(四)宴と戦慄の記憶

(四)


 合同演習当日に話は戻る。

 帰りの荷馬車。

 ラーソルバールは荷馬車に乗ると、間も無くエフィアナに寄りかかって寝てしまった。

「こんな揺れるものに乗って、良く寝られるもんだ」

 アルディスは呆れた。

「まあ、そう言わないで。この娘も頑張ったから疲れたんでしょ」

 荷馬車の走行音が大きいため、声が通りにくい。それでもラーソルバールを起こさぬよう、エフィアナは大きな声は出さない。

 エフィアナはラーソルバールにとって姉のような存在だが、妹の面倒を見て何か世話をしてくれるようなタイプではない。ラーソルバールとアルディスにとっての制止役であり、良き話し相手だった。言うなれば、精神的年長者といったところだろうか。

「ん、アルディスはあの金髪の娘の知り合いなのか?」

 六班の副班長だったリックスが興味が有りそうに、身を乗り出した。

「ああ……。エフィアナを含め、一緒に育った仲だ。妹みたいなもんだよ」

「ほう、ふた股か」

「冗談は止してくれ。色々と俺の命が危なくなる」

 リックスはその言葉の意図するところを解したのか、エフィアナの顔を見て笑った。

「とにかく、今日は彼女とエフィアナにやられたようなもんだ」

「聞く話によると、うちの斥候もどうやらあの二人にやられたらしい。エフィアナはともかく、あの一年生はそうは見えないんだがなあ……」

 失言だったか。エフィアナに睨まれ、リックスは視線を泳がせた。

「……ああそうだ、今日はスマン。血の気の多い奴が飛び出すのを抑えきれなかった」

 話を逸らして誤魔化すしかない。そういう意図が透けて見える。

「いや、仕方ないさ。それを含めての演習だ。死なないから敗戦も糧になるだろ」

「違いない」

 二人は顔を見合わせて笑った。

「戦術が以外と面白いものだと分かって良かったよ。今日の収穫だ。これからそっちの勉強をしっかりやろうかな」

「剣より学問派のリックスには合ってるかもしれないな」

 普段、この二人が会話をすることはあまり無い。

 互いに嫌っている訳ではなく、騎士としての方向性が少し違っていただけに過ぎない。剣と学問。この二つが今日の演習でうまく交錯し、良い共感を得たのだろう。

「まあ努力する。が、小規模戦闘であんなのに暴れまわられたら、戦術でどうにかなるのか」

 一瞬躊躇した後、アルディスは首を傾げる。

「遠くから弓で?」

「何で、そこ疑問形なんだよ」

「じゃあ、魔法?」

「変わんねぇよ」

 大規模な戦闘であれば、数で圧倒する事も可能になる。それが出来ない場合には?

 それを考えるのも才能ということか。頭を悩ませながら良い策はないかと悶える。マゾヒスティックな役割だ、リックスは頭をボリボリとかいた。

 ふと気になった事がある。

「しかし、あの娘は塗料だらけだな。何人倒したらああなるんだ?」

「……ああ、九人だとさ」

「嘘だろ……」

 アルディスの答えにリックスは絶句した。想定外の答えだった。

「……次回は敵軍にならないよう祈るわ」

 捻り出した言葉は、対策を放棄するものだった。

「そうだ、名案だ! 戦わなければいい」

 アルディスも思考を放棄した。


 寮に戻ってきた時には、すっかり日も沈んでいた。

 皆、慌ただしく風呂に駆け込み汚れを落とすと、すぐに食堂へと急いだ。おかげでラーソルバールの希望だった「ゆっくり風呂に」という願いは叶わなかった。

 食堂でエフィアナやアルディスと待ち合わせをしていたため、時間をかけている訳にはいかなかったからだ。

 帰りの馬車で眠っているラーソルバールを支えていたエフィアナは、疲れているにかとのかと思いきや、意外にもご機嫌な様子だった。演習で勝ったからではなく、久し振りにラーソルバールと一緒に居た事が楽しかったらしい。

 夕食のプレートを揃え、テーブルの一角を陣取ると、小さな宴が催された。

 宴といっても、当然酒が出るわけでは無い。シェラ、フォルテシアを含めた五人の食卓だった。

 エミーナは一班だったので、別のグループと一緒に食事をしている。

「無理言ってごめんなさい。本当は班での食事予定だったんじゃない?」

 ラーソルバールはテーブルに額がつきそうな程頭を下げた。

「負けた側は結構険悪になる事が多いから、一緒にって感じにはなる事は少ないんだ」

「その代わり、我々の横にいつの間にか二班の連中が居るだろ」

 エフィアナが苦笑した。

「当たり前だ、今日の勝利の立役者が居なくてどうする」

 上機嫌で一人の学生が立ち上がった。二班の班長だったドラッセだった。

「負けた人間もここに居るんだぞ、ちょっとは配慮してくれよ……」

 アルディスが無表情でパンを千切った。

「たまには負けるのもいいもんだろ?」

「俺はいいさ、けどこの娘たち二人は違う」

 冷たい視線がドラッセを襲う。

「ごめんね、無神経な奴で」

 エフィアナが追い討ちをかける。

 シェラが微妙な雰囲気にオロオロした様子を見せたが、フォルテシアの表情は変わらないように見えた。

 親友の素振りを見かねたラーソルバールが口を開く。

「周りは気にしないで、食べようよ」

 無難な言い方しか出来なかった。

 ラーソルバールはもともと人付き合いが上手な方ではないので、こういう場には弱い。少しはエラゼルのように堂々としていれば良いのだろうか、と一瞬考えた。

 だが、この一言でようやく皆が落ち着いて食事を始めることができた。


「そういえばラーソルの見たという、オーガなんだが、この近辺での目撃例はほとんど無いよな」

 隣の席の騒々しさを無視して、アルディスが切り出した。

「そうですね、常闇の森近辺ならそうでも無いのでしょうが」

 スープを飲んで少し落ち着いたのか、シェラがアルディスの言葉に同意する。生物学を得意とする、彼女らしい言葉だった。

「常闇の森から迷い出た、と言うには遠すぎるしね」

 エフィアナの言葉にラーソルバールは引っかかるものを感じた。

 迷い出たのではなく、連れて来られたのだとしたら。

 誰が、何のために……。

 嫌な予感がした。


 見間違いなら良かった。

 だが、確かにそこに大きな生物が居た。息を殺してやり過ごさねばならない程の威圧感と存在感。あの時、エフィアナには冗談ぽく語ったが、実際は違う。

 その気配に、背筋が冷たくなるのを感じた。見つかってしまえば、どうなるか分からない。

 あの怪物は、今まで相手にしてきた獣とは全くの別物だと直感した。圧倒的な力を持っているのは疑いようがなく、自分のような小娘の力など、通用するはずもない。

 たとえ本物の剣を握っていたとして、まともに傷を負わせることすらできないかもしれない。

 模擬剣を握る手が震えた。大きな木の陰で、覗きつつも動けない。

 一瞬、陽光で青黒く光る体毛が見えた気がした。 

 その大きさに絶句した。身の丈はラーソルバールの倍以上、三エニスト(一エニストおよそ一メートル)はあるに違いない。

 何かを探すように動き、止まり、また動く。自らの手にある模擬剣では攻撃どころか、牽制すらできない。早く去ってくれと願うしかなかった。

 そして、ラーソルバールの悲痛な願いが通じたのか、しばらくして気配は遠ざかり、消えた。

 安心した瞬間、汗が噴き出した。

 どのくらい呼吸をしていなかったか、自分でも分からない。喉がカラカラになるほど緊張し、恐怖した。思い出しただけで恐怖が蘇り、手が震える。

 騎士になるということは、あのような怪物とも対峙し、皆を守るために戦わなくてはならない。怯えていただけの自分が情けなかった。

 次は戦う。そう、心に決めた。


「ラーソル、聞いてる?」

 エフィアナがラーソルバールの顔を覗き込んだ。

「手が止まってるよ」

「あ、ごめんなさい」

 現実世界に引き戻された。

 安心できる笑顔に囲まれて今、ここで食事が出来ている。あの時、無事に帰ることが出来たから、ここに居られる。それだけで有り難いことなのかもしれない。

「どうした? 変な顔をして……。顔色が悪いな、具合でも悪いか?」

「ん、大丈夫。ちょっと疲れが出ただけ」

 ラーソルバールは作り笑顔でエフィアナに答えた。


 二日後の夕刻。

 ラーソルバールに届けられた報告は、彼女を少なからず動揺させた。

「本日、ラーソルバール・ミルエルシより報告のあった、オーガ一体を発見。討伐に成功致した。報告に感謝すると共に、以降も騎士に準ずる立場としての責務を全うされる事を期待す。ついては相応の褒賞を以って、功に報いることとする。以上、騎士団本部よりの感謝状です」

 わざわざ寮まで伝令がやってきたという事は、今回の一件は騎士団にとって、王都にとってそれなりの意味があることだったに違いない。

 少しだけ、ラーソルバールは気になったことを質問する事にした。

「討伐した、個体はどのようなものでしたか?」

「私は詳しくは存じませんが、体長は二・五エニスト超の赤毛の大物だったそうです」

 その言葉を聞いた瞬間、ラーソルバールは硬直した。

「それは、私が見たものとは、別の個体です……」

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