(四)シルネリアの夜に①

(四)


 首都シルネリアでの二日目。

 ラーソルバールとシェラの二人は朝から非公式に大使館を訪ねた。現大使のゼレッセン子爵とファーラトス子爵に面会して、知り得た情報を基に帝国の動きの報告を行うのが目的だった。

 意外にも即座に大使への面会が許されたのだが、ドグランジェ将軍がシルネラ入りしており二国間で交渉を行っているようだという話をすると、直後から大使館は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。


 ちなみに報告の中では、アシェルタートが同行している件は伏せたままにしている。

 あくまでもアシェルタートとは個人的な付き合いであり、国益が絡むとはいえ個人的感情を利用して美人局のように情報を引き出すというのは、ラーソルバールの矜持が許さなかった。同時に、下手に報告してアシェルタートに迷惑を掛けたくないという個人的感情もあるのだが……。


 話を聞き終えたゼレッセン子爵は青ざめた。

 シルネラと連携して帝国に対応するという、ヴァストール王国の基本姿勢を揺るがす出来事だけに、非常事態といっても過言ではないのだ。

 そもそも、大使館に勤務している人間はなぜこの情報を掴んでいなかったのか。大使としての己の不明を恥じたが、ラーソルバールの報告をただ鵜呑みにする訳にもいかない。事態は急を要するだけに、即座にシルネラ議会に接触して裏を取ろうと大使は謝意を示して席を立った。


 ラーソルバールはシェラと二人で逃げるように大使館から出たが、直後にファーラトス子爵が二人を追うように駆け出してきた。

「シェラ、待ってくれ!」

 呼び止められてシェラは足を止めた。

「お父様?」

 シェラがやや身構えたのは、過去のいきさつがあるせいだろうか。頭では理解していても、まだどこか素直になれていないのだろう。

「すまない、これを今日渡す約束だったのに……」

 父親としての穏やかな笑顔を見て、シェラは肩の力を抜いた。

 差し出された紙包みにゆっくりと手を伸ばし、笑顔で父に応える。

「ありがとうございます、お父様……。これから大変だと思いますが、お体を労わって立派にお仕事を果たしてください。お戻りになられたら、またゆっくりとお話しさせてください」

 言い終わった後で、シェラは何かを思い出したように慌てて懐に手を入れた。そして上着の内側のポケットから小さな長細い箱を取り出し、そっと父に手渡す。

「……これは?」

「隊商でお父様に気付かれないように購入したペンです。使い慣れた物もお持ちでしょうが、たまに使っていただければ……」

 少しだけ勇気を出して、恥ずかしそうに告げる。それはシェラからの歩み寄り。

「ありがとう、大事に使わせてもらう。そしてこのペンで皆に手紙を書く事を約束しよう」

 小さな子供をあやすように、父は娘の頭を優しく撫でる。それを受け止めるシェラの目は、父との確執を語った時のそれではない。

 これで父と娘の距離も少しは変わっただろうか。黙って二人のやりとりを見ていたラーソルバールは、安心したようにひとり笑みを浮かべた。


 その後、二人はシルネリアの街を散策しながら食べ歩きながら、少しでも街の地図を把握しようと努力した。

 知らない街を歩くのは新鮮で、初めて見る食べ物や特産品に興味は尽きない。

 だが、かつて自分たちが「迷宮のようだ」と評した街路を歩いていると、太陽が出ていなければ方角さえも失うのではないかと思えるほど。地図が無ければ、完全に迷っていただろう。

 冒険者ギルドのミディートが「街の隅から隅まで知っている住人はそう多くない」と語っていた。むしろ、外郭にある新市街の人間は中央区をほとんど知らないし、中央区の人間も同様に新市街の事を知らない事が多いとのことだった。

 冒険者は依頼をこなす上で、ある程度の地図は頭に入っているだろうという話だったので、そこを疎かにする訳にはいかない。

 そうやって街を歩くのには理由がある。

 アシェルタートにシルネラ国民だと思わせているラーソルバールとしては、何かあった場合に街の事を全く知らないと感付かれてしまう訳にはいかないのだ。いざとなったら、遠方の依頼ばかりでシルネリアはあまり知らないと言って逃げる手もあるが、かえって墓穴を掘る可能性が無い訳でもない。

 そうして夕方近くまで歩き回った後、宿近くで別れた。この日のアシェルタートとの会食をシェラが辞退したためだ。


 おかげでこの日は三人だけでの会食となり、ボルリッツに気を使われながらの会話となったのだが……。ボルリッツとしても居心地が悪かったのだろう、その席での話で翌日は二人での食事という事に決められてしまった。

 そして三日目、アシェルタートが滞在する最後の夜を迎える。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る