(三)少しだけの涙

(三)


「ターシャさん、おはようございます!」

 宿屋に明るい声が響く。

「お嬢様! お久し振りです。昨日村にいらしたと聞いて、お会いしたくてウズウズしてました。本当に朝が待ち遠しかったんですよ」

 出迎えた宿の女将は、目を細めて喜んだ。

「私も久々の村で、少し舞い上がってます」

 ラーソルバールは嬉しそうに飛び跳ねる。その仕草が面白かったのか、女将は吹き出しそうになりながらも、笑いを堪えた。

「お嬢様、騎士学校に入学されたとお聞きしましたよ」

「皆さんのお陰で、無事入学出来ました」

 照れながら頭を下げる。

 村の人達が見守ってくれていたから、今の自分が有る。この村が自分の故郷であり、家である。ラーソルバールはその想いを無くした事はない。

「おめでとうございます。お嬢様の夢でしたものね。ついでに盗賊退治までしてこられるとは、お嬢様らしいですねえ」

「ありゃ、耳が早い」

「お客様からお聞きしましたよ。凄かったと驚いて居られました。でも、余り危険な事や無茶なことは、なさらないでくださいね。お嬢様に何か有ったら、村が大騒ぎになりますから」

「はぁ…努力します……」

 騎士になるのに、危険な事をするなと言われても困るが、無茶はしないようにしよう。少しだけ反省したラーソルバールだった。

「ラーソルちゃん、おはよう」

 メルーナが顔を出した。良く寝たのか、疲れは無さそうに見える。

「おはようございます」

「昨日は女将から、お嬢様愛をいっぱい聞かされたわよ」

 ハッとして振り返ると、女将が笑みを浮かべて見ている。果たして何を語ったのだろうか、怖くて二人には聞けなかった。

「今日は特産品をご紹介がてら、案内させて頂きます。ここに居ますので、準備が出来ましたら声をかけてください」

 誤魔化すように本来の目的を切り出す。

 行商のために、村の特産品を定期的に買ってくれるようになれば嬉しい。

「はいよ、よろしくね」

 貴族の娘だと聞いても、どうも話し方を改めるという雰囲気ではない。ラーソルバールは気にする事はないし、女将もそれを聞き咎める訳でもない。どちらかと言えば堅苦しいのを嫌うのがラーソルバールの性分なので、自然な事なのかもしれない。

 メルーナが一旦自室に戻るのを見送ると、二人でゆっくりと歓談して時間を潰す。

 しばらくすると、男二人は行商に出かけ、メルーナのみが支度を終えて現れた。

「まずは麻織物から見ていきましょうか」

 視察も兼ねて各所を巡るため、昨日の馬車をそのまま利用している。料金は村持ちになっている。


 工房といった感の有る建物の前で、二人は馬車を停めて降りた。

「麻と申しましたが、正確には亜麻を利用しております。こちらの方が柔らかく、加工しやすいのだそうです」

 建物の中で見た織物は、メルーナの目を引くものだったようで、手にとってはしきりに感心していた。

「通気性も良く、丈夫なので旅装用のローブ等を作るには良いですが、防御という意味では衝撃吸収も弱く、鋭利な刃物の前では役に立ちません。何枚か重ねれば強いものは出来ると思いますが…」

「比較的暑い地域や、湿気の高い地域では普段着として向くんじゃないかい?」

 積極的に話すメルーナは、流石商売人と思わせた。工房を出る頃には、商談をまとめていたようで、満足そうな笑顔を浮かべていた。

 その後、芋畑、茶畑と巡り、昼食となった。

 茶工房の隣に作られた食事処は、酒場と言うよりは、休憩所に近いもので、旅人や近隣住民の小さな贅沢空間のようだった。

「今年取れた茶葉で淹れました」

 食事と共に、香りの良い茶が出される。

 食事も重いものではなく、軽めのパンと蒸し鶏、地物野菜等が皿に載っていた。

「高級茶葉には及ばないけど、良いお茶だねえ。値段によっちゃ売りまくれるね」

 パンを口にしたあと飲んだ茶で、メルーナが商売人の顔に戻った。

「一般に流通している物と、大差ない価格だったと思いますよ。今、上茶葉も作っているはずなので、来年くらいには商品になっているはずです。価格はどうなるか分かりませんが」

「すごいね、村の事なら何でも知ってる感じだ。この村の連中は幸せだわ」

 感心したように、ラーソルバールの顔をまじまじと見つめる。

 向かい側で照れる少女を見て笑うと、もう一度茶を口に運んだ。

「お嬢様、試作品も有るので、お試し頂けないでしょうか」

 店主がやって来て頭を下げた。

 ぎこちないものではなく、とても自然な動きにメルーナは感心した。村の人達皆が好きというのは本当なのだと。敬愛しているからこそ、こういう所作にも表れるのだろう。

「私は味覚に自信ないよ」

 そう言うラーソルバールに、店主は優しく微笑んだ。

 メルーナと共に、それぞれ二つのカップが目の前に出される。

「色が違う」

 カップに注がれる液体は、見慣れた赤茶色のものではなく、淡い緑色をしていた。

「普段は葉を発酵させているので茶色くなるのですが、葉が持つ本来の色と香りを出せないかと試行錯誤しているのです」

 次に注がれたのは、淡い赤紫のものだった。

「鮮やかな色!」

 ラーソルバールは楽しそうに身を乗り出した。

「こちらは薬草、香草の花から作ったものです。花の色をなるべく生かすようにしています。これは香りの相性のが良く、効能豊かな花をブレンドしたものです」

 茶の香りではなく、花の甘く爽やかな香りが広がる。

「この香りでは食事には合わないね。休憩の時か、お菓子と一緒にかな」

「そうですね、食事向きではないと思います。そうすると需要がどこまで有るか…」

 二つの茶を眺めていたラーソルバールは、緑色の方を手に取った。

 鼻に近付け、香りを嗅ぐ。

「もっと草のように、青臭い感じがするのかと思ったら、全然違う」

 初見の感想を伝えると、口に含む。

「葉の香りが良くて、ちょっと甘い気がする。これ、美味しい」

「まだ試作なので、改良の余地は有りますが、お嬢様のご感想が今後の励みになります。茶工房の者にも伝えておきます」

 店主が嬉しそうに答えた。

 メルーナにもこの二つの茶は好評だったようで、この後、通常の茶葉と、在庫の有る花茶を大量に購入していた。


「さて、面白いものも手にいれたし、私達はそろそろ出立するよ。けど、またここに買い付けに来るし、王都にもそのうちまた行くから、また会うことも有るかな。色々と有り難うね、お嬢様」

 そう言うと、メルーナは悪戯っぽい顔をした。

 行商を行っていた二人も戻ってきており、すぐに支度を整えていた。メルーナは慌ただしく荷物を積み込み、三人は馬車に乗り込んだ。

「元気でね。美人に育つんだよ」

 寂しさを紛らわせるためか、メルーナは冗談を交えて別れの挨拶をする。

「またお会い出来る日を」

 昨日会ったばかりの人達だが、別れるとなると寂しさが募る。きっと良い出会いだった、ということなのだろう。

 去っていく馬車から手を振る三人の姿が見えなくなるまで、手を振り返し続けた。

「慌ただしい出立でしたね」

 後ろから声がした。

 宿の前に立ち尽くしていたので、女将が気になって中から出てきたようだった。

「おや、お嬢様、泣いているんですか?」

「え……あれ……?」

 女将に言われて目元に触れると、その手が濡れた。

 泣いていたことに気付かなかった。

「いつからだろう。別れ際に涙見せちゃったかな? 良い人達だったから、別れるのが寂しくなっちゃって……」

 涙声で話すラーソルバールを、暖かいものが包み込んだ。

「お嬢様は寂しがり屋ですねえ」

「ターシャさん……」

 ラーソルバールを背後から抱き締める女将の顔が、笑っているように見えた。

「何で笑ってるんですか?」

「役得だからですよ。お嬢様を抱き締める機会なんて、なかなか無いですからね」

 どこまで本心か分からないが、その笑顔が、ラーソルバールには嬉しかった。

 幼くして亡くした母親は、こんな感じだった気がする。ラーソルバールも向き直って、両手を回し抱きついた。

 優しさに包まれ、少しだけ寂しさが薄らいだ気がする。

「さ、宿に戻りますよ。今日はここに宿泊されるんでしょう?」

 ラーソルバールは女将の腕の中で、無言で頷いた。

「夕食はいつも通り、情報収集も兼ねて隣で召し上がりますか?」

「今日は賑やかな所で食べる気分じゃないので、宿で食べても良いですか」

 上目遣いでせがむ、駄々をこねる幼子のようにも見えた。

「任せてくださいな!」

 頼られたと思ったのか、女将は嬉しそうに承諾する。無理を言ったかと思っていたラーソルバールだが、それを見て少し安心した。

「さあ、中に入りますよ。夕食の支度をしなくちゃね」

 張り切る女将の姿が、どこか頼もしげに見えた。

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