(三)帰宅

(三)


 休暇四日目。

 結局、ラーソルバールは伯爵と共に王都へ向かうことになった。

 馬車には伯爵と執事が乗り込む事になっており、そこに同乗する形になる。

 王都に着くまで、落ち着かない時間を過ごさねばならないのが分かっているので、昨晩から憂鬱になっている。さらに、慣れない来客用の豪華な部屋に一人で泊まるということもあり、全く落ち着かず夜はよく眠れていない。気を抜いたら、馬車で寝てしまいそうで怖い。

 寝惚けたままベッドに転がっていると、扉を叩く音が聞こえた。

「おはようございます! ラーソルバールお嬢様」

「どうぞ」

 メイドの声に上半身だけを起こして、迎え入れる。

「おはようございます、エレノールさん」

「よく眠れましたか?」

 朝から爽やかな雰囲気で、メイドが入ってきた。

 片やラーソルバールは、元々朝が弱いのに、さらに睡眠不足のせいで頭が冴えない。

「どう見えます?」

 うまい切り返しもできず、かなり失礼な物言いになってしまった。

「全然ダメでしたと、顔に書いてありますよ」

 苦笑いしながら、メイドは近寄ってきて髪を櫛でとかす。

 今更抵抗したところで、どうにもならないのは分かっているので、ラーソルバールはされるがまま受け入れている。

「だから私がお側で寝ましょうかと、申し上げましたのに」

「いやいや、そういう問題ではありません」

 てきぱきと動き、気の利く女性だが、どこか抜けたところが有るよう感じる。

 そこが親しみやすい所なのだろうか。

「馬車内が不安でしたら、私も王都まで同行いたしましょうか?」

 ラーソルバールの鬱々とした雰囲気を察したのだろうか。

 馬車内の雰囲気を変える、とても有難い申し出だが、そんな無理が通るとは思えない。

「そんな無理は言えません」

「伯爵様にご相談してみましょう」

 軽く答えるメイドに、驚いた。

「行けるとしても、支度もしてな……」

「済んでおります」

「ん?」

 想定外の答えが返ってきたので、反応に困った。

「メイドたる者、常に準備万端でなければなりません。お嬢様のお声掛りが有ると思い、このエレノール、昨晩のうちに準備を整えておきました」

 最初から付いてくる気だったということか。この人には敵わない。ラーソルバールは苦笑いするしかなかった。

 ただ、それを伯爵が許すかは別の話だと思っていたのだが……。そんな懸念も必要なかったようで、結局この後、メイドの申し出は強引に押し切る形で許可された。

「ふっふっふ。勝利です」

 ラーソルバールが身支度を整えた頃、メイドは不敵な笑みを浮かべて戻ってきた。

 ささやかな荷物を小脇に抱えてはいるが、服装は変わっていない。

「その格好で行くんですか」

「慣れてますし、動きやすいんです」

「あ……はぁ……」

 メイドの服というものは仕事上で支障のないように、動きやすいように作られているのだから、当然の事なのだが、外出するのにもそれで良いのかという、ラーソルバールの疑問は解消されることは無かった。

 それにしても伯爵は良く同行を許したものだと思う。その疑問には次のような答えが返ってきた。

「伯爵様には『休暇』という形でお許し頂きました」

 そう答えたメイドの顔には、したたかな笑みが浮かべられていた。

 休暇以外の手も何か使った事は想像に難くないが、ラーソルバールはそれ以上怖くて聞けなかった。

「私も王都に行きたかったから、丁度良いんです。このお屋敷のメイドは私だけではありませんからね」

 準備が出来たところで、荷物を持ち、メイドと共に玄関ホールに移動する。そこには、カンフォール村から一緒にやってきた二人も居た。

「すみませんでした。お二人にはご迷惑をお掛けしてしまって」

「いやいや、お嬢様のため、村のためであれば全く問題有りませんよ。昨晩は美味い飯も食わせて頂きましたし」

 疲れも見せず、意外に上機嫌な二人を見て、ラーソルバールは少しだけ安心した。

「私はこのまま王都に戻ることになってしまいましたので、お二人とは途中までしかご一緒できません。私の乗ってきた馬もお預けすることになり、本当に心苦しいのですが……」

 頭を下げようとするラーソルバールを、男たちは制止する。

「またフラフラになられるよりは良いですよ」

「そうそう」

 ここが伯爵邸の中でなければ、二人は大声で笑って居たことだろう。ラーソルバールは二人の手を取り、感謝の意を表した。


 間もなく伯爵と執事が現れた。

「待たせたな」

 伯爵は登城するため、正装をしており、昨晩とはかなり雰囲気が違った。国王との謁見を予定しているためか、張り詰めたような険しい顔をしているように見える。

 だが留守を預かる家族三人は、特に昨晩と変わるところが無い。

「ラーソルバールちゃん、また来て頂戴ね」

「そう出来れば良いのですが、私にとっては、伯爵家は恐れ多くて気軽に来れるような場所ではありませんよ」

 今回は特別。事前連絡も無く、突然訪れるような事はもうしないだろう。優しく迎え入れてくれたが、かなり失礼な事をしたという自覚は有る。

 グリュエルには、いずれ剣の相手をするという約束をさせられたが、他にはラーソルバールにとってマイナスになるような要求はして来なかった。もっとも、何も要求される事は無いはずと、確信を持ってフェスバルハ伯爵の元を訪れた訳だが。

「皆様、お世話になりました。またお会い出来る日を楽しみにしております」

「次はラーソルバールの社交界デビューの時だな。楽しみにしているぞ」

 アントワールの言葉で、忘れていた事を思い出した。

 貴族階級の者は十五才になると、社交界に強制的に連れ出される。もうすぐ誕生日を迎えるラーソルバールも例外ではない。

「おおそうか。その時は我が家が後援しよう」

 伯爵がまでこの話に乗る流れはまずい。

「急ぎましょう、陛下をお待たせする訳にはいきません」

「そうだった。さあ、行くぞ」

 伯爵の言葉を受け、振り返ってお辞儀をしてから馬車に乗り込む。

 乗り合い馬車と比べ、遥かに快適な空間だが、凝った装飾が有るわけでもなく、機能美を意識して作られた物のようだった。

 道中の馬車の中で、伯爵は執事と行政について話し始めた。余計な事をして、会話の邪魔をするような事はできない。黙って外の風景を眺めているほか無かった。


 同行していたカンフォール村の二人と別れ、しばらくしてから昼食休憩となった。

 腹ごしらえが終わって、また馬車に揺られていると、ラーソルバールは睡魔に襲われた。抗うことができず、隣に座るメイドに寄り掛かるように眠ってしまった。

「昨晩は寝付けなかったようですので……」

 メイドが向かいに座る伯爵に、小声で伝える。

「色々と堂に入った所は有るが、やはり年相応ということだな」

「左様で御座いますな」

 伯爵と執事は、顔を見合せ小さく笑った。向かいで眠る少女を起こさぬように。


 馬車は夕日が沈む前には、無事に王都が見えてきた。

 ラーソルバールは王都に到着する前に目が覚め、恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、伯爵らに頭を下げた。皆、笑って気にする様子も無く、メイドには可愛いと言われて抱きつかれてしまった。伯爵はそれを見ても止める様子も無く、愉快そうに大きな声で笑っていた。


 王都に到着したことで、休暇という名のラーソルバールの小さな冒険は終わりを告げる。

 預けていた剣を受け取り、ラーソルバールは父に報告するため、自宅の前で馬車を降りた。

 家の前に停車した馬車に気付いた父は、慌てて表に出て来た。良く分からぬまま娘を迎えたが、馬車から降りてきた人影に父は慌てた。

「お久しぶりです、フェスバルハ伯爵」

「また貴殿に会えて嬉しいよ、ミルエルシ男爵。良い娘を持ったな」

「状況が全く理解出来ないのですが、不出来なお転婆娘が、何かご迷惑をお掛けしたのでしょうか?」

 娘の頭を軽く小突きながら、伯爵の顔を見る。

「王都に来たついでに娘さんを送りに……時間があまり無いのでここで手短に話そう」

 馬車の前に立ったまま、伯爵は王都にやって来た経緯とその理由を簡潔に伝えた。

「そういう事ですか。色々と有り難う御座いました。奏上の件、申し訳ありませんが、よろしくお願いします」

 父は深々と頭を下げた。

「うむ、では陛下をお待たせする訳にもいかんので、失礼する」

 そう言うと、慌ただしく伯爵は馬車に乗り込み、出発させた。

 メイドが馬車から顔を出して、名残惜しそうに、見えなくなるまで手を振り続けていた。

「面倒事を伯爵に押し付けおって、……まあ、良い判断だった」

 父は娘の髪がくしゃくしゃになる程、頭を強くなで回した。

「せっかくエレノールさんに綺麗にしてもらったのに…」

 ラーソルバールは頬を膨らませ、抗議したが、父は全く意に介さなかった。

 その後、父に土産を渡し、四日間の出来事を話すと、寮へ戻るための支度をして家を出た。もちろん、賊退治の件は内緒にしたままで。


 ラーソルバールが家を出たのと同じ頃、伯爵は国王への謁見が行われていた。

「陛下、お時間を頂きまして誠に申し訳ありません」

「良い。ここにはワシと、宰相しか居らぬゆえ、気にせず用件を話すが良い」

 国王はゆったりとした口調で伯爵を迎えた。 フェスバルハ伯爵への信頼感もあるのだろう。

「実は……」

 この後すぐに国王から、国内全てに不審な流言や扇動に対する処置を厳格に行うよう、命が下された。

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