第五章 ラーソルバールの休暇(後編)

(一)メイドとドレス

(一)


 フェスバルハ伯爵との会談を終えたあと、街の宿で一泊する予定でいた。しかし、無理矢理引き留められ、護衛の二人も併せて伯爵の邸宅に宿泊することになってしまった。

 どうやら伯爵の気遣いで、賓客待遇という事になったようで、突然来訪した身としては恐縮するばかりであった。

「はぁ……」

 想定外の事に、ラーソルバールはため息をつくしかなかった。

 酒場で自衛団の二人と、楽しく夕食をとるつもりでいたのだが、これから待っている夕食は、伯爵夫妻と息子二人の同席という、実に耐え難い窮屈なものになる。


「お嬢様、お風呂の用意が整いましたので、ご案内致します」

 メイドに呼ばれて、否応無く風呂場に連れてこられた。

 脱衣所から見える風呂場は寮並みに広く、大きな浴槽と豪華な装飾があった。

「おぉー」

 ラーソルバールは思わず声を上げてしまった。

 隣のメイドがにこやかに見つめている。

「お背中を……」

「いえ、結構です! ひ、ひとりで大丈夫ですから」

 メイドの申し出を即座に遮ったものの、さすがに動揺は隠せなかった。

 顔を赤くして焦るラーソルバールが可愛く思えたのか、メイドは横を向くと、口許を隠して笑った。

「すみません、私が居るばかりに、何かお仕事増やしちゃっているみたいで」

 余所者の為に気を使わせてしまい、使用人達には申し訳ない、さらに言えば、自身も伯爵家に居る事で何だか肩身が狭い。自衛団の二人は、もっと困っている事だろう。そう思うと、ため息が出そうになる。

「このお屋敷にも、お嬢様みたいな方が居られると、楽しいのですけれど」

「え?」

「妹みたいで可愛がりたいというか、いじりたいというか……は! 失礼しました」

 メイドは顔を赤くしながら頭を下げた。

「頭を上げて下さい、普通に接してくれた方が有り難いです。その…畏まった感じが苦手なんです」

「はい、ありがとうございます。では、気持ちを切り替えて」

 二人は顔を見合わせて笑い合った。

「お名前を伺ってもよろしいですか?」

「エレノールと申します。さ、お風呂に入って下さい、お召し物も洗わないと」

 そう言うと、ラーソルバールの着ていた服を、あっという間に脱がせて洗濯用に纏めてしまった。

「服を洗い場に置いて参ります。すぐに戻りますので、ごゆっくりどうぞ」

 唖然とするラーソルバールを余所に、メイドはさっさと行ってしまった。ひとり残されたラーソルバールは、仕方がないので風呂に入ることにした。


 身体を洗い終えると、大きな浴槽に身を沈める。

 鞍擦れの痕に湯が染みて若干痛いが、体に残る疲労や痛みに比べれば、大したものではない。足腰と、背中と腕、要するに全身に痛みが出ている。無理をして馬に乗り続けた結果だ。

 伯爵の前では何とか取り繕ったが、この後もそれが出来る自信が無い。

「予定してたものと全然違う休日になっちゃったなぁ」

 今頃はカンフォール村の酒場で、酔っぱらう人々と共に、楽しい時間を過ごしてるはずだった。

 特産品の視察をするつもりだったのだが、案内で終わってしまったし、村人達と話す余裕も余りなかった。

 だが、街道に出た盗賊の退治もしたし、特産品の売り上げにも貢献した。今日のことで村を守るという役目も果たした。気分転換のための休日ではなかった気がするが、それで良かったのだと思うことにしよう。

 ようやく気持ちの切り替えができたので、周囲を見渡す。


 浴槽の端や、壁には細やかな装飾が施され、所々に竜や鳥などの彫刻が飾られている。それに合わせたような、湖畔を描いた壁画も美しい。

 だがやはり、慣れないせいか落ち着かない。

 そわそわしていると、脱衣所に人影が見えた。湯煙で分かりにくいが、先程のメイドで間違い無さそうだった。

 居心地の悪さからそそくさと風呂から出ると、メイドが待ち構えていたように、ラーソルバールの元にやって来て、あっという間に全身を拭き終える。流れるような動きでラーソルバールが抵抗する間も与えず、手際良く下着、内衣まで着せ終えると、髪を乾かし始めた。

 呆気に取られていたラーソルバールだったが、我に返ると、下着等は新品を着せられていることに気付く。

「これ、新品……ですよね。」

「ええ、そうですよ。伯爵様のご指示で。ドレスも併せて買って参りました」

「ん?」

 買ってきた? ドレス?

 一瞬、理解が出来なかった。

 突然押し掛けた自分の為に、食事だけでなく、衣服まで揃えたということか。

 伯爵には娘が居ないので、年頃の娘が着るような服が無いのは分かる。だが、わざわざメイドに買いに行かせるというのは、やりすぎではないか。とりあえず部屋着を着せられ、部屋に連れ戻される。今着ているこの部屋着も、一緒に買ってきたに違いない。

 そう考えている横で、メイドの目が妖しい光を放っているのが見えた。

「うふふふふ……ラーソルバールお嬢様…」

「う…」

 多少後退りしながら距離をとる。

 思い出した。この感じは、隊商の女性に着せかえをされた時と同じだ。

 旅の道中、娯楽の少ない彼女達にとって、絶好のオモチャだったのだろう。旅装以外の服までいくつ着せられたことか。

「………はぁ……」

 その瞬間、抵抗しても無駄だと悟った。

 暫しの後、ラーソルバールは幼い頃にしか着た事が無いような、豪奢な深紅のドレスを着せられていた。

「おぉー!」

 メイドが歓喜の声を上げた。ドレスと後ろ髪をかき揚げ、ばっちり決められたであろう髪型、そしてティアラと首飾り。余程満足したのだろう。メイドは手を腰にあて、鼻息荒くしながら、満面の笑みを浮かべている。

 ラーソルバールは、自分の姿を鏡で見るのが怖くなった。

「最高でございます、お嬢様! ドレスがオーダーメイドでは無い事が残念ですが、このエレノール会心の出来でございます」

 自信満々に、ラーソルバールを大鏡の前へと誘う。

「誰、これ?」

 思わず首を傾げた。

 鏡を見た瞬間の正直な感想だ。

「元がとても美しいですし、お若いので、化粧は紅を少々さしただけ。ティアラと首飾りは、さすがに奥様からの借り物ですが、良くお似合いですよ」

 私はこれから社交界に行くのでしょうか?

 鏡に映る別人のような姿に、戸惑いを覚える。普段から飾り気の無い格好ばかりしているので、ドレスなど無縁の物だ。


「さあ、そろそろ夕食のお時間でございます。皆様お待ちでしょうから、参りましょう」

 そう言われて思い出した。この格好のまま食事をしなければいけないという事を。

 どんどんと不安が増していき、心臓の音まで聞こえてきそうな気がする。

 メイドに誘われ、大きな扉の前までやって来た。

「エレノールさん、変な汗が出てきたよ」

「大丈夫です、とってもお美しいですから」

 そうじゃない。見当外れなメイドの返しに、思わず手が出そうになった。

「ラーソルバールお嬢様をお連れしました」

 扉を叩き、中に到着を伝える。

「入って頂きなさい」

 中から伯爵の声が聞こえた。

 その言葉の後、ガチャリと音を立てて、扉が開く。

 ラーソルバールは思わず目を閉じた。

「おおー」

 室内から歓声が上がる。

 ラーソルバールは、怖くて目が開けられない。何が怖いのか自分でも分からない。

「良くやったエレノール 、色々とご苦労だったな」

「そのお言葉を頂けて、ほっと致しました」

 ほっとしたという表情どころか、生き生きとした顔のメイドを見て、伯爵が笑った。

「楽しかったか?」

「ハイ、とっても!」

 即答したメイドに、ラーソルバールを含め、居合わせた一同全員が笑った。

 このやり取りで気が紛れたラーソルバールは、ようやく目を開けることができた。

「本日は、夕食へのお招きばかりか、宿泊のお許しまで頂き、誠にありがとうございます」

 令嬢らしく、恭しくお辞儀をした。一応、そうした礼儀は教え込まれている。

「気にしないでね、主人が好きでやってる事ですから」

 夫人が伯爵の顔をちらりと見る。伯爵は照れ臭いのか、横を向いて視線を外した。

「奥様、アントワール様、グリュエル様、お久し振りでございます」

 作り笑いでは無いが、かなり緊張しているので、顔がひきつっていないか心配になった。

「お久し振りね、ラーソルバールちゃん。大きくなってこんな美しい娘さんになって、見違えたわ。やっぱりアントワールの婚約者にならない?」

「奥様……」

 苦笑いが危うく顔に出るところだった。

 夫人も伯爵と同じことを言う。裏で作戦でも練っているのだろうか。

 伯爵の長男、アントワールは十七才。見た目も悪くないし、才覚もそこそこ有るという噂は聞いている。嫌ではないが、婚約者になるつもりは無い。

 次男グリュエルは十五才。兄に似てはいるが、兄よりも体格が良く、武芸一辺倒らしい。

 夫人とは何度か顔を合わせているが、穏和で優しい人物という印象を持っている。以前から可愛がって貰っており、親しみを持っている。


「さあ、立ってないで座ってくれたまえ」

 伯爵家との晩餐が始まった。

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