(三)小隊長と公爵令嬢③
「エラゼル!」
「……!」
名を呼ばれて、エラゼルは手を止めた。
声のした方へと振り向くと、そこに居たのはファルデリアナだった。
「ファルデリアナ……」
我に返り、振り上げた手をゆっくりとおろす。ファルデリアナに止められなければ、間違いなく眼前の不届き者を殴っていた。
「何をそんな小物に構っていますの? 貴女らしくもない……。貴女が肩を並べて語るべき人は別にいらっしゃるのでしょう?」
「……。すみません、ファルデリアナ。恥ずかしいところをお見せしました。……全く貴女の仰る通りですね。もう少しで私は宿敵であり大事な友である者に嘆かれるところでした」
いつものエラゼルらしい表情に戻り、ファルデリアナに小さく頭を下げる。だがそれでも、許しがたい発言をした娘を放って置く訳にはいかないという気持ちは消えない。
「ファルデリアナ様、小物とは私の事にございますか?」
アストネアは今度はファルデリアナに食って掛かった。だが、ファルデリアナは顔色一つ変えず、蔑むような目でアストネアを見やると、苛立ちをそのまま口にする。
「貴女の発言を私も聞いておりました。道理を弁えぬ愚か者を、小物と呼んだとて何の問題がありましょうか? エラゼルの言う通り、国を護る騎士に対する尊敬も感謝も持ち合わせぬような者とは交わす言葉もございません」
ファルデリアナはそう言い終えると、アストネアの存在を完全に無視するように、エラゼルに歩み寄る。
「参りましょう、下らぬことで足を止めて無駄な時間を過ごしている間に、貴女のご家族は行ってしまわれましたわ」
「気を遣わせてしまって申し訳ありませんね……」
二人はアストネアに背を向けると、会場へと急ぐ。
ファルデリアナはアストネアから離れ、誰にも会話が聞かれない場所まで来たところで口を開いた。
「あの女、エラゼルが王太子殿下の婚約者候補らしいとどこからか耳にしたようです。自らが選ばれなかった事を逆恨みした挙句、貴女に手を出させて候補者から脱落させようと狙ったのかもしれません……」
「おや、私が候補から外れるというのは、ファルデリアナにとっても悪い話ではないのではありませんか?」
エラゼルはファルデリアナをからかうように言うと、くすりと笑った。
「馬鹿にしないで頂けますか? 私とて公爵家の娘、汚い真似をしてまで勝とうとは思いません。それに……貴女が居なくなっても、もうひとり面倒なのが残っていますからね……」
並んで歩きながら、ファルデリアナは苦笑いする。正々堂々と、それは公爵家の娘としての意地なのだろう。
「私としては、あれが残っていれば、特に心配などないのですけどね」
微笑を浮かべながら口にしたエラゼルの言葉は、どこまで本気なのだろう。それは未来の王妃は自分でなくとも良いと言っているに等しい。冗談のつもりかと問いかけることもできず、ファルデリアナは聞き流す事しかできなかった。
「それと……。アストネアは悪い意味で以前の私を凝縮したような存在で、見ているに堪えないのです……」
そう素直に心境を吐露できるだけファルデリアナも成長し、エラゼルとの距離も近くなったということだろう。
「貴女がそう理解しているのなら、貴女は変わったということなのではないですか?」
エラゼルはファルデリアナに優しく微笑みかけた。それは今までファルデリアナに向けられた事のなかったもの。心のどこかで向けて欲しいと思っていたもの、なのかもしれない。
ファルデリアナにとってエラゼルは同じ年齢、同じ公爵家の娘という立場で、相容れてはいけない好敵手として勝手に認識してきた。その思いがやや変わりつつあるのではないか、この時初めて気付かされた。
ラーソルバールとエラゼルの関係と似て非なるものではあるが、相手を認めたときその視線も関係も変わるというのは、きっと同じなのかもしれない。
去りゆく二人の背に、アストネアの視線が刺さる。
怒り、恨み、妬み。他者を呪うかのような思いが渦を巻く。小さな出来事から生まれた私怨が、後に発生する重大な事件に繋がるということを、この時エラゼルもファルデリアナも予想だにしていなかった。
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