第2話 プロローグ 小田原石垣山城跡地にて Scean 1

  (・・・ きたか・・・やはり本能寺の件は避けて通れないよな・・・)


 歴史のある情景の観察者となった男は胸中に沸き立つような好奇心が膨れ上がるのを自覚しながらも、その場所だけが時間が止まったように黙然としてたたずむ堀と源左の二人の姿を眺める・・・。


(二人の心の中でそれぞれ葛藤があるんだろう・・・どういった話が飛び出てくるのか・・・非常に興味がある。もしできうるなら堀がこの時期にどんな心境だったのか源左との会話の中で聞く事ができれば尚更秀吉がこの地に大掛かりな石垣山城を築いた理由にも繋がるのだが・・・)


 いつになったら二人の会話が始まるのであろうか・・・男はただ二人の姿を見つめその時を待っている・・・彼の耳に聞こえるのは風鈴の音と、時折鳴く野鳥のさえずりや、風にそよぐ木々の枝葉の音だけだ・・・やがてふと男は思い出す・・・この情景に立ち会う前の時間のことを・・・。


(そういえば・・・彼女は今どうしてるかな・・・)









 ----------☆☆☆----ー★★★ーーーーーーーーー








(思ったより小さい・・・)


 木製の柵に手を掛けながら眼下の風景を眺める・・・


(秀吉もそんな感想を持ったのかもな・・・)


 視覚的には1センチ四方の大きさにしか見えない小田原城の天守閣を見つめながら男は風に乱された髪を無意識に手で整える。


(風の匂いが酸っぱく感じられるのは気のせいか・・・)


 男が取り留めのない感想を抱いたこの場所は箱根路から降りてくる山風と相模湾から吹いてくる海風がちょうど交わる位置にある。


 ここは、神奈川県小田原市にある石垣山一夜城歴史公園、男は展望台からの景色から振り返ると何かを思い出したのか歩き始める。視線の先の片隅にお手洗いの場所を認めながら二の丸跡の芝生を横切り本丸跡を通り過ぎ道なりに下り坂を進むと軽快なBGMが彼の耳に届いてくる。そのメロディーに気を取られたわけではないのだろうが、足元がおぼつかなくなり転びそうになったが、慌てて道の脇にあるおおきな岩に身体を預け支えなおす。


(ふう・・・危なかった・・・)


 男は何事も無かったかのように一瞬背伸びをすると周りを見る。するとその有様を偶然見ていたのか若い女性の二人連れがこちらに視線を合わせないように笑いをかみ殺しながら目の前を通り過ぎて行くのが見えた。


(やれやれ転んだ姿を見せずによかった・・・うん?)


 男は知らぬ間にもたれていた岩に気づいたかのようにその巨岩を見つめなおす。


(これはどう見ても石垣・・・)


 男は改めて周りを見渡す・・・


(石垣だらけだ・・・それもこんな大きな・・・)


 男は物見台の奥に位置する本丸跡に視線を移し、更に今自分が歩いてきた展望台方向に視線を向ける。


(ん?・・・おかしい・・・)


 違和感を覚えた男は相模湾を見下ろすように国道に向かう道へと視線を伸ばす。


(こっちの方角には味方の・・・そう配下の武将の陣しか無かったはず・・・)


 男は目の前に横たわる巨岩を拳で軽く打つと


(何故・・・何故こんなに堅牢な石垣をこちらの方向にこのように大掛かりに築き上げる必要があったんだ・・・?)


 男は目を細めて相模湾方向を眺める・・・


(普通に考えれば北条方からの逆襲・・・穿った見方をすれば秀吉にとって一番の潜在敵存在だった家康の謀反に対する備えだが・・・この規模だとまるで相模湾方面からの攻撃に備えるためだとしか考えれない・・・そう・・・こっちの方角からの襲撃を恐れるみたいな・・・となると・・・うん 待てよ・・・この秀吉の本陣の麓に陣を構える秀吉配下の武将は・・・あっ、まさか!?)


 何かに気づいたのか男は足元を注意しながら急ぎ足で公園の駐車場へと続く道を降りて行く。駐車場が男の視野に拡がるにつれて先程から聞こえていたBGMの音も大きくなる。その音の発信元は駐車場に隣接する売店にあった。


(ええっと・・・)


 男は売店の近くまで来ると立ち止まり誰かを捜す風情だったがやがて対象人物を認めたのか頬を軽くゆるませる。


 男の対象人物は女性であった。彼女は自分を捜している男の姿を発見すると男の傍らにゆっくりと近づいてくる・・・。


「どうしたの、奏司(そうじ)さん」


 男の捜し人は、セミロングの黒髪を10月の風になびかせながら男の名前を呼ぶ。彼女の右手には売店で買ったものであろうか、ソフトクリームが大事そうに握られている。


「ちょうど良かった、悠(ゆう)を捜してたんだ」


「私を?」


「そうだよ、ところでそのソフトクリームおいしそうだね?」


「これ?」


「せっかくだから、自分もそのソフトクリームをいただこうかな」


「そう?」


 手にしたソフトクリームを彼女はちらりと一瞥すると、うれしそうに男の手を引き笑顔で答える。


「じゃあ、行きましょう~」





           ------------




「それで奏司さん、お城跡はもういいの?」


「ああ、少し気になる事を覚えてね・・・」


「気になること?」


 店の入り口前に設けてあるオープンテラスのテーブルに二人は腰を落ち着けていて

彼女は目の前にあるマロンケーキを丹念に小さなプラスティック製のフォークで切り分けている最中だった。

 先程まで彼女が手にしていたソフトクリームはすでに彼女のお腹の中に収められてしまったのかもうすでに見当たらない・・・。

 男の方もすでに自分のソフトクリームを平らげてしまい今二人の目の前にあるケーキは彼女が追加で買ってきたものだ。

 なんでも彼女の話ではこの売店は一夜城〇〇〇ヅカ・ファームといい有名な菓子職人さんのお店らしくここで販売されているスイーツはマニア達にとっては垂涎の的らしい。


「はい、どうぞ」


 彼女は奏司と呼んだ男に切り分けたマロンケーキを差し出すとその時にはずみで落ちてきた両肩に掛けていた紫色のカーデガンをさりげなく美しい形の肩の上に戻す。

 彼女が装うVネックの白のノースリーブのシフォンブラウスから覗く両の腕の肌の白さが目にまぶしい・・・。


「ああ、ありがとう」


 そんな彼女の仕草に見惚れていた奏司と呼ばれた男は慌ててお礼を彼女に言うと、照れ隠しのようにマロンケーキの欠片をパクリと口に入れる。


 その姿を微笑ましそうに眺めていた悠は再度尋ねる。


「それで、奏司さんが気になる事って何かな?」


「うん、そうその事なんだけどね、何だか違和感を感じててね・・・」


「違和感???」


 小首を傾げながら尋ねる悠に奏司は答える。


「石垣山一夜城歴史公園という名称の通り、ここ石垣山城は一夜で出来た城というのが言い伝えになってるけど実際は違っていて約80日間、延べ4万人の人夫を動員して建築されたものなんだよ」


「そうなんだ・・・」


「言い伝えによると、小田原城に籠城する北条氏を驚かせるために時の関白秀吉が手の込んだ細工をして一夜で出来たように見せかけたというのが史実のようだね」


「ふーん・・・」


「悠も見たろ?駐車場から山頂の城跡まで続くあの多くの石垣の跡を」


「・・・言われてみれば・・・あったわ・・・」


「その石垣の群れを見て思ったんだ・・・秀吉は何のためにこんな大掛かりな城を築いたんだろう・・・ってね・・・」


 興味津々といった感じの瞳で奏司に見つめられた悠は考え込む風情を見せる。

 そんな彼女の様子を見た奏司は残りのケーキを口に入れ始めた。


「普通に考えれば・・・敵方である小田原城からの攻撃に備えてだと思うけど・・・」


「確かにそれも理由の一つだよね」


 奏司は彼女に答えながら目の前にあったケーキの皿を悠の方にずらす。


「でも・・・その理由だけじゃ奏司さんの違和感の理由にはならない・・・」


「うん」


 彼女は視線を落とすとケーキの皿に置いてあるフォークを取り上げもて遊びながら男に確認する。


「敵方でないとすると味方・・・いえ 友軍かしら・・・」


「おお!」


「いい線までいってるの? うーん・・・その時期この場所でに秀吉さんに反意を持って襲おうとする人物って・・・」


 彼女はクルクルとプラスティック製のフォークを回しながら考えている、そのフォークを持つ白く整えられた指先が美しい・・・。


 奏司はそんな感想を抱きながら悠の考えがまとまるのを楽しそうに待っている。


「家康・・・さん・・・かな?」


 彼女は暫しの間考え込んでいたが、自分の考えがまとまったのであろうか右手に持つフォークを動かすのを止め奏司の瞳を覗き込むような視線で尋ねる。


「正解! とは言ってもあくまでも僕個人の私見においてだけどね」


「フフフ、それでも奏司さんの推理にたどり着けたのはうれしいわね」


 何故か照れながら喜ぶ悠を好ましく思いながら奏司は質問する。


「それで、何故悠は家康が秀吉を襲うかもしれないと考えたんだい?」


「うーん・・・、正直なところ・・・何となくそう思ったの・・・」


 彼女は手にしていたフォークを皿の上にそっと置くと右手の人差し指を潤いのある唇に添えながら答える。


「ただ・・・その当時の秀吉さんに対抗できそうな人物を挙げろと言われると家康さんしか思い浮かべれなかったの・・・」


「うん、そうかぁ・・・」


「でも理由らしいものもあるの」


「ほお・・・その理由とは?」


「確か家康さんは、この小田原攻めの以前に秀吉さんと戦っていい勝負だったって、いえそれどころかある戦場では秀吉さんの軍勢に大勝したと・・・何かで読んだ事があったから・・・」


「うん・・・」


「ええっと・・・そう そう 小牧長久手の合戦だったかな?」


「いやいや、悠はいつから歴女さんになったのだろうか? アハハハ」


「奏司さんと、お付き合いすれば否でも歴史に関心を持ちますよ!」


 軽くふくれ顔をして可愛く抗議する彼女に


「ごめんごめん、からかってすまない」


 謝る奏司に悠はしばらく抗議の目を向けていたがやがて、思い出したように改めて彼に尋ねる。


「けど・・・家康さんがこの場所で秀吉さんを襲う理由って何だったのかしら?」


「鋭い質問だね・・・。その理由とは、この小田原攻めの最中に家康は秀吉から驚愕する内示を受けてた事にあったんだよ」


「驚愕する内示・・・?」


「うん・・・家康自身だけでなく彼の率いる徳川家にとってそれこそ驚天動地の内示・・・いや 命令か・・・」


「そこまで大事だったって・・・どんな内容だったの?」


 奏司は口元を緩め、彼女に答える。


「その内容は、悠もとっくに知っている史実だよ。あらためて聞けば なーんだそんんな事なんだ・・・って思うぐらいな」


「ええ???私でも知っている史実・・・じゃあ、有名な出来事なのね?」


「そう、当然のように皆知ってることだよ」


「ええ~・・・何かしら・・・。そんな有名な史実が・・・。ねえ、奏司さん、その出来事が家康さんが秀吉さんをその時期この場所で襲おうとする理由なんだよね?」


「あくまでも僕個人の私見なんだけどね」


「うーん・・・何だったかな・・・」


 彼女はしばらくの間考え込んでいたが、


「何かヒントを・・・」


 観念したかのように奏司にお願いする。


「アハハハ、じゃあヒントです」


「うん」


「この小田原攻めが終わった後、この北条氏の領地は誰の所領になったでしょうか?北条氏の領土はここ小田原だけでなく関東一円の広大な領土だったよね」


「それは、家康さんだよね?」


「正解!、普通に知ってるじゃない」


「それくらい、知ってるけど・・・それが・・・どうかしたの?」


「家康は、秀吉から関東転封の内示を受けていたんだこの小田原攻めの最中に・・・」


「・・・?」


「解ってなさそうだから、もう少し説明すると・・・うん、そうだ例えば悠が半生を掛けて丹精こめて手をかけ、必死にそう、時には血が滲むほどの苦しみを覚えてもその土地を育てあげまた外敵から守ってきたとしたら・・・更にその場所が自分の生まれ故郷だとして・・・そして更にその土地や場所を一緒に育成を協力してくれた仲間達も含めて他の土地へ移転しろと権力者に言われたら悠はどう思う・・・」


「あっ!」


「フフフ、解ったようだね」


「そう・・・そうよね・・・なるほど・・・言われてみれば解るけど・・・全く気づかなかった・・・全然面白くないし納得いかないわ!」


「家康自身もかなりこたえたと思うよ、いくら現在の領地より大きくなると言われてもね・・・。それに自分自身が不満足でありながらも了承したとしても仲間・・・いやこの場合は家臣達だね、彼らの不満や納得できない気持ちを考えるとはいそうですかととても直ぐに承諾できる心の状態じゃあ無かったと僕は想像してる・・・」


「それが理由で、家康さんは秀吉さんを亡き者に・・・?」


「そう、これがまず一つ目の理由。秀吉からの転封指示が家康の胸の内を暗くしていたのは間違いないかな・・・続いて第二の理由なんだけどこれは家康が小田原包囲網の戦いにおいて彼の軍勢が陣を置いた場所も大きな要因になると考えている・・・」


「陣を置いた場所・・・家康さんの陣ってどの辺りにあったの?」


「悠、振り返ってごらん」


「ええ?」


 後ろを振り向く彼女に奏司は説明する。


「僕たちが今いる場所と小田原城を挟んでちょうど反対側の海岸側に徳川軍は陣張りしてたんだよ、悠の目線の右側だね」


「ふーん・・・そうなんだ・・・少し遠い感じ・・・」


 そう感想をもらした彼女は姿勢を戻すと奏司に尋ねる。


「それで家康さんの陣の位置がどうして秀吉さんを襲う理由になるの?」


「悠が感想を持ったように家康の本陣からここ石垣山城までは確かに少し距離があるのは事実・・・けれどもその距離感を補って余るぐらいに秀吉への反意へと向かわせる誘惑があったんだ・・・」


「何 何かしら、その誘惑って・・・」


「答える前に、ここで悠に質問!」


「えっ?」


「さっき悠が話題にした小牧長久手の戦いにおいて秀吉と家康は直接対決をしたわけだけど、その時家康と同盟していた人物がいたよね。この人物が秀吉との戦いのために家康を引き込むよう同盟を申し込んだ・・・その人物の名前は?」


「うーん・・・確か 織田・・・織田信・・・信・・・、信雄(のぶかつ)さん・・・?」


 自信無さげに答える彼女に少し間をおいて奏司は答える。


「・・・正解!!!」


「正解~~、なぜか、とっても嬉しい~~」


 喜んでいる彼女に奏司は微笑みながら続ける。


「それで話を戻して家康への誘惑の件だけど・・・」


「うん、そう その誘惑って・・・」


「家康の陣の隣に陣張りしていたのが実は・・・」


「えっ!まさか・・・信雄さん・・・?」


「そう、そのまさかさ」


「ふーん・・・」


「小牧長久手の合戦は信長が築いた織田家の覇権相続を信長の部下であった秀吉と信長の実子である信雄が信長の同盟者であった家康を巻き込んで起きた戦いだったよね?」


「うん」


「この小田原攻めのわずか数年前に秀吉と干戈を交えた二人の心の内はどうだったんだろうね・・・悠はどう思うかい?」


「・・・そうね・・・想像だけど服従するのは嫌だけど仕方がない・・・って感じかな・・・」


「多分そうだと思う。特に信雄は知らぬ間に秀吉に織田家の覇権を掠め取られてしまったという気持ちが強かったと僕は思う。つい数年前までは主筋の自分に対しへつらっていた臣下だった男がこの時点では関白となり自分を見下している・・・内心では彼は相当憤慨してたんじゃないかな・・・」


「・・・」


「秀吉に対し含む気持ちを持つ信雄が自分の陣の隣に居る・・・まして以前に同盟して秀吉と戦った間柄だ・・・家康が二人で共通の目の上のたんこぶである秀吉を排除しようと・・・そんな誘惑に駆られてもおかしくないんじゃないかな・・・」


「・・・そうだったんだ・・・家康さんへの誘惑って・・・」


「そして第三の理由・・・」


「まだあるの?」


「うん、この第三の理由は家康のこの時期の背景に関係があってね」


「うんうん」


「家康が攻めようとしている小田原城の北条氏とは縁戚関係だったんだ」


「そうなの?」


「家康の娘である督姫が北条家の当主であった氏直に輿入れしてたんだよ」


「督姫さんって、正室だったのかしら?」


「鋭い質問だね、もちろん正室だよ。この婚姻によって徳川家と北条家の繋がりは同盟関係にまで発展してたんだよ」


「でも待って・・・家康さんは同盟してたにも関わらずに娘の嫁ぎ先の北条氏を攻めた・・・ってこと?」


「いや、小田原攻めの前にはすでに同盟解消はして断交関係になってた・・・表面上ではね・・・」


「ふーん・・・」


「まあでも実際は書状のやり取りは小田原攻城中にも頻繁にあったようだから没交渉だったというわけではなかったみたいだね」


「そうなんだ・・・」


「その書状の中には、昔のよしみや縁戚関係なのだから北条家を助けてもらえないだろうか・・・っと いうような内容の書状があったとしてもおかしくない・・・」


「あっ!」


「秀吉に対し、もやもやとした心情だったこの時期の家康にとって再度北条と手を結び目の上のたんこぶの存在の秀吉を排除しようと考えても不思議ではない・・・」


「うん、そうね!」


「当時百万石の所領を持つ信雄に、小田原北条氏と手を結び、自らの徳川家の軍勢を加えれば打倒秀吉もあながち夢ではない・・・とね」


「なるほど、この北条氏との関係が第三の理由ね・・・」


「うん。現に家康謀反の風評はかなり広まってたらしくてね、確か小瀬甫庵という人物が著した太閤記だったかな?その物語の中でも取り上げられてほどだからね現代の自分達が思うより秀吉と家康との間には緊張感が漂っていたかもしれない・・・」


「と いうことは・・・奏司さんが言っていた秀吉さんが何故こんな大掛かりな城を築いたのかと・・・?」


 悠は口元にきれいに人差し指を添えて考えをまとめている・・・その指先の上の部分に見える唇の端には小さなほくろがあり、何とも魅力的に映る・・・。


「奏司さんの話を聞いてると、家康さんの謀反に備えるため・・・ってことかしら?」


「その通り、僕もそう考えてた・・・つい、さっきまでは・・・」


「ええ? つい、さっきまでって・・・じゃあ、今は違う考えなの?」


「いや、家康への備えという要因は絶対にあったと思うよ」


「うん?」


 軽く小首を傾けながら彼女は続けてという表情をする。


「秀吉が備えた相手は家康だけではない・・・」


「家康さんだけではない・・・他に警戒すべき人物がいたと・・・?」


「人物かぁ・・・確かに人物も含まれる・・・よね」


「人物も含まれる???・・・奏司さんの言い方だと人物以外も含まれるの?」


「うーん・・・何と言って表現すればいいのかな・・・秀吉がこの小田原攻めで清算したかった案件・・・」


 悠は珍しく言いよどむ奏司の言葉を待つことにする・・・。


「織田家の残照・・・主筋であった織田家の権威の残り香の払拭を秀吉はこの小田原征伐において成し遂げようと彼は考えてたのだと・・・そしてその秀吉の考えや行動を快く思わない旧織田家において主筋の人物や元同僚の諸将達の反発に対しての備えのためにもこの大掛かりな築城を目指したんだと僕は思えたんだ・・・」


「旧織田家の主筋の人や元同僚の人達からの反発・・・?」


「信雄なんか特に主筋だよね」


「うん、そうね」


「それと元同僚達の勢力、これを僕は織田家サロンと呼んでるんだけどこの勢力が秀吉にとっていつも気になる存在だった。何せ彼らは元々秀吉の家臣ではなくそれぞれの思惑で秀吉の傘下になることを決断した面々だ・・・秀吉の力の前に従っているだけで秀吉個人に忠誠を誓っている人物が果たして何人いたのか疑問に思う・・・」


「でも奏司さん、その織田家のサロンの人達はそれまでも反発や不満はあったと思うのに、どうしてこの小田原攻めの最中にそんなに彼等の反抗心が上がったわけ?」


 奏司は悠の質問にニコリと笑うと


「いい質問だね、悠。それこそ核心を突く質問だ」


「そ そう?」


「うん、そうだよ。その質問の答えが僕がこの巨大な石垣の群れを見て感じた違和感への解答に繋がったんだからね」


「え?答えがもう出たの?」


「ほぼほぼだけどね。その前に悠からのとってもいい質問に対しての答えから話そうか」


「うんうん・・・」


「何故に旧織田家の下では元同僚だった人物達、言い替えれば秀吉に従属して小田原攻めに参加している織田家サロンの緒将達がこの時、この場所で秀吉に対し反抗心が急激に上がったのか・・・」


「どうしてなの?」


「一人の少年が・・・ひょっとしたらこの地に滞在していた可能性があってね・・・」


「一人の少年?」


「そう、10歳ぐらいの少年。その少年の存在があったとしたら織田家サロンの諸将達に心の中に小さなさざ波を浮かべるぐらいは造作ないくらいの価値を生まれ持った数奇な運命の少年・・・」


「ええっ!?  誰なの奏司さん、その少年って・・・」


「その少年の名前は  織田秀信・・・」


「織田  秀信・・・?」


「幼名のほうが有名かな、童の頃の名前は三法師。織田信長の嫡男だった信忠の長男、信長さんにとってはお孫ちゃん」


「三法師ちゃん! 聞いたことがある。確か・・・えっと・・・そう! 清洲会議で秀吉さんに抱っこされてた子!」


「さすが、歴女の悠さんだ」


「フフフ、もっと褒めていいのよ。それでその三法師ちゃんこと秀信君がこの小田原に居たかもしれないって・・・その事がどうして織田家のサロンの人達が秀吉さんへの反発心に結びつくのかしら」


「秀信という少年は信長配下の織田家の諸将達にとって理屈抜きに尊崇されるべき存在だったんだよ・・・何と言っても信長直系の孫だからね。世が世なら、秀吉や家康でさえ彼の前では平伏しなければならないほどの高貴な存在・・・そんな彼の存在価値を巧みに利用して織田家の覇権を細心の注意をしながら巧妙に掠め取ったのが秀吉だった・・・仮に秀信の姿がこの地にあったとしたら、信長亡き後、当初は織田家のため、または織田家の家督相続人である三法師のためという大義名分のため秀吉に従って行動していた旧織田家の諸将達はこの小田原包囲網の攻城戦の時期にはいつの間にか、かつて同僚だった秀吉のために動く自身の立姿を省みて、何と思ったんだろう・・・。本来の忠誠心の対象となる人物が自分の目の前に居たら尚更内心に忸怩(じくじ)たる気持ちがこみ上げるのも無理はないと思う・・・」


「ふーん・・・そうなんだ。旧織田家に対するノスタルジアってこと・・・かな?」


「そう、ノスタルジア! いい言葉だね」


「フッフーン、ウフフ・・・それで奏司さんの言葉に気になったんだけど、秀信君って実際、この小田原に居たのかしら?」


 褒められて嬉しそうにしながら悠は質問する。


「うーん・・・それなんだけどね・・・今から200年ほど前に著された『寛政重修緒家譜』という書物に小田原攻めにおいて織田秀信が6番目の部隊として各機に臨み鉄砲隊を供出する・・・という文言が書かれてるんだ」


「かんせい ちょうしゅう しょかふ???」


 可愛らしく、口を細めて復唱する悠に笑いながら奏司は答える。


「ハハハ、言いにくいよね。で、その書物に秀信の名前が出てるんだけど僕はこの記述に疑問を持ってる」


「どうして?」


「その理由はシンプル、10歳ぐらいの少年が戦場で部隊を率いれるとはとても思えない。仮に世慣れた老臣が実際の指揮を執るというやり方もあるにはあるけどこの時期の秀信少年には兵を多く抱えるほどの所領は持ってない」


「じゃあ、秀信君はこの地に居なかったってことなの?」


「いや、部隊長としては従軍してはいないけど・・・」


「けど?」


「ある人物の許に、客将みたいな扱いでこの地に居た可能性があると僕は憶測してるんだ」


「ある人物?」


「うん。さっき話した『寛政重修緒家譜』において秀信はその人物の指揮下で戦うと記述されていた」


「誰なの?」


「その人物の名前は、堀 久太郎 秀政・・・」


「堀 Q太郎 秀政・・・さん?」


「ははは、そのQ太郎じゃないけど、この人の名前は悠は知っていた?」


「うーん・・・知らない・・・」


「そうかあ・・・あまり有名じゃないからかな・・・」


「それで、秀信君はQ太郎さんの許に居たかもしれないって奏司さんは考えるのね?」


「そう・・・そのように 今は考えてる。この大掛かりな石垣は誰のために備えたのかという違和感から始まった疑問にも秀信が堀の許に居たならこの巨大な石垣は誰に向けていたのか・・・分かったんだ・・・」


「それって・・・」


「秀吉は・・・堀 久太郎 秀政の謀反に備えて・・・いたと・・・」









 













 




 




 


 















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