(二)駆け引きは彩りを添えて①

(二)


 婚約披露の場における王太子とエラゼルの挨拶が終わると、周囲の視線は次のラーソルバールへと向けられた。

 こうした場での作法も身近にエラゼルという完璧な手本が居たおかげで、ある程度はこなせるようにはなっている。だが、衆目の集まる中での挨拶というのは、慣れるものではない。

「会場は戦場で、客は敵兵だと思え」とウォルスターに言われはしたものの、戦場で騎士達に号令をかけるのとは似て非なる物である。同じような気持ちで臨めるはずもなく、手に汗が滲むのを感じつつラーソルバールは半歩前へと踏み出した。


「先程、宰相閣下よりご紹介に与りましたラーソルバール・ミルエルシに御座います。私は騎士であり淑女とは程遠い者でありますゆえ、王太子殿下の婚約者補というのはこの身に余るもの。ですからその立場に囚われること無く、大事な友人であるエラゼル嬢を全力で支えていく所存ですので、皆様におかれましては何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願い致します」

 面倒事に巻き込まれない為に「万が一にも王太子妃になぞなるつもりも無いし、野心の欠片も持ってはいないぞ」と宣言した訳である。そんな挨拶の言葉を終えると、ラーソルバールは令嬢として非の打ちどころのない見事な所作で深々と頭を下げた。

 どんな考えを持ち何を語るのかと待ち構えていた会場からは、発言内容と所作に対し賛美を込めたような大きな拍手が送られることとなった。

「あれが噂の聖……」

「彼女が赤の……」

 拍手に混じって小さな声が耳に届くが、いちいち気にしていてはきりがない。

 ここまでの時間は、人前で目立つことを嫌うラーソルバールにとって、この上ない苦痛だったと言っていい。王太子婚約披露の場において、婚約者補としての挨拶という有難くもない仕事を無難に終えた事に満足したように、ラーソルバールは安堵の吐息を漏らした。


 次のファルデリアナの挨拶をもって、二人の婚約者補はこの日与えられた大きな役割を終えようやく解放されたのである。

 ラーソルバールは段を降りる際にウォルスターの視線に気付いて会釈をすると、役目を果たした事を労うように笑顔が返ってきた。

(世の令嬢達はああいう顔に騙されるんだろうなぁ……)

 二年前に会った時よりも少年っぽさが抜け、容姿端麗な好青年といった印象すら受けるが、中身の悪戯っぽいところは変わっていない。見た目に騙されると痛い目を見るぞ、と思うのである。

 そもそも、それが素の彼の姿なのかも分からないのだが。


(さて、父上はあの辺だったかな?)

 人にぶつからぬよう歩いている間にも周囲からの視線を感じるが、国王の居る場であり、宴の開始を宣言される前だけに誰かに話しかけられる心配も無い。とりあえずは、ミランデール子爵やベッセンダーク伯爵の近くを通らないよう注意しつつ、事前に見つけていた父のもとへと急ぐ。

 そして、ラーソルバールとファルデリアナがそれぞれの家族の元へ戻ったことろで、宴の開始が宣言された。

「それでは、宴を開始いたしましょう。ヴァストール王国の未来を担うお二人に乾杯!」

「乾杯!」

 宰相の声に続くように、会場から一斉に声が上がる。

 ラーソルバールも父と共にグラスを傾けると、ようやく緊張から解き放たれたように全身から余計な力が抜けるのを感じた。

「お役目ご苦労様でした」

 隣に居たシェラがグラスを手に微笑みかける。

 彼女は父であるファーラトス子爵は大使という立場上シルネラから戻ってきておらず、この会には兄達と共に出席している。ただ、兄との仲が良いという訳ではないので、ラーソルバールが戻って来るのを見越してクレストの近くに居たのである。

「ありがとう。もう疲れて帰りたいくらい……」

「ふふ。無理じゃないかなぁ。ラーソルと話したそうにしている人は山のようにいるみたいだし」

 視線を動かして周囲を見れば、ちらちらと様子を伺うように見ている人物は少なくないことが分かる。

「いやもう、尚更帰りたくなる……」

 苦笑いを浮かべると、左の手で顔を覆う。

「仕方ないよ。今までは英雄とか聖女とかの呼び名が先行してて、見た目なんかの人物像か分からない人が多かったんだろうけど、宰相様の紹介で顔と名前が一致しちゃったからね」

「はぁ……。せっかく今まで社交界は出席を断ったり、参加しても目立たないようにしてきたのに全部水の泡だよ……」

 深いため息をつくと、愚痴が同時にこぼれ出た。

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