第四章 ラーソルバールの休暇(前編)
(一)通り雨のあとで
(一)
入学してから早くも月が三度巡った。日数で百日程経過した頃、ようやく外泊許可のある四日間の休暇となった。
ラーソルバールは休暇の間、ミルエルシ家の領地にある唯一の村であるカンフォール村へ行くと決めていた。それは父も了承済みで、領主の名代として向かう事になっている。と言っても何か仕事をする訳でもなく、視察という名の遊びと言って差し支えない。
下級貴族のミルエルシ家は馬車を持っておらず、普段は村から行商に来る者の馬車に便乗して移動している。しかし今回は彼らとの事前連絡が取れていないため、村の近くを通過するような乗り合い馬車を利用するつもりでいた。
父から渡されていた書き付けを鞄にしまい込み、僅かな食料と路銀、護身用の剣を携えて馬車の手配所へ向かう。
村の方面には定期便が無いのだが、運良く行商人一行が手配していた馬車と方向が一致しており、そこに空きが有ったので乗せて貰えることになった。
「お嬢さんはどちらまで?」
旅装で剣を携えた姿に興味を持ったのか、商人の女性が話しかけてきた。
「親戚に会いにカンフォール村まで行きたいんです」
目的は適当にありきたりのものとして、領主の娘であることは隠しておきたい。
「あらやだ、ちゃんと顔見たら、すごい可愛い娘じゃないか」
「おだてても何も出ませんよ」
褒められて照れ笑いしながら答える。
屋外の訓練で日焼けしているラーソルバールは、年頃の割にそれを隠すような化粧もしていないため、その辺を気にしている町娘の方が余程綺麗だろうと思っている。
もっとも、ラーソルバール自身は化粧をしようとは思ってもいないのだが。
「一人で遠くまで大変だねえ。危険も有るだろうし、護衛は付いていないのかい」
「護衛を付けるほど裕福ではありませんし、自分の事は自分で何とかするつもりです」
村まで護衛を雇えば、半日以上拘束することになるので、半月分程の食費が飛んでしまう。出せない金額では無いが父にも負担がかかるので、なるべくなら節約したいところである。
「うちの男共も商人だけど、ごっつい体してるだろ? 頼りにしてくれていいよ」
荷物を積み込む男たちを指差す。親子のようだが、連れの男達は確かに戦士のような体躯をしていた。
「ありがとうございます。道中よろしくお願いします」
ラーソルバールは丁寧に頭を下げた。
「さて荷物も積み込んだし、出発しようかね」
にこやかにそう言うと、女性は荷車に乗り込む。男性二人の様子をちらりと見ながら、ラーソルバールも後に続いた。
目的地であるカンフォール村に着くのは、夕方を予定している。
元々商人達は村に寄る予定は無かったのだが、行商と道中の補給も兼ねて宿泊する方針に変更してくれた。近くで降ろすのではなく、村まで送るという配慮なのだろう。ラーソルバールは出会いに感謝した。
少々心苦しいが「ラーソルバール・リアッテ」と家名を伏せて名乗り、商人の男二人と御者に挨拶をした。
商人達は夫婦と息子だということで、女性はメルーナ、その夫はドゥンガ、息子はワングと名乗った。メルーナには、何年かしたら息子の嫁になってくれと、本気とも冗談ともつかぬことを言われて困ったが、考えておきますと答えて逃げた。
「そういや、カンフォール村の特産品って何だい?」
思い出したように話を切り変えたメルーナが商人の顔になったので、ラーソルバールはホッとした。なぜか男二人が何となく残念そうにしている気がしたが、見えていない振りをする。
「麻と芋ですね。あとは茶葉です。いずれも日持ちがするので、行商には向いていると思います。あとは麻を使った織物が女性の仕事のひとつになっています」
すんなりと答えた事に、メルーナは一瞬驚いたような顔をしたが、そこは商人。商売になると踏んだのだろう、嬉しそうな表情を浮かべた。
村の特産品は、ラーソルバールが王都への持ち運びの問題や近隣に無い物、不作による食糧難の対策などを兼ねて良いものが無いかと、父と思案して選定した結果だ。それが今に繋がっている。無論、それが村人の苦労が有ってこそだという事は、理解している。
領主の娘として少しでも村の役に立てたら良い、皆が笑顔になってくれたら嬉しい、願いにも似た思いがあった。
昼を過ぎた頃、雨が降り始めた。
次第に雨足が強くなり、近付く風上の雲が黒く見える。雨が激しくなりそうなのを見越して、馬車を大きな木の下に停めて休憩することにした。
近くには森が見えるが、そこで休めば獣か怪物に襲われる危険もある。それは誰もが経験で知っている。このまま移動しようにも足場が悪くなると、馬も転倒する恐れがある。幌があるとはいえ、濡れては困る荷物もあるため無理はできない。
「通り雨ですかね」
ラーソルバールは、激しい雨を降らせる天を恨めしげに仰いだ。
「だといいね」
メルーナが微笑みながら同意した。
雨が止むのを待っている間は、する事が無い。ただ、空を眺めて雨雲が通り過ぎるのを待つのみである。
暫くすると向こうの空が明るくなり、雨足が弱まってきた。
「行きますよ」
御者が声をかけてきた。念のために周囲を確認するが、特に大きな水たまりもできておらず、獣の気配もない。
動き出した馬車は先程よりも速度を落とし、泥をはねながら進む。止みかけの雨を見上げながら揺られていると、馬車が急に止まった。
「ん……?」
何事かとラーソルバールはメルーナと顔を見合わせる。
「前方で
御者の声に、ラーソルバールは身を乗り出した。こちらも気付かれている可能性も有るが、そうでないとしても人命に関わるものなら見過ごす事は出来ない。
「賊ですか?」
「そのようです……」
身を乗り出して目を凝らすと、隊商の護衛は四人、襲撃者は七、八人程だろうか。数の上では明らかに隊商が不利だ。
「援護に行ってきます。お二人は、この馬車を守って居てください」
「ラーソルバールちゃん! 駄目よ!」
メルーナが制止しようとするが、笑顔でそれを振り切った。
「ここで見ないふりをしたら、私は将来の夢を語れません!」
馬車を飛び降りると、遠くに見える馬車まで走る。踏み固められた土の道は、雨にも関わらず、
大丈夫。ラーソルバールは自分自身にそう言い聞かせて剣を抜いた。雨を弾いて剣が淡く青白く揺らめく。
「助力致します!」
護衛の一人は深手を負い、既に下がっている。
二人程が地に倒れているのが見えるが、護衛か賊か判別している余裕はない。
「危ないから来るな!」
ラーソルバールに気付いた護衛の一人が、彼女を子供と見て叫んだ。
そう言い終わる頃、ラーソルバールには向かってきた賊が持っていた剣を弾き飛ばし、柄でみぞおちに強烈な一撃を加えていた。激痛のあまり賊は悶えるように、その場に倒れ込んだ。
仲間が一人倒された事により、賊達から子供という侮りは消えた。
「その小娘を捕まえろ、売れば金になる!」
賊の大男が叫んだ。賊の頭領だろうか。
頭を倒してしまえば賊の戦意は喪失し、逃亡してしまうだろう。しかし、街道の安全を確保するためには、全員捕らえる必要が有り、逃げられてしまっては意味が無い。
賊の二人が襲いかかって来たが、一度に相手をしなくて済むようラーソルバールは片方の男の右脇に回り込んだ。次に、相手が振り下ろしてきた剣の軌道を自らの剣で軽く当てて逸らし、横に飛ぶ。そのまま反動をつけると、切りかかってきたもう一人の賊の頬を、剣の平で思い切り叩いた。
脳を揺らされた賊はよろめき、仲間同士で激突して二人とも倒れ込んだ。
ラーソルバールは、すぐに倒れている無傷な方の賊の顎を踵で強く蹴り上げて気を失わせ、護衛の援護に駆け寄る。その僅かな時間の出来事を目撃していた賊は、自分たちが未だに数的有利だということを忘れたかのように慌てた。
この動揺によって出来た隙を突いて、護衛の男が賊を一人切り伏せると、両者の動ける人数は同数となった。
「手助け感謝する」
来るなと言った手前、恥ずかしいのか、護衛の男は言葉短く告げた。
「まだ終わってませんよ」
そう答えると、ラーソルバールは賊の退路を絶つように、後背にまわる。
苛立ちを隠せない賊の頭領は、ラーソルバールに向き直った。
「全員殺っちまえ!」
先程とは違い、自分を殺しに来る。ラーソルバールは甘い考えを捨てた。
賊は戦斧を構え、距離を測るように動く。他の戦いも打ち合いが止むことなく、何度も激しい金属音が響く。
先に大きく動いたのは、賊の頭領だった。
眼前の娘を狙って横に振るった斧が避けられると、軌道を変えて、力任せに振り下ろした。
「オラぁ!」
その動きを読んでいたラーソルバールは、受け止めると見せかけて、剣の刃を滑らせて受け流した。剣を叩き折るつもりで振り下ろされた斧は、勢いのままに水気を帯びた地面に深々と食い込んだ。
「な……」
驚く間もなく、頭領の首元に剣が突き付けられた。斧の柄には片足を乗せられ、押さえつけられている。小娘相手と侮ったつもりも、生捕りするために手を抜いたつもりもない。技量の差で、軽くあしらわれたのだと痛感した。
その瞬間、頭領は敗北を悟った。
厳しく睨み付けるこの娘に、反撃を試みたところで無駄に終わるだろう。屈辱ではあるが、諦めるしかなかった。
他の賊も、すぐに護衛の男達によって倒され、捕縛された。
「逃げた賊は居ないですか?」
先程話した男は、護衛のリーダーだったらしい。
「ああ、これで全員のはずだ」
ラーソルバールはその言葉にほっとした。逃げた者はまた、盗賊行為を働く可能性が高いからだ。全員捕縛できたのならば少しは、道の安全に貢献できただろうか。
だが根本にあるものを変えなければ、また誰かが盗賊になる。それと分かっていても、今の自分には何が出来るだろうか。
思い上がりも甚だしいと、ラーソルバールは頭を振った。
「これから王都に向かわれるんですよね」
「その予定だ。こいつら全員を衛兵に突き出せばいいんだろう?」
「お願いします」
ラーソルバールは頭を下げた。言わんとする所を分かってくれていたようだ。
「奴らが懸賞首なら褒賞金も出ると思うが…」
「怪我人も居られるご様子、皆さんで分けてください」
「いや、俺達だけじゃあ、命も危なかったかもしれん。そういう訳には……」
困った様子の男の横に、隊商の長がやってきた。
「王都の方とお見受けします。お礼をしたいのですが、我々は旅の者ゆえ街でお待ちする訳にも参りません。少ないですが現金で」
「いえ、お気持ちだけで結構です。ですが、着替えがあれば、売っていただければ有り難いです。皆さんも同じですが、このままでは風邪をひいてしまいそうで……」
ラーソルバールが照れ笑いをすると、護衛や商人達は皆それを見て笑った。
この後、衣服の代金を払うという、ラーソルバールの申し出はあっさりと断られた。
結果的には、隊商の女性達に無理やり着替えさせられ、更にもう一着持たされることになった。この際、女性達が様々な衣類を用意し、ラーソルバールの着せ替えを楽しんでいたのは、言うまでもない。
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