(四)思い出と因縁(後編)

(四)


 突然、エラゼルに大きな声で呼び止められたラーソルバールは、飛び上がる程驚いた。

 エラゼルに何かした覚えもない。全く予期して居ない出来事だった。

「なんでしょうか?」

 恐る恐る、訳も分からぬまま聞き返すと、エラゼルは苛立ったように睨み付けた。

「私に何か言うことは無いのですか?」

 何かと言われても困る。

「私……、何かしました?」

 怯える訳でもなく、少し困ったよう答える宿敵を見て、エラゼルは悟った。

 きっと自分は意識されていないのだと。

「試験の結果などを見て何も感じないのですか?」

「結果? あ、すみません、私は掲示をいつも見てないんです。学内順位とか気にしたことがないので……。でも、エラゼルさんがとても優秀だという事は聞いてますよ」

 試験の結果さえ、気にしていなかったというのは、エラゼルにとっては想定外だった。

「違う、そうではない! もうよい!」

 怒りに任せて捨て台詞を吐き、去っていく相手をラーソルバールは呆然と見つめていた。


 そして幼年学校最終年。

 幼年学校最終年は運動能力測定では無く、代わりに剣術大会が催されるのが慣わしだった。

 試験の方は、この一年も相変わらずで終わり、幼年学校での催しは剣術大会のみとなっていた。

 剣の指導自体は護身用という目的で、幼年学校でも月に二度程度行われていた。従って、生徒達にとって剣は馴染みの無いものではない。

 だが、多くの貴族達は個人的に剣術師範を雇い稽古をするのが当たり前になっているため、貧富の差と同様に毎年優劣の差がはっきり出てしまっていた。剣術大会は、幼年学校最終年のみ学年全員で競う決まりで、一度きりの機会に多くの貴族の子らが、小さな名誉欲しさに優勝を狙っていた。

 そんな中、エラゼルには自信があった。

 自分の腕に勝る者は少ないと。

 名誉など要らないが、どんな物だろうと優劣をつけられるのであれば、一番上でなくてはならない。それがデラネトゥス家の者の有るべき姿だと思っていた。

 剣術指導では、稀に他クラスとの合同授業が行われていたが、エラゼルの目には強そうに見える相手が居なかった。

 注意すべきは一人。宿敵ラーソルバール・ミルエルシ。

 彼女が勝ち上がってくるだろうという、予感というよりは確信に近いものがある。

 剣の腕は見たことが無いので分からないが、運動能力が高いのは間違いが無い。だが、油断さえしなければ勝てるはずだ。

 ここで宿敵を倒して優勝すれば、きっと積年の気持ちも晴れるに違いない。そんな思いを胸に、エラゼルは剣術大会を迎える。


 大会は三日かけて行われる事になっていた。

 初日は一回戦が行われ、エラゼルとラーソルバールは共に勝ち上がる。

 エラゼルは開始直後に、胴切りを決めて勝利した。


 宿敵の実力はどの程度のものか。

 他者の試合を眺めながら、ラーソルバールの試合を待った。

 想定通り見た限りでは、それほど大した相手は居なかった。だが、実際にラーソルバールの試合を見た時には判断に困った。

 確かに予想通りラーソルバールは勝ったが、強いのか弱いのか分からなくなった。明らかに格下と思われる相手に手こずって居たかと思えば、最後は鮮やかな剣捌きで勝利してみせたのだ。

「何なのだ?」

 エラゼルには理解ができなかった。

 翌日の二回戦、三回戦も同様だった。エラゼルは試合開始直後に圧勝し、ラーソルバールは勝利したものの、前回と同様に手間取っているように見えた。

 だが、今度は試合の内容を良く見た。ラーソルバールは相手の攻撃は全て余裕をもって処理していて、攻撃時も手を抜いていた。

 相手に合わせてそれなりに時間をかける。それは何を意味するのか。

 目立たないようにしているのか、はたまた遊んでいるのか。

 エラゼルは理解できずに悩んだ。


 三日目。四回戦から決勝までが行われる。

 この頃になると、ようやく実力差が無くなり好勝負が増えてきた。だが、エラゼルは男子生徒を相手にしても余裕の勝利を決めて、四回戦を終える。

 対してラーソルバールは相変わらず、手間取っているように見える試合を続けた。


「何故、わざわざあんな手ぬるい試合を続けるのか!」

 エラゼルは、試合を終えて引き上げてきたラーソルバールを捕まえて、疑問をぶつけた。

「何故と言われても……、いつも一人で練習してばかりで、対人の経験があまり無いから、良い機会だと思って」

 突然の事に驚いたが、ラーソルバールは素直に自分の考えを伝え、笑顔でエラゼルの顔を見た。

「なに……師と手合わせせんのか?」

「ん……。貴族とは名ばかりの我が家に、剣の先生なんて雇う余裕は無いよ」

 意外な答えの連続だった。

 エラゼルは相手を、自分と同じ基準で考えていたことを恥じた。

「だが……。何でもない。済まなかった」

「だが」の後に続けたかった言葉を、飲み込んだ。

 エラゼルはミルエルシという名について、調べたことが有った。

 その時に知ったのは、ラーソルバールの父が名の通った騎士であった事、そして病で職を辞した事だった。

 騎士であった父ならば、剣の相手をしてくれるのではないか。であれば、なぜ「一人で練習している」などと言ったのか。

 それは病の父親がそれさえ叶わぬ状態だから、ということではないか。言葉の途中で気付いたエラゼルは、問い続ける事が出来なかった。

「エラゼルさんも頑張ってね」

「『エラゼル』で良い!」

 拳を握りしめ、歯を食い縛った。

 この宿敵は自分と同じ道、同じ階段を昇ってきた訳ではない。その事を、今更ながらに思い知った。

「私と当たるまで負けるな」

 今のエラゼルには、この言葉を捻り出すのが精一杯だった。

「努力します」

 これはエラゼルの期待した答えだっただろうか。去っていく背を見詰め、ラーソルバールは自問した。


 五回戦以降は、毎回相手が抽選で決まるようになっており、先が読めない展開に誰もがやきもきさせられた。

 二人は準々決勝まで勝ち進んだが、さすがにここまで残った生徒は強かった。

 ソードマスターと名高いジェイル・ノーフィスの長男、オーガーハンターとして名の売れた冒険者マッドンの次男など、他者を圧倒してきた骨のある者達ばかりだった。

 誰もがこの少年二人のうち、どちらかが優勝すると信じて疑わなかったが、エラゼルが前者を、ラーソルバールが後者をそれぞれ破り、人々を驚かせた。

 この後も二人は勝ち、遂に誰もが予想していなかった女子生徒同士の決勝戦を迎える事になった。

「約束通りに、エラゼルと戦うまで負けなかったよ」

 ラーソルバールの純粋な笑顔につられるように、エラゼルも笑みを浮かべた。待ちに待った宿敵との直接対決。嬉しくない訳がない。

 連戦しているが、二人にそれほど疲労の色は無い。

 試合開始後すぐに勝負を決めてきたエラゼルと、練習のように長い戦いをしてきたラーソルバール。対照的な戦いをしてきたように見えたが、実際ラーソルバールとしては楽な戦いだったのかもしれない。

「貴女は私が倒します」

 エラゼルは剣を握る手に力を入れた。


 二人が試合場に立つと、すぐに開始の合図が響き渡った。

 エラゼルが先手を取り、素早く切りつけた。

 しかし、その剣はラーソルバールの身体を捉える事無く、軽々と受け流される。エラゼルはそのまま、反撃を許す事無く横薙ぎする。

 ラーソルバールは事も無げにそれをかわすと、予備動作無しでエラゼルの胸元への突きを繰り出した。エラゼルはそれを間一髪で弾くと、間合いを取る。

 さすがのエラゼルも肝を冷やしたようで、即座に反撃するだけの切り替えが出来なかった。

 対するラーソルバールは、嬉しそうにエラゼルを見つめていた。

 エラゼルならば、避けるか捌くだろうと信じていたのだろう。

「ふざけるな!」

 怒りのままに、次々と攻撃を繰り出すが、ラーソルバールには届かない。

 エラゼルは攻撃の速度を上げた。閃く剣が沈み掛けた夕日を受けて、ほんのりと赤い線を描く。

「くっ!」

 渾身の剣を受け止められて、エラゼルは美しい顔を歪めた。

「ここからが勝負だ」

 相手の剣を力一杯剣を弾くと、エラゼルは大きく息を吸った。

 他人の目を気にしていては勝てない。泥臭くても、勝てば良い。いや、勝ちたい。

 エラゼルは体を低くして飛び込み、勢いよく切り上げる。ラーソルバールが半歩退がってそれを受け流すと、周囲から大歓声が上がった。

 幼年学校の生徒達の試合だということを忘れてしまいそうな、高度な技の連続だった。

 エラゼルは受け流された剣の勢いを殺さずに、弧を描いて横薙ぎの剣へと変える。ラーソルバールの胴を捉えると思われた剣は、次の瞬間には跳ね上げられていた。

「な!」

 思わずエラゼルは驚きの声を上げる。気付けばラーソルバールの剣が首元に突き付けられていた。

「……私の負けだ」

 認めるしかなかった。

 精一杯やって負けたのだ。だが悔しくないはずが無い。もっと鍛えて再戦すれば良い。この先どこかでその機会があるはずだ。

「お疲れ様。楽しかったよ」

 そう言われて、エラゼルは戸惑った。

 楽しかったという言葉は、敗者には屈辱のようなもの。だが自分の中にも「楽しかった」という気持ちが有ることに気が付いたからだ。

「またやろうね」

 ラーソルバールの本心から出た言葉だったが、この言葉を先々後悔することになるとは、この時は全く考えもしなかった。

「分かった」

 エラゼルはニヤリと笑って、手を差し出した。ラーソルバールはその手を握って、健闘を称える。

 差し出された手に、どんな意味が有るのかを考えもせずに。

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