(四)魔力循環
(四)
「おはよ、休暇どうだった?」
朝一番の挨拶に混ぜて聞かれても、即答できるような休暇では無かった。まさか、素直に『危うく国王陛下に謁見する事になるところでした』と言えるはずもない。
実際、フェスバルハ伯爵から登城に同行するように言われたのだが、それは丁重に断った。もし雰囲気に流されて、適当に相槌を打っていたら本当に危ういところだった。
「まあまあだったよ。お土産も有るから後であげるね」
とりあえずは濁した答えだが、この場は切り抜けたい。
登城はしなくとも、かなり中身の濃い休暇になったことは、間違いない。だが、賊との一件も含め、事が事だけに軽々と教えられるようなものでは無い。
「ただかなり、体が痛い」
これは本当の事だ。
馬での移動で、鞍擦れが出来てしまった事に加え、馬車での移動も多く、身体中が悲鳴を上げている。伯爵家の馬車も質が良いとはいえ、長時間揺られていれば、どうしても体に負荷がかかる。できれば、この痛みを抱えたまま実技授業を受けるのは避けたい。
「何か無理したの?」
「移動が結構あって、馬にも乗ったりしたものだから」
と言って誤魔化したが、実は馬で移動した時が、一番体に負担になった。騎士になれば、馬に乗る機会も増えるので、できれば、馬を理由にしたくない。
騎兵として任務をこなす事も有り得るのだから、乗馬に慣れておく必要がある。この二日間で痛感した事だった。
「何処か痛めたのなら、治療室に行けば良いんじゃない?」
言われるまで思い付かなかった。
騎士学校には、治療室と呼ばれる施設がある。模擬戦闘、落馬、運動中の怪我、病気などに対処するため、医者や治療術師が常駐している。擦り傷や簡単な怪我であれば、すぐに治して貰うことが出来るという話だ。
「私的な理由なんだけど、大丈夫かな」
「訓練に影響が出るようなものなら、仕方ないんじゃないかな」
そう言いつつも、シェラは興味本位だということが顔に出ている。
「じゃあ、次の休み時間に行ってくるよ」
シェラの意図を知りつつも、ラーソルバールは素っ気なく言ってみる。
「うん」
そう答えてはいるが、シェラからは「連れていけ」という圧を感じる。まだ行ったことが無いので、見てみたいのだろう。
「じゃあ、一人で行くのも心細いから、付いてきてくれる?」
「いいよ!」
シェラの顔が輝いた。
分かりやすいなぁ、ラーソルバールは表情に出ないように、笑いを必死に堪えた。
予定通り、休み時間に治療室にやって来た。
初日に有った校内一周案内のおかげで、治療室の場所はちゃんと覚えている。とは言っても、必要そうだと目星をつけた施設以外は、ほとんど覚えていない。
ノックをしてから扉を開ける。
「ハイハイ」
奥から初老の男性が出てきた。
「どうした、病気では無さそうだが、怪我でもしたかね?」
少々怖い顔をしているが、口調は優しい。
見た目で損をしそうな人だな。そう思ったが、ラーソルバールは口には出さなかった。
「少々無理をして体を痛めてしまい、訓練に支障が出そうなので、診ていただこうかと思いまして」
「ああ、分かった」
男性はそう言うと、奥へと引っ込んでいき、代わりに若い女性が現れた。少々肉付きは良いが、外見は人並み。かなり穏和そうな雰囲気がある。
「ハイハイ、女の子は私が診ますよ」
ラーソルバールは挨拶した後、指示に従って椅子に座る。
エナタルトと名乗った女性治療師の問診に、ラーソルバールは正直に答えた。
「じゃあ、そこの診察用のベッドに、うつ伏せに寝て頂戴」
「あ、はい」
言われるがままにベッドに転がると、シェラの興味津々という顔が見えた。
「付き添いさん、楽しそうね」
エナタルトもその様子に気付いたようで、ラーソルバールの腰を軽く押しながら、クスクスと笑った。
少し気恥ずかしそうにしながらも、シェラの視線は動かない。
「痛っ!」
「はい、腰はこのあたりだね。まずはここから始めるよ」
エナタルトの表情から笑みは消え、真剣なものに変わる。魔法を使用するために集中しているのが分かる。
腰に当てた手がほのかに光ると、その光が揺らめいた。
「ん? 貴女魔法苦手でしょ。……と言うか、幼少期に練習さぼってたでしょ」
ラーソルバールは、魔法の事を気付かれた事に驚いた。
「何で分かるんですか?」
「治癒魔法を使ってもね、力の通りが悪くてやりにくいのよ」
苦笑いしながら「めっ!」と言って、ラーソルバールの尻を叩いた。
「キャァ!」
馬車に揺られ、馬に乗って擦れた一番痛い所だったので、ラーソルバールは思わず悲鳴を上げてしまった。
治療術師として痛い所は分かっているはずなので、わざとそこを狙ったのだろう。 傍で見ていたシェラはその様子が面白かったのか、声を出して笑っている。
「たまに居るのよね、こういう人」
同じ場所を更に二度、ペシペシと叩く。お仕置のようなものだろうか。
「ふぇぇぇ、すみませーん……」
ラーソルバールは情けない声を上げて、許しを請うた。
「怒ってる訳じゃ無いのよ。やりにくいのは確かだけど……。でも、体内にしっかりとした魔力を感じるから、循環を良くすれば改善するわよ」
「循環を良くするって、本人に練習させるって事ですか?」
傍らに居たシェラが、気になったように問いかける。
「本人にやってもらうのが一番だけど、それだと今治療できないでしょ?」
「そうですよね……」
何かを調べるように、体の各所に手を当てては離すという動作を繰り返す。診察のようなものだろうか。
「この子みたいな人もいるし、病気や怪我で循環が悪くなっちゃう人も居る。その改善も私達の仕事なのよ」
「え!」
意外な言葉に二人は驚いた。思わず発した声が重なる。
「ということは、魔法が扱いやすくなるってことですか?」
ラーソルバールはうつ伏せのまま興奮する。
「まあ、そういうことになるわね。じゃあ、始めるから大人しくしてて頂戴」
エナタルトが両手を左背中にあてると、先程とは違い青白い小さな光が明滅した。
同時に、ラーソルバールの体内を少しずつだが、何かふわっとした暖かい物が流れ始める。それは徐々に頭や手足の先まで広がり、今まで感じたことのない不思議な感覚に包まれた。
「循環し始めたのが分かる?」
「あ、はい……なんとなく」
「よし、じゃあもう少しやったら、痛い所を治しちゃおうね」
全身を巡る不思議な動きに多少気分が悪くなったが、怪我の治療が始まる頃には落ち着いていた。少しだけ慣れたという事なのだろうか。
この後、体内の魔力循環が多少改善したためか、怪我の治療は順調に進んだ。
「これで治療は終わり。腰も、お尻や脚の鞍擦れも、もう痛くないでしょ」
「はい。ありがとうございました!」
ラーソルバールは目一杯、感謝の気持ちを込めて礼を述べた。
「でも魔力の流れはまだ細いから、自分でちゃんと訓練しないと駄目だよ」
「はい、努力します」
やる気十分な言葉に、エナタルトは思わず吹き出した。
「そのやる気が幼いときから有れば、今頃もっと楽だったと思うわよ」
笑いながら、ラーソルバールの頭を撫でる。
「えぇと……」
今更弁解の余地もなく、ラーソルバールは言葉を詰まらせた。
「じゃあ、二人とも怪我をしないよう、気を付けて頑張っておいで」
優しい言葉に送られて二人は治療室を後にする。
教室に戻ってみると次の授業は既に始まっており、教鞭をとっていた教師に睨まれてしまった。二人は事情を説明しつつ、平謝りして許して貰い、こそこそと自席に戻ったのだった。
「エナタルトさん、さっきの娘は問題無かったかね」
「ええ、魔力の循環の悪い子でしたけど、少し処置しておきました。怪我も問題有りませんでした」
「そうか、それは何より。あと、何か気になった事は?」
怖い顔が更に険しくなる。
「マシラ先生、その顔をされると、また学生に逃げられますよ」
「む……。気をつけよう」
言われた事を以前から気にしていたのか、険しい顔が少しだけ和らいだ。
「ええと、彼女の事でしたね。特筆すべきは……物凄く良い筋肉をしていました。軽くてしなやかで、使いこなせたら凄いでしょうね」
マシラと呼ばれた男性は、眉間にしわを寄せた。
この表情も、学生からの評判は良くないが、ただ考え事をする時のものであることをエナタルトは知っている。彼はエナタルトの上司であるため、面倒ごとにならないよう、学生達の反応は気にするようにしている。
「名前は?」
「ラーソルバール・ミルエルシ……さんですね」
名前を聞いて、マシラが少し驚いたような顔をした。
「聞き覚えがあるな。多分、教師達の間で話題になっている子だな」
話題というのも漠然としている。
教師の話題になるのは主に素行が悪い者達だが、診察時のあの娘は素直で問題が有りそうには見えなかった。果たして話題とは何なのか。気になったが、マシラに聞いても、首を傾げるだけだった。
「まあ、またそのうち来るでしょう」
エナタルトは診療書を纏めると、元の仕事を再開した。
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