば、この山城の領主は筑前であるな?』


『はい、ですから領主である羽柴殿が検地をされるには何も問題ないかと・・・何か不都合がございましょうや友閑様?』


『やはり、そちでも気づかぬか・・・』


 険しい表情になった友閑に堀は緊張を覚え再度問いなおす。


『不明なそれがしに、友閑様のご懸念を教えていただけませんか?』


『ならば問おう久太郎よ、上様がおわした時ここ山城は誰の領地であったかのう?』


『・・・それは当然のごとく亡き上様の領地、直轄地でございました・・・』


『その通りじゃ。上様ご御代の時にも京都所司代であった村井殿に命じて検地は行ってはいたのだがここ山城という国は寺社仏閣の荘園が多くまた上様のお声がけで略奪されていた朝廷や公卿衆達の荘園も元の持ち主に戻させたという経緯があり厳しくはされていなかったのが実情だった・・・そちも聞き及んだ事もあろう・・・?』


『はい、存じております』


『そのような微妙な内情を抱えた山城という国で筑前は新たな検地を凄まじい速さで厳しく正確に執り行っておるのだ・・・』


『新たな・・・検地でございますか・・・』


『うむそうじゃ、従来の在地名主からの書類で判断していた検地でなく筑前は新たに測量を現地で行い農地と農地、言い換えれば領地と領地の境界をきっちりと定め直し始めた・・・これに驚いたのが各々の荘園を在地国人達に任せていたその荘園の領主達だ』


『あっ‼』


『やっと気づいたようじゃな、その国人達から報告を聞いた荘園領主達というのが朝廷に侍る公卿衆達だ。自らが持つ権威で不法にしてあいまいに他者の領地を侵食していた彼等は自分達の実入りに直結する領地への規制や削減に対して危機感を抱いたのであろうな、そのために朝廷が行う出費に関しては神経をとがらせているいるのじゃよ・・・』


『それで朝廷は織田家の奉公衆達への俸禄を滞らせさせたか・・・』


 堀は友閑の話を聞いて理解はしたが、納得できない風情だ・・・


『更には、府内にある加茂大社をはじめとする神社や、京都五山をはじめとする仏閣もそれぞれの荘園の管理者である国人達からの報告で筑前の検地への対応でかなり慌てているようじゃて』


『羽柴殿の 新検地ですか・・・』


『もともと筑前がこの地で施行している検地は上様の腹案であってな』


『上様の⁉︎』


『うむ、筑前めは長浜を領地として拝領した時から上様からの命で試策として行なっていたらしい』


『そんな以前からですか?』


『まあ、長浜では隣接する他の領主達との兼ね合いで上手くゆかなんだようだが』


『そうでしたか』


『ところが、播磨の国の一国持ちの領主となった筑前は気兼ねなく新しい方法の検地を施行出来たらしくその結果も上々だったようだのう。そして播磨での経験を踏まえてここ山城で更に効果的な新検地を進めている・・・わしはなぁ、久太郎・・・』


『はい』


『あの男・・・羽柴筑前守秀吉という男を見誤っておったのかもしれぬ・・・』


『・・・?』


『あ奴がやり始めた新検地に戦々恐々となった朝廷公卿人達や、京の寺社仏閣関係者達が新検地でのお目こぼしを頼みに今やあ奴の居城となりつつある山崎の宝寺に筑前詣での日参の光景が普通になっておる有様じゃ・・・』


『ゆ 友閑様! 今、何と仰せられましたか? 山崎の宝寺が羽柴殿の居城にと申せられたように聞こえましたが⁉』


『うむ、その通りだ。そちは知らなんだか? 筑前は先月7月中旬より普請を始めておる』


『山崎に城を・・・羽柴殿は何故に・・・』


『更に言い換えれば、誰に対して山崎宝寺に城を築こうとしているのか・・・で、あるかかな久太郎?』


『はっ、その通りでございます。 この事、柴田様や信孝様がお知りになればまた事態が紛糾するのは必至・・・何故に羽柴殿は・・・清州会議が終わってひと月も経ってないその時期に・・・』


 表情を曇らせる堀から視線を移した友閑は小降りになってきた雨空を見上げながら続ける・・・。


『その築城の件も含めてだが、京からの使者を山崎にて応待する昨今の筑前の振る舞いは少し増上慢に見えてしょうがない・・・まるで・・・誰の意にも気にしない天下人のように映る・・・』


『・・・』


『さきの検地の件でも筑前は独断で上様以来の家法である年貢率をここ山城の地では変更しておる、織田家領内の年貢率はどうであったかの久太郎?』


『収穫の三分の一を税として納める・・・でございます』


『うむ ところが筑前めは新検地によって年貢率を二公一民にしおった・・・』


『ま まことでございますか⁉ それは・・・民達にとってあまりにも重税ではございませんか! 上様は民草から多くは税を取らぬ事をことの他お心を砕いておられました・・・それを知らぬ羽柴殿ではござらぬはず・・・』


『そちの憤り、上様のなされようを長きの間、見ておったわしにも、ようく分かる。その事だけでも腹立たしいにもかかわらず、更にわしを憤慨させておるのが織田家にとって非常な大切な家法であった年貢率をあ奴は独断で自領において施行させたことであるぞ!』


『あっ!』


『久太郎も存じておろうに、上様の御代、織田家がどうしてここまで広大な領地を持つに至ったかの理由を・・・時代をさかのぼって今川、三好、武田、上杉、浅井、朝倉、比叡山、本願寺らという強敵相手に常に戦い続けられたのは糧食に困った事がないからだ・・・普通に考えれば戦続きの領民達は年貢を納めるのが難しくなり他所へ逃散してしまうのが道理である・・・が、織田家は違っておった・・・上様のお心配りで農民達へは決まった年貢以外の徴収は皆無であり当家から他所への逃散などほとんど無かった・・・むしろ安い年貢率のおかげで他所から逃散してきた農民や民草達が大量に当家領内に流入してきたぐらいであったからな、そのおかげで当家の民草の数が異常に増えたのはそちも知っておろう・・・』


『はい・・・』


『民草や農民の数が増えればそれだけ領内の生産力が上がり国力が更に上がる事を上様は知っておられたのだ・・・』


『そうで・・・ございました・・・』


『今、思えば賦役の多さや重税だった甲斐や信濃・・・また、国内で常に戦があった越後・・・その越後上杉氏によって毎年のように食い荒らされた上州、武州といった関東・・・その方面からの流人がなんと多かったことよ・・・』


『・・・』


『その織田家の根幹となる御定法の年貢率を衆に諮らず独断で変更し施行する筑前守秀吉・・・わしはあの男を見誤ったのかもしれぬ・・・のう、久太郎よ』


『はっ』


『あ奴、筑前めは人が変わったように思えぬか? 確かに上様の仇討も見事にやりとげ勲功は大きく所領も気づけば織田家随一である が、あ奴はあくまでも織田家の家臣の一員ではないか・・・備中からの大返しから山崎の合戦へ、そして清州会議と一連の重要な出来事に筑前の姿を近くに見ておったそちから見てどう感じる?』


『・・・羽柴殿とはここひと月ほど会ってはおりませんが、確かに変わられた感は致します。備中から山崎の戦までの間の羽柴殿は何と申しますか・・・そう、不思議な高揚感を持たれていたように見えました・・・』


『高揚感とな?』


『はい、上様の仇を討つ・・・その為に全身全霊で自らを鼓舞していたように見受けられました、ですが山崎の戦を終え清州会議での羽柴殿はその高揚感とは別のものに包まれていたように思えます・・・』


『別なもの? とは』


『上様の仇を討つという重圧からの解放感から来る意志の高揚・・・と 申すのでしょうか・・・旨く表現できませんが。あの清州会議において柴田様や丹羽様、池田様を向こうにまわし遠慮なく堂々と自らの存念を述べるあの姿は上様がおわした時にはお目にかかった記憶はございませんでしたので鮮烈に覚えております・・・』


『解放感とな・・・ふむ・・・そちはそう感じたか・・・』


『はい・・・それと何やらあの小柄な羽柴殿の姿が以前より一回り大きくなったようにも感じたものです・・・』


『なるほど・・・一皮剥けたという分けか・・・。わしはな久太郎・・・』


『はい』


『そちが筑前に対して感じた解放感というのが単に上様の仇を討ったというだけではないと想像しているのだがな・・・』


『それは、どのような事でありましょうか?』


『・・・上様という存在から、解放されたと・・・わしは睨んでおる・・・』


『な なんと⁉ それは いかなる意味でございましょうや!?』


『・・・』


 友閑の発した言葉に堀は驚きながらもその言葉の真意を問うが友閑は自らの考えをまとめているのか暫しの間沈黙を続ける・・・。


 その後ややあってから、二人の沈黙を破るように別方向から言葉が投げ掛けられたのであった。


『恐れ入りまする、松井様、堀様。 雨も止んでまいったようですので手前どもは先にご贔屓先ひいきさきにご献上の品をお届けに上がりとうぞんじますが宜しゅうございましょうか?』


『おお! 藤二郎殿。話に夢中になってそなた等の事を失念しておった、すまぬ』


『いえ、手前どもの方こそお二人様のお話の腰を折るようで申し訳ございませぬ』


『いや、こちらこそ要らぬ心遣いをさせたようで、悪かったのう。精を出して商いをされてまいれ』


『ありがたきお言葉でございます。後ほど暘国庵へはお伺いさせて頂きますので宜しくお願い申し上げます』


『うむ、そなたも今宵行われる暘国庵での催しの大事な参加者の一人じゃ、心置きなく催しが楽しめるようしっかりと良い商いが出来ることを願っておく』


『では』


 藤二郎と呼ばれた男は友閑と堀に深々と頭を下げると、引き連れてきた使用人達を率い、地面から浮かぶ雨もやによって霞みながらも正面に見える伽藍の両端に建っている塔頭に向け歩みを始めるのであった。


『いい商人になった・・・』


 友閑は藤二郎と呼んだ男の後ろ姿を眺めながらつぶやいた。


『我等の会話に遠慮してひっそりと離れながらただ黙って立っておった。あの者が率いてた使用人達もだ、よく教育されておる。 彼の者のその心配り・・・たいした者じゃて・・・更には我等の話がきな臭くなるのに気づくや、そっとその場を離れようとする恐ろしい程の嗅覚であるのう・・・』


『森 藤二郎殿と もうされましたかな?』


 堀は視線の先でだんだんと小さくなる森の後ろ姿を見つめながら友閑に尋ねる。


『ああ、あの者は森 彦右衛門の跡取り息子じゃ』


『森 彦右衛門殿と申せば宇治の茶師殿では?』


『いかにも、彦右衛門は上様より任じられた御茶頭取で今でも宇治郷の代表名主である。その彦右衛門の名代でせがれの藤二郎殿がわしの頼みに付きおうて京まで来てもらったのじゃよ』


『そうでございましたか』


『慈徳院様からのたっての願いで今宵催される特別な茶会に必要な道具一式を藤二郎は持参して来てくれたのだ。本来ならば当主の彦右衛門がわしと同道するはずであったのだが藤二郎が申すに上様がお隠れになって以来、彦の奴は病に伏せがちになっているようでのう・・ちと心配しておる・・・』


『お話をうかがうかぎり友閑様は御茶頭取である森殿のことを彦と呼べるほど懇意であらされるのですな?』


『まあ、そうじゃ。上様とわしと彦の付き合いは天正2年(1574年)の上様の南都(奈良)下向の折からであるからな』


『上様も!! その南都下向というのは蘭奢待らんじゃたいの切り取りのため奈良東大寺正倉院に勅許を持って赴かれた時にございますな?』


『そのとおり、その年の前年7月に宇治にて上様が槙島城に立て籠もる将軍義昭公を攻めた折に宇治の地は荒塵となってしまったのだが、翌年3月に南都下向の途中に立ち寄った宇治の景色はまるで違っておったのだ。眼前に映る茶畑の風景の美しさに上様はことのほか感銘を受けて茶摘みや製茶の様子を見るためにその茶畑の主を呼び寄せたのだ。その茶畑の主が彦右衛門だったというわけよ、上様、わし、彦の付き合いはそれからだわい・・・』


『なるほどそんな所縁があったのですね・・・』


『あの藤二郎殿は商いの勉強のために博多の豪商、島井宗室殿や神屋貞清殿の下に行っておったのが父親の彦右衛門の体調不慮によって戻ってきたようでな・・・京に来る道中でも感じ入ったが・・・よい雰囲気 いい商人になって帰ってきたものじゃ』


『その藤二郎殿も参加される慈徳院様主催の特別なお茶会、いずれにしても楽しみでございますな』


『うむ、そうであるな。さて、雨も止んだようじゃ、我等も参るとするか』


『はっ』




『チュピチュ!チュピ! チュピーー!!』


 友閑と堀が南門から外に出ようとしたその時、先程から門の軒下で羽を休ませていた若燕が鳴き声を上げたのである。


『おお おお そなたも出かけるか、気をつけてゆくが良い』


 そう言って話しかける友閑の優し気な顔を不思議なものを見るような瞳で見下ろしていた若燕は、グッっと一瞬身体を膨らませるや視線を空に移し、パッっと飛び立って行ってしまった。その若燕の飛んだ方向を見れば、気づけば西の空には雲の切れ間から薄っすらと陽の光が射し込んでいたのであった。


 その若燕の姿を見送り、自らも門から足を踏む出そうとした友閑だったが、急に足元がおぼつかなくなり転びそうになる。


「あっ、友閑様!』


 前のめりになった友閑の体を傍らにいた堀が両腕を差し出し抱き抱えたのはほんの一瞬のことであった。


『ふうー・・・すまぬのう久太郎・・・同じ姿勢で立っておったために急に動き出そうとしたらこの様だ・・・年はとりたくはないのう・・・』


『大丈夫でございますか?』


『ああ、大事ない・・・もうよいぞ久太郎』


 堀は友閑を抱えていた両腕をほどく。


 友閑は、なだらかに下りる斜面の足元を見つめ慎重に足を進め始めた。


 堀もまた友閑の傍らに付き添うように歩み始める。


 二人の眼前に映る大伽藍は、はっきりとその姿を見せており、藤二郎一行が向かった時に見えていた雨もやはすでにそよぎ始めてきた風によって一掃されていた。

 そして境内に二人が入るのを待ち構えていたかのように蝉の鳴き声があちらこちらから聞こえ始める・・・


(友閑様の先ほどの言葉・・・羽柴殿が上様の存在から解放された・・・)


 堀は供の者達の足音を背中越しに感じながら、その言葉の意味を探ろうとしていた・・・。


『筑前はな、あ奴は上様という重しが取れてタガが外れたやもしれん・・・』


『た タガが外れた・・・で、ございますか?』


 堀は心中を見透かされたような友閑の言葉に驚きつつも丁寧に問い直す。


『上様がお亡くなりになったという事で家中の誰もが持っていた緊張感が薄まり何とも言えない解放感を感じているのは事実であろうよ・・・それが、柴田殿や丹羽殿であってもだ・・・もちろんこれを言うわし自身も感じておる事に偽りを申すものでもない・・・だが、あの秀吉という男は我等が感じる解放感とは違った意味をあの小男が感じ取っておるような気がする・・・上様という重しが無くなった今、あ奴は何を目指そうとしておるのやらな・・・織田家中の枠で収まれば良いがのう、 わしの杞憂に終わればよいが・・・』


『・・・』


 堀は友閑の懸念を聞いて考え込むのであった。





 やがて友閑は、本堂の大伽藍を正面に見ながら右方向に体の向きを変えた。目的地の暘国庵はそちらの方向にあるのであろう・・・。


 すると蝉の鳴き声が蝉しぐれのように激しくなり始める、まるで一日の終わりを惜しむように・・・その蝉たちの狂騒に雑じってカエルの鳴き声も耳につくようになるここ妙心寺はこの当時は池が多くあったのだ・・・。


『見よ、久太郎!』


『おお! 虹でございますな』


 二人の視線の先には左側に東海庵があり、それと道を挟み反対側には衡梅院が、その二つの古い塔頭に挟まれた道の先に玉鳳院と池が見えるのだが、その二つ間の宙に淡く虹がかかっていたのだ・・・。


『トンボ達も喜んでおるように見えるのう、ハッハッハ・・・』


 友閑はその風景に癒されたのか、朗らかな表情で諧謔を交え笑う。


 堀も、虹を背景にくるり、くるりと舞うように飛んでいるトンボ達を見て少し気が晴れた気分になるのであった。


 しばらく二人はその景色を眺めていたが、それから友閑は近くの道端に生えるススキや池に咲いていた蓮の花を従者たちに命じて摘み取らせるのであった、今宵の特別な茶会のために自ら草花を生けようというのだ・・・。




 その後、友閑と堀は衡梅院を背にし池の淵を歩き始めると、視界にまだ新しい木材の建築物が見えるようになる。


 友閑が、開け放たれた門の前に立ち止まる。


『ここが、暘国庵じゃ』


 堀は友閑の言葉に促され、まだ匂うような木肌を見せる小ぶりな門を見上げた。


(これが左近様創建の塔頭・・・)


 堀は見事な造りの門を見て感嘆していたが、ふと門の手前で中を凝視したまま動かずにいる友閑に気づき自分も覗き込むとやや離れた玄関先で二人の男が何やら話をしているのが見える。ついたての屏風を背にした男が口元に手を当てながら頷いているのがわかり玄関先の地面に跪く男から報告を受けているようだ・・・。


 やがて、こちらの気配に気づいたのか、地面に跪いていた男がこちらを見やると、慌てて首肯しゅこうしその場を離れた。


 一人残された男は、友閑と堀の姿を認めると草履に足を差し入れ、門の手前で立っている二人に歩み寄る。


 その男は悠然と肩をそびやかせながら歩いてくるのだが、どういう手段を使っているのかその男の足音が聞こえない・・・。


 がっちりとした体に乗った両の肩のうち右肩が左肩より膨らんで見えるのは錯覚であろうか・・・。


 近づくにつれてその男から発せられる威のようなものが感じられ、辺りを睥睨するような不敵なまなこは三国志の主役であった魏の梟雄、曹操を思わせる三白眼はかくありきかと思わせる・・・。


 その時、そよぐ風に乗ってその男の方角からそこはかとなく甘い香りが漂ってくる。よく見ればその男の耳の上には小ぶりな一輪の白い花が挿されているのが分かる、クチナシの花であろうか・・・?


 やがてその男は二人の前に立つとニヤリと不敵に笑うと口を開く。


『ようこそ参られた友閑殿! お待ちしておりましたぞ フフフ・・・』


 友閑は古くからの顔見知りのその男の醸し出す《かもしだす》雰囲気に驚きながらも冷静にその違和感を見極めようとするが・・・。


(ほう、ここにもおったかタガが外れた者が! おぬし程の男でも上様という重しから外れた解放感がそこまで纏う雰囲気を変えるか・・・一益殿?)


 友閑が違和感を感じ、目の前に立つ男こそ、この庵の主である滝川一益 その人であった・・・。











 




 


 

















 

























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