第六章 後始末と始まり

(一)怒り

(一)


 訓練をしていて、ラーソルバールは驚いた。以前よりも、体が軽く感じられるようになったからだ。

 前日に魔力循環の施術をして貰った事で、思わぬ影響が出たというところだろうか。ただ、劇的に違うという程ではない。

 ここ数日痛みの為に満足に動けなかったため、そう感じるだけなのかもしれない。ただ、適度な魔力の循環は、好影響をもたらすと言われている。しかし、魔術師のように魔力循環を増大させ、魔法の出力を上げようとすると、その反動で体の動きを阻害するようになるとも聞いている。

 今回の場合、適度な施術が良い方向に出たという事だろう。


 肝心の魔力制御はというと、かなりの効果が有ったと言ってい良い。人並みに、とまではいかないが、努力すれば何とかなりそうな所まで改善したのだ。

 昨日の放課後、魔力球の作成を数度試してみたが、以前より楽になり失敗することも無かった。

 ほっとしている反面、怠けていては施術が無駄になるため、毎日の訓練をしっかりやらなければいけない。あとは自分次第だと思っている。

 何にせよ、お礼の品を持って行かなくてはいけないという程の改善に、感謝の気持ちで一杯になった。


 魔法について見通しが明るくなったので、不安が解消され、気持ちの上で非常に楽になった。そんな余裕が出来たせいか、今日だけは放課後の余暇を有意義に使おうと頭を切り替えた。

 では、何をしようか。そう考えた時に、渡し忘れていた土産が視界に入った。

 そうだ、カンフォール村の土産を手に、同学年の生徒の部屋を回ろうと思い立つ。手持ちの数はそう多くは無いが、足りるはずだった。

 シェラの部屋は最後に行くとして、まずは隣のミリエル。そしてエミーナ、フォルテシアの部屋へ。ガイザは……男子寮だし、いいか。

 それぞれの部屋では、土産を渡して挨拶だけ済ませ次へ、と慌しく移動する。残るのはシェラの部屋だけ。

 フォルテシアの部屋から戻る途中、階段を下りる所で、エラゼルと遭遇した。

「ラーソ……」

「いや今日はそれはいいから。はい、お土産」

 言いかけた言葉を遮って、ラーソルバールは手に持っていた土産を無理やりひとつ手渡す。

「な……?」

 機先を制され、さらに想定外の事態にエラゼルは戸惑いを隠せない。

「うちの領地の特産品。茶葉の一番いいやつだよ。まだ、試供品みたいなものだけどね」

「あ、あ……ありがと……う」

 調子を狂わされたように、礼を述べたが、どうしたら良いか分からない様子だった。

「エラゼルに会えたら渡そうと思ってたんだ。 あなたの部屋が何処か分からなかったから、会えてよかったよ」

 機嫌よく去っていくラーソルバールに置いて行かれる形になったエラゼルは、勢いを殺されて呆然としたままその場に立ち尽くしていた。


 最後に、シェラの部屋の扉をノックすると、眠そうな顔をした部屋の主が現れた。

「どうしたの?」

「ちょっと今、うとうとしていただけ」

「ああ、ごめんね。また後にする」

 扉を閉めようとするラーソルバールだったが、シェラに慌てて止められた。

「あ、いいよ。気にしないで」 

「何だか申し訳ない。これ、お土産。昨日渡せば良かったんだけど、舞い上がっちゃってて」

 前日は体調も良くなり、魔力循環も良くなったことで、調子に乗って部屋で魔法の練習にのめりこんでしまっていた。気がつけば、周囲が暗くなっており、夕食時間ギリギリに、慌てて食堂に駆け込んだのだった。

「ありがとう。これ、凄い良い香りがするね。お茶?」

「うん、領地の特産品。一番良いやつなんだけど、まだ収穫量が少なくて売る程ないから、って言われて持たされた試供品」

 皆に同じ袋を配ってきた物だが、村では味見した程度だったし、フェスバルハ伯爵家でも、落ち着いて飲んだ訳では無い。

 二人でゆっくりとお菓子をつまみつつ、飲みたいと思っていた。

「もうひとつあるから、そっちを開けて一緒に飲もうかと思って。お湯も貰ってきたんだ」

 用意の良さにシェラも苦笑いするしかなかった。


 翌日、剣の訓練は次の段階を迎える。

 今まで素振り程度だったものが、対人の立ち合い稽古になった。

 とはいえ、この構えの場合にはどうしたら良いか、という座学の講習かと思うような内容で、訓練はまだまだ先が長いということを、皆が思い知らされた。

 この日の授業はこれで最後だったため、最後にようやく時間無制限で実戦形式での立ち合い稽古が許可された。


 立会いは指名が可能とされた。

 ラーソルバールの相手には、フォルテシアが名乗り出たが、かねてよりラーソルバールに対して不満を持っていたジェスター・バセットが半ば強引にその座を奪い取った。

「ようやくお前を叩きのめす機会がやってきたな。口だけの女だろうが、容赦せずに泥を舐めさせてやる!」

 ジェスターは挑発するように、ラーソルバールに剣を向けた。

 その横でフォルテシアが、呆れたように溜め息をつくのが聞こえた。

「愚か者め……」

 フォルテシアの呟きは、ジェスターには届かなかった。

「お前らもこの女と同じように、後で這いつくばらせるからな。誰が一番強いか今ここで教えてやる!」

 自信満々に剣を振る姿に背を向け、フォルテシアはシェラと共に距離をとり、開始の合図を待った。

「準備は良いか?」

 教官の声が響き、皆が沈黙でそれに応える。

「始め!」

 合図の直後から、激しい金属音が聞こえ始めた。


 ラーソルバールは焦らずに、ゆったりと剣を構える。対して、相手が緊張してまともに動く事ができないだろうと想定していたジェスターは、意外な反応に驚いた。

「ち! 度胸だけはマシなようだな!」

 地面を強く蹴り、ラーソルバールの左側面から攻撃を仕掛ける。

 反利き手側から攻める事で軽々とあしらえるはず。ジェスターにはその自信が有った。入学前の剣技大会でも、この攻撃に反応できる相手は少なかった。

 真横に繰り出した剣がラーソルバールを捉えると思った瞬間、真上へと弾き上げられた。力で弾かれたというよりは、力を利用され、軽く跳ね上げられたと言った方が正しいかもしれない。

「な……」

 あまりの事に驚きの声を上げた次の瞬間、ジェスターは腹部に強烈な衝撃を感じ、そのまま片膝をついてしまった。

 剣を弾き上げたはずの、ラーソルバールの剣がジェスターの腹部を捉えていたのだ。


 ジェスターは確かに見た。

 自らの剣を弾いた後、相手の剣は弧を描くようにして襲い掛かって来たのを。今まで参加してきた剣技大会でも見た事が無いほど、鮮やかな剣捌きだった。

 ラーソルバールは、相手がシェラやフォルテシアだった場合には、この様に振り抜くことはせず、寸止めにするか軽く当てるかに留めている。それを容赦なくやってのけたのには、彼女自身、ジェスターに対する怒りが有ったからに他ならない。

 無論、入学直後の事を根に持っていた訳では無い。それ以後も、誰に対しても同様の態度を取り続け、他者を見下す傲慢さに苛立ちを覚えていたからだった。

 騎士を目指す者として、許し難い行為。

 ラーソルバールが怒りを剣に乗せるのは、初めてと言って良い。盗賊と対峙した時でさえ、怒りではなく罪無き人を守る、という思いだけで戦った。

 だが今は違う。

 この傲慢さは、騎士として誰も救えない。

 自らの思いを押し付けるつもりは無いが、彼の有り様は、誰が見ても騎士に相応しいとは思えないはずだ。

「まぐれだ!」

 自分の負けが認められないジェスターは、腹部の痛みを堪えて立ち上がる。

 自分の剣には自信が有る。剣技大会で負けたのは、相手が大人だったからだ。同年代の女なんかに、負けるはずが無い。

 剣を握りなおし、ラーソルバールに切りかかる。

 振り下ろす、切り上げる、突き出す。どれもが、かすりもしない。相手は剣すら動かさない。

 ……いや、猛攻の前に動かす事も出来ないのだ。そう確信して踏み込んだ瞬間、再び腹部に強烈な一撃を食らって、ジェスターは弾き飛ばされた。

 今度は見えなかった。

 いつ剣が動いたのか。相手は体を捻って剣を避けたばかりだったはずだ。その時、剣はどこにあったのか。……剣は無かった、というよりは、体に隠れて見えなかった。

 その時既に、予備動作に入っていたという事か。頭では理解できたが、この相手がそんな技を使うなど、信じられるはずも無かった。

「くそぉ! くそぉ!」

 ジェスターは拳で地面を叩いた。

 二度目も油断していたか。……否!

 同じ轍を踏むまいと、注意していた。相手がその上を行ったのだ。

 噂では、何と言っていたか? 「牙竜将と互角に戦った」などという話は信じていなかった。そんなはずが無いと、頭から決め付けていた。牙竜将だって、手を抜いていたはずだ。だが、それでも自分は互角に戦えるのか?

 答えを導き出す。

 ジェスターは三度目の戦いを選んだ。全力で行く。そう決めて剣を握りしめた。

「だらぁ!」

 自らの信じるままに剣を振り下ろした。

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