(二)父の繋いだ縁
(二)
ラーソルバール自身は意識していないのだが、グレイズは廊下などですれ違う度に敵だと言わんばかりに睨みつけてくる。だが、さすがは侯爵家の子息だけあって、多少は自制しているのか、直接手を出したりしてくるわけでもない。
彼は入学試験の事をまだ根に持っているのだろうか。つくづく顔を合わせざるを得ないクラス代表にならなくて良かったと思い、胸を撫で下ろす。
だが、侯爵家なら事件を起こしても、権力を傘にもみ消す事もできるかもしれない。いずれ何かしら行動に出そうな程に威圧してくるだけに、入学式のように取り巻きが居れば、既に面倒事に発展していたのだろうが……。その取り巻き達はといえば、あれ以降見かけていないので、彼らはどうやら合格できなかったのだろう。
ラーソルバールはため息をつきつつも、学校生活が無事に送れるよう祈るしかなかった。
そして入学から四十日ほどが経過した。
座学では時折、寝ている生徒の姿を目にするようになった。入学直後にはあった緊張感が薄れて来たのだろう。
ラーソルバールも勉強は好きではないが、騎士になる、という目標があるため、退屈な内容でも苦痛にならない。最初は苦手と思った授業も、ようやく面白いと思えるものになってきていた。
中でも『戦術論』というものは、ラーソルバールの趣向に合っていたようで、一言一句聞き逃さぬよう努力している。
授業の冒頭、講師のエルハンドラ老師は、毎回同じ事を言う。
「戦術や戦略は教科書が基本だが、教科書通りにやったから成功するというものではない。常に考えて、新しいものを取り込め。だが新しいから正しいという訳でもない」
最初は矛盾したかのような言葉が、ラーソルバールには理解できなかった。よく意味を考えてみて初めて、納得できる内容だということに気付いた。
老師は教書を手に、過去の戦いの中で使われた戦術や戦略を分かり易く解説している。ラーソルバールは歴史が好きで、それと紐付けて考えると結構面白いという事に気付いた。
なぜ戦争に至ったのか、経緯も読み解く事ができる。
時々、知っていた話と異なる所が有り、ラーソルバールには疑問だった。だが、老師の次のような言葉で納得する事ができた。
「吟遊詩人の語る戦記、軍記は嘘だらけだ。面白おかしく脚色し、時には勝敗さえも書き換える。物語として聞くには良いが、参考にしてはいけない」
要するに知っていた「話」は作られたもので、史実とは異なるという事だ。
正しくない軍記は、辻褄が合わない箇所が多い。その理由を老師は笑って教えてくれた。
「歴史書、軍記物は、戦争で勝った国が書いた物が多い。その場合は勝利を誇張し、敗者を貶める内容になっている。真実を知りたければ、第三者の記したものを参考にするか、敗者の側の記述を探すことが大切だ」
特に気をつけろと言われたのが、勝者の記述についてだった。
基本的には敗者の手記や史書は、勝者によって焼却されてしまったり、禁書扱いされたりするのが当たり前で、後世には残りにくい。当然、焼け残りや、禁書を探し出し、手に入れるのは容易な事ではない。従って「正しい」歴史などというものを知る術は無いに等しい。
「その時に生き、第三者として歴史を見つめた者が書いた書物を探すべし」
老師の教えだった。
「個人の武で局面を変える事ができるが、個人の武だけで戦が決まるわけではない」とも教えてくれた。
誰か一人の武勇が優れていても、それだけでは勝てない。戦術、戦略とはそんな簡単なものではない。戦術、戦略。それは戦いの歴史のひとつだと老師は言う。新しい戦術、戦略が生まれた時が歴史が動く瞬間だと。
そう言われて、歴史好きな少女は、妙に納得した。老師に感謝しつつ、その人となりに興味を持った。
ある時、ラーソルバールは、教材の運搬の手伝いをエルハンドラ老師から依頼された。
その日の授業は教書だけでなく、地図や模型まで使用した大掛かりな内容であったため、その片づけにも人手がいるということになったからだ。
「手伝わせてすまんの。ええと……何という名じゃったかの」
「ラーソルバール・ミルエルシです。先生」
「おお、そうじゃったか」
思い出したように頷いた後、老師はピタリと立ち止まった。
「ミルエルシ……とな? その顔立ち『双剣の鷲』の縁の者か?」
エルハンドラ老師は髭に手をやりつつ、ラーソルバールの顔を見つめた。
「クレストは私の父でございます」
ラーソルバールの言葉に驚いたように、老師は、ほぅと声を上げた。
「やはりそうか、懐かしいのう」
「父をご存知なのですか?」
今度はラーソルバールが驚いた。まさか父を知っている人物が、ここに居るとは思っていなかったからだ。
「彼も私の教え子だったよ。騎士となってからの事も知っている」
老師の優しい顔が、父との繋がりを思わせる。
「彼が毒矢を受けた影響で病を発し、騎士を辞する事になってから十年にはなろうか。今も健在か? 病の床ということはなかろう?」
ラーソルバールから視線を外すと、昔を思い出すように何かを見つめた。
それが何なのかはラーソルバールには分からないが、父と関連する何かが有るのだろうかと少々気になる。
「病に伏してはおりませんが、治癒もしておらず、今も体が全て自由に動くという訳にはまいりません。出来る事を弁え、剣をペンに持ち替えて司書として、出仕しております」
「ふむ、騎士を辞する折、騎士団の書記かこの学園で職を、と提示されたのだが『騎士団での働きでその後の職を得たのでは、周囲への体裁も悪いし、娘に合わせる顔が無い』と言って断りよった」
「そうだったのですか」
父が司書になった経緯を、ラーソルバールは初めて知った。
どうにも真面目というか、一本気と言うか。性格的にも、そこは曲げられないところだったのだろう。父の言いそうな事だ。ラーソルバールにも、それが分かる気がした。
「騎士団で禄を食んだことのあるこの老いぼれには多少耳が痛かったが、なんと潔い男かと感心したものよ。まさにその言葉通り自らの力で職を得たのじゃな。胸の透く思いじゃ」
先程の物憂げな表情は消え、老師はカラカラと笑った。年輪を重ねた顔が一層しわくちゃになる。
そしてふと何かを思い出したように、ラーソルバールの方に向き直った。
「して、試験の折そなたの剣技を見たのだが、あれは『鷲』より教わったものか?」
「いえ。幼い頃、騎士としての父の姿を見て覚えてはおりますが、剣筋などは分かりません。また先程申し上げたように、病を得てより剣を振るうことがありませんので、剣を交えたこともありません。もとより父は私が騎士になることに反対でしたから、父は私に剣を教えてはくれませんでした」
ラーソルバールの言葉に老師は驚いたような顔をした。良く表情の変わる人だ、とラーソルバールは心の中で笑った。
「するとお主の師は?」
老師は不思議そうに首を捻った。
「誰の元でも学んでおりません。山や野や風が私に教えてくれました。あとは秘密ですが、時折騎士学校の塀によじ登り、授業風景を覗いておりました」
「なんと!」
驚きを通り越し、呆れたような表情を浮かべる老師に、ラーソルバールは思わず吹き出してしまった。
「あの剣が独学とは……。確かに、双剣でもなくその剣筋も似ておらぬ。誰も『鷲』の娘とは気付くまいなあ。せめて腰にもう一本剣を挿しておれば、ミルエルシの名から気付く者も居ろうが」
まじまじとラーソルバールを見つめる、老師の眼差しは優しかった。
もしかしたら入学試験の折に、受付担当者に顔を見られたのは、老師と同じように、名を見て何か気付いたからなのかもしれない。
騎士であった父を知る人に会えた、という喜びと実感が、ラーソルバールの中に沸いてきていた。胸に手を当てると、その思いで涙が出そうになる。
「父を追っても、その背は見えません。双剣を携えて、形だけ真似ても近づけないでしょうから……」
どのような思いで騎士として剣を握ったのか。今のままでは、きっと理解する事ができないだろう。
何も理解できないまま、父の姿を模倣しても同じ事が出来る訳でもない。中身が無く、何も得るところが無い。自身には何も無いと気付かされるだけで、何も残らないただの幻でしかない。
「父を知る方が、父の名を通して私を見てしまえば、その目は曇り、この非才が身の丈以上に見られてしまいます。その事が、父の名を傷つける事になるかもしれません。父は何処までも私の目標なのです」
その言葉に老師は目を細めた。真摯に父親と向き合う姿が愛らしいと思えたのだろう。
「良い心がけじゃ。だがお主は剣の天才か、神が送り賜うた使徒のようじゃ」
「神の使いどころか、私は天才ですらありません。凡才が毎日剣を握って振り回し、見よう見まねで今に至っただけです」
魔力さえまともに制御できませんしね、とは老師の前では言えなかった。
神の使いなら、魔法くらいの出来て当たり前だろう。
「だがその年で、あのランドルフと剣を交えて一歩も引かなんだ。お主がどこまで成長するか楽しみであると同時に、末恐ろしい気がするわい」
「恐縮です。ですが、牙竜将様はまだ本気ではなかったと思います」
はにかみながら答える少女の姿に、老師は別の姿を重ねていた。
「どうかの…。お主の父もこの老いぼれの良き教え子であったが、その娘をこのような思いで見ることなろうとは夢にも思わなんだ」
老師はゆっくりと頷き、嬉しそうにラーソルバールを見つめ、頭をなでた。髪がボサボサになりそうなほどに強く、そして優しく。
「ああ、急いで片付けないと、次の授業に間に合わなくなってしまいます」
荷物を抱えたままの二人は、慌てて教材室へと急いだ。
お互い苦笑いをしながら、廊下を小走りで抜け、資料資材室へと急ぐ。心地よい風が背中を押してくれるのを感じながら。
父が騎士として存在した「歴史」が確かにここにある。
父の紡いだ縁が、しっかりと生きているのだと、ラーソルバールは胸が熱くなるのを感じていた。
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