第7話 海蔵寺での邂逅 堀 久太郎と柴田 源左 Scean4

(やっぱり堀は信長の嫡孫の三法師を庇護する事を己の人生の信条にしてた・・・)


 久太郎と源左の会話によって明らかにされたことで、奏司は自分の推測が的を得ていたことに密かに喜びを覚える。


(それにしてもだ・・・)


 奏司は、二人の会話から知らされた事実に心臓の鼓動が高まるのを抑えきれないでいる・・・。


(血判状だって!??? うーむ・・・ 【多賀大社文章】・・・ふぅ~・・・見たいなぁ・・・本当に見てみたい・・・堀たちが奉納した祈願文に慈徳院の署名・・・慈徳院さんは確か後の秀吉の側室になった三の丸殿のお母さんだったよな・・・。それと慈徳院さんの名前が『かずえ』さんだったとは・・・。ああああ、やっぱり見たい!!こうなったら宮司さんにダメもとで頼んでみるか・・・そういえば・・・今年宮司さんに就任された方・・・片岡さん・・・だったかな? 皇學館大卒ってプロフィールを読んだ憶えがあるけど・・・皇學館大学ねぇ・・・うーむ・・学長の河野かわの先生に紹介をお願いしてみようか おっ!!!)


 奏司がそんなとりとめもない独り言をしている最中に源左が口を開いたのだ。





「油断すまいぞ・・・ゆめゆめ油断すまじ事・・・決して、油断する事にあたわずや・・・。『油断』という言葉・・・この二文字が三度も血判状に書かれておりました・・・。それがしは、その言葉を何度も見返すうちに身が震えたのを覚えておりますぞ、久殿・・・。  油断すまいぞ、三法師様の御身をお守りするにあたって、そのためには世間からいかに酷評されようが、悪名の誹り《そしり》を受けようが甘んじて受けてみせようぞ、ゆめゆめ油断すまじき事、いずれ泉下にて上様にお目通りかなった暁には決して恥ずべき表情をみせずに真っ直ぐに・・・それこそ一点の曇りなく久太郎は上様、中将様亡き後、三法師様をお守りし申したとご報告給えるよう、決して油断する事に能わずや・・・我が残りの生涯を捧げ奉ります・・・」


「・・・」


「それがしが久殿の許に参ろうと決心したのは、その血判状を見て久殿の赤心を窺がったからでござる・・・」


 堀は、源左の言葉に、はっとしたように薄い奥二重おくぶたえの瞳を向ける。


 源左はその堀の視線を受け止めうんうんと頷き、微笑しながら続ける・・・。


「上様、中将様を弑した側の人間が、何を申すやと思われるでしょうが三法師様をお守りするために敢えて苦行の道に進もうと決心された久殿の気持ちが私の心の琴線に触れたのですよ・・・まあ・・・自分にとって罪滅ぼしにもなる・・・と、いった一面もありましたがな、ハハハ・・・。今、振り返れば結局のところ秀種殿の思惑通りに私はからめとられてしまった・・・と、いうことでしょうか」


「秀種の・・・」


「ええそうです・・・秀種殿はよく見ておられましたぞ、あの当時の兄である久殿のことを」


「秀種が、いかように?」


「三法師様への祈願文を拝見したあと、それがしはふと興を得て秀種殿に尋ね申したのです、窮地に陥っておると申したが、久殿の様子はいかがか・・・と?」


「・・・」


『兄の様子ですか・・・そうですね普段はいつも通りの佇まいですが、そういえば折に触れて懐にしのばせている手鏡をよく覗いてます・・・』


「そう、秀種殿は申しておりました。そしてこうも申しておりましたぞ、鏡を覗き込む兄、秀政の顔は苦渋に満ちていた・・・と」


「フッㇷㇷㇷ・・・ハッㇵㇵㇵ・・・」


 源左の語りに堀は突然破顔して、小声で喉を鳴らしながら笑い始めた。


 源左は突然感情を露わにして笑い出す堀を驚きをもった目で注視する。


「ウッㇷㇷフ・・・そうでしたか・・・秀種はそんな私を見ておりましたか、ハッㇵㇵㇵ・・・これは、迂闊でした。誰にも悟られぬよう気をつけておったのですが」


「その鏡が・・・」


 源左は、急に朗らかな表情で語る堀に、さいぜんから気になっていた堀の手に握られている手鏡に視線を伸ばす。


「ええ、この片手鏡がそうです」


 堀はそう答えると、愛おしそうに右手でもっていたその鏡を源左に手渡す。


「失礼・・・」


 源左はそう言って、老眼なのか目を細めてその手鏡をまじまじと見つめる・・・。


「その片手鏡は亡き上様から拝領した品です・・・」


「う 上様からの⁉」


 源左は、絶句して堀の顔を見る・・・。


「ええ、私が上様からその片手鏡を頂いたのはそう・・・あの時でしたな・・・」


 堀は、驚く源左の視線での問いに目をそらすようぼんやりと宙に向ける・・・


「天正十年五月二十二日・・・上様より徳川殿の饗応の役を解かれた私は安土城に呼ばれ新たなお役を命じられたのです・・・備中高松城において毛利家と対峙している羽柴殿のもとへ向かうようにと・・・そのお役は軍監というただの戦目付だけでなく【監察官】として当地に向かえとの上様直々の強いお達しだったのです・・・」


「なんと!、 監察官としてあの地に参られたとは‼・・・初耳でござる・・・」


「この事は他言しておりませんでしたので・・・」


「そうでしたか・・・では 越前、加賀、能登、越中でのあの菅屋長頼殿と同じ権限を上様よりいただかれたと・・・」


「はい」


「ふぅむ・・・軍監だけでなく【監察官】としての下向だったとは・・・」


「フフフ、さすが源左殿ですなこの【監察官】の意味の重さを承知できる人間はそうおりませんから」


「それは・・・それがしも直接菅屋殿から亡き修理殿(柴田勝家)と一緒に仕置きを受けた身なれば」


「そうでありましたな」


「天正五年の折には、名指しで修理殿と私は越前国にある織田神社の件できつく弾劾されましたからな・・・あの時、修理殿と二人で恐れたものでした。上様に代わり命じる菅屋殿から領内の仕置きに関して拒否権は無いという事を・・・。そして当時府中三人衆であった佐々成政殿、前田利家殿、不破光治殿にも織田神社の管理不行き届きを追求されその罪を隠蔽しようものなら罰則も免れないとのお達し・・・戦場ではいずれも後れは取らぬ気概の我らでしたが菅屋殿の台頭に言いしれず不安を感じたものです・・・。私が柴田家から逐電してからも更に菅屋殿の権限は増し、上様から遣わされた上使、監察官として越前、加賀、越中、能登においてそれぞれ領主である修理殿、利家殿、成政殿の許可を得ずして領内の仕置きを政務できる・・・今、思えばもの凄い権限でしたなぁ・・・上様が我等に賜わった北陸での『国掟』の条文が菅屋殿のなさりようで明らかにされた・・・」


「まことに・・・」


 堀は源左の言葉にそう相槌を打つとやや誇らしそうに続ける・・・


「そのような巨大な権限を持つ監察官としての心得としてその手鏡を上様は私にくださったのです」


「ほう・・・」


「上様は、こう仰せになられました・・・」


「なんと・・・?」


「迷うたり、不安を覚えたならこの鏡を見て己れ自身を覗いて見ろ。この信長を前にした時に一点の曇り無い心根で余にまみえれるかどうか己れ自身のその眼で確かめろ・・・と」


「むむ・・・」


「わしが代わりに一切の権限をそちに与えるのだ、ゆめゆめ私情を挟むような決断をするでないぞ、よいな久太郎・・・と」


「・・・」


「上様は、仰せつかった大役に不安そうにしていたのであろう私に穏やかな眼差しで更にこう仰せられました」


『九右衛門(菅屋長頼)も今のそちと同じような顔をしておったな、フッフフフ・・・。あ奴も越前方面の仕置きを【監察官】としてわしが名代としてやれと命じた時に血相を変えて無理だと言いよった。権六(柴田勝家)相手に自分のような小身の者ができるわけがないとな』


「私は、思わずちょう殿(菅屋長頼)も!? と上様に問い直してしまったのですよ」


「ほお・・・あの菅屋殿が・・・」


源左もまた堀と同じ感想を抱く。


「問い直される事を嫌われる上様に、思わずに無礼にも問い直した私に上様はなおもこう仰せられたのです」


『九右衛門にも申したが、私心なく一切後ろめたい気持ちでない判断であれば断固やるべし! 我が目となり、我が耳となり余の代わりを務めよ、それが検官、監察官たるものの心構えと心得よ。たとえ、その対象の人間が権六であろうが、藤吉郎であろうが容赦すまじ、しかと申し付けたぞ久太郎』


源左は堀の言葉に今でも目の前に信長の姿があるような錯覚を覚える。


「その手鏡を上様おん手ずから私に渡した時に仰せられた言葉を今でもはっきりと耳に残っております」


『この手鏡を渡すのは二人目じゃ、一人目は九右衛門。そしてそちじゃ、久太郎。これからも、励め! 決して己が心に油断すまいぞ』


「私は上様から頂いた手鏡を抱きながら二人目だという大役を命じられた不安とそのお役を

頂けたという栄誉感が入り混じったなんとも言えない高揚感に胸が震えておりました・・」


(この鏡にそんな故があったとは・・・)


源左は往時を偲びながら語る堀の横顔を見つめていたが、ふと視線を落とし、手にした片手鏡を改めて見つめ直す。


(上様おん手ずからお渡しされた品・・・されど 、どうしてこの鏡を上様はその時に?)


堀は、源左がまじまじとその鏡を見ているのに気づくと、


「ああ、その手鏡なかなかの逸品でありましょう? それを作ったのは近江八幡の鏡屋宗白という人物で村井貞勝殿が召し連れて来られた時に上様に献上された物の一つです」


源左が内心で疑問に思っている事に気づかずにその手鏡の所以を説明したのであった。


「ほう、村井殿の紹介でしたか。確かに見事な出来栄えでござるな、これならば人の心うちの善悪まで見通せそうじゃ・・・」


「なんと! いや 驚き申した。 今、源左殿が申された感想を上様も同じ様に仰せられたと村井殿から聞き及んでおりましたから・・・いやはや、さすがは源左殿でありますな」


「いやいや、たまたまでござろうや。それがしの感性と上様の感性が同じゅうするとはとても思えませぬ故に」


「フフフ・・・」


ご謙遜をというように微笑む堀に源左は胸の内に灯った疑問をぶつけてみる。


「久殿、この逸品を備中表びっちゅうおもてに下向する直前に上様がお渡しに

なったのは何か理由があったのでござろうな? なぜならば、備中高松城での戦場でのお役なら軍監だけで構わないはず、ましてや国掟くにおきてなどまだ有ろう筈もない敵勢力圏であった毛利氏との最前線に赴任するだけであれば尚の事」


「もっともな仰せ、源左殿の疑問、当然かと。さりながら私が赴任するにあたっては領国経営の政務官としての強大な権限を持つ【監察官】ではなく、軍事指揮権も臨時ながら現場最高指揮官からの剥奪も許可される【監察官】というものだったのです」


「な なんと! そんな権限を上様が・・・しかし その対象となる現場最高指揮官といえば まさか いや そんな・・・」


「想像通りですよ、源左殿。私が上様より命じられた対象者は、羽柴筑前守秀吉殿でした・・・」


さらりと堀が挙げた名前に源左は驚き、涼しい表情のままの堀の顔を凝視する。


「何故に筑前殿に対して上様が私にそのような命を授けたのか・・・と、いうような表情をしておりますな源左殿?」


「い いかにも・・・それがしごとき頭では上様の深慮など想像もつき申さぬ故に・・・」


「上様は、私にその手鏡をお渡し下さった時にそれと同時に上意書を授けなられました。私が備中下向の折の立場の証明書です。上様直筆で書かれたその上意書は公印ならびに直筆署名というものでした。右筆を通さず直筆で署名された・・・この意味、源左殿なればお分かりでしょうな?」


「右筆や祐筆を通さずの上様直筆の公文書の意味は、上様の意を必ずや遵守すること、で、ありましたな」


「ええ、その通りです。それでここまでして私を上様が特命の【監察官】として筑前殿のもとへ向かわせ理由ですが・・・」


「その理由とは?」


「筑前殿が上様の指示無く勝手に毛利方と講和条件を結ぶ事を阻止するためでありました」


「おお⁉ それが上様のご理由でござったか・・・」


「上様が、ここまで執拗になったのには伏線がありまして」


「伏線とは?」


「ええ、実は筑前殿は以前にも上様の意向を無視して講和条約を勝手に結んだ事があったのですよ」


「な なんと⁉」


「その事件があったのは、私が備中松山城へ下向するより三年ほど前・・・天正七年の岡山の件です」


「岡山・・・それは、宇喜多家のことでござろうか?」


「はい、当時毛利方についていた備前、美作の両国を勢力下においていた宇喜多直家殿に対して筑前殿は前年の天正六年のうちから調略を進めておりまして、毛利方から織田家に寝返る条件として備前、美作の本領安堵を約束してしまったのです」


「ふぅーむ・・・」


「上様は岡山の宇喜多領に対しては一切、押し潰して斬り取るおつもりだったので筑前殿にもきつく申しておられたのですが、あろうことか筑前殿は独断でその条件で宇喜多家の織田家への傘下加入を認めてしまったのです」


「それは・・・筑前殿も豪気というか、怖いもの知らずというか・・・」


「ハハハ、私もその当時はそう感じたものです・・・そして筑前殿が上様の許に岡山の件を報告に上がった時のことです。取次の側近から筑前殿からの用向きを聞いた上様は大激怒されまして、こう申されたと聞き及びました」


『さ 猿めはまたしても・・・目通りは許さぬ!! とっとと播州へ追い返せ‼。あ奴はわしがあれ程申しつけおいたにもかかわらず、勝手なことをして失せた。曲事くせごとをしおって、此度こたびは堪忍ならぬ、なんとしても許さぬ‼ 播州で追って沙汰を待っておれ‼』


「いやはや・・・上様のお怒りが目に浮かぶようですな・・・」


「まことに・・・」


「して、その後どんなご沙汰に相成ったのであろうか? それがし記憶ではその件で筑前殿にお咎めがあったかどうか・・・?」


「結論から申すとこの件で上様からのお咎めは筑前殿にはありませんでした」


「やはり・・・そうでしたか」


「その後、源左殿もご存知のように上様は岡山の件にかもうてられぬほどお忙しくなられましたので・・・」


 源左は同意するようにうなづく。


「そうでしたな・・・播州で一度は織田家に帰属を願った別所氏が三木城で叛旗を上げ、摂津有岡城で荒木村重殿の突然の謀反・・・この二つの出来事が以前より織田家の最大の敵対勢力であった大坂石山本願寺の力をより強くさせ更に丹波の波多野氏まで反抗の力が活性化され、また勢いが増してしまった頃でしたか・・・」


「まあ・・・宇喜多家の件は、うやむやになってしまった・・・と、 ですが、上様は筑前殿の岡山でのやりようには心中、期するものがあったのありましょう。ですから毛利氏相手の備中攻めの折には私に念入りにお諭しなさったのだと私は理解しております・・・」


「なるほど・・・」


 源左は、そう言うと手にしていた片手鏡を堀に手渡そうとする。


「お返し致す」


 堀が大切そうにその鏡を受け取るのを確認してから、源左は更に語り掛ける・・・。


「その手鏡を久殿が大切されておる意味も十分わかり申した。して、備中においてその手鏡を覗く事があったでござろうか・・・?」


 堀は、一瞬考え込む風情であったがやがて答える。


「ええ、ありました・・・。私が松山城に到着して戦況を筑前殿から受けた時にはすでに秀吉殿は毛利方の使者、安国寺殿と講和条件をやはり進めていたのですよ・・」


「・・・」


「私はその報告を受けると直ちに上様からお預かりした上意書を取り出し筑前殿に開陳し、その上で毛利氏との講和は上様はお望みではない事を告げ、それでも毛利方と和平を結ぶ交渉を続けようとするなら上様から遣わされた【監察官】として現場最高指揮官である羽柴殿の職権を剥奪する由を述べ、これはあくまでも上意であると告げました・・・。その時の筑前殿の驚愕した顔は今でも憶えております、軍監でなく監察官として堀殿は参られたのか・・・と大きく口を開けてそう言うと、虚ろな表情になりながらも必死にどう今の状況を打開すべきか思案しているようでした・・・」


「・・・」


「その後、筑前殿は幕僚である者共と相談の後、善後策を報告させていただくと申されて宿舎にてお待ち願いたいとのことでしたので私は宿舎に着くと自らを落ち着かせようとこの手鏡を覗いて自問自答したものです・・・」


「・・・」


「筑前殿の回答がいずれにあれ、我はこの鏡に誓って上様に恥ずべく事ないよう応対すべき・・・ゆめゆめ、油断すまいぞ久太郎・・・と」


「・・・」


 堀は、そう言い終えると固い表情で黙然と聞いていた源左に自身はあえて表情を和らげながら語る。


「その日の深夜、筑前殿から呼ばれた私は、蜂須賀小六殿と黒田官兵衛殿を同席させた秀吉殿からの善後策の説明を受けました・・・」


「その回答は・・・いかに・・・?」


「その内容は、和平交渉を中断し上様の御下向を待つとのことでした・・・」


「ほう・・・」


「私も、強権を発動させることなきに、安心したものですよ。それに、筑前殿に貸しを一つできもうしたから、フフフ・・・」


「その貸しとは?」


「和平交渉を勝手に結ぼうとした件を上様に書状で報告するのを保留したためです」


「ほう、それは それは・・・」


「この貸しの一件が、私と秀吉殿との間でその後これほど大きな影響を及ぼすとは・・・私も・・・筑前殿も・・・想像もつかなかった・・・フフフ・・・」


 自嘲気味に、苦笑する堀の姿に源左は戸惑う・・・。


 と、その時


「申し上げます」


 近習の声が、襖越しに


「なんぞ?」


「関白殿下様が奥祐筆、山中長俊殿より、急ぎの書状が参っております」


「山きち殿からとな? ふむ、返書は急がれるかどうか確認しておるか?」


「はっ、返事の件は能わずとのことでした」


「よう気づいたの、褒めてとらす」


堀は縁側から立ち上がると、近習の声がする襖に近づく。


「して、その書状とは」


「失礼致します」


近習はそう言うと、襖を音も無く開け堀に書状を差し出す。


「ふむ、ご苦労」


堀は、無造作に書状を受け取ると裏側に書かれている差出人の名前をチラリと確認した。


「この書状を持ってきた使いの者はまだ居るのか?」


「はっ、念の為に待たせておりますが」


「けっこう。その者に茶と菓子でもふるもうて労ってやれ、それと山中殿に久太郎がお礼を申しておったと伝えておくように」


「承知致しました、その旨、伝えおきまする。他に、何かございますか?」


「うむ・・・」


堀は、近習の問いにふと気づいたように縁側にて佇む源左を見て


「お茶と白湯のおかわりをついでに頼む」


「はっ」


堀は取次ぎの近習にそう命じると、また縁側の元の位置に戻りその書状の中身を取り出して読み始めた。







(秀種の奴めは、何処をほっつき歩いておったのか本当にしょうがない奴じゃ・・・)


堀は自らの居城である北ノ庄城を出奔した弟の顔を思い浮かべているのであった。


(急に居なくなったかと思えば、またふらりと戻ってきおる。俺が送っておいた餞別の金でもなくなってしまったか? クックク、誠に掴み所のない奴じゃ・・・)


苦笑しつつもその表情には嫌悪感は漂ってはいない・・・。


堀は、近習によって再び用意されたお茶を飲みながら先程もたされた山中長俊からの書状の中身を思い出していた。その書状は今、目の前で源左が老眼のせいなのか目を細めて熱心に読んでいるのだが・・・。


(それも連れ人を伴って・・・、その連れ人がまさか、松井友閑様であったとはな・・・)


書状には、さる四月二十四日に越前北ノ庄、西光寺に秀種が松井友閑殿を伴って於市様と柴田勝家殿の墓参りに訪れた事が記載されていたのだ。西光寺には山中長俊が肝いりとなって於市と柴田勝家の供養塔が設けられており秘かに両人の菩提寺になっていた。その西光寺の住職が秀種と松井友閑の二人が於市と勝家の七回忌の為に訪れた事を寺にとって多大な援助者である山中長俊に報告してきた顛末が詳細に書かれていたのである。


「もう七年になりますか・・・」


源左は書状の文末にある『山きち』という署名を見届けて、おもむろに書状を元に戻しながら嘆息する。


「・・・、私は・・・すっかり失念しておりました。 早いものです・・・」


「それがしもでござるよ、久殿・・・」


源左はその書状を丁寧に包み直し終えると、堀に返しながらそう呟く。


「秀種殿は何処に行って、友閑殿と巡り会ったのでしょうな?」


「さあ、あ奴は雲のような者ですから・・・」


「まあ、されど秀種殿の出現となると何かの天啓やもしれませんな、ハハハ」


まんざら冗談だけでなさそうな口調で源左は笑う。


「天啓ですか・・・そうですね秀種の出現はともかく、友閑様の登場となれば天啓かもしれません。また友閑様に教えを請いたいものです・・・」


友閑様という言い方に尊敬の念を隠せないでいる堀の表情に源左は興を覚え、改めて堀に問うてみる。


「それがしは、友閑殿と懇意にする時間はそうありませんでしたのでかのお人柄を詳しく知り申しませんが、久殿はよくご存知なのですな?」


堀は、源左の問いに答える。


「友閑様は誠に達人と称するに当たるお人でした・・・人を超える存在・・・まさに超人とも呼ぶべくお方でありましたな・・・」


源左は堀のその、もの言いに驚く。


「世間で名人と称せられる堀 久太郎殿がそこまで申されますか!?」


「はい、友閑様は堺の代官というだけでなく上様ご配下の史僚衆の中では抜群の交渉力をお持ちの方でした。当時上様の意を汲み、政り事を進める仕事をしていたのが祐筆筆頭でした武井夕庵様、京都所司代であった村井貞勝殿、そして堺代官の松井友閑様でした。このお三方は私達側近衆から見ても別格の存在だったのです。その別格のお三方の中でも上様によく呼ばれ様々な場所にて交渉人の役を承った方が友閑様でした。茶会においての上様の名代として、またある時は戦場において上様の名代として敵地での交渉、更に堺の一代官としでなく上様に遣わされ特使として織田家の所領内で起きた訴訟への対応・・・今思い出しても凄まじい仕事ぶりでした、とてもとても私如きでは及ばないほどに・・・」


源左は熱を帯びて話す堀を静かに見つめていたが、ややあってから新たに運ばれてきた白湯を取り上げる。


堀もまた自分の喉を潤おすために茶を含みやがて、一息つくと語りを再開する。


「上様亡き後、仕事量の多さに忙殺され己れ自身を見失いつつあった私を叱咤激励されたのが友閑様だったのです。あれは清須会議のあった翌々月八月の初旬だったでしょう、私は朝廷に仕えていた織田家の奉公衆達の身分安堵への連絡に伴なう彼等の俸禄の保証手続きのため京に滞在しておりました。その逗留先の相国寺に私を訪ねて来られたのが友閑様だったのです。なんでも妙心寺に用向きがあり京に登られた由に、たまたまこちらに滞在していた私の事を聞きつけ強引に妙心寺に同行させられてしまったのですよ」


そこで一旦話しを止めると堀は再び茶を口に含み、思い出すように宙を見上げ懐かしそうに語る。


「妙心寺には、思いがけない方々とお会いするはめになりまして」


「ほう、その思いがけない方々とは?」


「友閑様を呼び寄せたご本人の【慈徳院】様でした」


「おお! 【慈徳院】様でござったか。確かに【慈徳院】様は妙心寺に所縁があられたはず」


「【慈徳院】様は妙心寺56世であった九天宗瑞殿のおん義妹であってこの妙心寺内で当時信忠様の弔うために大雲院の建立にお二人で尽力されている最中だったのですよ」


「信忠様を弔うために・・・そうでございましたか・・・」


「そして、この二人を陰ながら援助していた方も私と友閑様を待っておられたのです。その方は岐阜表から、さるご要人の方をお連れもうしておりました」


「【慈徳院】様が当時の妙心寺56世住職の久天宗瑞殿と兄妹だったとは・・・拙者は知らなかった・・・、それでそのお二人を陰ながら援助していた方とは?」


「滝川一益殿です」


「滝川殿が!? 何故にそのお二人を?」


「やはり、ご存じではありませんでしたか・・・、滝川殿はお二人の父親だったのです」


「な なんと!? 知らなかった・・・」


「そして更に驚かされたのは、一益殿が岐阜表からお連れしたお方でした・・・」


「滝川殿がわざわざ岐阜表から・・・もしや、 いや・・・」


「恐らく源左殿の想像通りだと・・・於市の方様、ご本人でございました・・・」


「お 於市様が・・・」
























































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