お盆は天の家族を想う日~笑顔の行方~
猫柳蝉丸
本編
そろそろ起動しておこうかな。
私はスマートフォンにインストールしてあるアプリを起動させる。
少し長めのローディングが終わると見慣れた顔が画面に映し出された。
「よお、鞠絵」
「久し振り、お兄ちゃん」
「鞠絵が中々呼んでくれないからだろうが」
「仕方ないじゃん、お盆以外は利用料金が高いんだから」
「まあ、それは分かってるんだけどな」
お兄ちゃんが二年前から全然変わらない笑顔を向けてくれる。
二年前、私がこのアプリに入力したデータそのままだから当たり前なんだけどね。
『天界サービス・精霊馬』。
五年くらい前に製作されたそのアプリはあっと言う間に世界中に広まった。
何でも量子コンピューターの圧倒的な演算力を駆使して死者の生前の行動をエミュレートしてスマートフォンの映像で完全再現するアプリらしいんだけど、詳しい事は私にも分からない。私に分かっているのはこのアプリを使えば今ここに居ない人と会話が出来て、その利用料金がお盆以外はとんでもなく高いって事だけ。
別に何でも構わないよね、私はお兄ちゃんと話したいだけなんだから。
「元気にしてた、お兄ちゃん?」
「死んだ奴に元気かって聞かれても困るんだが」
「それくらい軽口を叩けるなら元気そうだね」
「うるせえよ」
画面の中のお兄ちゃんが困った様子で肩を竦める。
ああ、やっぱりお兄ちゃんだなあ、って感じる。記憶の中のお兄ちゃんと同じ。
サービス期間のお盆以外は高い利用料金を取るだけあるよね。どんなに高い料金でもアプリを利用する人がどんどん増えるのも分かる。今は傍に居ない人と話せるなんて、昔から考えたら夢みたいなサービスだと思う。
「鞠絵は元気なのかよ?」
不機嫌そうにしながらも、画面の中のお兄ちゃんは私を心配してくれる。
二年前とやっぱり変わらない仕種を嬉しく思いながら、私は微笑んでみせた。
「うん、元気だよ。毎日暑くって嫌になっちゃうけどね」
「それは死んでる俺には分からない事だな、ご愁傷様。ま、身体に気を付けろよ」
「うん、可愛い妹が夏バテしてたら可哀想だもんね」
「うるせえよ」
「それよりお兄ちゃん、実はね、今日は訊きたい事があって呼んだんだよね」
「そうなのか?」
「そうじゃなきゃ高い利用料金を払ってお兄ちゃんなんて呼んでないって」
「うるせえよ。それで、訊きたい事って何だよ? 兄ちゃんと話す金にも困ってる貧乏で可哀想な妹の為に応えてやるから早く言えよ」
「それじゃあ、訊くね。ねえ、お兄ちゃん……」
増していく鼓動を抑えながら私はお兄ちゃんに訊ねる。
今日はその為にお兄ちゃんをアプリで呼んだんだもんね。
「私の事、好き?」
「どういう意味だよ、ふざけてんのか?」
「ふざけてなんかないよ。今日はお兄ちゃんにそれが訊きたかったの」
「どうしたんだよ、いきなり……」
「だって今日はお盆じゃない。お盆になる度に思い出すんだよ、あの日の事」
「あの日……って、あの日の事か?」
「うん、あの日だよ」
あの日……、三年前、お兄ちゃんがお盆で里帰りして来たあの日。
シャワーを浴びていた私はお兄ちゃんとお風呂場で鉢合わせした。
久し振りに実家に帰って来たから勝手が違っていたのか、それとも私の裸が見たくてわざとお風呂場で鉢合わせたのか、そのどっちなのかは分からない。ただ私はどうしたらいいか分からなくなって、その年のお盆はお兄ちゃんとろくに会話も出来なくなった。中学一年生だったんだもん。どうしたらいいか分からなくなって当たり前だよね。
それでも、お正月では笑ってまた話そうと思ってた。
だけど、お兄ちゃんはお正月には帰って来なかった。次のお盆も帰って来なかった。
ずっとずっと帰って来なくなった。
だから、私は『精霊馬』をインストールしたんだ。
中学生のお小遣いじゃお盆以外落ち着いて『精霊馬』で会話なんて出来ない。
それで私は高校生になってから始めたバイト代を貯めて待ってたんだ、今年のお盆を。
お兄ちゃんのあの日あの時の本当の気持ちを知る為に。
「あの日は悪かったと思ってるよ、鞠絵」
画面の中のお兄ちゃんが困った時にする仕種で首筋を掻いた。
「暑かったからシャワーを浴びる事しか考えてなかったんだ。風呂場に誰か居るなんて想像もしてなかった。実家だから誰か居て当然なのにな。思春期だってのに鞠絵には悪い事をしたって思ってる」
「それじゃ……、わざとじゃなかったの?」
「そんな事しねえよ。可愛い妹の嫌がる事なんかやるわけねえだろ」
「お兄ちゃん……」
「お詫びに何か奢ってやりたいけどよ、俺もう死んじゃってるからなあ……」
「ううん、奢りなんていいよ。それよりもう一つ訊かせてほしいな」
「おう、それでいいなら何でも答えてやる。何だ?」
「あのね……、私が嫌がってなかったら、お兄ちゃんはどうする?」
「何だって?」
「私がお兄ちゃんに裸を見られるのが嫌じゃなかったとしたら」
「それってもしかして、鞠絵……」
不意に訪れる沈黙。
私が嫌じゃなかったらお兄ちゃんはどうしてたんだろう……?
一分くらい経って画面の中のお兄ちゃんが口を開こうとした頃、家の玄関のロックが外される音がした。私は慌ててアプリの『精霊馬』を終了させて玄関に向かう。
「ただいま。その……、何だ、久し振りだな、鞠絵」
玄関には少し困った表情のお兄ちゃんが立っていた。
惜しい……。予定よりも帰って来るのがちょっと早かったみたい。もう少し早くアプリを開いとくべきだったかな。もう少しで画面の中のお兄ちゃんから、お兄ちゃんの気持ちが聞けるところだったのに。
二年前、お兄ちゃんが里帰りしてくれなくなったのが寂しくて、私は死者の生前の行動をエミュレートしてくれるアプリの『精霊馬』をインストールした。生前の行動を入力すればエミュレートしてくれるという事は、つまり別にその人が死んでなくても死んでるって設定でエミュレート出来るって事だよね。それに気付いた私は『精霊馬』にお兄ちゃんのデータを入力する事を躊躇わなかった。
だって、寂しかったんだもん、しょうがないじゃん。アプリのお兄ちゃんに訊いてみたい事もたくさんあったしね。いつの間にか冷蔵庫から消えてたプリンを食べた犯人がお兄ちゃんだって分かった時は爽快だったな。アプリだったら普段訊けない事を遠慮無く訊けるから嬉しい。
それにしても、さっきはちょっと調子に乗り過ぎたなあ。兄妹の禁断の恋愛関係なんて、ちょっとは憧れるけど現実には抵抗あるしね。アプリの中とは言え、お兄ちゃんに告白するみたいな形になっちゃって恥ずかしい。
「鞠絵、どうした? 暑いのか?」
私の顔が紅くなってるのを暑いからだって勘違いしたみたい。
三年振りに会うお兄ちゃんだけど、その優しさは変わってないみたいで嬉しい。
「ううん、大丈夫だよ、お兄ちゃん、お帰りなさい」
そう言って、私はお兄ちゃんに三年振りの笑顔を見せた。
今年は里帰りするってお兄ちゃんに連絡を貰ってからずっと練習してた笑顔。
お兄ちゃんに笑顔を向けられるようになったのは嬉しかった。
それでも、ちょっとだけ思った。例えばいつか私が死んだとして誰かは私のデータを『精霊馬』に入力してくれるのかな。それで、お盆の度に私を呼び出して……、ううん、私じゃない私と話して、その『私』は『誰か』に笑顔を向けるのかな。
その笑顔は本当に私が向けてる『笑顔』なのかな。
お兄ちゃんの手を引いて、部屋の中に入りながら、私は何となくそういう事を考えた。
お盆は天の家族を想う日~笑顔の行方~ 猫柳蝉丸 @necosemimaru
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