(三)遅ればせながら

(三)


「いくよ、ラーソル!」

「了解」

 撤退しようとする赤軍の前に二人が立ち塞がった。

 ラーソルバールは肩で息をしていたが、大きく息を吸い込んだ。

 偵察を任され、本陣とは反対方向を調べていたのだが、開戦が予想以上に早かったため、間に合わずに慌てて走ってきたのだ。戦場には、たった今到着したばかりだった。


 与えられた仕事は、包囲から離脱しようとする相手を迎え撃つという、明確だが、骨の折れる仕事だった。

 通常は隔絶した力量差が無い限り、個人の武勇で戦局が大きく変わることは殆どない。だが、戦闘規模が小さくなるほどに、個人の武勇が持つ価値は高くなる。

 そしてその存在自体が、時には大きく意味を持つ事も有る。

「しまった、後ろはあいつらか!」

 アルディスが後悔した時には、遅かった。

 隙間を拡げに行った二年生二人が、あっという間に塗料袋を破られた。

「また、あんた強くなったんじゃない?」

「エフィ姉もね」

「これ以上強くなられたら、困るんだよ。姉として」

 戦場で相手の剣を凌ぎながら、余裕で会話を続ける二人。

 エフィアナの腕も現役騎士並は有るのだろう。

「先に一年を潰せ!」

 隙間から誘い出された赤軍は、弱いはずの一年生を倒して切り抜けようとする。

「それは駄目!」

 その光景を見たフォルテシアが、声を上げた。珍しい出来事に、シェラは驚いた。しかし、怒号に消され、フォルテシアの声は届かない。

 瞬間、ラーソルバールの姿が消えた。人波に阻まれたフォルテシアにはそう見えた。その後すぐに、ラーソルバールに向かったはずの、二年生三人が膝を落とした。

「何だ、あいつ!」

 赤軍は起きた出来事を理解できなかった。

「ハハ……。あいつまた強くなってやがる」

 どうにか、本陣の敵を引き離した瞬間の出来事に、アルディスは呆れた。

 赤軍の戦力が減らされ、均衡は崩れた。

 突破を諦めた赤軍は、乱戦に引きずり込もうとしたが、既にそれだけの戦力も無く、殲滅されるのを待つしか無かった。

 シェラ、フォルテシアは二人でカバーしつつ戦うという、シェラが提案した方法で、アルディスと共に最後まで奮戦したものの、逆境を覆すには至らなかった。

 結局、赤軍の二班は勝てる見込みがなくなったとの判断により、降伏を宣言した。

 赤軍にはまだ本陣が残っていたものの、総合判断により青軍の勝利とされ、一年生最初の合同演習は幕を閉じた。


「つっかれたー!」

 戦闘終結直後、ラーソルバールは叫びながら仰向けに倒れた。

 走って戻ってくるなり息を整える暇もなく、戦闘に参加したことが相当堪えたらしい。

「戻って来るのが遅いんだよ」

 隣に座ったエフィアナは、ラーソルバールの頭を軽く平手で叩いた。

「ごめんなさーい」

 まだ息の荒いラーソルバールは、それ以上の言葉を続けなかった。

「ラーソル、あんた斥候入れて何人倒した?」

「ん……と……」

 仰向けになったまま、指を折って数える。

「九人……かな?」

「……一人で戦局を変えるつもりか?」

 呆れるそぶりを見せたエフィアナ本人も、合計で五人倒しているのであまり他人の事は言えない。これだけの小規模戦闘なら、同人数の中に二人を投入すれば、十分な効果をもたらす。

「で、エフィ姉、運動訓練って何やるの?」

 少し呼吸が落ち着いたのか、ラーソルバールは上半身を起こして、周囲に聞こえぬよう小声で質問した。

「明日の放課後、ランニング、素振り、重量引きをちょっとやるだけさ。一年生はその半分やればいい」

「ちょっと、ね……」

 ラーソルバールが苦笑いしつつ周囲に視線をやると、エフィアナの声が聞こえたのか、赤軍の生徒がゲッソリとした顔をしていた。

 過酷なんだろうな……。とは声に出さず、苦笑した。

 明日の夕方、シェラとフォルテシアには美味しいお菓子を持って行こう。向こうで、座り込んで手を振る二人の姿が見えた。

 ラーソルバールもゆっくりと手を振り返した。

「偵察が遅かったのは、行きすぎたのか?」

「んー、ちょっとね」

 言葉を濁す。

「言ってみな」

「……森の中で、人ではない気配を感じたから」

「獣か?」

「違う。多分、大きな怪物。……オーガ、かな」

 確たる事は言えない。二足歩行、それは間違いない。ただ、足音がその存在感が人とは全く違っていた。

「何だって!」

 エフィアナが驚きの声を上げるまで、一瞬の間が有った。想定とは違う答えに、理解が追い付かなかったからだ。

「腰の武器はこれでしょ。気付かれたら勝ち目は無いので、やり過ごすしかなくって……」

「おい……」

 腰の武器が模擬用ではなく、ちゃんとした剣だったら戦うつもりだったのか? エフィアナは言いかけた言葉を止めた。

 さすがに騎士数人で相手にするような奴に、単独で立ち向かうような真似はするまい。逃げるための手段という意味だろう。そう解釈することにした。

「なら、何で私達がその近辺を通った時には、何事も無かったんだ?」

「さすがに二十人も居たら、寄ってこないよね」

 確かに、その解釈は合っている気がするが……、本当にそれだけだろうか。

「それ、誰かに言ったか?」

「まだ……」

 言う暇などあるはずもない。怪物の気配が遠ざかるまで待ち、戻る途中で戦闘の音を聞きつけ、慌てて帰ってきて、戦闘に参加。

「教官殿!」

 エフィアナの呼びかけに応じ、大きな怪我をした者がいるのかと思い、教官が一人駆け寄ってきた。だが怪我どころの話ではない、ラーソルバールの恐ろしい報告に顔を青ざめた。

 慌てて監督官として同行していた騎士の元に走ると、即座に協議を始めた。何事か理解できない生徒達はそのまま待たされる形となり、しばらくしてからラーソルバールが呼び寄せられた。

 王都脇の騎士団演習場に、怪物が棲み着いた可能性があり、それがオーガかもしれないと言われた訳だから、慌てるのは当然といえる。

 ラーソルバールは大体の位置を地図で指し示すと、その様子を正確に説明した。

 最後に騎士団員に名前を聞かれて答えたところ、微妙な反応が返ってきた。ラーソルバールが首を傾げると、少し思案する様子を見せた後で若い騎士が口を開いた。

「君がミルエルシか」

「何か……?」

「いや、噂とは違うと思ってな」

 ラーソルバールは首を傾げた。

 何の事だろうか。

「噂……ですか?」

「ランドルフ団長と戦った、恐ろしい娘が居ると」

「はぁ……」

「恐ろしい姿形をしているのかと思っていた。可愛い娘じゃないか」

 騎士はオーガの事を忘れたかのように、思いきり良く笑った。

 褒められたのか馬鹿にされたのか良く分からず、何だか腑に落ちないラーソルバールは、どういう顔をして良いか分からなかった。

 敬礼をして場を辞すると、エフィアナの待つ場所へと戻る。その頃には皆が後片付けをしていた。

「しかし、よく見たら、ラーソルは凄い塗料まみれだねえ」

 エフィアナが笑った。

 その姿を見て、ラーソルバールは「エフィ姉もだよ」と言い返した。

「そうかなあ」と自分の鎧を見たエフィアナだったが「そうかもね」と言い直して苦笑した。全身にかかった塗料、それは返り血に等しい。今日の二人の戦果を物語っていた。


 破けた塗料袋や、弓矢、武器などの破片といったものを拾い集める戦後処理を済ませると、終了の挨拶となった。

「さあ、もう少ししたら、荷馬車に乗って帰らないとね」

 騎士学校と演習場、各陣営間の移動は全て荷馬車に分乗して行うので、演習が終わった今は揺られて帰るだけ。

 とびきり疲れた気がするので、帰ったらゆっくり風呂に入りたい。そんな願望を持って、ラーソルバールは荷馬車に乗り込んだ。


 翌日、演習場に騎士団の調査隊が入った。

 ラーソルバールの示した箇所を重点的に、その周囲も含めて調査が行われた。結果、その付近ではオーガ本体は発見されなかったが、調査地域にオーガのものと思われる、まだ新しい大きな足跡がいくつか発見された。

 ラーソルバールの証言を裏付ける形となったが、喜べる事ではない。近隣の街道が封鎖され、演習場を中心に探索が行われたが、その日のうちに発見に至らず、持越しとなった。

 騎士団の威信にかけても、とまでは行かないが、国民の安全の為には、脅威は取り除かなくてはならないし、いつまでも街道を封鎖したままでは居られない。

 まずは演習場をしらみつぶしにするとの方針の下、第一騎士団総出で捜索を実施。ようやく岩場で獣を捕食していたオーガに出くわした。

 先に相手に気付かれたものの、近くに居た三人で連携して何とか倒し、事なきを得た。騎士達は、ほっと胸を撫で下ろしたが、これの事件が後に起こる災厄の前兆だとは、誰も思いもしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る