(四)シルネリアの夜に②
シルネリアでの三日目の夜。それは二人きりの逢瀬の時。
嬉しい気持ちもあるが、二人きりは久し振りだけに気恥ずかしい。そして、やはり後ろめたい。素直に言葉を紡いで口に出来たらどんなに楽だろうか。
「アシェル……は、明日出立ですか?」
沈黙を嫌って、当たり障りのない話を持ち出す。
二人きりになりようやく愛称で呼ぶ機会を得たものの、いざ口にすると恥ずかしさが込み上げる。
「明日の朝の予定だが……まさか見送りに来てくれるのかい?」
アシェルタートも愛称で呼ばれた事で赤面しつつ、誤魔化すようにグラスを持ち上げて顔を隠した。
「私のような者が顔を出すと、色々と面倒事が起きそうですから止めておきます」
それは本音でもあるのだが、ラーソルバールの休暇はこの日で終わり。明日からはまた騎士としての日常が始まるだけに、会いに行ける余裕など有るはずもない。
「む。一緒にガラルドシアに行く、くらいは言ってくれると期待したんだがなあ……」
それが冗談だということは表情で分かる。少し拗ねたように見せて関心を買おうとしているのだろう。
「もし私がそう言ったら、慌てるのはアシェルの方でしょう?」
「……ん、その通りかもしれないな。少し試してみたんだ。君がその……」
アシェルタートはためらうように言葉を濁し、右手で左の手首の腕輪を弄ぶ。それが何を意味するのか、ラーソルバールは理解した。
「ああ、私が指輪をしていないのを気にしていたんですか?」
「え……いや、その……」
図星を突かれたようで、視線を反らし照れ臭そうに頭を掻く。
「ふふ……。私はいつも肌身離さず着けていますよ。指に、ではないですけれど……」
「というのは?」
「私は日常的に剣を握り、そして振るっています。指輪など普段から着けていたらすぐに変形して見るも無惨な姿になってしまいます。だからこうして……」
ラーソルバールは胸元からネックレスを引き出し、その先に通された指輪を見せる。
変形させたり傷つけたくないというのは偽りのない事実だが、着用しない理由はそれが全てではない。
ひとつは王太子の婚約者候補となっている以上、表向きには理由のない指輪は極力控えた方が良いという判断。もうひとつは、着用している事で周囲に余計な詮索をされたくないという個人的理由だ。
ちなみに軍務大臣から仲間と共に受領した指輪は特殊加工が施されているので、着用していても変形することはない。だが、アシェルタートから贈られた指輪は、主に婦人たちの装飾が目的であるためそうした加工は無されておらず、ラーソルバールの言う通り変形する可能性が高い。
アシェルタートがそうした純粋な装飾品を贈るという意味を、ラーソルバールも理解はしているつもりなのだが。
「そうか、そんな所に有ったのか……」
アシェルタートは指輪を見てほっとしたのか、口元に手を当てて笑い始めた。
「……変ですか?」
「いや、それだけ大事にしてくれているという事だろう? 指輪は指に着けるものだとばかり思っていたからな……」
笑い続けるアシェルタートにつられるように、ラーソルバールも吹き出す。そして、左手を見せるようにテーブルの上に差し出した。
「話のついで、ではないですが……。誤解されないように言っておきますが、私が指にしているのは護身用のものであって、男性から頂いたようなものではありませんから」
笑顔に少し頬を膨らませ、ラーソルバールは向かいに座る青年の目を見詰めた。
「ああ、済まなかった。やっぱりルシェはあの時のルシェのままだった」
アシェルタートの言葉が、心に刺さる。
様々な事情を抱え、あの時のままではない。それでも、アシェルタートを想う気持ちに変わりはない。むしろ離れていた分だけ、募るものが有った程だが……。
「一年程度で変わるものではありませんよ……」
そう、周囲の状況が許してくれないだけだ。心の中で言い訳をする。
だが、果たして自分が今している事は正しいのか。本当はアシェルタートも国をも裏切っているのではないか。
ラーソルバールは偽りの笑顔で迷う心を覆い隠した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます