第三十九章 人と人

(一)与えられた役割①

(一)


 大陸暦八七八年六月五日、ヴァストールとレンドバールの二国間で戦後補償と、いくつかの条約に関しての会談とその調印式が行われた。

 両国で取り交わされた内容は日を置かずに公式に発表されるはずだが、中には秘匿される事案も有るに違いない。リファールが手の内を見せて協力を仰ぐ可能性もあるだけに、どう転ぶか分からない部分もある。

 とはいえ、第十七小隊としてはどんな内容が取り交わされていようと、無事に調印式が行われてしまえば任務は完遂した事になる。この後の護衛は別の隊が引き継ぐ事になっており、ラーソルバール達の仕事はここで終わりなのだ。

 控え室に戻ってきた使節団に対し、第一騎士団のボーガンディとともに、挨拶をして任務を終えた。リファールはボーガンディに気付かれぬようラーソルバールに目配せをして部屋に消えたが、それは接点を公に出来ないが故の別れの挨拶というつもりだったのかもしれない。


「夜は大変だったみたいですが、無事に終わってくれてほっとしました」

 ビスカーラが腕を突き上げて大きく伸びをする。要人の命を預かる仕事だけに、緊張していたのだろう。

「自分達の警備のときに大事にならなくて良かった、とか思っているんじゃないのか?」

 そんな様子を見て、ドゥーはビスカーラをからかうように言った。

「違いますよ! あの第一騎士団の隊長の顔も見なくて済むし……じゃなくて、ほら、何か有って私達のせいで外交問題とかになられても困るし……」

「いやいや、何か有った方が手柄になるってもんだよ。ねぇ、隊長? 王子様と接点を持っておくのも悪い話しじゃない」

 ルガートの意味ありげな言い方に、何か知っているのではないかと疑いたくなる。

「サンドワーズ団長の話だと、昨晩の件は穏便に済ませる方向らしいですよ」

 あえて素っ気無く答える。余計な詮索をされる可能性もあるだけに、下手な事は言えない。

 ラーソルバール自身、未だにルガートという人物を掴みかねているだけに、対応はどうしても慎重になる。ただ騎士学校の成績が示すとおり、少なくとも貴族の地位に胡坐をかいたような暗愚な人間ではないとは感じている。

「今日は、このまま本部に戻って装備品を片付けたら、終わりということですから早く帰りましょう」

「はーい!」

 機嫌よくビスカーラが返事をして、皆で帰ろうとした時だった。

「ラーソ……。ミルエルシ三星官!」

 背後から呼び止められ、ラーソルバールは足を止めた。小隊の面々も何事だろうかと黙してその様子を伺う。果たして振り返った先に居たのは。

「ナスターク軍務大臣……」

 多少の驚きを持って応じる。

 昨晩の件について軍務省からの呼び出しがあるだろうとは予想していたが、まさか大臣自ら声を掛けてくるとは思っていなかった。

「ご用件、承ります」

 背筋を伸ばし、敬礼をすると、慌てて小隊全員がそれに続く。

「ああ、個人的な話だ、硬くならなくて良い」

 穏やかな微笑を湛えながら、ナスターク侯爵はラーソルバールへと歩み寄る。

「はい、では部下は下がらせていただきますが……」

「構いません。任務お疲れ様でした」

 その言葉で、ラーソルバールだけが残された。


「私についてきて貰えますか?」

 いつもと変わらぬ人の良さそうな老紳士といった雰囲気に、相手が大臣だという事を忘れてしまいそうになる。

 素直に侯爵の後ろをついていくと、彼はひとつの部屋の前で足を止めた。

「ナスタークです。失礼します」

(んん……?)

 大臣がドアを叩き名乗る姿を見て、ラーソルバールは冷や汗が出るのを感じた。その理由。つまりは、大臣でもそうしなくてはならない相手が部屋の中に居るということ。

「ああ、入ってください」

 中から応じる声が聞こえ、ナスターク侯爵は扉を開けて室内に足を踏み入れる。ラーソルバールも意を決して、それに続く。


「お久し振りです、ラーソルバール嬢。ひと月くらい振りですか?」

 室内に居たのは、宰相メッサーハイト公爵。ラーソルバールの想定した中では最良の人物だった。宰相とはいえ、国王本人や王族の相手をする事に比べたらどれほど気が楽か。

「お久し振りで御座います、宰相閣下」

 ほっとしたのを表情に出さぬよう、勤めて冷静に頭を下げる。

「いやいや、そう気を張らなくても良いので、そこに座ってください」

 宰相が指し示した場所、その横には既にサンドワーズの姿があった。

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