眼球

亜済公

眼球

 茶を飲んでいたら、目玉が落ちた。右眼だった。

 目玉は何の抵抗もなく本来あるべき場所を離れ、ポチャンと湯飲みに落ちていった。可愛らしい音だった。

 僕はしばらくの間呆然とそれを眺め、我に返ると慌ててそいつを拾い上げる。淹れ立ての茶は熱く、僕の指は痺れるような痛みを感じた。僕の右眼は僕の指をじっと見つめて、やがて茶からすくい上げられると、今度は僕の顔を見つめていた。

 右目から見える僕は、案外、良い顔立ちをしている。僕は一寸嬉しかった。

 それから、目玉を元の場所に戻してみる。戻してみようと試みる。ぐいと力を込めて押し込むと、目玉は少しの抵抗の後、はまった。はまったは良いが、据わりが悪い。突然くるくると回り始め、吐き気をもたらす。茶で茹でられてしまったのか、表面がざらざらして、どうも気に入らない。

 仕方なく、僕は目玉を取り出して、もう一度茶の中に入れてみた。

 目玉は幸福そうにゆらゆらと揺れていた。

 視覚というのは、人間にとって最も重要な感覚であるように思う。嗅覚がなくとも、聴覚がなくとも、触覚がなくたって人は歩き、暮らすことができる。だが視覚を奪われてしまうとそうもいかない。触覚や何かが、視覚を代行する必要が出てくる。眼球は人間が外界を知覚するための機関であり、それは生命活動と極めて密接に関わっているのだ。

 僕は目玉をじっと見つめる。右眼から見える自分の顔と、左目で見ている右眼の輪郭が重なり、奇妙な風景を形成していた。

 さて、どうしようか。

 僕は考える。この目玉はもう使い物にはなるまい。すっかり熱せられて、だんだんと表面が白っぽくなってきている。粘膜が剥離し、地肌が露わになっている。

 僕はふと思い立って、朝食の残りの冷や飯を温め、茶碗に一杯入れて来た。

 茶の中から目玉を拾い上げ、茶碗の縁に何度かぶつける。

 かすかな手応えとともにヒビが入り、これ幸いとばかり僕は目玉を二つに割った。白米の上に、とろりと落ちる。

「半熟だ!」

 僕は歓喜の声を上げた。

 醤油をかけて掻き込むと、口に甘くしょっぱい美味が広がる。

 僕はスプーンを取り出して、今度は左目をくりぬきにかかった。

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眼球 亜済公 @hiro1205

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