(一)人の心に潜む光と闇③

「貴様ら! 私が……私が誰が分かっているのか……?」

 悔しさに塗れ、ガドゥーイの声には張りが無い。

「さあ……」

 この男がどこの誰であろうとラーソルバールにとってはどうでも良い事だった。

「ヴァンシュ……」

「貴方は家名を唱える前に、己のしたことがどれだけ家名を傷つけるか……それどころか、家の存続をも危ぶませるものだという認識すら無いのですか? 貴族なら何をやっても良いというなどと考えているのなら、思い上がりも甚だしい……」

 怒りにまかせて言い放った後、ラーソルバールは大きくため息をついた。心の内では自分にそれを言える資格はあるかと自問をしながら。

 ふと冷静になって、男が口にしかけた家名を思い出す。

 ヴァンシュタイン……だろうか。そうか、男の顔をよく見れば確かにグレイズに似ているではないか。ラーソルバールは納得した。

 もしこの件が公になれば、侯爵家はどうなるだろう。彼らがもみ消しにかかろうとしても、相手が公爵家となればそうもいかない。この男一人の処分で済むなら良いが、下手をすれば侯爵家そのものにまでの罪が及ぶ可能性もある。そうなった時、自分はまた彼に恨まれる事になるのだろうか。


 ラーソルバールが思案を巡らせている間に、馬車の走行音は途絶えた。

 馬車が止まったのは二十エニスト程走った辺り。ルガートが御者から手綱を奪って馬の足を止めさせていた。

 停止後すぐに衛士は馬車から弾き出され、地に転がった。大した怪我はしていなかったようで衛士は慌てて起き上がって逃げようとしたが、御者席から飛び降りてきたルガートによって取り押さえられた。

 ルベーゼを抱きかかえたリファールが馬車から姿を現したのはその後だった。

「ミルエルシ殿……」

 ほっとしたように穏やかな表情を浮かべていたリファールだったが、ラーソルバールと視線が合うと気恥ずかしそうにはにかんでみせた。

「殿下が何故ここにいらっしゃるのかは、あえてお聞きしませんが……。会でのご自身の立場をなげうってまで事ですか……?」

「殿下……だと?」

 どこかの貴族の息子かと思っていたのだろうか。初めて知る事実にギリューネクは驚きを隠せない。ガドゥーイを押さえつける手が緊張で固まる。

 周囲の驚きをよそに、リファールは愛おしそうに腕の中のルベーゼに微笑みかけた。

「ああ……立場などどうでもいい……。私がずっと探していたのは、この人だ……」

「やはり……そうですか」

 ラーソルバールは嬉しそうに微笑んだ。


「……貴女は先程、この人をルベーゼ嬢……と」

「はい、この方のお名前はルベーゼ・ラシア・デラネトゥス。公爵家の二女であられます。……お二人ともお怪我はされていませんか?」

 そっとルベーゼに手を伸ばすと、気遣うように優しく髪に触れた。

「怪我はないが、この人が目を覚まさない。何か薬品のような残り香があるが……」

「会場には救護院の者の居るはずです。急ぎお戻りください、私は上司とともにここの責任者に……」

 言いかけたところで、歩いてくる巨体が視界に入った。

「お前さんが部下だと俺の首がいくつ有っても足りなそうだな……」

 ランドルフは頭をぼりぼりを掻きながら、半ば呆れ気味に歩いてくる。直属の上司と同様、来るのが遅いと文句を言ってやりたいところだったが。

「誘拐事件を防いだのですから……首には影響ないと思いますが……」

 珍しくギリューネクが口を挟んだ。

「まあ、何だ。下手をすると、貴族連中を敵に回しかねない状況でもある訳だしな」

「団長がデラネトゥス家を敵に回すおつもりなら、私は何も申しませんが?」

 冗談には冗談で返す、それくらいの事は許されるだろう。ラーソルバールはランドルフの顔を見て苦笑した。

 やれやれ、といったように肩をすくめたあと、ランドルフはリファールに向き直って恭しく敬礼をする。

「リファール殿下、この者とともに捕縛した者達を連れて会場入り口までお供いたします。詳細は我が国の軍務大臣と宰相に報告させて頂きますが、構いませんか?」

「ああ、問題ない。私はかわやに行く途中、成り行きでここに居るだけなので……な」

「あい分かりました」

 二人の男は視線を合わせると、言わんとするところが伝わったかのように笑い合った。

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