第16話 キオクノ功罪

一年前のあの日。


 深山真一みやま しんいちは水に浮かびそうもないその身体で泳いでいた。その肩には一人の少女が抱えられ、その頭のテンガロンハットの上には一匹の白猫が鎮座してすわっていた。白猫は陸が近づくや否やテンガロンハットの上からその体型に似合わない俊敏さでジャンプし、見事に着地した。


「大丈夫でしたか深山さん! さぁ、早くこっちへ!」


 吉崎さとるは渦巻く湖からはい出してきた深山真一を見つけると、ガードレールを乗り越え駆け寄った。外はすでに暗く、近くには他に人の気配を感じることは出来ない。


 ただ、湖の奥底から誰かを呼ぶような悲しげな音がずっと響いていた。


「さとるっ! すまねぇが、この子を頼むっ! もう一人助けないといけない奴がいるんだっ!」


 深山は自分の膝が湖面から出たあたりで、少女を吉崎さとるに手渡す。少女は墳墓の祭壇の上で横たわっていた、遺体――のはずだった。


「この子は……上月希美香こうづき きみか?! 死んでいたはずです! それがどうして……まさか?!」

「ああ、そのまさか、だ。あのじいさん鬼降ろしを成功させやがった。信じられないことだがな」


 考古学をやり、民俗学を学び、そしてこの不可思議な体験をした深山真一は、そう言葉を残すと再び湖の中へと戻ろうと身をひるがえす。その目には一つの決意が感じられた。


「あとは頼んだぜ、さとる!」


 そう言う深山の背中に向かって、声をかえすものがいた。


「残念ですが……そこまでにしてもらえますか? 鬼降ろしが成功したのならなおさらです」


 吉崎さとる、だった。


「どういうことだ?」


 振り返らず、足を止めて返事を待つ。その声には言葉ほどの疑問は感じられない。

 深山はこの男なりになにかを感じ取っていたのかもしれない。


「言葉通りの意味ですよ。上月源一郎は六道りくどう輪廻りんねからはずれました。もうこちらの世界のことわりには戻れません」

「六道の……輪廻? 仏教か?」

「そうとも言えますし、違うとも言えますね。とりあえず、今回のあなたの出番が終わったのだけは確かです」


 水を巻く渦が次第に小さくなっていく。それにともない、うなり声にも似た落水音もいつしか聞こえなくなっていた。吉崎さとるの腕の中の少女のかすかな寝息が聞こえるくらいに静かになったとき、それまで微動だにしなかった深山真一が声を上げた。


「一つだけ、教えてくれ」

「なんですか……と聞くだけ野暮かもしれませんね。でもそれと同じくらい教えることにも意味はないんですよ」

「……お前があのじいさんに教えたのか? 鬼降ろしを――反魂術を!」


 低く、何かを力ずくで押さえつけているような、ひねり出すような声で深山は問いかけた。吉崎はふっと顔の力を抜いて、腕の中の少女を水に濡れないところへと横たえた。


「答えろ!」

「そうです、と言ったら?」


 それまで湖に根を張っている岩山のような男が、爆発したかのような勢いで吉崎さとるへ詰め寄ると、その胸ぐらをつかみ持ち上げた!

 まるで布で出来た人形のように軽々と。

 その勢いでテンガロンハットは湖に落ちる。


 その帽子が隠していた顔には、怒りや悲しみといった感情が宿っていた。


「いったい……いったい何を考えてやがる! お前の……いや、お前たちの目的はなんだ?!」

「手を……離していただけますか?」


――――っダンッ!!!


「ぐぅっ!?」


 空気を破砕はさいする、そんな裂帛れっぱくの音が現出し、響いた。その結果、鮮血が湖面を月明かりにも紅とわかる色に染めていき、深山は片膝をついていた。


「さすがのあなたも357弾の前では、そうなりますか。式神5体よりも一発の銃弾……はぁ、やるせなくなりますねぇ」


 吉崎さとるの手には、特徴的な4つの銃口を持つ拳銃が握られていた。そのうちの一つからは、白煙。今まさに深山真一の左足太ももを打ち抜いた、その弾丸を射出した銃口だった。


「なんだってんだ……さとる、お前……」

「大丈夫ですよ、上はともかく私はあなたを本気で殺そうだなんて思っていませんから。今はね」


 言いながら、ゆっくりと少女を抱き起こす。深山はさすがに体力の限界なのか、片膝をついたまま苦しげな表情を浮かべ、動けない。


「まて……その子をどうする、つもりだ!」

「どうもしませんよ、古都こきょうにかえすだけです。やっと出来た成功作、なんですから……フフ、深山さん、あなたのおかげです」


 月が雲に隠される。

 もう、二人の表情を読み取ることは出来ない。

 言葉だけが感情だった。


「成功……作だと? 鬼降ろしの、か」

「成功した場合、それを神降ろしと呼んでいます」

「神降ろし?」

「ええ、人であって人でなし、鬼であって鬼ではない。故に神です。これで現人神あらひとがみに対抗することができます。おっと、話しすぎましたか。でもこの会話もすべて無かったことになりますから」

「なにを?」

「反転するんですよ」

「なに、が……反転、する……?」


 あたりが次第にもやに包まれていく感覚。

 ただ、吉崎さとるの声だけがやけに鮮明に深山真一の心に刻まれる。


「反転するのはこの土地に根付く記憶、です。人の深層心理の中で共有している部分とでもいいましょうか。本来、鬼や神といったモノがこの世界に実在するわけはないんですよ。そんなモノは単なる人の思いこみ、意識や精神、記憶の混濁こんだくが生み出したただのまやかし。でも――」


 深山は、朦朧もうろうとする意識の中で最後の言葉を聞いた。


「でもこの地は認めてしまった、その存在を。ですから、今回出現した鬼や神はいたことになるんですよ、昔からね」


 朦朧としていたのは意識ではなく、この土地で人が共有する綿々たる記憶れきし、だった。


 そして無いはずのモノが存在し、存在していた記憶は――――反転、した。


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いにしえの都の物語 前日譚 平城山 圭 @KeiNarayama

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