(二)剣の重さ
(二)
緊張の連続だった食事を終え、あとはデザートを残すのみとなった。
何を食べたか、何を話したか、緊張のあまり覚えていない。マナーに気をつけ、食事をこぼさぬ様に細心の注意を払い、ようやく終えた、という気がしている。
ラーソルバールが息をつこうとした時、伯爵の表情が変わった。
「今日のうちに王都へ早馬をとばせておいた」
伯爵の動きは早かった。
明日の朝一番に、家臣が国王への面会申請をしておき、王都に到着次第登城する予定でいるらしい。
「王都に戻るのなら、明日一緒に馬車に乗って行くと良い」
「いえ、何から何までお世話になる訳には……」
「護衛の二人には、途中まで同行し、馬を預けてカンフォールへ戻って貰えば良いのではないかな」
全部段取りが出来ているのではないか。今までの事といい、相当な手際の良さだ。
豊かではなかったこの地域を、伯爵が一代で大きく発展させたというのは、本当の話らしい。
「デザートとお茶をご用意致しました」
執事とメイドが、デザートと茶をテーブルに置いていく。
「普段飲んでいるお茶の、どれとも香りが違いますね。新しい物ですか? 華やかで良い香り……」
カップから立つ香りに、夫人が反応した。
「さすがは奥様。これはミルエルシ様より頂戴致しました茶葉にございます」
「あら、ラーソルバールちゃん、ありがとう」
夫人は嬉しそうにラーソルバールを見た。
「いえ、伯爵様にお願いが有って参りましたのに、手ぶらでは失礼ですから、カンフォール村の最上の茶葉をお持ち致しました。皆様のお口に合えば幸いです」
「お茶もいいけれど、お願いの対価はラーソルバールちゃんがいいのに」
本気とも冗談ともつかぬことを言う。似たような事を何度も言うのだから、案外これが本音なのかもしれない。
「あら、美味しい! 香りだけでなく、ちょっとした甘さと苦味と渋みがいいわ」
カップに口をつけ茶を僅かに口に含んだ後、婦人が驚いたように声を上げた。
「これは確かに、ガラントの最高級茶葉に負けない良いものだ」
夫人に続いて伯爵も称賛の言葉を口にする。
進物の品だけに、世辞も有るのだろうが、カンフォール村の物が誉められる事が、ラーソルバールには嬉しかった。
デザートのムースも、茶葉に合わせてくれたようで、お互いに引き立て合って、絶妙な美味しさだった。ラーソルバールの口内に、幸福なひとときをくれた料理人に、お礼を言いたくなった。
機嫌良く、ティーカップを置いたのを、見計らったかのように、伯爵が口を開いた。
「そういえば、こちらで預かっている剣を念のため確認させてもらった。青白く光るあの剣は何か特殊な加工がしてあるのかね?」
預けた武器を確認するのは当然とは思うが、剣自体に興味を持ったのだろうか。その質問には深い意図が有るようには感じない。
「護身用の剣ですから、大したものではありません。父から貰った物ですが、私でも使いやすいようにと、軽量化と材質強化の魔法付与が施されている程度です」
嘘偽無く正直に答える。
「なるほど。魔法付与されている時点で大したものだと思うが、王都ではそう苦労もせず入手出来るということか。まあ、危険な物では無いということだな」
伯爵の言葉に頷いて、残り僅かとなったムースを、口に運ぼうとした瞬間だった。
「訓練以外に実際に使った事があるのかね」
非常に答えにくい質問だった。
誤魔化すのが良いか、正直に答えるのが良いか。街道に時折出没する獣や怪物、賊などを退治していますとは言えない。下手に答えれば、何を言われるか分からないので慎重に言葉を選ぶ。
「街道で獣に襲われた際に、護衛の陰に隠れて少々……」
恐る恐る答えた。
「そうか、あまり危険な事はしない方が良い」
「はい、分かりました」
笑顔で話す伯爵に何か、違和感を感じた。
「そういえば、先程面白い話を聞いてな。我が家の使用人が一昨日、領内でも商いを行っている隊商と、王都で会ったと言っておってな」
違和感の正体はこの話だろうか。冷や汗が垂れるのを感じた。
「随分と大きな『獣』を何匹も捕獲しておって、門兵に引き渡しておったそうなのだ」
あれ……。もしかしてバレてる?
「護衛も怪我を負っていたので、事情を聞くと、獣に襲われていたところ、通りがかりの若い娘に助けられたと答えたらしい」
「まあ、すごい娘さんも居たものですね」
夫人、それ私です。とは言えない。
「金髪のかわいい娘さんなんだが、青白い剣を振るって、あっという間に四匹を叩きのめしたらしい。恐ろしい強さだったそうだ」
伯爵は楽しそうに話す。視線はラーソルバールと合わせない。
「父上、そんなに凄い剣の使い手が居るなら、是非とも手合わせしたいものですな」
興味津々という感じで、次男のグリュエルが身を乗り出した。武芸好きだけに、この手の話は気になるのだろう。
「本当の話ですかねえ」
兄の方は弟と対照的に、話半分程度で受け止めているようだった。
「本当かどうかは聞いてみればいい」
「誰に、ですか?」
不思議がるアントワール。
「テーブルに突っ伏している、そこの娘に」
伯爵はラーソルバールを指差した。
唖然とする兄弟と、笑いが堪えられず、横を向いて震える夫人。伯爵的には、してやったりな展開なのだろう。
「……ご存知の上でからかっておられたんですか」
頭だけを上げて顔を真っ赤にしながら、ラーソルバールはささやかな抗議を行った。
「剣を振り回してばかりいるような、お転婆娘だと聞いていたので、使用人の話を聞いて、もしやとは思った。そして剣の話を聞いて八割方、本人に違いないだろうと」
さすが伯爵見事な読みでございます、と手放しで賛辞を贈るような話ではない。出来れば気付かないでいて欲しかった、というのが正直な所だ。
「で、どのような獣で?」
グリュエルとしては気になるらしい。事の顛末を全て知りたいと言い出しそうな雰囲気だ。
「わざわざ門番に突き出すような獣も居ないだろう。盗賊の類ですね」
アントワールは弟と違い、物事を正しく把握しているようだった。
どちらにしても、ラーソルバールとしてはお転婆娘の所業として、恥ずかしい事に変わりはない。
「なるほど。父上はラーソルバールをからかうため、わざわざ獣と言ったのですか。しかし賊を四人ともは……」
兄の言葉でようやく理解したグリュエルは、感心しきりというように唸った。
「本当の話です。護衛の方も怪我をして居られましたし、取り逃がして禍根を残す訳にはいきませんので、助力致しました。恐ろしい娘だと思われましたか?」
心なしか縮こまって話すラーソルバール。あまりに消沈している様子を見て、夫人は心配そうな顔を向けた。
「ラーソルバールちゃん、ごめんなさいね。良いことをしたのですから、胸を張っていいのよ。誰も怖いなんて思いませんし」
「そんな、奥様…気になさらないでください」
夫人に頭を下げさせるつもりはないのだが、自分が凹んでいたせいで、結果的に余計な気を使わせてしまった。ラーソルバールは、申し訳ない気持ちになった。
「私もラーソルバールちゃんの慌てる様子が可愛くて、思わず笑っちゃったけれど、許して頂戴。やり過ぎた主人には、後でしっかりとお説教しておきますから」
「むむ……」
夫人に睨まれて、伯爵は言葉を詰まらせた。
「自ら手を汚す覚悟が無ければ、為政者にはなれません。それに誰一人、殺してはいないのでしょう」
優しくアントワールが語りかける。
「誰も殺してはおりません。命をとるのは本意ではありませんし、私にはその度胸がありません」
「ならばやはり、ラーソルバールは良いことをしたのだ」
アントワールの優しい笑顔が嬉しかった。
騎士になればいつかは、誰かの命を奪わなくてはならない瞬間が訪れるに違いない。それまでには、この未熟な心も耐えられるようになっているだろうか。
正義感だけで突っ込んで行くような、そんな事が出来るのは今だけなのだろう。否応無く置かれる戦いの中、憎しみに駆られながら、剣を手にするような時が訪れるのだろうか。
背伸びをして大人のふりをするには、まだ気持ちがついていかない。未来は、この先の自分はどう在るべきか。ラーソルバールは自問する。
「ラーソルバールちゃん、大丈夫?」
押し黙って考え込んでいたので、心配そうに夫人が声をかけてきた。
「大丈夫です……。ちょっと考え事をしていたもので」
「ならいいけれど」
思い詰めたような顔をしていたのだろうか。せっかくの食事の時間を台無しにしてしまった気がして、申し訳ない気持ちになった。
そんな心情を見透かしたように、伯爵はラーソルバールを見つめると、大きく息を吐いた。
「人間は、己の地位や既得権益を守るために、道から外れた行いをする時がある。そんな相手と対峙した時、自らの剣を正しい行いのため民のために振るう覚悟があるか? 剣を向ける相手が親しい仲だったとしても」
伯爵の言葉は重かった。
「私の剣は正しい事のため、大切なものを守るために使うと決めています。しかし、伯爵が仰るように剣を向ける相手が親しい者だった時、私は志を曲げずに居られる自信がありません」
「そうだろうな。簡単に割り切れるものではない。無論、非情になれと言っている訳ではない。だが、もしもに備えてその心構えはしておきなさい」
優しく諭すような言葉を、ラーソルバールは心に刻んだ。
覚悟が無いなら、どうすれば良いか必死に考える。今はそれしかできない。
騎士になると決めた。その道が険しくとも、歩みを止めない限りは夢は近付く。この数日の出来事も、必ず何かの糧になるはずだ。
「皆様、ありがとうございます」
最期のムースを口に運び、気持ちを新たにした。
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